月別アーカイブ: 2006年2月

そんなに思うなら

 まあ,とにかくこの頃は離職予定で感傷的になっていたり,大学院の試験を受けていたりして自粛気味だったりと,本調子ではなかったけれども,そろそろ駄文精神を取り戻してあれこれ書き散らさなければならない。
 もうすぐ3月。3月にはいろんな研究発表会,セミナー,シンポジウムが催されている。ところがほとんど関東地方か関西地方。私が住む中部地方はあってもわずかである。そういうものに出席することに意味があるかどうかは別に議論する必要はあるが,知見を広めるために参加するのは悪いことではない。そうなると参加に際して住む場所の有利不利が如実に表れてきてしまう。
 こちとら1回東京へ行くのにも新幹線なら往復2万円がかかる。高速バスなら少しばかり安いとはいえ,時間や体力消耗の問題もあるから,いずれにせよ上京コストは馬鹿にならない。普通は日帰りだが,滞在となれば宿泊費も必要だ。もしも3月のように毎週の如く催し物がある時期にいろいろ参加したいとなると,それで生活費はほぼパァである。中部地方という比較的恵まれた土地からでもそうだとなると,それ以外の遠方の人たちはもっと大変なことになる。活動場所によって,知的な刺激に富めるものはさらに富めるというわけだ。
 で,いつも「東京ばっかり,いいなぁ」と思う気持ちがどうにも卑しいので,そんなに思うなら人生一度は東京近隣に住んでみるのも悪くない。思っているほどいいことなのかどうなのか。試してみようではないか。試してみれば経験に基づいて,いいのか悪いのか述べることもできる。そんなわけで,東京に行くことにした。
 相変わらず破天荒な教育らくがきであるが,この春以降,教育らくがきは東京からお送りする(ことができるのかよくわかんないのだが)予定をしている。良くも悪くも日本の首都である「東京」。そこからたくさんの教育情報が発信されているのだが,本当のところ何が渦巻いていて,どう発信されているのか。いろいろご当地で考えてみたいと思うのである。
 まあ,ミイラ取りがミイラになっちゃったというのはよくあることだが,そうなる手前の最後の最後まで,何か記録にとどめられたらと思う次第である。東京地方の皆さん,またよろしくね。

風邪引いたか

 今日は会議と業者の相手で終わる。夜更かしばかりで睡眠不足のせいだろうか,風邪を引きそうな具合だ。いやもう風邪引きか。今日は午前中から鼻水に困らされる。花粉症じゃないと思う。インフルエンザでもないと思うが‥‥,わからん。
 2月中に片付けなければならない仕事(それが片付くと自動的に3月の仕事が生まれることになるのだが‥‥)のために,諸々の思考が中断中。研究職としてやらなきゃならないことがあれこれあるのだが,退職が絡むゆえにどうしても職場優先になる。残念ながら,組織の人間として働く部分では,理不尽さを感じようとも事務的にこなさなければならない場合がある。それは今時の大学で当たり前の光景になりつつあるが,問題はそれを取り巻く人々に事情を理解し察する態度や支援整備への努力があるかどうかだ。
 とにかく今夜はお風呂入って寝よっと。

いつか通る道-3

 凹んで終わるんだろうなと想像しながら受けた口述試験で,見事に凹んで帰ってきた。受験番号順に受けるのだが,なぜか一番最後。控え室で待ち続ける間に緊張は高まっていくし,最後には誰もいなくなって心細いし,案の定試験官のツッコミは厳しかった。ただ,10年も前に書いた不出来な論文を丁寧に読んでくださったのがわかったので,それはそれで嬉しかった。
 会場を出ると外は雨。見知らぬ院生の彼が「お疲れさまでした」と声をかけてくれた。そんな些細なことでも心が救われるときがある。まあ,こんなもんさ。違う道を歩もうとすればぶち当たる障害は星の数ほど。そう思えば,試験官の先生方はとにかく優しかったことも見えてくる。それでも,どこかで出直してきなさいとやんわり言われたことになるのだろうなぁ。
 さて,それでも前進あるのみ。落ち込むのは結果がわかってからでも十分できるし,やるだけのことはやってきたのだから悔いはない。それに早速お仕事お仕事。最後まできっちりと働かせていただきます。

