月別アーカイブ: 2010年10月

協働的教育環境整備

フューチャースクールの仕事で大阪へ。早めに出発する予定が、科研費申請書類の作業が思いの外時間が掛かってしまい、ぎりぎりの出発となった。数分の遅刻で済んだものの、お待たせした事には変わりなく、申し訳ないスタート。

有識者会議という仰々しい名前の会議。西日本で関わっている研究者の皆さんが集まる会である。

会についての報告は、りんラボのブログで書くことにする。こちらはいつもの様に内省的なこと。

本当はもっと早くに催されていてもよかった会かもしれないが、実際に今回集まってみて、このタイミングで初会合というのもよかったのかも知れないと思った。ある程度事態が進んで、それぞれの考えていたこともあって、実に様々な意見や話題が扱えたのではないか、そう思うからである。

もちろん、それが成り立つのも、ここまで事業担当者の皆さんが奔走してくれていたおかげであると思う。私たちが言いたい事が言えるのも、グッと我慢で相手してくれるからだ。

とにかく初めて勢ぞろいした割には、とても和やかに、また率直に議論ができたのは良かったと思う。

私は相変わらず、事業者の皆さんに学校教育文化への理解や、その市場への関わり方をもっと健全・堅牢なものに変えていくことに注力して欲しいことばっかり述べていた。

ICT機器も学用品として、もっと安心して使えるものに脱皮しなければならないとも、ナントカのひとつ憶えの様に繰り返した。

それを実現することがそんな簡単なことじゃないことは分かっている。いろんな思惑うごめいているのが現実で、シビアな商業世界は私がいうほど理想的にはいかない。ったく…素人はこれだから困る、という心の声も聞こえてきそうだった。

けれども、私が何かのご縁でその席に座っているということは、それを語る役目をいただいたのだと思っている。言わないでいるのであれば、この席、誰かに譲るべきだと思う。

私たちは、この事業を、数あるばら撒き事業の一つに加えることができる立場にあるだけでなく、その気があるなら、世界を変えるきっかけを作る歴史的な一幕にできる立場にあるとも言える。

どちらの事業として仕事がしたいか、その意気込みみたいなものが問われていると私個人は思う。

私がどちらを志向し、周りをエンカレッジしたがっているかは、言わずもがな…。結末がどうなろうと、努力をしない理由はない。

関心・意欲・態度

 サーバーの不調が発生していた。昨日のブログを更新して掲載できたと思ったら,データベースをリストアされたようで,きれいさっぱりなくなっていた。

 検索するとGoogleにキャッシュが残っていたので,それをまるまるコピーして再投稿した。便利というべきか,恐ろしいというべきか…。

 先回書いたように,最近は韓国の情報を収集するために,韓国語Webサイトをぐるぐる徘徊している。

 Google Chromeというブラウザを利用すると,Webページを遷移する度に翻訳機能が働いてくれるので,上手に使うとカタコト翻訳でも情報を得ることができる。

 以前は対象ブラウザをIEに特化するのが当たり前だったので,いまでもアクセスや翻訳に難儀するページは多い。さらにハングル文章をイメージ画像で表示することも珍しくないので,翻訳機能が役に立たないページも多い。

 近日中に韓日翻訳ソフトを手に入れて,PDFファイルなどの翻訳にも手をかけてみようかと思うが,いつまでも機械頼りでは埒があかないだろう。

 不思議なもので,「知りたい!」と思えることがあると,少しは言葉の壁にも風穴があくらしい。

 挑戦しようと何度も語学入門書を開きつつも,ハングル文字を前に挫折を繰り返してきたにもかかわらず,最近は,実際の文章の中でハングル文字を興味深く眺められるようになった。

