東日本大震災以後

 3月11日に起こった東日本の大震災は,地震,津波だけでなく,原子力発電を始めとしたインフラのエネルギー源に致命傷を与えたことで,深刻な打撃を日本社会に与えている。

 エネルギー源の損失によって,救助や支援活動が困難になるだけでなく,東京という中枢都市の機能が低下して,日本全体の体力が落ち始めている。

 また,原子力発電所の事故による放射能漏れへの恐怖という心理的な要因が,被災地支援の難しさを高め,震災対応に対する人々の苛立ちをも高めている。

 そうであるにも関わらず,日本人が暴動に走らないことを世界の人々は驚きの目で見て賞賛していたりする。今後日本企業が復興のために動き出すことを見越して投機筋による円高さえ引き起こされたりしている。

 少なくとも1万人の命が失われたり,見失われている。

 その規模と福島原子力発電所事故の影響規模を考えると,今後の財政的な厳しさは,よりいっそう増すだろう事は容易に想像がつく。

 子ども手当など政策の棚上げ議論もすでに聞こえている。緊急の復興国債発行を提案する声もある。

 原子力発電所事故の行方が全く見えない現段階では,復興にどのくらいコストがかかるのか,素人想像すら難しい。

 科学者でさえ,原子力に対する立場の違いによって見解に相違がある。

 しかし,諸外国の関心の高さと断片的な情報を自分なりの経験則で推し量ってみるならば,おそらく日本は未来を圧迫する厄介な問題を抱え込んだのだろうと思う。あとはどれだけ真摯に引き受けるかが残された課題だろう。

 日本が抱えた大きな問題の範囲で考えると,事態を静観して見守る他ないのであるが,そこを閑却して,いつもの範疇で今回の事態を考えることも大事なことだと思う。

 初めの地震や津波が起こってから一週間。

 あらためて教育分野や情報分野に関する問題が様々な形で浮き彫りとなった。

 実のところ,もう少し自分の中で物事を整理しないと,細々書けないなぁという感じ。要するに,まだ落ち着かない感じなのである。

 それも,自分自身がネットなどのメディアに繋がっているがゆえの問題なのかも知れない。

 災害時にTwitterが役立つのか役立たないのかという議論もあるが,TwitterにしてもWebにしても,テレビやラジオにしても,どのメディアにどのように接続するかは個人個人の問題だと思う。

 その上で,情報にしても物資にしても,いざというときには「仕分け」が出来ないといけないのだなとあらためて感じたり,そのための教育をどう考えればいいのかということもあったり,いろいろあるけれども,それもまたもう少し時間をかけて考えたい。

CEC「教育の情報化」推進フォーラム2011

 教育現場にコンピュータを整備する歴史の中で,1986年に通産省(現在の経済産業省)と文部省(現在の文部科学省)が共に管轄する団体として設立したのがCEC(コンピュータ教育開発センター)である。

 このCECは「100校プロジェクト」であるとか「Eスクエア」という名称の事業を展開し,その成果を世に問うてきた。そうした成果報告会が継続されて,「教育の情報化」推進フォーラムとなっているわけである。

 今回,企画内容に「21世紀型コミュニケーション力」とか「一人一台の情報端末」とか「デジタル教科書」とかのキーワードが並んでいたので参加することにした。

 相変わらず,直前まで宿も確保せず,ふらっとお忍び感覚で出かける。

 もっともTwitterでは全開で中継をしていたので,私が東京のお台場に居ることは世界中が知るところになっているわけで,おかげでいろんな人から声も掛けていただけた。

 学校現場からの実践報告は,様々な取組みから勉強させてもらうことが出来た。教育の情報化推進のためには,こうした細かい事例の蓄積も大事である。個別の善し悪しも,時間が許す限りじっくり検討できればなおよいと思う。

 事業報告「21世紀型コミュニケーション力の育成」は,なかなか興味深い内容だった。

 昨今「コミュニケーション力が大事」と盛んに言われているが,具体的にどのような力をつけるのか,どのように指導するのか,といったことが整理されていたとはいえなかった。

 報告された事業は,学習指導要領にある言語活動の中に21世紀型コミュニケーション力が含まれるであろうという考えのもとで,小学校から中学校にかけてつけるべき能力を整理し,指導指針を示そうという試みである。