Multi-Touch Interaction Research

 そのレスポンス性にびっくりである。映画「マイノリティ・リポート」でトム・クルーズ演じる主人公が操作していたデータグローブによる空間インターフェースの手前に位置することになるだろうが,映画のものよりリアルだし,これなら幼児教育に取り入れて楽しむことができそうである。
 Multi-Touch Interaction Researchと呼ばれるこの研究は,ニューヨーク大学のJefferson Y. Han氏らによって進められているものらしい。リアプロジェクタ方式のタッチパネルは,名前の通りマルチなタッチ(指が何本かさわっている状態を感知する)を可能としており,その動きを解析することによって様々な操作を可能にするというものだ。とにかくデモムービーを見ていると,その拡大縮小操作の気持ちよさというか,軽快さにクラクラしてしまう。
 途中,キャラクターのようなものを操作して,まるで人形をクイクイッと動かす感じのデモもある。これなんかは子ども達にも受けそうなものだ。タブレットPCというまだまだ制限の多いインターフェイスを乗り越えたら,いよいよこうしたマルチタッチの時代なのかなと思う。
 もっとも最近は,「とくダネ」とか天気予報など,テレビの中で似たようなタッチスクリーンが登場しているから,皆さんにとってはすでにお馴染みなのかも知れない。あれにもっと自由な操作性が加わったと考えればいい。
 以下,ビデオもリンクしてみました。

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義務教育の行方

 次の学習指導要領の方向性を示すものとなる中教審・初等中等教育分科会 教育課程部会審議報告書(PDF)が13日に出された。あちこちで話題されているように今度の指導要領の基本的考え方は:
 1. 言葉や体験などの学習や生活の基盤づくりの重視
 2. 確かな学力の育成
 3. 子どもの社会的自立の推進
 4. 社会の変化への対応
とされた。このうち「言葉」がクローズアップされているが,たぶん国際学力調査における読解力の結果や小学校英語などといったトピックスも多いからだろう。報告書の「終わりに」の表現に沿えば,今回の見直しの重要点は「学習と生活の基盤」の必要性である。授業時数の増加の問題もその一つであろう。
 さらに幼児教育段階の無償化についても議論が進められているらしい。義務化という議論もあったそうだが,コストの問題も大きく,現行制度の中で無償化ができないかを模索するようだ。

如月15日目

 Podcastを楽しみにしている皆様,なかなか更新しなくてごめんなさい。収録する時間的余裕の問題もあるけれど,むしろタイミングとしてどうしゃべりを展開すべきか,微妙な状況にいるので,もうしばらくお待ちください。
 出勤。成績書類を完成させて提出するだけだと予定していたが,行事への応援要請が入ってしまい,朝から晩まで。それでも諸々の事柄にやっと目処がついてきた。ようやく自宅で勉強できる。ご存知の通り,私は受験生なので試験対策をしないと‥‥。

いつか通る道-2

 短大教員としての最後の授業も終え,そして後期定期試験期間も終わり,残すは成績の転記ぐらいの今日この頃。時間的余裕ができそうなものだが,いつものパターンで校務を始めとしてあれこれ雑用が舞い込む。研究室の掃除も悩みの種だ。思い出の品が掘り起こされると感傷的になるし,昔の雑誌など思わず見入ってしまう。
 再度「勉学」という道筋に向かおうとすることに対する周囲の反応は様々。もちろん驚かれることが多い。「まだ勉強するんですか」という声を聞くと,内心「そんなに珍しいことなのかなぁ」と思ってしまう。生涯学習社会と言われてだいぶ経つけれど,浸透具合の程はまだまだといったところか。
 ところで,『中央公論』2006年3月号に,苅谷剛彦氏の論考が掲載されている。「「自ら学ぶ力」べた褒め社会の光と陰」という論題でなかなか興味深い。似たようなことを考えていたから,面白く読めた。

