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平成二十九年睦月十八日

というわけで徒歩通勤なのである。自転車がないわけではないし、場合によっては自動車を使ってしまえるのであるが、どんなに寒い日でも、何故か徒歩通勤がデフォルトになっている。

確かに最初は健康のためとか、そういう理由で歩いていたように思う。けれども、今になってみると、そういうことにこだわっていると言うよりは、そうすることがごく当たり前という域になってしまった。

時々、自転車で来れば早いかなとか、自動車で来ると荷物が楽かなとか、思うことはあるし、そうすることは難しいわけでもない。けれども、いつも淡々と歩いてしまう。

担任業務

 今日は朝からずっと担任業務に縛られっぱなしであった。せっかくの研究日だというのに…ん?単に授業が無いというだけの業務日だろうか。もう「研究日」なる単語を誰からも聞かなくなって久しい。

 5月後半からの1ヶ月は毎年,出張や外部仕事が集中していて,普通でも厄介な日々。今年度から本格的に学生指導業務が始まって,やりくり一層大変である。

 担当している学生たちは,若いのだから未熟なところがあるのは当然としても,わりと話を聞く余地は持ち合わせている。彼/彼女らが社会人に近づく中で,どれだけ「問い」を投げ掛けられるだろうか。そのことがここ最近の心配事である。

 残念ながら私自身には,大学時代に携帯電話やスマートフォンをベースに友達とつながって時を過ごす経験が全くなかったので,そういう風景の中で学問や専門知識がどのように見えるのか,どうすれば魅力的に見せられるのかといったことが正直分からない。現代のネット社会においても持久し得る「問い」の構造がまだはっきりと捉まえられないのである。

 ネット上を探索すれば得られる「回答らしきもの」を寄せ付けず,その深みにハマるような「問い」。それはずばり「古典」だ,ということは簡単であるし,私もそうなのだとは思っているのだけれど,その辺を今どきの学生たちにどう伝えるべきか,少々困っている。

 そういえば最近,書店に『哲学用語図鑑』という軽快なイラストの本がベストセラーになっている。そこから始めてもいいのかなと考えている。

明けましておめでとうございます

 新しい年を迎えた。本年もよろしくお付き合い願いたい。

 教育らくがきもより思索をめぐらして書き綴っていきたいと思う。

 初心忘れるべからず。何事も当たり前と思わず,もう一度初めから語り直す覚悟で臨みたいと思う。そのためには,自分自身が勉強をし直さないと。

 とにかく,相変わらず模索を続ける一年を目指したい。

 

平成二十四年師走三十日

 今年も残り少なく、間もなく2013年を迎える。

 今年の教育らくがきの更新はだいぶ少なかったが、教育フォルダTwitterの方ではニュースをクリップし続けて,3000ほどの見出しが記録された。

 振り返ると、年明けから教科書問題や大阪市の教育基本条例問題など議論されていた。中学校におけるH20学習指導要領の本格実施について,柔道やダンスの必修化も話題となった。

 大津のいじめ問題は,いじめというトピックスが周回してきただけでなく首長部局と教育委員会事務局という組織構造の問題を浮かび上がらせるかたちで注目を集め,さらには教育長が襲われるという事件にも発展した。自分たちのローカルなエリアで起こっている問題として対処している感覚と,それがマスコミやインターネットで国内全体に知れ渡って注目されていることとのギャップ。そして遠方の人間がわざわざ襲いに行くという現実。
 これは単なるいじめ問題としてではなく,教育を取り巻く社会や環境が劇的に変化したことに学校教育がいまだ対応できていない問題として捉え直していかなければならない。

 スマートフォンの不正アプリやソーシャルゲームサービスの問題などにも注目が集まった年だった。iPhone5を始めとした新しい機種の登場やLTEサービスの本格化など,ますます高度な環境が個人の手に広まりつつある。先の問題も,こうした話題と無関係ではないのだ。

 年明けのアップルの電子教科書関連発表会でiBooks Authorという電子書籍作成ツールが公開されて色めきだったりもした。2011年末には朝日新聞で教育の情報化に関する大型連載もあったので、いよいよ国民的な議論として盛り上がりを見せるのかと思われたが、あまりそういった感じにはならなかった。それでもデジタル教科書学会などが設立され、教育の情報化に関わるコミュニティが増えたことは良い方向ではないかと思われる。