 21世紀型コミュニケーション力とはどのようなものか。

 今回の報告は「交流」「対話」「討論」「説得・納得」という段階に整理することで指導を組み立てようとしている。

 個人的には多少,段階のネーミングに落ち着かないが,,整理した内容自体は子どもたちの実態を踏まえたオーソドックスな内容であり,また義務教育段階が押さえるべきコミュニケーション力としても妥当なものと感じた。

 しかし,何が「21世紀型」なのかは,残念ながら明確ではない。

 たとえば,最後の段階である「説得・納得」には「相手を説き伏せる」という文言が含まれているが,これでは20世紀型と言われても違和感が無い。より妥当性の高い説明や理解を求めるという一種の正解主義的なアプローチと勘違いする危険も残る。

 発刊された報告書には,この点についての理論的な検討はほとんど記述されておらず,基本的には学習指導要領にもとづく理論構築に終始している。

 何が21世紀型なのかは様々な議論があるが,たとえば教育心理学の世界では「知識構築型アーギュメント」という用語が登場している。

 捉え方によっては,知識構築型アーギュメントもより妥当な提案を求めているだけとも見れなくはないが,「共同体にとって価値のあるアイデアを産出し,継続的に改善すること」という定義からすれば,協調的なレベルを最終段階で(再度)重視することだと考えられなくもない。

 ただ,義務教育段階を対象とする限り,21世紀型で特徴的なことを明確に言語活動の指導事項として起こすことは難しい。それは中等教育段階に期待されるところであろう。

 報告「児童生徒一人一台の情報端末による教育に向けて」は,東日本地域におけるフューチャースクール推進事業の成果にもとづいたものである。

 東日本地域の事業推進体制は,研究者チームによる全体会が事業と研究をしっかりと掌握しているため,早くから実践事例を集約し整理するなどの成果を発信している。

 この点について西日本地域は異なる体制のため,事業と研究を事業者(シンクタンク)が担っており,研究者は助言を伝える役割でしかない。それぞれの実証現場で得られた知見を十分発信することができない歯がゆさがある。
 (私がTwitterやブログでゲリラ的に情報発信しているのは,それではダメだという考えにもとづいている。)

 東日本地域の体制と情報発信は評価に値するし,敬意を表する。

 報告内容は,実践を「創造」「考えや意見の共有」「協同」「提示」「情報収集」「習熟」「コミュニケーション」の7種類の活用法に整理したり,一人一台環境の具体事例の紹介であった。

 一人一台環境で取り組みたいこと,つけたい学力とは何か。またこうした環境を導入する際には,劇的な変化を目指すのではなく,新しい取組みをそっと付け加えるのだということも重要であると指摘された。

 総括パネルディスカッション「デジタル教科書のゆくえ」は,話題になっているデジタル教科書に関する動向を扱ったもの。

 登壇者は,デジタル教科書に関する企業の協議会の発起人やiPadの教育利用に関する新書を書いた塾業界人,そしてデジタル教科書を開発している教科書会社の企業人の3人。

 協議会発起人は,このテーマでだいぶ有名になった人で,あちこちで講演している内容とか『教育と医学』誌に書かれていた原稿とほぼ同じ。

 塾業界人も,新書の内容と塾で取り組んだことの報告。iPadあるいはデジタル教科書はツールでしかないという主張は大いに賛同できるところである。

 教科書会社の人は,現在開発が進行しているデジタル教科書についてや,様々な調査などを踏まえて学習の在り方やカリキュラム開発の重要性を指摘。

 基本的に,三者三様の主張や報告は,それ自体異論もないし,デジタル教科書議論を追いかけてきた人間からすると新しくもない。

 その後,司会者の味のある進行でフロアからの意見もたっぷりと拾うことになった。

 さて,最初は大人しくして聴くことだけに専念しようかと考えていたのだが,やはり出てくる質問や質疑の拡散具合を聴いていて,どうしても我慢できずに発言することにしてしまった。

 このままだと「様々な議論がありますが…」的なまとめで終わりかねない。

 「デジタル教科書のゆくえ」と銘打ってはいるが,そのことの本当の意味を考えた上で全体の位置づけを把握してデジタル教科書を議論せず,デジタル教科書そのものだけに目を奪われては短絡的である。