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PC利用と数学成績の相関

 取り急ぎ,発見したWeb記事をご紹介。MYCOM PC WEB記事「PCの利用頻度と数学の成績に相関ありとの報告 – OECD調査」は,OECD PISA2003調査のさらなる分析結果を紹介している。
 記事によるとパソコンの利用頻度や時間が多い国の子ども達ほど,数学の成績がよいという傾向が見られるらしい。そして,いつものように日本の位置なのだが,パソコン利用の調査で最下位レベル(あちゃ〜)。
 しかし,ちょっと待って。
 PISA2003の調査結果が報告されたとき,日本版の報告書『生きるための知識と技能』では,「学習の背景」の部分で「ICTの利用」に関して分析が記載されていた。それを読むと,パソコンの利用と数学的リテラシーの成績は,直接関係しないか,「負」の相関があるかも知れないと書いてあるのである。これはどういうことだろう。
 またオリジナル文書を探して見てみないといけないが,その後の分析によって覆されたということなのかも知れないし,あるいは日本版報告書とオリジナルとでは分析の着目点が異なったのかも知れない。
 情報機器・教材の利用部分では日本版報告書でもいくつかの国の結果をさして「正」の相関があることは指摘されているので,おそらくその部分と関連があると思うのだけど,これは宿題。
 しかしパソコン利用の調査に関するグラフがWeb記事に掲載されているのだが,このグラフのデザインが興味深い。プロットしたデータがらせんを描くようになっている。もっともその中心に近い方の終点に日本が位置しているのが残念だけど。

いつか通る道-1

 仕事を辞める覚悟のことは,21世紀に入ろうとする2000年暮れに書いた「セミコロン」という駄文に記していた。そこから5年の時間が流れて,ようやく現実が追いついたようだ。そうした事態になればなったで,周りの様々なものの動き方が違って見える。
 「一旦辞めることを公言すれば,周囲は待ってましたとばかりに追い出しにかかるよ」と言われた。そんな陰謀めいた事態が本当に展開するのか疑わしかった。だからこの言葉の実相を,現実に退職を公言するまで理解できていなかった。しかし今となっては,本当に周りの動きがそう見えたりする。もちろん,どんな職場にしろ辞める人間を構う暇などあろうはずもなく,次年度の準備の悩みの種が増えたことに対処するのが精一杯。そういう動きが,辞める本人には被害妄想的に見えるだけなのだろう。
 世の中にごまんと溢れるビジネス・コミュニケーション読本の類は,私にはひどく退屈な内容に思えるのだけれども,実際その退屈な内容を真面目に吸収した方がよいと思われるイノセントな人が周りに大勢いる。カチンとくるような出来事があっても,自己感情をオブラートに包んでたしなめるのが大人であろうに,不快感の解消こそが目的であるがのごとく感情に従って口を開くことの浅はかさ。私はあなたの家族じゃないのだ。仕事上の問題点があると指摘したいなら,それ相応の礼儀を伴ったコミュニケーション・スキルを活かして指摘して欲しいものである。
 さてと,まだ山積みの仕事があれこれ。いくつかは〆切オーバーしているものもある。早く処理しないと。

書類づくり

 非常勤先に成績表を提出して(郵送するよりデリバリーの方が早い!),それから本務校に出て,一日中書類づくり。関係者に配布する資料が完成したのは夜11:00頃だっただろうか。久しぶりに車で出勤したので,のんびりドライブしながら帰宅。
 夕食を食べていなかったので,途中,どうしてもラーメンが食べたくなり,開いているお店を探し回る。夜中0:00を過ぎると意外と店は開いてない。若い夫婦がやっている比較的新しいお店に閉店間際のところ初めて入り,担々麺とギョーザを頼んだ。幸い,なかなか美味しかったので満足して店を後にする。明日は朝早いのに,また夜更かしだ。だって,すぐに寝たらブタになっちゃう(わけないか)。
 結局,私の第一弾教員人生は,事務仕事に染まったまま終わりそうだ。