月別アーカイブ: 2014年12月

2014年を想う

 慌ただしいのはいつものこととはいえ,2014年はまた違う感覚でスッと過ぎ去る年になりそうだ。

 フューチャースクール推進事業や学びのイノベーション事業が3月に終わり,ようやくマイペースな日々が戻ってきたかと思われたが,教育と情報の歴史研究や7年ぶりの海外出張,毎週月曜夜のネット上の教育ICT談義などでてんやわんやだった。

===

 1月は「教育と情報の歴史研究会」の催事を計画することから始まった。一人で年表を作る活動から,いろんな方に歴史の重要性を認知してもらうことや個々の履歴を通して歴史を語っていただくことへと活動を前進させるためであった。

 7月の千葉と11月の東京で開催した研究会には30〜40名の参加者に集っていただき,ニューズレターも発行することが出来た。歴史をまとめることや,それを踏まえた「教育と情報」の歴史学や教育学,あるいは社会学といった研究の必要性を再確認することが出来た。これを学会ベースの学術活動にするためにはもっと蓄積が必要だと思うので,私自身は来年以降も地道に資料収集や情報整理を続けていきたい。

 こうした歴史を追いかける活動のおかげで,最後の方には哲学・思想的な議論にも触れることができ,久し振りにイリイチなどの成果を勉強し直す機会を得たのも嬉しい展開であった。

===

 2月は出張で賑やかな月だった。

 宮古島のフューチャースクール推進事業実証校である下地中学校の公開授業参観と講演。沖縄地域に行ってみたかった長年の願いが,この事業の出張で叶った。

 しかし,2013年10月の訪問では台風,2014年2月の訪問では大雪という天候の不運に影響されて,なかなか大変な移動であったのは思い出深い。

 2月の訪問時には経由地である那覇空港での滞在時間を長めに確保して,短時間でも那覇の街へと出歩いてみようと画策していたのであるが,羽田が大雪で大混乱をきたし,その影響で那覇行きの飛行機が大幅遅れとなって,せっかく確保した那覇での滞在時間は吹き飛んでしまった。それでも結局,宮古島には予定通り到着と相成った。

 また,帰りの飛行機の出発までレンタカーで島内をドライブして楽しんでいたのだが,いよいよ空港に向かって帰ろうという段になってガソリンを満タンにしてから乗り捨てるという約束を思い出し,さてガソリンスタンドに寄ろうとしたら意外と無い!空港に一番近いはずのスタンドは工事で休業中。その次を探して走れど走れど見つからない。迫り来る出発時刻に焦りながら,やっと見つけたスタンドで急いで給油して,一心不乱に車を走らせ空港の所定の場所に乗り捨て,荷物を持ってカウンターのでダッシュ。「私を待つ」空港スタッフに「りんです!」と叫んで保安検査場に飛び込んだのも…まあ,いい思い出といえばいい思い出である。  (かつて似たようなことをシアトル空港でやったことがある。あれも大変だった。)

 2月はその他にも東京出張をして賑やかだった。

===

 3月も出張など。

 でもこの頃珍しく倒れていた。メニエール病じゃないかということで,とにかく目が回る感覚になって何も出来ない状態が発生した。

 疲労のせいだとか,ストレスだとか,いろいろ理由はありそうだけれども直接の原因は分からない。個人的に思い当たる節があるのは,ある日,顎が外れそうになったことがあり,それ以来,口の開閉のときに片方の付け根が痛い。まさにそちらの耳が聞え難くなっていたので,それが間接的にも理由じゃないかなぁと思っている。実際,その後,コンビニのパンをもぐもぐ食べている時に頑張って顎の動きを補正してから調子は戻っている。健康は大事だとつくづく思った。

 そんなこんなで,学びのイノベーション事業の会議を傍聴しに行ったり,実家の荷物を整理したりしていた。

===

 4月は教育と情報の歴史研究会のニューズレター発行や大阪市で始まったお仕事関係の出張など。

 大阪市の教育センターは学校教育ICT活用事業に取り組んでいるが,今年度から始まった小中一貫校「むくのき学園」も新たにモデル校に仲間入りすることに。その担当コーディネーターとしてお呼ばれした。

 すでに7校の小中学校が先行してモデル校としての取り組みを始めており,それぞれの学校に担当コーディネーターの先生方と全体を統括するアドバイザーの先生がいる。私はそこにひょっこり加わることになった。