 三人の登壇者の発言を拾い直して,この問題がある特定のデバイスを学校教育に導入することの問題ではなく,新しい教育に取り組むための仕組みが学校教育制度に欠けているということの問題として理解することを投げ掛けた(つもり)。

 これだけ社会や世界における学びが多様化しているというのに,そこから最も遠ざけられ学校教育に捕らわれた形になっているのは,他ならぬ教員である。

 デジタル教科書の導入は,確かに学校教育に大きなインパクトを与え,その波風の中で教員にも新しい物事との出会いをもたらす意味で重要だとは思う。しかし,それはデジタル教科書に限った特徴ではない。デジタル教科書よりも他のものを選択した方がよい場合だってある。

 どんなものだって教育的な可能性を感じたのならば,まず取り入れて試してみて知見を積み上げていくことの自由が,なぜ日本の学校現場は保証されないのであろうか。

 遠い将来に,新たなツールの教育の可能性が注目されたときに,私たちはそれについてもデジタル教科書と同じように議論を繰り返してばかりで,可能性に近づくことが難しくなるのだろうか。

 いまはたまたまデジタル教科書の議論になってはいるけれども,ここで私たちが考えなければならないのは,新しいツールを活用するような新しい教育に対応するための試行錯誤の自由を専門職としての教員が獲得できるように,教育の諸制度をデザインし直すことの必要性であり,そのためのコンセンサスを得ることである。

 いま現職の多くを占める比較的上の世代は,あと数十年のうちに現場からいなくなってしまう。そのとき,残された下の世代が新しい取組みにも柔軟に対応できるよう,いまから置き土産のように準備しておかなくてはならない。

 これは現職の教員の問題ではない。将来の教員の問題なのである。

 というようなことを話したのかどうなのか…。自分が発言したわりには忘れっぽいこともあって,だいぶ話が膨らんじゃったのかも知れないが,とにかく,こんな調子のことをしゃべったと思う。

 幸い,司会のAK先生の最後のまとめが素晴らしかったので,私の中途半端な演説の記憶は聴衆の心の中からキレイに洗い流されただろうからホッとしている。

 そのあとはマイタウンマップコンクールの授賞式を見学してから,一人で東京の街に繰り出し,唐揚げ食べたり,ジュンク堂に捕らわれたりしていた。

 なかなか楽しい東京滞在だった。

研究会傍聴

2011年2月23日に総務省・ICTを利活用した協働教育のための研究会の第4回会合が開かれた。都合もつきそうだったし、視察のお礼みたいな気持ちで傍聴することにした。

残念ながら現場担当の研究者は表立って研究会の構成員と連携しているわけではない。まして、研究会側にしてみれば我々は請負事業者が勝手に選んだ存在。まことしやかに「現場の研究者はいらない」という考えもあるだのないだの囁かれている。

実際、公式に私たち現場担当の研究者はノン・クレジット(氏名非公表)であり、事業が成功しようが失敗しようが直接的な標的にはならない。逆にいえばいくらでもスケープゴートにされかねないが、要するに、そんな程度の存在である。

それでも現場に付くという役目上、実証校の取り組みを見守り、時に相談に乗ってみたり、第三者として学校と事業者のやり取りをフォローするという大事な仕事をしてきているつもりである。

だから、現場担当の研究者として、親会とでもいうべき総務省の研究会の動向はいつも気になるし、どう連携を取ればよいか、特段のメッセージもない中で考えながら関わっている。

今回、研究会を傍聴できる機会に、その辺が会の雰囲気としてどう扱われているのか、確かめようと思ったのであった。

傍聴し終えての感想は、複雑なものだった。

現場の研究者としては、ほとほと失望した。私たちの存在について触れた発言は皆無であった。あったとしても記憶には残っていない。もちろん触れる義務があわけではないが、個人的にはこれほど屈辱的な事はない。

ガイドライン作成に関わる議事内容は、可もなく可もなく…。

何のために何をやっているのか、明確なディレクションが欠けているから、それぞれバラバラに各自出来る発表をしているだけになっていた。

ガイドラインの素案検討では、聞いているうちに出来の中途半端な卒論の指導会みたいな雰囲気に変わってきて、いったいこれをどこから手直ししたらよいのか皆が心の中で頭を抱えている感じであった。

