月別アーカイブ: 2011年7月

平成二十三年文月三十日

 職場は試験期間中。今日は出席処理を少しした。

 この頃考えていることと同じような考えの文章や著名人の発言を目にして、自分も結構シンクロしているのだなと思った。

 未来に悲観的であるというよりも、なるべく的確に状況を理解して前に進みたいという気持ちが強い。

 それが時折、批判的態度に見えるかも知れないけれど、この先のことを考えれば、とても大事なことだと思う。

 さて、明日も頑張るか。

平成二十三年文月二十八日

 職場も試験期間に入り、出席処理やら成績処理やらでごちゃごちゃしている。

 先日は学会発表をすべり込みで申し込んだ。何も成果らしきものはないのだが、関わっている仕事について報告することが大事だろうと思ったし、問題提起をするのに時機を逸してはならないと思って、かなりいい加減な内容で出すことにした。

 完璧主義が災いして、ろくに研究成果を上げられていないのだから「いい加減」くらいがちょうどいいのかも知れないが、発表する以上は事実を伝えて、考えをちゃんと提示することにしよう。

 少し前に開発して公開したiPhone用の新幹線予約アプリが、再び注目を集めて評判も上々のようである。

 これも私にしてみれば完成度は中途半端なので、本来ならば完成度を高めてから出したかったが、そも言ってられない事情もあったので「いい加減」なところでリリースしたものであった。

 研究論文とか学会発表と違って、現実のオープンフィールドに投入された結果がフィードバックとして返ってくるという点は興味深い。

 そんな異世界をまたいだ状態に長く居ると、社会と関わることがよく分からなくなってしまう。誰なのか知っている人達よりも誰なのか知らない人達との繋がりが強くなってしまうのは、どういう事態をもたらすのだろう。

 もしかしたら、孤独の研究にあるように、私は自己制御力を失って、だから知っている人達に対してツンケンし始めているということなのか。

 mixiもTwitterもFacebookも便利なツールではあるのだけれど、私自身がそもそも人付き合い下手のために、それが単にツールで増長されてしまっているだけなのかも知れない。Google+なんかも登場しているが、誰一人からも招待されないという点で、私がソーシャルじゃないのは明確になっているわけだ。

 というわけで、どちらにしても無茶苦茶なことをすることも多い私だから、良くしてくださっている人々に変な迷惑も掛けられないゆえ、周りと距離があるのは結果として悪い状況ではない。しがらみ無い分、喧嘩も売れます ^_^;。

 総務省で「フューチャースクール推進研究会」、文部科学省で「学びのイノベーション推進協議会」がスタートした。

 前者は7月27日に初会合。残念ながら試験期間中だから傍聴の予定を立てられなかった(もっと早く告知してくれれば…)。

 後者は8月3日に初会合。こちらは急いで予定を調整することにして、また夜行バスの傍聴ツアーに出かけることにした。

 お仕事と直接間接に関わる会議だから、なるべく関係者の顔や雰囲気を見ておきたいと思う。公開される部分だけとはいえ、情報も直接取得した方が分かりがいい。

 さてと、熱い日が続くが頑張ろう。

平成二十三年文月十六日

 本日は職場のオープンキャンパスでミニ講義の講師をした。午前と午後に繰り返したが、短時間でできることも限られているので、パソコンでスライドづくりをする簡単なものだった。

 思索をすればネガティブになりがちなので、なんとかこの状況を打開するために、回り道とはいえ生活・職場環境の見直しから始めることも同時に進めている。

 休みに入ったら真剣に家に中の整理をしようと思う。衣類や雑貨を収納するちゃんとした家具が無いし、部屋のレイアウトも引っ越し時のいい加減な配置のままで機能的では無い。ひどい散らかり様だから、客人は呼べない。