 新しく小中一貫校になるということも大変だというのに,そこにICT活用に関する取り組みが加わるなんて(しかも英語教育に関してもモデル校になるという),そんな大変な取り組みをコーディネーターとして見守ることが出来るのか心配で仕方がなかったが,フタを開けてみれば,とっても順調に小中一貫校の一年目が進んでいるようで,校長先生始め先生方の日頃の努力の素晴らしさに感心している次第。

 頻繁に通えていないことが悔やまれるし申し訳ないが,コーディネーターの立場として何が出来るのか,引き続き考えてお手伝いをしていきたい。

===

 5月や6月も出張の季節。教育とICT関連の展示会が催されていたり,動画教材作成のワークショップの依頼を受けて開催したりした。

 教育ITソリューションEXPOやNew Education Expoは,様々な企業の出展を見て回り情報収集をする良い機会。それから人が集まるのでこの界隈の人々に会うことが出来るのも良いメリットである。なにしろ徳島に住んでいると人と会う機会が少ないので,こんな機会を捉えることも大事になる。

 動画教材ワークショップは,反転授業に注目が集まる中で依頼を受けた。いろいろ準備はしていたはずなのだが,当日はどの方法に焦点化すべきかを決められず,かなりブレながら説明をしたため,実際の操作で躓かせることが多くなってしまった。

 その後,動画教材の作り方の資料を詳しく作って提供する約束をしたのだが,あれやこれやで後手になり,まだ約束を果たせていない。宿題を持ち越すのは恥ずかしいが,タイミングを作って取り組みたい。これはずっと頭をもたげている課題であった。

===

 7月は千葉県柏市で記念すべき「教育と情報の歴史研究会」第1回開催。

 会場確保や様々な準備そしてメインの内容に至るまで何から何まで千葉の西田先生にお世話になりっぱなしで開催となった。期待を寄せてくださった30名の方々が参加。進行を担う私が十分に対応出来ていなかったという反省点はあるものの,こうした歴史をたどる研究会が必要なのだということの確信を得ることができたのは良かった。

 参加者はいずれもこの界隈でご活躍されてきた重鎮や有名な方々で,呼びかけ人の私なんて歴史のこれっぽっちも理解していないのであるが,それでも,いろいろな事柄を引き出して教えてもらえるように,また若い世代にも参加してもらっていろいろ受け継いでもらえるように活動を継続できたらと思う。

 この他に,初めて鳴門教育大学の大学院で集中講義を担当する機会を得た。これも手探りではあったけれども,現職で通われてきた大学院生の皆さんと対話しながら進めることが出来,なんとか3日間のお役目を果たした。

===

 8月は名古屋での集中講義と教員免許状更新講習の担当。

 椙山女学園大学で担当している集中講義「カリキュラム論」も12年目を迎えた。夏だけとはいえ,一番長く雇ってもらっていることになる。鳴門教育大学の集中講義と連続していたこともあり,ちょっと私自身パワー不足であったかもしれない。来年度はもっと内容を見直して改善したいなと思う。

 そして,職場で行なわれている教育免許状更新講習の一コマを担当することになった。これも初めてのことなので,どうしようかと悩ましかったが,とりあえず受講生同士で学んだことのディスカッションなどをしてもらいつつ,これからの教員として在り方や私がかかわっていることに関していろいろお話をした。まあ,これも来年引き受ける場合は見直しをしないと。

===

 9月は学会出張など。ネット上にスナックが開店。

 EDUPUB2014という教育向けEPUB規格の技術ワークショップが日本で開催されるというので参加することにした。私自身は開発の人ではないけれども(趣味の開発はするけれども),注目される標準規格の策定作業を生で目撃したいという気持ちから申し込みんだ。一日中,英語で交わされるやり取りは非常に疲れるものだったが,この規格に関わる人々のスタンスを知ることが出来て大変勉強になった。

 日本教育工学会が岐阜大学で開催されたので,実家を宿して参加した。こちらは第30回大会という節目の大会ということもあり,「課題研究」という活動単位を発展的解消して,新たにSpecial Interest Group(SIG)を立ち上げるといった動きがあった。総じて,前向きな雰囲気に包まれ,徐々に世代交代を経ていくのかなと思わせる大会だった。私は主に「教育の情報化SIG」に参加することにしたが,異なるテーマのSIGに参加することも出来るので機会があればいろいろ出てみたい。