幸いそういうのに慣れている構成員から的確な示唆も飛んでいたのは救われた気持ちになったが、これを指導している担当者が実に気の毒に思える。

もちろん、作成期間も短かっただろうし、他人の書いた報告書をもとにまとめろという注文自体が理不尽だろうし、その上、読者対象と内容の方向性に齟齬があるままで、まともな物を書けという方がおかしいかも知れない。

でもさ、そんなら書けないっていえばいいじゃん。ウン千万円もらっといて、言われた通りに書きました、酷くてごめんなさいは子どもがする事です。

現場担当の研究者にコンタクト取れば、みんな喜んでネタ提供も執筆手伝いもするというのに、何で有効活用をしてくれないのか、みずほだけにみずくさい…。

冗談はさて置いても、怒りと哀しみを通り越して、呆れと可笑しささえ感じる内容だった。

少し茶化しすぎたが、国の事業というものがどういうものであり、そこに順応していくということがどういう事で、自分のできる事は本当に何もないのだなという事が分かったのは、ある意味で収穫だった。

だったら研究者として好きなことさせていただくまでである。

会が終わって、先日徳島まで足を運んでくれた総務省の課長さんにご挨拶して、みずほ情報総研の方にもご挨拶をした。

ガイドラインの素案の出来は褒めないけれど、苦労している事は分かっている。直接は励ましの言葉を声掛けして、ちゃんと10校を訪問し直して頑張って欲しいとお伝えした。

徳島はウェルカムですからね。手厳しさと優しさが同居してますから。

その後は、Twitter上で交流もあった方に誘われて築地にお昼を食べに行き、さらにお仕事の事もいろいろ教えていただいた。

そして、夜行バスで徳島へ。ふぅ、移動は大変である。

新しい地平を見たあとに

 教育らくがきの更新がパッタリと途絶えたのは、書き出すことよりも、いろんなことを眺めて見ることに力を入れていたことが理由とも言える。

 2010年に起こった出来事は、私にまた違った地平の景色を見せてくれた。その景色が、私自身の考えてきたことや知っていること知らないこととどう関係づけられるのかを必死に追いかけていた。

 私はカリキュラムを専門に出発した研究者なので「情報通信時代の教育内容とは何か?」という問いを基調に活動をしてきた。

 情報通信時代の教育内容…それは現代的な事象を踏まえた未来にも通用する知識の集合体、とでも答えられそうなものである。

 しかし、この時代にふさわしい教育内容とは何かという問いは、70年代からの学校化に対する社会学的議論をくぐり抜けていく中で、教育方法と共に権力政治問題と分かちがたい共犯関係を論難され、単なる内容構成の問題で済まされなくなっていた。

 よって、教育という場で展開するコミュニケーションと密接な関係、言い換えれば教育の場における「知の扱われ方」のことを見極めることで教育内容とは何かが明らかにされなければならないと考えられているわけである。

 これは学習論の観点から言うと、知識伝達型から知識構築型への重心移動とも関係する事柄である。

「知っていること」の意味が,「情報を覚えて暗唱できること」から「情報を発見し利用できること」へと変わろうとしている(Simon, 1996)

 といった知識学習に対する捉え方の変化は、21世紀を迎えて10年、もはや対岸の火事としては見られなくなってきているのである。

 けれども、一方で、従来の教育内容についても、かなり他人事のように扱ってきた歴史がある。

 たとえば、教科書中心主義と称される教育は、教育内容の構成を不問のまま、内容の伝達技法を研ぎ澄ませるという積み重ねを強いてきた。

 何のために教えるのかを問わないまま、伝達と習得を評価する作業が繰り返される中で、「教育目的に照らして評価する」という基本的な構造がすっぽり置き忘れられてしまったのである。

 教科教育学は、基本的に教科書中心主義の世界観において強固な基盤を構築する努力を続けてきた学問群であり、それも教科を越境をすることはない分断された状態にある。そのため、教育目的という場合のそれは「教科の教育目的」であり、それに連なる教育目標を煮詰めている。