個人的には,フューチャースクール実証校をあちこち回った年だった。

 小学校10校に訪問することを目標に,公開授業の機会を捉えて出かけたりした。また,後半は中学校と特別支援学校の様子も見ておきたかったので訪れた。

 たった一度訪れただけでは,何か分かるわけないことを承知の上で,見聞きしたことをもとに積分しながら様子を知る。

 11月に石川県の大根布小学校を訪れて、全10校訪問を達成。小学校のフューチャースクール実証校は「十校十色」といってもよいものだった。

 その他,徳島県の上勝小学校と上勝中学校での出前授業を始めた。徳島県の講師派遣事業の一環で,上勝町の小中学校に初代iPadが導入されているので,それを使ったデジタルコンテンツ制作を指導するというもの。

 iPadを使って学習や制作の活動をする実践は,珍しいものではないが,その環境構築はまだまだ課題があって簡単なものではない。
 今回の出前授業も,わりとネット環境やiPadの設定などが導入してから曖昧な状態にあったところに持ち込まれたため,まずは環境を再確認,再構築するところから始めなければならなかった。

 まさか県事業の担当の方も,ただの出前講師が学校のICT環境にまで手を出すとは思ってもいなかったのか,私が児童生徒への授業を始める前に,学校のネット環境の確認や先生方への研修の段取りの話を始めると「先生,事業の範囲としては…」と最初は心配そうだった。

 それでも,幾度か訪れた際に,ネットの環境を確認しながら「業者の方には,コレとコレについて確認をして,繋がるようにお願いしてください」などと先生や事務の方に確認と要望のポイントを伝えたりして,かなりネット環境も整い快適に。

 先生方への研修も,そもそもiPadとは何かを紹介することから始めて,実際に触っていただいたりする中で,気軽に質問していただけるようにもなり,だいぶ理解していただけた。普段の学校生活の中でiPadを活用してもらうことも大事なので,先生方の理解はとても大事だ。

 Note Anytimeとの出会いやiPad 2を使った動画編集など,実際に活用する際のいろいろなトピックスもあるが,それはまたゆっくり書きたい。

 ぼちぼちいろんなことをまとめたいと思っている。

 せっかくだからiBooks Authorを使って電子書籍にしてみようかと思う。

 さて,年末年始もなんだかんだと慌ただしい。

平成二十四年師走六日

 11月の出張三昧が終わり、帰ってきたと思ったら,授業やら積み残しの宿題やらをやっているうちに12月になってしまった。とっ散らかった研究室を整理する余裕もないまま日々が過ぎる。

 本日も上勝小学校への出前授業で朝からドライブ。4年生達がバザーのチラシを作る活動をサポートした。iPad上のNote Anytimeというアプリを使って製作している。細かい好き嫌いはあるかも知れないが、手書き派の小学生が使うアプリとしては,このアプリが一番便利だと思う。実際、子ども達はかなり使いこなしている。小学校は年明けに1回やって最後。

 上勝中学校への出前授業は,年内は19日にやって,年明けに数回訪れる予定。今回の仕事を引き受けて,iPadを小学校と中学校で活用するための課題がいくらか見えてきた。

 アプリ開発のアイデアも生まれたので、学校現場で使える便利なアプリを作ってみようかと考えている。隙間の時間にいろいろやってみよう。

 iPad mini(7.9インチ)が発売されたので,さっそく入手した。

 携帯性が9.7インチiPadよりも優れているので、さっそく実務環境をiPad miniに移してしまうことにした。こういう機会に環境の再構築をするのが一番なので、バックアップをコピーせずに,一からアプリのインストールや環境設定をする。その方がトラブルが少ない。

 今回のiPadシリーズからLTEに対応しているので,インターネット接続に関しても期待できる仕様になっている。問題はソフトバンクから購入するか,auから購入するかといった選択になるのだが、いまのところはソフトバンクの回線の方が評判よさそうだ。

