霜月二六日

 慌ただしい月だった。

 フューチャースクールの研究者懇談会があって,熱い気持ちで過ぎた10月。11月に入って,実家近くの蔵書整理と掃除に明け暮れ,徳島に大集合した本や雑誌を研究室にどう収めるかを悩みながら過ごしている。

 月半ばにあった事業仕分けでフューチャースクールに「廃止」判定。

 来月はとある学会の研究会で,フューチャースクールとデジタル教科書の話をする予定なのだが,私に与えられた仕事を淡々とこなすだけである。

 珍しく,国のお仕事ができると張り切ったものの,何もせんうちに終わるのも寂しいものである。束の間の舞台をどうもありがとう,という感じ。あとは静かに暮らすとしよう。

 文献資料の裏取り作業をしていたのだが,そうしたらかなりいい加減な仕事にぶち当たってしまった。自分のところに集まって蓄積されていた情報を手際よく並べたつもりのようだが,その情報の鮮度を確認もしないで出版したらしい。

 出版されて数ヶ月しか経過していないのに,掲載されているURLがリンク切れになっていたりする。こういう初歩的ミスを犯すようでは,テーマに対する執筆者の姿勢が疑われることになる。こういう印刷物を恥ずかしくもなく出版する執筆者と編集者が活躍するようでは,次世代の子たちに示しがつかない。教育を云々するなら,その恥ずかしさをもっと自覚していただきたいものである。

 さんざん就活の時期を早めて大学教育の現場をかき乱した側の人々が「大学はロクな教育をしてくれませんから」と平気で言うのにも似た,この理不尽さを頭の片隅で忘れはしない。

 とはいえ,他にやりようがあったかのか,と立場を想像して思いを巡らせば,なるほど仕方なかったのかなと理解しないでもない。

 けれど,どうしてそんな風になってしまったのか。私たちは立ち止まって考える必要がある。次から次へと出来事がやって来て,それを処理するペースを維持しないと崩れ落ちてしまう恐怖感と闘わざるを得ない心情はわかるが,そのことがもたらしている弊害を考えなければならない。

 もうすぐ師走がやって来る。いつも走っているから,特別な気はしないけれど。