 よって、学校教育全体の教育目的が情報通信時代において新しい捉え方を要請されているのだとしても、全体の教育目的が教科の教育目的のところと接続する回路が乏しい状況では、方向性を示すだけでは届き難いという現実がある。

 つまり、個々の教師の教育実践にインパクトを与えるためには、実質的な教育環境の変化によって行動の変容を促すことも考えなければならないということである。もちろん方法は多様だ。

 教育の情報化に関して、私は教師の周辺における情報化を優先的に行なうべきだと考えている。それは、単に校務の情報化というだけでなく、教師の専門性を発揮する様々な場面(教材研究、教材開発、授業支援 etc..)に自在に活用できる環境をつくることを想定している。

 しかし、現実に進行した情報化は、子どもたちが使用するコンピュータの整備を優先的に行ない。大小の成功失敗を繰り返してきた歴史であった。教育の情報化が子ども達の学習に役立つと言えば聞こえはいいが、それは容易ならざるハードルの高い目標であり、まして日本の場合、そう簡単には成功と認めてもらえない領域である。積み重ねを考えれば、攻めるところを間違えているとしかいえない。

 昨今、ようやく教師に1人1台のコンピュータが整備されるようになり、電子黒板と提示用電子教科書(デジタル教科書)の本格導入が始まろうとした。かなり出遅れたが、まともな循環に入り始めたところだった。

 ところが、2009〜2010年に起こったことは、ようやく始まった妥当な流れを遮った上で、教師用が主なターゲットだったデジタル教科書に「児童生徒用」を持ち出し、またもやハードルの高い領域へと最初に攻め込もうという機運を生むことになった。

 将来的な展望として、児童生徒用のデジタル教科書がめざされてもよいと考えているが、しかし、その前に教師にとってのデジタル教科書が十分整備されたり、教師としての専門性を高めるための情報環境がリッチにならない限り、児童生徒用の成功はあり得ない。

 それに、私たちは、情報通信時代の教育内容とは?という問いを追究するための方法論さえまともに確立していないことを忘れてはいけない。その問いに対する議論の積み重ねも無いところに、どうしてデジタル教科書なるものが受け止められる可能性が生まれようか。

 そして2010年、私は国の事業に関わる仕事を請け負った。

 事業全体からすれば、末端の一協力者でしかないから、何か偉そうなことができるわけではない。

 ただ、そういう仕事に関わらない私から見たとき、そういう仕事に関わっている私に何を期待するのかをいろいろ考え、できるだけそれに沿うようにしようと思った。

 末端の協力者とはいえ、事業に関わる関係者に「会う機会」が生まれるし、そういう人達に何かを「言う機会」も得られる。関係者から詳しいことを「知る機会」だってある。

 そういう新しい地平から見える景色は、必ずしもバラ色ではないし、どこかもどかしささえ感じることも多い。

 どこかに訴えることで解決する問題ならば大声で叫んでやりたい気にもなるが、残念ながらそう簡単な話ではないことも分かってくる。だとしたら、私にできる事は関係者に問いかけて、議論をもっと深くに掘り下げてる糸口を見つけ出していくことだけである。

 過去の文献を紐解く度に、同じ問題が発生していて同じような課題提起がなされ、今後打開されていくことの期待が記されていることを、重々承知している。諸先輩方は、その歴史を繰り返してきた張本人だし、私以上にその進歩の無さに辟易しているはずである。

 その鬱屈とした歴史を接ぎ木して、問題をまた先送りすべきではないと思う。今作成が行なわれている「教育の情報化ビジョン」が、新しいスタートのための希望の持てる展望を示すものであって欲しいと願う。

 大まかには、こんな感じで考えている。

 あと各論の細かいところを駄文にしたためられるようにしていこう思う。

遅い新年のご挨拶

 長らく更新が滞っていることも問題だが、この教育らくがきで年末年始のご挨拶を放ったらかしたのも珍しいことであった。
 遅ればせながら、2011年もどうぞよろしくお願いいたします。

 更新の滞りの主原因が、TwitterとFacebookなどソーシャルメディアへの軸足移動にあることは、あらためて書くまでもないかも知れない。

 ブログに軸足があるうちは、発信したいものがあればそれなりに文章を練る時間を確保して、ここに長い駄文を書き連ねるしかなかった。ブログに書く以上は、どうたらこうたら書かないと気が済まない性格であるから、必然的に駄文の積み重ねが生まれてく。