 実は,この月から「スナック・ネル」というネット上の仮想飲み屋が開店し,私は常連客として参加することが始まっていた。

 このゲリラ的な取り組みは,洒落っ気から始めたものではあるが,同時に,とにかく教育とICT界隈の事柄について定期的に対話していく場を作りたかったので始めたものである。  それも建前で終わるのではなく,むしろ誰もが躊躇って言えずにいた本音の部分をオープンに語って,それを契機にどうしたらよいのか出し合っていく空気を作りたかった。多角的な現状認識と批判的検討を経て,未来を探りたいということである。

 たぶん,こういう当り前のことが意外とこの界隈で出来ていない。それはたぶん関係している人たちが固定化していて事情を知り過ぎているから,あらためて多様な角度から現状認識する必要性を感じない上に,批判的検討を加えることが難しいからだろう。  そして,そのことがまた新しい人たちが入ってくる時の障壁にもなっていて,素朴な疑問を問うてはならないように見えたり,もうすでに誰かが批判的検討して現状があるのだろうと勘違いしたり,見えない慣習に阻まれてしまう機会も少なくない。

 何か批判的なことを発言したり記述すると,対象全体を否定していると誤解されやすいが,もちろんそんな単純な話であるはずがない。そのことは誰でも分かっているはずである。だから,私はその先のところで何かを語り合えたらと思う。

 こんな危なっかしい企画が始まって,とうとう年内は18回まで続いた。カウンター席に見立てたGoogleハングアウト・オンエアには毎週ゲストまでやってきてくれる。一昔前では考えられなかったことである。

 いまある道具立てで,正直なところを話し合う。シンプルなことをしただけではあるが,それがつないだご縁はとても力強いものだと思う。

===

 10月は日本教育工学研究協議会が京都であった。

 日本教育工学協会(JAET)には理事として関わっている。私のような人間は肩書き仕事に不向きなのだが,他の団体と比べて学校の先生方の活躍が多いということもあって,それに幾ばくかのお手伝いが出来るのであればと思って理事をお引き受けしたのだった。

 とはいえ,拝命したものの何をしているわけでもなく,研究協議会が開催されれば参加して理事会に出るくらい。しかも今年は仕事を断るまでするから使えない理事である。

 実は,JAETでは今年から「学校情報化認定事業」というものを始めることになった。これまで「学校情報化診断システム」として研究されていたものを土台として立ち上がった取り組みである。

 この事業を手伝って欲しいと依頼されたが,いろいろ考えて今回は遠慮させていただくことにした。なぜなら私がこの事業の背景を十分理解できていないからである。

 とはいえ,事業自体が目指す趣旨は分かるし,そのことを否定する理由もないので一理事として支持しているということになる。

 これについて私の考えていることを書くと長くなるのだが簡単に説明すると…

 もともとこの事業は英国の「ICT Mark」を参考にしたもので,英国の教育情報化推進機関であったBECTA(British Educational Communications and Technology Agency)が各関係機関と連携して作成した学校ICT整備評価枠組み「Self-review framework(SRF)」をもとにつくった認定マークである。(BECTA廃止後,現在はNaace (National Association of Advisors for Computers in Education) が管轄している。)

 JAETの「学校情報化診断システム」から「学校情報化認定」への流れをしてBECTAの事業を参考にしているのがわかる。もちろん診断内容自体は日本独自のものであり,ここが研究成果の肝でもある。つまり,これが学校における取り組みのひとつの理想像を示しているわけだ。

 しかし,英国BECTAの「Self-review framework/ICT Mark」とJAETの「学校情報化診断システム/学校情報化認定マーク」とでは,文脈も位置付けもかなり異なってしまい,日本で英国と同様な効果を期待することは難しいというのが私の考えである。    というのも,BECTAという組織は英国の準独立公共機関であり,日本の独立行政法人のようなものとされている(BECTAはその中でも慈善事業目的の特殊な部類だったようだ)。とにかく,政府機関ではないが国に近い公共機関であった。

 このようにBECTAが,国家政策に関して情報発信をしたり地方の教育局や学校への窓口を担っていた機関であるゆえ,そのBECTAによる評価制度や認定制度となればその影響力は絶大ということになる。

 さて問題は,それを参考にしたJAETがBECTAほどの影響力を持ち得るのかということだ。そして学校を選択する制度の英国に対して,通学する学校が居住地域でほぼ決まる日本の制度の中で学校が独自に認定マークを取得する必然性があるのかどうか。

