月別アーカイブ: 2009年12月

2009年を振り返って

 本年もありがとうございました。よいお年をお迎えください。

 2009年もこども店長と大橋ポニョのぞみちゃんを見守りつつ間もなく去る(まだちょっと時間あるけど…)。ある意味,激動の一年だった。そして,それは2010年以降にも続く変動の始まりに過ぎないということも分かってくる。

 米国初の黒人大統領が就任し,日本では本格的な政権交代が起こった。諸々のニュースを総合すれば,もう何が起こってもおかしくないという事に確信が持てるようになったわけで,そこで正統性や正当性を維持することがどれほど困難であるか強く自覚されなければならなくなっている。

 事業仕分けは,とても印象的なイベントとなった。それに駆動されて起こった出来事や人々の反応は,さらに印象深かった。希望も見えたが,残念な気持ちになる事柄も多かった。

 それでも2009年とは,私たちがもう一度様々なスケッチを描き直すことを可能にするきっかけの年になったと思う。その意味では,悪くない年だった。旧いスケッチを描いた人々には,不満も多かったかも知れないが…。

 私自身は,いろんな人々にお世話になった東京暮らしを終えて,人生初の西日本,四国暮らしを始めた。また異なった世界にポーンと飛び込んだので,ほとんどの事柄がリセット状態。最初からやり直すのは苦ではないが,周りには迷惑をかけるので,人間関係は自然と疎遠になる。そんなこんなでひとりマイペースに過ごしているといったところ。

 いつか映画「となりのトトロ」のサツキとメイの家のような場所で過ごしたいと願っていた人間からすると,俗に言う都落ちをして四国の地に移ったことは,宝くじに当たったようなものであった。すぐ隣に森があるわけではないものの,四国の海と眉山などの自然に囲まれたそこは,住むのにとても心地よい。

 男の独り身は気楽だが,それなりに慌ただしい。準備と授業も追いかけっこしながらの自転車操業状態。自宅よりも研究室に滞在する時間の方が圧倒的に長いが,それができるだけでも幸せだ。

 久しぶりにプログラミングの虫が騒いだのでiPhoneアプリの開発もしていた。来年はモバイル端末に新しい風が吹くことが予想されるので,iPhoneやAndroid,そしてアップル社の新しいタブレット端末を前提として,その先へ繋げるために知るべき良い点と悪い点を洗い出していく必要がある。手を動かしながら,あれこれ考えたりしていた。

 新しい年は,iPhoneアプリのリリースからスタートする。そこから得た反応をもとに教育現場向けのiPhoneアプリの開発に繋げて行く予定だ。研究成果によって社会貢献するのとは逆に,社会貢献の成果を研究に活かせるのかどうか。小さな実験だが,その試みにわくわくしているところである。

 それから長いこと棚上げしていた宿題を片づけなければならない年になると思う。論文執筆も取り組む必要があるだろう。気分屋さんだから,そういう雰囲気をつくれるかどうかが重要。

 2年目になれば,職場の仕事も増えてくる。すでに声掛けが始まっているものもいくつか…。授業準備も初年度の見直しとともに整理して,テキストを書くくらいの気持ちでいかないとなぁ。やりたいことは盛りだくさん。

 来年も慌ただしさは変わらないが,さらに良い年に出来るといい。

ダイヤのプレゼント

 年内の授業も一段落した。出席管理などの雑務は残っているし,宿題は積み上がったままだが,一方で,「時刻表」の世界に引きずり込まれ始めていた。来年リリース予定の時刻表アプリ(ソフト)の作業をしているせいもある。

 東京暮らしをしている最中,街の移動に列車(地下鉄やJR)を頻繁に利用していた。縦横無尽にはり巡らされた東京の路線を乗りこなすのは難しい。路線に慣れても,乗り換えに配慮した時間行動をすることはさらにまた難しい。在京中は,よく遅刻をしたものである。

 いつもの通学列車の選択も悩ましかった。今いる駅から乗換駅へ行くのに利用できる路線が2つあったりすると,どちらのホームへ行けば待たずに乗れるかを判断するのに毎度戸惑った。駅では2つの路線の時刻表を並べて貼ってくれているけれど,現在時刻の確認と2つの時刻表の比較は面倒な作業であることに変わりない。

 それで,東京暮らしは終わったが,iPhoneアプリをつくるなら,かつての自分のために時刻表を比較できるソフトを作ってみようと考えたのであった。おまけ的な試みだが,アプリからの収益を,教育現場にICTを持ち込むための資金に充てようと考えている。


 
 そんなこんなで時刻表アプリの原型が完成したのだが,その設計をするため「時刻表」の先行研究レビューをしているうちに,なんとも奥深い時刻表の世界に魅せられ始めてきたのである(いつもの悪い癖の始まりである…)。