 けれども、Twitterに軸足が移り始めると、書きたいことをパッとツイートするのが習慣になり、それで発信意欲はとりあえず満たされてしまう。そのあとブログにああだこうだと書くのは、どこか野暮な気分になってくるから、いよいよブログ更新が滞るというわけである。

 まあ、そんな誰しもが百も承知の言い訳をダラダラ書いてしまうのも、私の駄文ブログならではというところである。

 昨年は、iPhoneやiPadに始まり、デジタル教科書やフューチャースクールに絡まって過ぎた一年だった。遊軍みたいな研究者なので、それはそれで賑やかにやれたと思うが、こもって勉強したり何かを書いたりする機会を確保する難しさが増した。

 それで、分散していた蔵書の統合を決断したのが昨年後半だった。過去に集めた文献資料も今の研究室にまとめて、研究室を書庫化すれば調べ事もはかどると期待したのだった。もっとも山積み状態の蔵書では検索性に欠けてしまうが…。

 とにかく、今年は過去を参照して現在を見直してみることに時間を掛けようかと思っている。繰り返される歴史を、もう少し先へ進む未来に繋げるための補助線を紡ぎ出してみようという魂胆である。

 もう一つやりたいと考えていることがある。Webやアプリのプログラミングである。

 NICER運用停止については別の駄文に譲るが、いま教師を支援する情報環境やサービスは新しい考え方のもとで構築される必要性が強まっている。

 どのような支援環境が求められているのか。そのような問いに対する様々なチャレンジが活性化されなければならないと思う。そうしたチャレンジをひとつふたつでも企てたいなと思っている。たくさんのチャレンジがあって、その中からウケるものも出てくるはずだ。

 悲しいかな指導学生がいないので、この企てはほそぼそと趣味的に展開するしかないのが玉に瑕だが、気長に取り組もうと思う。

 徳島に移って2年が経過する。今年も慌ただしい一年になりそうだ。

 どうぞ、よろしく。

師走六日

最近は酷く落ち着かない日々が続いている。昨年は新しい土地にやってきた高揚感もあって、何だか分からない勢いもあったように思うが、今年は様々なことが目まぐるしく通り過ぎるのを、手を駒ねきながら見ている感じになっている。

きっと物事が本当に変わり出しているからだと思う。メディア報道は政治混乱や経済衰退を憂いているが、その影に隠れて、あれこれが何時の間にか動かされている。

11月30日、中教審の特別部会が教職免許を「基礎免許状」「一般免許状」「専門免許状」にする提案を行なった。教員免許取得の要件を修士レベルに引き上げることを狙うにあたって合わせて示された案である。

教職の専門性高度化のためには避けて通れない議論であるし、こうした免許の分化が最適解かどうかは分からないが、教員の仕事の多様性を様々な専門性を発揮する多様な教員によって学校を構成し対応していく必要があると私は考える。

いよいよ学校の形が変わろうとしている、そういう時代であるのだが、実際には、様々な壁があって時間がかかる。問題は今の日本に時間のかかる一大事業を支えるだけの忍耐と力が残されているのか、それが一番悩ましい点である。

その他にもいろいろあるが、とりあえず今は寝たい…。

霜月二六日

 慌ただしい月だった。

 フューチャースクールの研究者懇談会があって,熱い気持ちで過ぎた10月。11月に入って,実家近くの蔵書整理と掃除に明け暮れ,徳島に大集合した本や雑誌を研究室にどう収めるかを悩みながら過ごしている。

 月半ばにあった事業仕分けでフューチャースクールに「廃止」判定。

 来月はとある学会の研究会で,フューチャースクールとデジタル教科書の話をする予定なのだが,私に与えられた仕事を淡々とこなすだけである。

 珍しく,国のお仕事ができると張り切ったものの,何もせんうちに終わるのも寂しいものである。束の間の舞台をどうもありがとう,という感じ。あとは静かに暮らすとしよう。

 文献資料の裏取り作業をしていたのだが,そうしたらかなりいい加減な仕事にぶち当たってしまった。自分のところに集まって蓄積されていた情報を手際よく並べたつもりのようだが,その情報の鮮度を確認もしないで出版したらしい。