 とはいえ,私の場合,iPhoneをソフトバンクとの契約で所有しているため、さらにiPadも契約するのは気が進まない。かといってauと新たに契約するのも同様に懐にはキツイ。昔から続けているdocomoとの契約をうまく使えないかと考え,新しく導入するiPad miniをdocomo回線で使うことにした。

 幸い、回線契約をxi契約に切り替えることと,simカードをナノサイズにすることは最小限の手数料で問題なく手続きが出来た。そして,iOS6.01アップデートを使う方法でdocomoのLTE対応も可能になったので,無事にdocomo版iPad miniが完成。とはいっても評判通り回線速度は他社に比べて遅いため,あまりLTE化の恩恵はないが、問題なく使えればそれでよいので満足。

 iPad miniの売れ行きは好調のようである。Nexus7やKindle Fireと比べてどうのこうのと論評するのも楽しいが、使いたいものを選択して買って使えるというこの状況自体が幸せなことだなぁと感慨深く思う。かつてのMacは風前の灯で,使いたいプラットフォームが使えなくなる危機感みたいなものを真剣に不安がっていたから、iOSのたくましさは心強い。

 ただ,iOSは「変化」のOSなので,WindowsにおけるXPのように息の長い利用を許さないところがある。Androidは「分断」を許しているので自分の環境を末長く堅持することも不可能ではない。そのような性格だから,iOSは不易を望む場面の多い教育現場に対しては使い難い面が大きい。Androidがぼんやりと支持されるのは,その点に余地を残しているからだ。

 Apple製品は,変化を楽しむことが出来る場面に適している。だから,新しい物事に取り組むような教育や学習の場面に対してであれば、iOS機器はとても刺激的な道具になる。けれども,変わらない部分を維持するためには適さない。いま気に入っているアプリが5年後,10年後の機種で同様に動作している保証はない。

 もちろんAndroidもWindows8も,同じく変化を追いかけているから、同じ問題は少なからず起こる。そういう意味では,こうしたプラットフォームが動作する機器は,あまり寿命が長いと思わない方が得策ということなのだろう。

 秋のフューチュースクール巡りはとても勉強になった。

 そうした知見は,文部科学省でのアルバイト等に活かせたらと思う。指導方法モデル等の検討チームの検討作業は,ほぼ終わりを迎えたようなので、今度は実際に試してみるというフェーズ。何かの役に立つように頑張りたい。

 けれども,あまりにもICT当たり前環境を見過ぎたので、逆にごく普通の学校におけるICTが特別な環境の雰囲気や実情を見失いがちかも知れない。その辺のギャップをどうやって埋めていくのか。やはり地方自治やら予算関係やら機器導入やらの問題を避けては通れない。そのことについても考えなければならないと思う。

 公私相変わらず慌ただしく,どうも落ち着きが足りない。厄年も残り少ないが、後厄の来年を無事過ごせるように気をつけて過ごさねば。

平成二十四年文月三日

 今月は東京滞在から始まっている。

 そもそも週の後半にブックフェアや電子出版EXPOがあるので受け持ち科目の情報収集のために出張を予定していたが、前半にも会議の予定が入って,結局5日間の滞在の予定に切り替えた。

 2日は「ICTを活用した先導的な教育の実証研究に関する協議会」が開催されたので傍聴した。

 フューチャースクール推進事業における地域有識者として徳島県の東みよし町立足代小学校の担当になって3年目。この最終年度をもって私の任も解かれることになるのだけれども、関わった以上はそう簡単に終われるわけもなく、担い事も増えてきている。そんなこともあって,改めて親会の雰囲気を伺いに来たというわけである。

 今回の協議会では,総務省の事業レビューで出された廃止判定に対して副大臣や政務官からコメントがなされ、判定結果は真摯に受け止めながらも事業については継続する方向であることが確認された。(関連記事

 自由討論では,デジタル教科書開発の技術的課題やユニバーサル・デザインへの配慮の必要性などが指摘されたり、BYOD(私物デバイスの持ち込み)といったあり方についても考えることが提案されたりした。

 また事業や成果についてもっと情報発信したり、分かりやすく紹介する必要性も言及されたし、一般財源として地方に配当されている情報化予算が完全に執行されていない問題についても徹底を求める発言もあった。