 職場も似たようなもので、増え続ける蔵書は置き場もなく。必然的に仕事の場所確保も難儀する。これでは作業のたびに掃除が必要で、時間がもったいない。

 コンピュータも新調することにした。基本的にモバイル派なので、従来購入してきたパソコンは小型軽量のノート型で処理速度はほどほどのものばかりだったが、今回はデスクトップ型のハイクラス・マシンを購入することにした。

 負荷の高い仕事をしたいというわけではなく、蓄積されてきた私自身のデジタルデータを整理するためである。

 デジタルカメラのデータに始まり、過去の文書書類データ、ビデオデータ、音楽データ、ダウンロードデータなどが、複数のハードディスクやCD-ROM、DVD-ROM、USBメモリなどに散財している。それこそフロッピーディスクやZipディスク、MOディスクにも残っている。

 そろそろこうしたデータを整理しておくことも大事かなと思う。バックアップを繰り返し、様々なバージョンが存在するデータもあるだろうし、完全に同じデータにもかかわらず重複して存在しているものもあるだろう。そうしたものも整理したい。

 そのためにも最新鋭のマシンは必要だ。ファイル一つ開くのに待ち時間が長かったり、内容を表示するのに時間がかかると、膨大な量のデータ整理は終わらない仕事になってしまう。

 というわけで、考えてみれば本職が情報関係の教員であるのに非力なマシンしか持ってないというのもさみしい話なので、これを機会にバーンと購入することにした。

 人生折り返しをすぎる頃。

 いまさら焦っても仕方ないので、まずは個人としての生き方を見直すことから始めなければと思う。なにしろ、生活の風景があまりに不憫だと自分でも思うから。

 もうちょっと優雅な生活しよう。

平成二十三年文月十三日

 昼夜逆転の日々にも一区切りつけて、この数日から早寝をするようになった。必然的に早起きになるので、その時間に情報チェックや本などを読もうかと思う。

 手を付けていない課題が積み上がってしまい、その上、自身のモチベーションは減衰している中で、今後どのように自分自身を突き動かしていくべきか、悩む日々は続いている。

 私自身は、問題に捕らわれたいと思う性格ではない。

 無論、生に捕らわれている限り、この社会の問題の何かを背負い込んでいることは承知している。だとしても、それ以外の細かい解決可能なことにはケリをつけて、前進するのがよいと感じている。

 ただ、世の中には、その細かい事柄に留まることで生きている人達もいる。

 そのことに直面して初めて、世の中は政治で動くのだと理解した。私たちは大なり小なり、様々な形の政治力学に捕らわれている。その厄介さに気づくのはとても遅かったのだと思う。

 そういう意味では、2006年に東京に出ていくまで、私自身は牧歌的な社会で過ごしていたように思う。それは高望みしなければ、大変居心地の良い場所だった。

 そこから仕事を辞めて東京に出て、人・物・事がうごめく都市を少しばかり経験した。物事は、もう少しグローバルな哲学のもとに動いているかと思っていたが、そこで動いていたのは巨大なローカル意識だった。

 とはいえ、お世話になった場所で学んだことは多く、必然的に自分の至らなさを痛感することになった。ますます、自分の考えていた世界観が取り崩されていくようにも感じられた。時代の変化は想像以上に大きかったということかも知れない。

 世の中に対する認識が変わり、世の中自体も大きく変わり、その条件のもとで自分自身をどうドライブしていくべきか決めかねている。

 もっとも、迷った時には原点回帰せよ、は鉄則である。

 だから、正直なところ私が次に何やるべきなのかは、私の中では決まっている。ただ単に、その他の物事が片づかないことに対する苛立ちが積もっているのだろう。

 プログラミングとか、家の掃除とか、蔵書の整理とか、片づけたいと思っているものに少しずつ手を付けている。国の事業のお手伝いは、悩ましい現実に直面する少々厄介な仕事だが、悪態つきながらお役目終わるまで頑張ろうと思う。

 それらを片づけつつも、できるだけ文献に身を沈めて静かに文章を綴ろうと思う。それが本来私がやりたかったことだし、それ以外の派手なことを真似てみてもモチベーションは続きそうにない。