 出版されて数ヶ月しか経過していないのに,掲載されているURLがリンク切れになっていたりする。こういう初歩的ミスを犯すようでは,テーマに対する執筆者の姿勢が疑われることになる。こういう印刷物を恥ずかしくもなく出版する執筆者と編集者が活躍するようでは,次世代の子たちに示しがつかない。教育を云々するなら,その恥ずかしさをもっと自覚していただきたいものである。

 さんざん就活の時期を早めて大学教育の現場をかき乱した側の人々が「大学はロクな教育をしてくれませんから」と平気で言うのにも似た,この理不尽さを頭の片隅で忘れはしない。

 とはいえ,他にやりようがあったかのか,と立場を想像して思いを巡らせば,なるほど仕方なかったのかなと理解しないでもない。

 けれど,どうしてそんな風になってしまったのか。私たちは立ち止まって考える必要がある。次から次へと出来事がやって来て,それを処理するペースを維持しないと崩れ落ちてしまう恐怖感と闘わざるを得ない心情はわかるが,そのことがもたらしている弊害を考えなければならない。

 もうすぐ師走がやって来る。いつも走っているから,特別な気はしないけれど。

協働的教育環境整備

フューチャースクールの仕事で大阪へ。早めに出発する予定が、科研費申請書類の作業が思いの外時間が掛かってしまい、ぎりぎりの出発となった。数分の遅刻で済んだものの、お待たせした事には変わりなく、申し訳ないスタート。

有識者会議という仰々しい名前の会議。西日本で関わっている研究者の皆さんが集まる会である。

会についての報告は、りんラボのブログで書くことにする。こちらはいつもの様に内省的なこと。

本当はもっと早くに催されていてもよかった会かもしれないが、実際に今回集まってみて、このタイミングで初会合というのもよかったのかも知れないと思った。ある程度事態が進んで、それぞれの考えていたこともあって、実に様々な意見や話題が扱えたのではないか、そう思うからである。

もちろん、それが成り立つのも、ここまで事業担当者の皆さんが奔走してくれていたおかげであると思う。私たちが言いたい事が言えるのも、グッと我慢で相手してくれるからだ。

とにかく初めて勢ぞろいした割には、とても和やかに、また率直に議論ができたのは良かったと思う。

私は相変わらず、事業者の皆さんに学校教育文化への理解や、その市場への関わり方をもっと健全・堅牢なものに変えていくことに注力して欲しいことばっかり述べていた。

ICT機器も学用品として、もっと安心して使えるものに脱皮しなければならないとも、ナントカのひとつ憶えの様に繰り返した。

それを実現することがそんな簡単なことじゃないことは分かっている。いろんな思惑うごめいているのが現実で、シビアな商業世界は私がいうほど理想的にはいかない。ったく…素人はこれだから困る、という心の声も聞こえてきそうだった。

けれども、私が何かのご縁でその席に座っているということは、それを語る役目をいただいたのだと思っている。言わないでいるのであれば、この席、誰かに譲るべきだと思う。

私たちは、この事業を、数あるばら撒き事業の一つに加えることができる立場にあるだけでなく、その気があるなら、世界を変えるきっかけを作る歴史的な一幕にできる立場にあるとも言える。

どちらの事業として仕事がしたいか、その意気込みみたいなものが問われていると私個人は思う。

私がどちらを志向し、周りをエンカレッジしたがっているかは、言わずもがな…。結末がどうなろうと、努力をしない理由はない。

関心・意欲・態度

 サーバーの不調が発生していた。昨日のブログを更新して掲載できたと思ったら,データベースをリストアされたようで,きれいさっぱりなくなっていた。

 検索するとGoogleにキャッシュが残っていたので,それをまるまるコピーして再投稿した。便利というべきか,恐ろしいというべきか…。

 先回書いたように,最近は韓国の情報を収集するために,韓国語Webサイトをぐるぐる徘徊している。

 Google Chromeというブラウザを利用すると,Webページを遷移する度に翻訳機能が働いてくれるので,上手に使うとカタコト翻訳でも情報を得ることができる。

 以前は対象ブラウザをIEに特化するのが当たり前だったので,いまでもアクセスや翻訳に難儀するページは多い。さらにハングル文章をイメージ画像で表示することも珍しくないので,翻訳機能が役に立たないページも多い。