 また,この事業用に開発しているデジタル教科書を他の学校でも使用できるようにして欲しいという要望に対して,現在準備中であるとの情報も得られた。ライセンスは余分確保されているので,実証校と同様な環境を用意できる学校に対しては研究協力を条件に使用を認めることができるようにはなっている。

 そんなこんなで,協議会自体は和やかに進んだというか、両省合同会議として必要な情報交換は行なわれたのではないかと思う。

 私個人は,文部科学省の方で裏方仕事をお手伝いすることになったので,そのことに関して,担当者の方とご挨拶できたのと、WGリーダーの先生からアドバイスをいただいたりした。

 それに関する会議が4日にあるので,また文部科学省にお邪魔する。

 本日3日は,財団法人教科書研究センターに附属している教科書図書館に訪れた。この図書館には過去の検定教科書・指導書はもちろんのこと,主な国々の教科書・指導書や研究所が収集所蔵されている。現在は高校教科書の検定結果も公開されている。

 開館日が週の前半である月曜・火曜・水曜だけという特殊な条件なので、週末寄りが多い出張ではなかなか訪れられない場所であった。今回は絶好のチャンスだった。

 教育関係のあらゆる文献があるわけではない。しかし,教科書という軸で収集された文献類は,逆に教育の歴史を追う者にはすっきりとした使いやすさも感じられた。

 教科書研究センターが発刊した研究報告書があり,それらは見やすい場所に展示されて値段がつけられている。在庫があるものは上の階にある事務室で購入することもできる。私も目ぼしいものを選んで購入し,ついでにセンター通信もしばらく送っていただくことにした。

 というわけで,いつもの調子で閉館時間まで粘って,あれこれ文献を眺めたりコピーしていた。ちなみにコピーは1枚30円なので要注意。

 教科書研究センターは江東区にあって,私は東陽町駅からバスに乗って最寄りのバス停を利用したが、帰りはバスで錦糸町駅まで移動した。

 雨の日だったが,センター近くから東京スカイツリーが見えたので,この機会にスカイツリーの膝元にあるショッピングモールのソラマチでお茶でも飲もうかと思い行ってみることにした。

 錦糸町駅から押上駅は一駅。そこからそのままソラマチに接続しているのであっという間に新施設の中へ。

 何かコーヒーが飲める場所はないかとさまよっていると,休憩所のような雰囲気のスペースがあった。近づいてみるとフローズンヨーグルトとソフトクリームのスイーツが楽しめるお店。しかもセルフサービスだという。新しもの好きの血がうずいて,さっそく体験してみることにした。

 量り売りなので、カップに好きなだけフローズンヨーグルトやソフトクリームを流し込んだり,フルーツやトッピングを加えることができる。

 いろんなフレーバーがあるので迷ったが,テキトーにフルーツやソフトクリームを流し込んで出来上がり。ちょっと盛り過ぎたので価格に跳ね返り,1200円ほどのぜいたくスイーツとなった。

 ところが,食べてみると美味い!いやはや,初めてのソラマチ体験としては,なかなか良いものとなった。

 そんな風に遊んでいたら仕事メールが届いていることが判明。スイーツを食べながらノートパソコンを開いて出先で返信。落ち着かないから,ちゃんとした返事になっていないけど…。

 明日4日は夕方に会議。それまで,午前中はお台場行ったり,午後は渋谷の周辺に出没する予定。さて,頑張ろう。

平成二十四年水無月十七日

 週末の東京出張が続いた。

 New Education EXPO in 東京のあった週は、いくつかのセミナーと企業展示ブースをめぐったり、古巣の大学図書館で資料漁りをしていた。

 翌週は学習ソフトウェアのコンクール審査会があった。毎年、審査会のお手伝いをしているので今年も参加した次第である。

 貧乏人なので夜行バスを使って徳島と東京を往復するのだが,さすがに帰宅するとぐったりしてしまう。

 この頃は、あれこれ仕事が立て込んだり、いろんな出来事もあって、自身のテンションが変な方向へと飛びまくり。ストレス解消とばかりに過激なトーンでネットの書き込みをしていた。

