月別アーカイブ: 2006年1月

睦月31日目

 なんとか1月を終える。相変わらずあれこれあるので,じっくり駄文を書く暇がないが,もう一踏ん張りすれば余裕も出てくることだろう。いずれにしても,今年の出だしは順調だ。この調子で一つ一つの歩みが着実に蓄積されればいい。
 1月のBEATセミナーの様子がWeb上にアップされていた。今回の出席では,おとなしくしているつもりだったのに,なぜかまた堂々と写真に写っている。なんか怒られてシュンとしているみたい。というか,いい加減しゃしゃり出るのはやめておきなさい!っていう感じかな。でも,楽しいからまた行こっと。

睦月29日目

 非常勤先の授業評価アンケートに対するフィードバックを書いていた。設問の集計結果はおおむね良好だったのは嬉しいが,学生による授業評価の限界のようなものも感じずにはいられない。本当に講義は満足できるものだったのか。
 昨年公開されていた他の先生方のフィードバックを見たことがある。いろんなスタイルがあって楽しかったし,中には学生による授業評価の有効性について手厳しく書いたものもあった。科目や担当者によって評価結果は様々だろうし,学生による授業評価がいつも役立つとは限らない。あくまでも常日頃の授業改善の努力があって,それを補強するためのツールなのだなと思う。
 本家ページに手動でRSSフィードを作れないかと思って試してみた。rssファイルを更新するのが面倒だが,とりあえずindexページの分だけでもタイトルと出だしを配信できることを確認。本家ページの更新をRSSリーダーなどでチェックしたい人には便利だと思う。どうぞご利用ください。これで教育らくがきの主要コンテンツ(本家,ブログ,書庫)が全部RSSでチェックできる。
 大学の仕事をがむしゃらにしていると,そもそもの高等教育について深く考えたり知ったりする機会を逸しやすい。何しろ目の前の日常が最優先だから,どこか嘆きの大学談義。『中央公論』2006年2月号の特集「大学の失墜」のようなレベルの話から脱しきれない。ところが先日から読んでいた岡本薫『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書2006.1/720円)に感化されて,高等教育の歴史を知ることはとても大事なことだと思えてきた。いままでも職場で,そういうことの大事さを言われたりもしたが,入り口となる手がかりがいまいち見えなかった。積ん読書庫から高等教育関係を探してみるかな。

それはいつか通る道

20060126 最後の授業を終えた。もう少し題材を深めて扱いたかったものの,授業進行の狂いもあって,駆け足であっさりとこなすことになった。通年授業。お付き合い願った学生達に感謝の言葉を述べて,淡々と締めくくった。
 それで終わると思っていたが,彼女たちは前にぞろぞろやってきて「先生,一年間ありがとうございました」と声を発した。横を向けば花束。サプライズとはこのことで,私はどこへ視線を向けてよいのやら,照れて目線を落としたままだった。
 一年だけの担任となったが,この娘達は強い連帯ということが少々苦手ということもあって,こちらはハラハラすることが多かった。女の子のリレーションシップというのは,男の私には難解である。特に大人げなさの残るこの世代は,表裏の落差を抱え,実のところかなり危うい存在でもある。私にできることは,バックヤードで見守っていることを発信し続けることだけだった。
 とはいえ,彼女たちと過ごした一年は,片想いの嬉しさにも似た幸せな一年であった。それは自分自身の現在を見つめ直すものでもあったし,行く先を探ろうとし始めた記念すべき一年でもあった。
 こんなときに出てくる言葉は,あふれる想いに比して少ない。私は彼女たちにただ「ありがとう」とつぶやくように繰り返すしか言葉がなかった。

教育らくがきPodcast No.004

第4回はセンター試験2日目に収録。ニュース・ピックアップの声は誰?
 というわけで,ご無沙汰しておりますPodcast。今回からいくつかニュースをピックアップしてお送りします。機械に頼るなとは決していえない機械頼りな放送です。
・大学入試センター試験トラブル
・公立学校外部評価約8割
・幼稚園と保育所の一元化法案提出へ
krp004_20060122.mp3 (4.2MB)

睦月16日目

 教育らくがきPodcastの第4回は,水曜日以降に収録予定です。楽しみにしている皆様,しばしお待ちを。
 久しぶりに非常勤講義。今回は試験に向けて仕上げの恒例コミュニケーション論のお話しをした。かなり使い回してきた内容だが,毎度大変好評なので生き残っている。「今までで一番面白かった」というコメント。複雑な気持ちになる。アップトゥデートで入れ替えた内容よりも,勢いあるときに自分でこしらえた内容の方が強いらしい。こういう理由で講義ノートが何年も変わらないこともあり得るのかな。
 さて,宿題の〆切が近い。

睦月13日目

 2006年になって職場も通常営業。気がつけば数日後には2006年が半月経過することになる。決して何もしなかったわけではないのに,何もしなかったような感覚にあるのはなぜだろう。いやいや,恐ろしいほど慌ただしい日々がこれからまさに始まろうとしているのである。嵐の前の静けさと覚悟しよう。
 年末年始にamazon.comで注文した本が届いた。カリキュラム論の研究者として細々と思考は積み重ねてきたが,海外文献を子細に渉猟する機会に恵まれなかったので,ここぞとばかりに手を伸ばしている。そうしたら,似たような発想をしている研究がちらほら見あたったりする。10年前に見つけたかったよ,はぁ〜。まあ,不勉強を嘆いたらきりがない。一つ一つ吸収を。
 受験界で有名な某なんとかセンターと通信する業務があったのだが,いきなり回線不調に見舞われる。なんでなんで?と思って資料をもとにシステムをあれやこれやと調べるが,ちっとも原因が特定できない。仕方なく業者のSEを呼んだら,資料に書いてあるルーターのIPアドレスが間違っていることが判明。はははは‥‥,私の2時間返して‥‥。

