今日は朝からずっと担任業務に縛られっぱなしであった。せっかくの研究日だというのに…ん?単に授業が無いというだけの業務日だろうか。もう「研究日」なる単語を誰からも聞かなくなって久しい。
5月後半からの1ヶ月は毎年,出張や外部仕事が集中していて,普通でも厄介な日々。今年度から本格的に学生指導業務が始まって,やりくり一層大変である。
担当している学生たちは,若いのだから未熟なところがあるのは当然としても,わりと話を聞く余地は持ち合わせている。彼/彼女らが社会人に近づく中で,どれだけ「問い」を投げ掛けられるだろうか。そのことがここ最近の心配事である。
残念ながら私自身には,大学時代に携帯電話やスマートフォンをベースに友達とつながって時を過ごす経験が全くなかったので,そういう風景の中で学問や専門知識がどのように見えるのか,どうすれば魅力的に見せられるのかといったことが正直分からない。現代のネット社会においても持久し得る「問い」の構造がまだはっきりと捉まえられないのである。
ネット上を探索すれば得られる「回答らしきもの」を寄せ付けず,その深みにハマるような「問い」。それはずばり「古典」だ,ということは簡単であるし,私もそうなのだとは思っているのだけれど,その辺を今どきの学生たちにどう伝えるべきか,少々困っている。
そういえば最近,書店に『哲学用語図鑑』という軽快なイラストの本がベストセラーになっている。そこから始めてもいいのかなと考えている。