 特に総務省の事業レビューで、フューチャースクール推進事業が対象となって「廃止判定」を受けたニュースのネット上の反応にはデジャヴを通り越してウンザリ気分が高まった。

 その壊れたレコードみたいなルーチンを惜しげもなく繰り返していることにがっくりするのである。なんかもうちょっと気の利いた反応を返す人はいないかと検索などしてみるが,理不尽だ論調ばかりで面白くもない。

 仕方ないので,私は一人で「祝・廃止判定」を唱えて、ふざけ返すしかなかったが、こういう時に一緒に盛り上がってくれる人がいないのも、まじめな人が多すぎて面白くない(私に人望がないのは織り込み済みでの話である)。

 一般人ならいざ知らず,関係者や政治家やロビイストまでがニュース報道に対して型にハマった反応しかしておらず,「おいおい、そういうのを防ぐのおまえたちの仕事じゃなかったか?」という真っ当なはずの突っ込みをほとんど誰もしないこともゾッとする。

 総務省の事業レビューの対象事業に選ばれる時点で見えていた展開なのだから,レビュー対象に選ばれた時点で政治家もロビイストも動くべきだったのだ。

 事業レビューの有識者なる人々を実証校に授業参観させるのだって、確かに東京の本田小学校が近いのは分かるし,実践としては素晴らしい成果を挙げてらっしゃることは確かだけれど,有識者を丸め込みたいなら徳島の実証校に連れて来いっていうのだ。どれだけ教育情報化事業に総務省が必要なのかをノンストップで説き続けてさしあげたのに。

 公開プロセスの説明にしたって、せっかくの隠し球であったはずの現場の先生たちに語らせたのはレビューシートを書き終えるかどうかという最後のタイミングで、まったくもって配球が悪すぎた。廃止のホームランを打たれるに決まっている。

 そして、人々はニュースにひとしきり憤慨したら,あとはどうにかなるでしょう的に忘却の彼方にまた押しやるだけなのである。

 そういうのも丸ごと含めて「廃止判定」で結構。

 言葉遊びで物事が終了するなら、どうぞ好きなだけ廃止でも終了でもしていただきたい。

 そういう事態に対して、タイムリーともいうべき日本教育工学会のシンポジウムが16日あったそうである。

 私はお仕事中で参加は出来なかったけれど,大変気になるわけである。大変気になるから、このご時世だから動画配信や録画公開なんてのがあるといいなと思ったりするわけである。

 ところが、やってないわけだ。

 何でやってないのか、理由らしい理由はコストや人手がないから、というくらいしかないからまた怒れるのである。

 なんで「教育の情報化」をテーマにしておいて、しかもホームページで一般の方も「参加を大いに歓迎します」と誘っといて,動画配信しようという発想に着手しないのか、チンプンカンプンである。

 しかも、こういう提案を「ニコニコ生放送とかのノリを真似たいだけでしょ」みたいなレベルで受け取る人がいるのだが,まったくもって浅はかな理解である。情報へのアクセスを確保し、アーカイブしておくことの重要性がまったく分かっていないとしか言えない。

 公開すると登壇者の発言に制限がかかるとか、会費・交通費払って来場した人が損になるとか、心情ベースのアンポンタンな反応もあるが、これとてシンポジウムという場を内緒話をする場所と勘違いしているか,個人的利得と社会的影響を同じ土俵に乗せるトンチンカンをしているか、学会が仲良しサークルで終わればいいよねとでも思っているか、とにかく、とんでもない勘違いをしている可能性がある。(ちなみに、本来「ここだけの話」というのは流れの結果であって、目的の流れではないことを忘れてはならない。)

 なるほどもちろん、最初からこれは内輪受けの会ですと宣言しているならば、無制限に外部に公開する必要なんかない。少しでも見せたいなら「ちょっとだけよ」とチラ見せする限度を好きなように可変すればよいことである。大事なのはアーカイブして、後でアクセスできるようにすることなのだから、公開の程度をどのように制御するのかは目的に応じてすればよいだけの話である。

 しかし、広く問題を知って欲しいと考えているはずのテーマのシンポジウムについて、関心を持っているにも関わらず事情で参加できなかった人間にさえ情報を伝える努力が及んでいないのは、言っていることとやっていることが一致しない(言行不一致)を招いているとなんで自覚しないのだろう。