 文字の原理とかは何度も説明を読んで知っていたけれども,そういう「仕組み」が「面白く」思えるためには,(私の場合)意気込みだけではどうも駄目みたいなようだ。

 束のようにやってきた韓流ドラマやK-POPじゃなくて,デジタル教科書ではまるとは思わなかった。そのうち逆流し始めるけれど…。

 そんなこんなで,あれこれ漁る日々。

 今週末は出張&引っ越し荷造り作業など,また慌ただしい。

韓国を探しながら…

 最近はフューチャースクールのこともあって,こちらの駄文を書く機会を逸していた。久方ぶりに科研費の書類を書こうともしていて,どうして味付けしようかと考えながら文献をひっくり返すと,時間があっという間に過ぎる日々である。

 国内のデジタル教科書の動向に目を光らせつつ,お隣である韓国の取り組みや動向を追いかけている。

 「韓国は日本よりも先行している!」と日本からひっきりなしに視察団が出向いたりして,韓国のデジタル教科書の取り組みは話題になっている。デジタル教科書を議論し始めた日本にとっては無視できないお隣さんというわけだ。

 私も5年前(2005年)に釜山に連れて行ってもらったことがあり,現地の学校を見学したことがある。当時は,学校に各教室に大型ディスプレイと提示用パソコンが備えられているという段階で,ユビキタス・スクールという事業指定を受けた学校ではWindows Mobileを搭載したiPAQというモバイル端末を導入する実践も行なわれていた。

 その勢いが2007年からのデジタル教科書モデル事業につながっていくことを考えれば,だいたい現地の様子は察しがつくといった感じだ。

 しかし正直なところ,韓国という国に対しての私の理解はまだ浅い。

 デジタル教科書のことを追いかければ追いかけるほど,韓国に対する根本的な理解の努力を省いて語ることが難しいと感じるようになってきた。

 なぜなら,教育の周辺で垣間見られる人々の状況や言動が,非常に日本に似ているように思われたからである。

 もちろん両国の仕組みは全く違うし,日本人と韓国人の文化や思考体系もかなり違う。

 にもかかわらず,調べるほどに日本と似たような問題に直面し,似たような選択をしている部分があるように見える。

 この要因をどこに求めればいいのか,それを自分なりに探らねばならないなという気持ちが強くなっていたのである。

 少しずつ歴史や政治の問題を知るために文献を読むのだけれども,日本語訳されているものは限られているし,どの立場で書かれたものなのかを判断しながら読むのはなかなか難しい。

 ネットの情報は特に判断が難しい。朝鮮日報などの韓国主要メディアはご存知の通り,日本語サイトを用意するサービスぶりだが,だからそれが韓国の実態や世論を反映しているかと問い始めると,安易に信じることもまた難しい。

 文部科学省の『諸外国の教育動向2009』によれば李明博政権の教育政策の柱は「公教育の信頼回復」と「科学技術力の強化」を目指すことだとされている。

 しかし,教育の平準化を継承する一方で,高校の多様化を推し進めて,公教育と私教育のバランスがどこへ行くのか,まだよく見えない。

 ただでさえ韓国の教育熱は世界と比べて断然熱く,学歴競争がしっかりと埋め込まれている社会であるから,その点でも韓国教育を参照する際には気をつけなければならないことが多い。

 しばらくは韓国の本当の姿を探しながら,あれこれ慌ただしい日々を送ることになりそうである。

 まあ,まずは韓流ドラマの復習と,K-POPのお勉強から始めることにしますか。

慌しさを向こうにまわして

あちこちに出かけて、それなりに興味深い刺激を受けるが、ここのところ、それらをうまく書き記せていない。頭の中では、書きたい駄文が山積みなのだが、打ち込む余裕がなかなか確保できないためだ。

ぼちぼちいろんな事を眺められたので、デジタル教科書やら教材やらについて冷静に分析してみようかなとも思っている。

正直なところは、日本国民のコンセンサスの無さに、どう言説を織り成していくべきか、不安はあるのだが、この辺は私なりの想いを注ぎ足して補うしかないかなと開き直るしかないらしい。

そういえば、国の政策コンテストのコメントを書かなくてはならないな。コンテストと言いながら、基本は多数決投票なので、署名を集めるがごとく盛り上げる必要がある。

駄文でいいから書きましょう。