 日本の学術研究論文データベースであるCiNiiで「時刻表」を検索すれば,様々な文献が表示される。時刻表そのものの研究よりも,乗継ぎ系列探索システムの研究であるとか,運行情報提供システムとか,輸送計画設計システムなどの成果が目立つ。あとは都市計画や雑誌の記事・紀行文,エッセイなどが山のように並んでいる感じである。

 時刻表の本質を問うということは,すなわち「列車ダイヤ」の本質を問うこととなる。そうやって『列車ダイヤと運行管理』(交通新聞社)であるとか,『列車ダイヤのひみつ』(成山堂)のような専門家の著作をたぐり寄せたり,『時刻表世界史』(社会評論社)といった世界の時刻表をコレクションした文献などに触れてみた。

 それは情報デザインの実践史を追いかける作業にも思えたし,そうやって時刻とともに生きることを選択し続けていった私たちの「人生のダイヤグラム」に関する歴史の旅のようにも見えたのである。

 もうお気付きかも知れないが,これはカリキュラムの問題と無縁ではないのである。私たちがどこから由来して現在に至り,この踊り場での活動が今後にどのように繋がっていくのかを対象として考えるのが広義のカリキュラム観である。

 私はあれこれのダイヤをわしづかみにして,気の向くままにスジを乗り換えながら旅をしている人間である。一方で,多くの人々は自分に合った/自分の欲したスジをダイヤから選び出したり生成したりして人生を歩む。人は人のスジと交わり,そして追い越して行くこともある。一生交わらないスジだって膨大にある。

 そうか,私はそういうダイヤグラムの世界が好きなのか。あらためて,そんなつまらないことに気がついた。プログラミングが好きなのも,その現れともいえる。もっとも,自分自身のスケジューリングは二の次なのだけれど…。


 
 海外の時刻表を研究するために『トーマスクック・ヨーロッパ鉄道時刻表』も入手した。ロンドンを除けば,まだヨーロッパに行ったことはない。ロンドンからパリに向かうユーロ・スターという列車を眺めて,いつかヨーロッパ鉄道の旅がしたいと夢を見たことはある。

 来年か再来年には,ヨーロッパに出かけてみたいと思う。そのときまでには,自作の時刻表アプリでヨーロッパ鉄道の旅が支援できるように改良できたらと思う。今年のクリスマスプレゼントは,そんな目標(ダイヤ)が出来たことかな。

 ハッピーホリデー!

知の階段

 私たちの仕事は「知の階段」を構成することにある。私はカリキュラム研究という分野に軸足を置きながら,教育工学の知見を用いながら教育研究活動をしているが,カリキュラム研究は知の階段の全体を見通すことを目指した学問だといえる。

 人はそれぞれ知の階段における自ら選んだ踊り場で活躍しているわけだが,その階段がどこから続いてやってきて,どこへ続いていこうとしているのかを強く意識しておくことがカリキュラム・マインドというわけである。

 こうした知の階段に関わる知的な情報環境は,情報機器・技術の進展によって急速に変化してきたことはご存知の通り。その変化をどう解釈すべきか議論はいろいろあり得るが,私は基本的に望ましい方向へと進んでいると思っている。

 ただ,いくつかの懸念材料もなくはない。私たちの視界に刺激や情報をもたらすチャネルの選択が狭まっているのではないかという懸念である。選択肢が少なくなっているというよりも,私たちの選択行動に幅がなくなっていると考える。結果的に選択されないチャネルは淘汰されてしまう。

本の販売2兆円割れ 170誌休刊・書籍少ないヒット作(20091213 asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1212/TKY200912120271.html

 分かりやすいニュースが流れていた。もちろん,この記事に対しては「1980年代水準に戻っただけでは…」という捉え方もあり,膨れ上がった出版業界が適正な姿ではなかったのではないかという議論もある。1980年代の出版文化が過度に乏しかったという話が無い以上,特に大きな問題ではないともいえる。

 しかし,2009年現在の出版文化や取り巻く社会文化的な水準が,20年30年の月日を蓄積しただけ豊かになったとも聞かない。本当のところ私たちは,知の階段をちゃんと上がってきたのだろうか,それとも降りてきてしまったのだろうか。

 新潮社『フォーサイト』が休刊を発表した。また,毎日新聞社が共同通信に加盟するというニュースも流れた。子ども向け雑誌とはいえ,歴史ある『小学五年生』『小学6年生』,『学習』と『科学』が休刊した。

 日本国内市場を対象とした出版業ではグローバルな時代を生き残ることが難しいという,その具体化が起こっているだけともいえる。けれども,歴史や志があるにも関わらず,経済的に立ち行かないで衰退してしまうもののなんと多いことか。