 JAETの事業がこの点についてどのような見解をもち,対応を考えているのか,残念ながら私の不勉強があって十分理解できなかったのである。それが協力を承諾しなかった理由である。

 あとは黙って推移を見守り,現実がどう展開するのかを理解するしかない。よい方向へ転べばそれが事実として積み重なるし,課題が生まれたならその対応を考えなければならない。いまはもう,そういうフェーズなのだ。うまくいくことを願うしかない。

===

 11月は韓国出張と研究会のはしごであった。

 韓国の旅は実に興味深かった。韓国の情報はネットを経由して得ていた方であるが,実際にその土地に行ってネットから伝わる雰囲気と現実の雰囲気の差異を調整することはとても重要だ。KERISへの訪問も果たせた。またぜひ韓国に訪れたいと思う。

 京都の公開授業,東京での研究会,そして「教育と情報の歴史研究会」と3連続で催し物に参加した。そこでまた多くのスナック・ネル仲間と会うことになり「リアル・ネル」と呼ぶオフラインの会合みたいになってしまった。

 先ほども書いたようにネットの片隅で細々と営むことになるのではないかと思っていたのに,会う人会う人「ネル面白いですね」とか「リアル・ネルだ,リアル・ネルだ」とか口にしてくれる。たしかに3人が実際に揃うのはこの時が初めてであるから,そういう意味では記念すべき機会だった。とはいえ,こんなに多くの方々に広まっていることに正直ビックリしている。そしてPodcast化の覚悟を決めたのだった。

 第2回「教育と情報の歴史研究会」は当初の日程を変更するなど慌ただしかったが,今回も岐阜の芳賀先生にほとんど助けられて東京・お茶の水女子大学附属中学校で開催することが出来た。学校とインターネットの初期の歴史について,また様々なことを語っていただいた。この記録も整理して公開しなければ。

===

 そして,12月は恩師や先輩後輩達との再会。

 名古屋大学大学院の時の恩師である安彦忠彦先生が徳島市に講演出張でいらっしゃるというので連絡をもらうことができた。講演仕事の後ではお疲れだろうから,翌朝空港に送るのを兼ねてお話をすることに。

 安彦先生の近況をお聞きしながら,昨今の教育界の流れなどについてもいろいろお話できた。新しいものと古いものの対比というほど単純なものではないが,いろんな立場から物事を考えなければならないことの重要性を改めて感じた。

 東京大学大学院の時の恩師である山内祐平先生が教授にご昇進されたということで昇任お祝いのパーティーが催されたので東京にお出かけ。山内研究室の歴代院生が勢揃いするという大変珍しい機会となった。

 山内先生を囲んでとにかく賑やかなパーティーとなった。主役であるのに先生はあちらこちらへと慌ただしい。最近はネットで近況が伝わってくるとはいえ,直接会うのは久し振りなので,あちこち会話で盛り上がっていた。最後は先生からのサプライズもあって最初から最後まで楽しく過ごすことが出来た。

 そして先日は,日本教育工学会のSIG-04でつくっている「教育の情報化 整備ガイドライン」の制作ハッカソンがネットで行なわれた。

 Googleハングアウト・オンエアを使って,ガイドラインを共同編集しようという試みである。どこかのスナックの方法に似ているが,まあ,細かいことは気にせず,とにかくリアルタイムに一緒に編集すれば少しは形になるだろうという目論みである。

 幸い,Googleドキュメントでの共同編集は第一歩を踏み出すのに十分な進捗があったようだ。バラバラに編集しても遠慮があって進まないこともあるが,リアルタイムにいろいろ書込んでみるという取り組みはアイデアを絞り出す圧力にはなるようだ。参加者が協力的だったのも大きいとは思う。

 いつもの癖で,周りの議論を見たり聞きながら表にまとめる編集を勝手にしていたら,まあまあ受けも良かったらしく,それもたたき台として採用されそうである。そして後日SIGコアメンバーの打ち合わせがあったらしいが,私に編集長のおはちが回ってくるとかこないとか。乗り掛かった船なので最後まで付き合う予定。

===

 というわけで,振り返ってみたらほぼ毎月出張している。まぁ,悪いことではないとしても落ち着かない一年だったという印象はそのせいかも知れない。

 来年はもう少し閉じ篭もる必要があるかも知れないが,やれることやろうということは変えずに頑張りたい。