3月11日に起こった東日本の大震災は,地震,津波だけでなく,原子力発電を始めとしたインフラのエネルギー源に致命傷を与えたことで,深刻な打撃を日本社会に与えている。
エネルギー源の損失によって,救助や支援活動が困難になるだけでなく,東京という中枢都市の機能が低下して,日本全体の体力が落ち始めている。
また,原子力発電所の事故による放射能漏れへの恐怖という心理的な要因が,被災地支援の難しさを高め,震災対応に対する人々の苛立ちをも高めている。
そうであるにも関わらず,日本人が暴動に走らないことを世界の人々は驚きの目で見て賞賛していたりする。今後日本企業が復興のために動き出すことを見越して投機筋による円高さえ引き起こされたりしている。
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少なくとも1万人の命が失われたり,見失われている。
その規模と福島原子力発電所事故の影響規模を考えると,今後の財政的な厳しさは,よりいっそう増すだろう事は容易に想像がつく。
子ども手当など政策の棚上げ議論もすでに聞こえている。緊急の復興国債発行を提案する声もある。
原子力発電所事故の行方が全く見えない現段階では,復興にどのくらいコストがかかるのか,素人想像すら難しい。
科学者でさえ,原子力に対する立場の違いによって見解に相違がある。
しかし,諸外国の関心の高さと断片的な情報を自分なりの経験則で推し量ってみるならば,おそらく日本は未来を圧迫する厄介な問題を抱え込んだのだろうと思う。あとはどれだけ真摯に引き受けるかが残された課題だろう。
日本が抱えた大きな問題の範囲で考えると,事態を静観して見守る他ないのであるが,そこを閑却して,いつもの範疇で今回の事態を考えることも大事なことだと思う。
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初めの地震や津波が起こってから一週間。
あらためて教育分野や情報分野に関する問題が様々な形で浮き彫りとなった。
実のところ,もう少し自分の中で物事を整理しないと,細々書けないなぁという感じ。要するに,まだ落ち着かない感じなのである。
それも,自分自身がネットなどのメディアに繋がっているがゆえの問題なのかも知れない。
災害時にTwitterが役立つのか役立たないのかという議論もあるが,TwitterにしてもWebにしても,テレビやラジオにしても,どのメディアにどのように接続するかは個人個人の問題だと思う。
その上で,情報にしても物資にしても,いざというときには「仕分け」が出来ないといけないのだなとあらためて感じたり,そのための教育をどう考えればいいのかということもあったり,いろいろあるけれども,それもまたもう少し時間をかけて考えたい。