 一体,いま20代30代の人々は,今後数十年の人生の中で,どんな出版物や雑誌を読んでいくというのだろう。それはインターネットや電子書籍で補い得るものなのだろうか。そもそも,そのようなメディアでさえ,良質な情報をどのようなビジネスモデルで確保していくというのだろう。

 一生懸命に駆け上がっていたと考えていた知の階段,それそのものが同時に沈み続けているとしたら…。上がるスピードの速い人たちが増えているとはいえ,そうでない人々にはいよいよ厳しい時代がやって来る。

師走一五日

 有り難いことに賞与をいただいた。

 もちろん夏にもあったが,今年就社したばかりだから金額のインパクトは冬の方が強い。あらためて,愛知県に居たときにお世話になった皆様,東京でお世話になった皆様,徳島で迎えてくれた人々に感謝。大学教員に引き戻されたと表現してはいるものの,食べていけるように導いてくれた恩師に本当に感謝感謝である。

 そして,今日は職場の祝賀・忘年会。

 200名もの出席者による大掛かりなものは初めてなので,振舞いもわからないし,目当ての人を発見するのも難しく,結構大変な会だった。

 それでも,人とおしゃべりするのは好きなので,隣り合わせた先生や職員の方とおしゃべりしたり,所属している学部長先生や分属させていただいている学科の先生や学務関係の先生にご挨拶などして,それなりに交流できた。本当はもっとあちこちご挨拶すべきだったが,本当に人捜しが大変だったので,心の中の感謝に代えさせていただいた。

 日頃は独り研究室に閉じこもって,授業の準備したり,雑務を処理したり,プログラムのコード書いたりして過ごしている。だから,非常に限られた人としか日々接していないのだが,200人もの人が集まると,まだ知らない人達が同じ職場に働いていることが分かって,それはそれで嬉しい気持ちになる。

 理事長先生がわざわざまわられて来て,声を掛けてくださる。最後に「本はあるか?」と聞いてくれた。「研究する本がなかったら,また言いなさい」と言い残して次へと去っていく。どっちかというと時間が欲しいという気持ちが強いが,それでも「本があるか?」という質問は,なんて素敵な声掛けだろう。考えてみれば唐突な台詞だが,これもこれで嬉しかった。


 
 帰り際,「りん先生」と呼び止められて,振り返るといつもお世話になっている総務の事務職員さん。「あの私,○○学科の…」と言われて,最初は「???」という感じだったが,「△△の母です」と言われて驚いた。

 「大変お世話になっているみたいで…」とお礼を言われてしまったが,そんなに大したお世話をした記憶がないので,「いえいえどっちかというと,こちらがいろいろ教えてもらっています」と素直に答えるが,何やら話が大きく伝わっている感じで,かなり良いことをした風になっているらしい。とにかく,いつでもウェルカムですとこちらも合わせてお礼をした。

 
 人と人はどこでつながっているのか分からないものだなと単純素朴に思う。そして,どこでどうつながっていくのかも分からないなと思う。

 その可能性に対して常にオープンでいたいという気持ちが強いので,私は特定のグループに留まり続けたり,特定の人ばかりを指名するようなことは,なるべく避けるようにしている。逆にそういう風にされそうになると,少し距離を開けるように振る舞う。お互いのフリーハンドを尊重するためには必要だと思うからである。

 仲間を持った方が強いのは,その通り。でも仲間を尊重しすぎれば,外に対して盲目になる余地を生む。そのことに自覚的であれるかどうか,私たちは常に問われていると思う。

 正直なところ,あまり幸せな生き方ではない。早く年貢を納めろとも言われるし,善くしていただいた人々とも距離をつくって失礼を繰り返すことになる。それでも,いつも心に感謝の念を忘れず,片想いを続けられることにある種の幸せを感じないわけにはいかない。

 私はまた多くの人達とすれ違う。あとは自分なりに挑戦を続けるだけである。

師走一〇日

 師走も上旬が終わり,年内の授業も残りわずか。自転車操業状態が日常化すると,時間は本当にあっという間に過ぎてしまうものである。徳島に越して来たにも関わらず,まだ狭い範囲でしか動けていない。

 それでも職場にも慣れて,学生達にも認知されるようになった。担当している授業の受講生はもちろん,担当はしていないが同じフロアに出入りする他学科の学生達とも少しずつ交流を始めたところである。

 片手間で開発しているiPhoneアプリケーションも7割程度完成してきたので,そこに使うアイコンや画像を興味のある学生達に制作を依頼することにした。せっかく世界リリースするなら,学生達の作品とコラボレーションすると面白いかなと思う。こういうチャンスをつくるのも教員冥利である。