 動画配信や録画公開のコストが高額であるという時代なら、無理もないかと済まされたのかも知れないが,いまやスマートフォンひとつで録画も出来るし動画配信すら可能である。もちろんクオリティを云々すればいくらでもコストを引き上げることは可能だが,繰り返すように大事なのはアクセスできるようにすることであって、高画質の動画配信や記録ではない。そういう技術的問題はどんどん解消されるのだから問題にもならない。

 結局、人のズクが足りない(手間を惜しむ)ということが最大の問題だということで、まさしく敵は内部にいたのであった。

 今後,一般への発信を意図する学会催事は、最初の企画段階から動画配信や録画公開を織り込むべきだし,そうでなければ録画は行ないつつ、目的に応じた範囲で動画を公開していくようにすべきである。

 というような、虫の居所が悪かった人のように言葉で暴れて過ごしたここ数日なのだったが,次回は大阪のNew Education EXPOのセミナーでいよいよ登壇。これくらいの勢いで韓国からの登壇者とセッションしたほうが面白いかなということで、教育の情報化界隈で一番過激で面白いセミナーをお届けしたいなと思う。面白くなかったら容赦なく質問して焚きつけていただきたい。

 悔しいのは今回、他人の土俵だから動画配信とか出来ないのだけれど,録音記録はしっかり残しておきたいと思う。ReseMomさん頼りじゃ情けないでしょ?

 

平成二十四年卯月二十四日

 今週は可燃ゴミから不燃ゴミまで、一通りの種類のゴミ出し日が連続する週だ。家事をおろそかにした分だけ家の中のモノが増えて荒廃していたので、これを機にゴミ出し。

 一人旅の思い出は、記憶を分かつ者が居ないだけに様々な物に刻んでおくしかない。そうしてたくさんの物が残されていたのだが、特別な物を除いて、それらも捨てることにした。

 自分の過去を知る者が限られているのは、気楽である反面、煩わしくもある。

 前職を辞めた時、過去に区切りをつけて現在や未来を生きられるのかなと少し考えた事があった。まったく違う人生を歩み始められるだろうかとか。

 けれども、現実はそう簡単ではなかった。

 現在が空っぽの人間に対して、常に過去が要求されたし、過去が責めてくる時もあれば、過去が助けてくれる時もあった。

 物を捨てるほど簡単には、過去は捨てられないのだという事を改めて思ったものだった。

 破壊的なイノベーションという言葉があちこちで踊っている。

 言葉のイメージでいくと、旧来のものに爆弾をぶち込むような変革(まるで革命ようなもの)を創造してしまいがちだけれども、実際にはまったく別のところにフィールドを生んで活動することを意図している事が多い。

 つまり、ゲームで強さを発揮して勝つのではなく、ゲームのルールを書き換える、むしろ置き換えるといった風に強みを発揮する事である。

 そうして結果的には旧来のものを駆逐してしまう事になる。まるでそんなものがなかったかのように記憶もごっそり失いがちに。

 インターネット以前を思い浮かべ難い。携帯電話以前を思い浮かべられる人は限られてくる。テレホンカード以前を思い浮かべる事もない。ファクシミリを知らない時代がまた巡ってくるかもしれない。

 それでも私たちが今日を知るためには過去が必要だ。捨てたとしても忘れたとしても、過去はいつも私たちについて回る。

 たぶん、未来の選択もまた過去から逃れられないのかも知れない。

 未来は過去に刻まれている。そんなことをゴミ出ししながら考えたりする。
 

日々…平成二十四年卯月二十日

 新年度が始まり,職場では授業も始まって、いわゆる通常運転状態。ルーチン生活が始まったともいえる。定時刻に起きて、定時刻には寝る毎日。もうすぐ崩れるとしても、なんと健康的な日々だろう。自炊も復活させた。

 でもお恥ずかしい話…この頃身体のあちこちが悲鳴を上げていて、運動不足というか日頃の不摂生が露呈し始めた。特に腰と背中がガチガチ状態。整骨院にでも行こうかなと思う。