教育らくがきPodcast No.003

第3回は野外録音からスタート。どこからお送りしているかというと‥‥。
今週の目立ったニュースとおみやげ話です。まだまだペースが掴めていませんが,そのうちパターンを固めます。野外録音は50テイク以上録りました。ああ疲れた。
教育らくがきPodcast No.003 (3MB)

英語教材の最新動向を覗く

 土曜日に東京に出かけてきた。東京大学のBEATセミナーに出席するためである。スケジュールが合うようになったので,連続参加している。いろんな勉強と出会いができるので嬉しい。感謝感謝。
 詳しい報告や私の考えは,このあと本家でたっぷり書くことをお約束して,とにかく興味深いセミナーであったことを記しておこう。また,何度か参加を繰り返して,少しずつ教育工学研究の先端が何を意識しながら取り組んでいるのか,見えかけてきた。主にコンピュータやインターネットを使った教材の開発における課題と英語教育という領域における課題の合わさり方を考えていくと,そもそも「英語ができるとは何なのか」という問いにも至るし,それは次回のセミナーのテーマでもある「評価」の問題にも深く関わる。
 懇親会では,「企業/教育工学/教育学」という3つの立場を措定して,互いのサイクルの違いや温度差といったものに話を展開してみた。それぞれの場に所属している方々の話に納得したり,酔いに任せて熱く語ってみたり。調子に乗って,当日帰れなくなった。ははは。
 一泊して,東京の街をふらついてみる。といっても宿題もあるので,いくつかのお店や本屋を訪れて名古屋に向かった。いよいよお休みも残り一日。いろいろ準備しないと。

ラスト・ダンスは私に

 新春ドラマスペシャル「古畑任三郎ファイナル」を観た。古畑ファンにはたまらない三夜であった。それぞれのゲストもさることながら,「犯人とのやりとり」を楽しむドラマとしての「古畑任三郎」の集大成だったといってよいと思う。
 ストーリーの完成度やトリックの巧妙さを問題とする人もいるかもしれない。そういう人たちは,三夜の順番を逆にすべきだったのではないかと考えたりする。確かにトリックの巧妙さは第一夜が冴えていた。第二夜のイチローはゲストの話題性として,第三夜のほどほどな難易度を考えれば,そうなるのかもしれない。
 しかし,「古畑〜」はそういう類を期待するだけでは楽しめない。これが「〜ファイナル」であることもあわせて考えるなら,むしろどう考えても三夜の順序はこうでしかあり得なかった。物語の最後に,今泉も西園寺も排して,古畑と加賀美京子(犯人)だけでラストダンスを踊らせたのは,「古畑任三郎」というキャラクターに差し向けた「大人の淡く不器用な恋」というプレゼントだったのだと思えば,なんと感動的な最後だろうか。
 もちろん,「THE有頂天ホテル」を始めとして三谷幸喜ファミリーの顔でもある役所広司が主演する「Shall We ダンス?」へのオマージュ,というハイパーリンクとして楽しむのもいい。けれども,三谷幸喜の描く「ほろ苦い恋」の断片は,「王様のレストラン」「今夜,宇宙の片隅で」にも繰り返し出てくるモチーフであり,それこそキャラクターのやさしさが表れる最大の見せ場なのではないかと思う。
 恋は,どんなに淡く消えそうなものでも,人を盲目にさせる。鮮やかな推理に見え隠れする男の躊躇い。踊ることのできなかったラストダンスを踊ろうとする彼の胸中を思えば,それは「古畑」史上最も切ない物語であることを認めざるを得ない。エンドロールがじわりと滲んだ。

語りの力

 お正月モードも終わり。ただその前に書いておきたいことがある。年末年始のテレビ番組には皆さんも一家言持ち合わせていることと思うが,昨年大晦日の紅白歌合戦について。視聴率は50%を超えられなかった。
 みのもんたの総合司会。50%を超えてみせると豪語してあの結果で,賛否もあると思う。私もアドリブがパチッと決まるときには楽しめたが,うまくいかないときには少々やり過ぎにも思えた。まあ,みのもんたを選んだ時点で,むしろ彼にすべてを預けてしまった方がよかったのではないか。そうすれば無理なアドリブをする必要もなかっただろうに。本人もコメントしているように,十分実力を発揮できなかったということはあると思う。
 ただ,仮にみのもんたの司会ぶりが大方マイナスだったとしても,唯一彼が「紅白ラジオ放送」のブースに立ち,ラジオで紅白歌合戦を放送していることの意義や素晴らしさを語ったパートに関しては,文句なく拍手を送りたかった。ラジオブースに構えている四人のアナウンサーが,みのもんたの語りを聞きながらうなずく姿を見ると,そこにラジオ放送を担当するものの心意気を感じたし,それを雄弁に語り得るのは今年の総合司会のみのもんたしかいないことを改めて印象づけられた。
 そして紅白が終わり,NHKの「ゆく年くる年」が終わると,新年第一弾の番組はさだまさしのテレビでラジオみたいな番組。もしかしたら,今の世の中,古き良きラジオ放送(今でいえばラジオ深夜便?)のような装飾を廃した語りのようなものが求められているのだろうか。語りの力というものを,もう一度見直してみることが大事なのかもしれない。