 今年は極めて印象的な年となった。社会的には劇的な政権交代があって,先日の行政刷新会議の事業仕分けは大きなインパクトを国民に与えた。個人的には,二度目の修論を書き終えたと思ったら,慌ただしく大学教員に引き戻され,四国・徳島の地で新しい生活が始まった。

 そうしたあれこれに伴奏するようにTwitterとUSTREAMというインターネットサービスが人々の注目を集め,興味深いコミュニケーション・チャネルとして頭角を現してきた。事業仕分けも,記者会見も,学会発表も,TwitterのつぶやきとUSTREAMの映像中継対象となった。

 技術的可能性だけでいえば,何年も前から可能なことだった。いままで,その可能性を訴えてみてもほとんどなんら反響は返ってこなかった。ところが2009年においては,この年に起こった様々な出来事と連動することで,実践事例が露見,あるいは需要が顕在して,一気に認知されるようになってきたともいえる。

 もちろん,iPhoneという新たなモバイル・デバイスの登場は,この展開が生起するため不可欠であった。iPhoneアプリケーションを開発して感じることは,このデバイス(プラットホーム)が持つ可能性がまだまだたくさんあるということだ。教育現場に限っても,あんな場面,こんな場面で活用したら知的な刺激を増やせるのではないかというアイデアが思い浮かぶ。

 そうやって技術的な可能性に心躍らせる一方で,冷静な自分の声に耳を傾ければ,使い手である私たちの知的態度や水準を確保すべきとの訴えが聞こえてくる。

 興味深い知的な道具を所有し操作するだけでは,単なる時間の浪費に翻る可能性を避けることが難しい。私たちは,学習に対する一定程度の理解を共有した上で,それらを使いこなす必要がある。

 単にこれまでのような教育技術の先鋭化に努力を傾けるだけでなく,専門知識の習得とそこへの回路を切り開く知的なブレイクスルーを個々の教員に期待しなければならない時代へと入っていることを自覚しなければならない。

 その作業は,ツールを開発するようにはいかず,決して生易しい行動ではない。

 ある種の知的圧縮物と対峙し,逃げ出さない忍耐力が必要となる。まして,学習者との実践に繋がる回路は,多様性を帯び,解釈の曖昧さに嫌気がさすかも知れない。だからこそ問題なのは,そのような困難な道筋をバックアップしたりフォローしていく仕組みが十分用意されていないということである。

 というわけで,教育フォルダは,新しいツールにまつわる取り組みを発動させることにした。

 まずiPhoneというデバイスに関して,これを教育で利用できるように技術的なノウハウを蓄積している。

 そして今月25日の夜に,インターネットラジオ放送を予定している。今年を振り返る忘年会企画だ。

 来年2010年は,年間Twitter読書会を企画している。一年間かけて学習に関する本を皆で読む取り組みである。

 課題図書の候補は『メタ認知的アプローチによる学ぶ技術』『人が学ぶということ―認知学習論からの視点』『授業を変える―認知心理学のさらなる挑戦』だが,それぞれ2000円程度,3000円程度,4000円程度とお値段が張ることを考えると,最初の『メタ認知的アプローチによる学ぶ技術』が良いのかなと思っているところである。ただ,本当ならこの分野の王道である『授業を変える―認知心理学のさらなる挑戦』を取り上げて一年間じっくり味わいたいという気持ちが強い。必読ともいえる本がこのような高い値段でしか手に入らないのは,まったくもって不幸なことである…。

 とにかく課題図書は,インターネットラジオでどれにするか吟味しながら決定したい。

 こうした無謀な取り組みは,ゲリラ的であり,実効性がどこまであるのか未知数ともいえる。しかし,少なくない数の人々がすでに正攻法で働き掛け,これからもそれは続いていくわけであるから,バリエーションとしてこのような取り組みが存在しても悪くないと思うのである。重要なのは,多用で多彩な機会づくりと,それに伸るか反るか参加する意志決定なのである。

 「教師が学習に関する専門知識を持つこと」少なくともそれに関する専門書をしっかり一冊読んでみた事の経験は大きい。それを教師全員で達成することが大事だ。一部の研究者や指導主事だけに任せるような態度をとってはならないのである。知的に刺激し合う関係を作ることが大事なのであり,そのためには一冊からでもこうした書物を読み,自分なりに実践との回路をつくっていく作業に取り組まなければならない。

 と考えた2009年の師走。相変わらず遠大な構想を立てて突っ走ろうとする我がサイトなのであった。

 
(追記:結局,2010年に入って,この読書会は始められていない。お恥ずかしい話だが,新年に入って,長考(いろいろな考え事)をしてしまったことと,実は反応がゼロだったこともあって,なんともお粗末な宣言になってしまった。顔を洗って出直してこようと思う…)