 混沌としていた生活と仕事の状況を整理しようと思いつつ、ずっと後手に回っていたが、ようやく生活の場に溜まっていた「もの」を捨て始めた。

 なんとなく生きてきた人生よりも生きていく人生が比べると短かそうだと思えたところで,生活や娯楽関係のものはミニマムでも大丈夫と思えるようになっている。

 問題は仕事関係の資料類だが、書籍はともかく、書類はデジタル化して物質は捨て去ることを基本路線に取り掛かるしかない。ゴールデンウィークは研究室の整理に取り掛かろうと思っている。自分を見つめ直すよいチャンスだ。

 苦手なスケジュール管理をGoogleカレンダーの使い方を見直し、やり直している。昨年から「超」整理手帳のアプリも使えるようになったから、その点でも必要な作業。

 思うに、すべての学会が自分たちの研究会や学会の日程をGoogleカレンダーかデータで提供してくれると楽なのだが。デジタル化には気遣いが重要だとつくづく思う。

 意外と忙しいのだな、自分って。なるほどプライベートが荒廃するわけだ。

 研究発表計画も立て直して,違う分野の学会に出て学ぶ予定も立てる。どう考えても関心が教育工学には収まらないし。とにかくやってみよう。

 最終年に入ったFS推進事業も、とくに何も連絡は来ないから、心配になって学校の先生に聞くとあれこれ慌ただしくやり取りが進んでいるよう。何も知らずにいて学校の先生方に申し訳ないと感じつつ、はぁ…研究者とかはこういう形で蚊帳の外に置かれるのだなぁと思うとやるせない。

 そんな感じだから,なおさら自分で勝手に動いて情報収集するしかない。昨年度末に好きなだけ自腹出張したので,わりと気が済んじゃったところもあるが、もう少し頑張って全国回ってみようと思う。

 さて、今夜も自炊しないと…。

この頃の書店巡り

 最近は出張が続いている。出かけるのは大好きだが,移動中や宿泊先で仕事をするという芸当はできないので,出張が続くと宿題がストップするのが悩みのタネである。

 それでも旅路でボーッと考え事するので,頭の中は動いているともいえる。

 出張先や帰り道で時間の余裕があれば,ご当地の書店による。いまどき日本全国,似たような本しか置いていないのだろうけど,それでも書店で時間を過ごせばいろんな情報に触れられる。

 最近は書店内でめぐる書棚の比重が変わってきている。教育やコンピュータ関係はもちろん見るが,地方自治や行財政に関する書棚を眺めることが多くなった。

 というのも,昨今の教育や教育情報化などに関する主張や言説は,どの論者も大した違いがなくなってきており,勉強不足の人々を除けば,だいぶコンセンサスは出来上がっているように思え,むしろ注目すべきは具体的なアクションへと繋がる回路の方ではないのかと考えるようになっているからだ。

 いったい誰が事態の鍵を握っているのか。

 何をどうすれば知見を政策に反映できるのか。

 そんな素朴な疑問を見極めたくて,行政や財政の文献資料を手に取るようになっている。

 教育の情報化の歴史をさかのぼっていると,予算の話や事業の記録を見ることになる。けれども,何年に何とかいう予算が幾ら付いたとかいう話は残りやすいのか目に付くが,その背景の成立過程を掘り起こすのは簡単ではない。

 いったい何がどうなって教育情報化政策が動いているのか,教育のICT活用を専門にしている関係者でさえ完全に理解しているとはいえない。理解していたとしても,政策の形成過程に適切に関われている人間は本当に少ない。

 私自身,勉強をしていく中でやっと輪郭が見えてきたところ。事が単純でないことを知れば知るほど,短絡的な批判の言葉を飲み込むようになってきている自分を物足りなくも思うが,もっと効果的な主張の出し方はないものか,いろいろ模索しているところである。

 いまのところ思うのは,関連学会による政策提言の影響力が弱いこと。

 あるいは政策提案するための団体や活動が少ないこと。

 だからメーカーや企業系の情報ばかりで物事が動きやすくなっていたのだと思う。

 歴史を振り返る作業は,まだまだ資料の掘り起こしに手間取っている。