 近日中に韓日翻訳ソフトを手に入れて,PDFファイルなどの翻訳にも手をかけてみようかと思うが,いつまでも機械頼りでは埒があかないだろう。

 不思議なもので,「知りたい!」と思えることがあると,少しは言葉の壁にも風穴があくらしい。

 挑戦しようと何度も語学入門書を開きつつも,ハングル文字を前に挫折を繰り返してきたにもかかわらず,最近は,実際の文章の中でハングル文字を興味深く眺められるようになった。

 文字の原理とかは何度も説明を読んで知っていたけれども,そういう「仕組み」が「面白く」思えるためには,(私の場合)意気込みだけではどうも駄目みたいなようだ。

 束のようにやってきた韓流ドラマやK-POPじゃなくて,デジタル教科書ではまるとは思わなかった。そのうち逆流し始めるけれど…。

 そんなこんなで,あれこれ漁る日々。

 今週末は出張&引っ越し荷造り作業など,また慌ただしい。

韓国を探しながら…

 最近はフューチャースクールのこともあって,こちらの駄文を書く機会を逸していた。久方ぶりに科研費の書類を書こうともしていて,どうして味付けしようかと考えながら文献をひっくり返すと,時間があっという間に過ぎる日々である。

 国内のデジタル教科書の動向に目を光らせつつ,お隣である韓国の取り組みや動向を追いかけている。

 「韓国は日本よりも先行している!」と日本からひっきりなしに視察団が出向いたりして,韓国のデジタル教科書の取り組みは話題になっている。デジタル教科書を議論し始めた日本にとっては無視できないお隣さんというわけだ。

 私も5年前(2005年)に釜山に連れて行ってもらったことがあり,現地の学校を見学したことがある。当時は,学校に各教室に大型ディスプレイと提示用パソコンが備えられているという段階で,ユビキタス・スクールという事業指定を受けた学校ではWindows Mobileを搭載したiPAQというモバイル端末を導入する実践も行なわれていた。

 その勢いが2007年からのデジタル教科書モデル事業につながっていくことを考えれば,だいたい現地の様子は察しがつくといった感じだ。

 しかし正直なところ,韓国という国に対しての私の理解はまだ浅い。

 デジタル教科書のことを追いかければ追いかけるほど,韓国に対する根本的な理解の努力を省いて語ることが難しいと感じるようになってきた。

 なぜなら,教育の周辺で垣間見られる人々の状況や言動が,非常に日本に似ているように思われたからである。

 もちろん両国の仕組みは全く違うし,日本人と韓国人の文化や思考体系もかなり違う。

 にもかかわらず,調べるほどに日本と似たような問題に直面し,似たような選択をしている部分があるように見える。

 この要因をどこに求めればいいのか,それを自分なりに探らねばならないなという気持ちが強くなっていたのである。

 少しずつ歴史や政治の問題を知るために文献を読むのだけれども,日本語訳されているものは限られているし,どの立場で書かれたものなのかを判断しながら読むのはなかなか難しい。

 ネットの情報は特に判断が難しい。朝鮮日報などの韓国主要メディアはご存知の通り,日本語サイトを用意するサービスぶりだが,だからそれが韓国の実態や世論を反映しているかと問い始めると,安易に信じることもまた難しい。

 文部科学省の『諸外国の教育動向2009』によれば李明博政権の教育政策の柱は「公教育の信頼回復」と「科学技術力の強化」を目指すことだとされている。

 しかし,教育の平準化を継承する一方で,高校の多様化を推し進めて,公教育と私教育のバランスがどこへ行くのか,まだよく見えない。

 ただでさえ韓国の教育熱は世界と比べて断然熱く,学歴競争がしっかりと埋め込まれている社会であるから,その点でも韓国教育を参照する際には気をつけなければならないことが多い。

 しばらくは韓国の本当の姿を探しながら,あれこれ慌ただしい日々を送ることになりそうである。

 まあ,まずは韓流ドラマの復習と,K-POPのお勉強から始めることにしますか。