大学院」カテゴリーアーカイブ

大学院再開とポッドキャスト

 秋がやってきて,大学院も後期(ここは冬学期と呼んでいる)が始まった。何かと慌ただしかった夏季休業が終わって,ある意味では平穏な日常が帰ってくるともいえるし,それなりに賑やかな日々が始まろうともしている。
 とあるバイトで過去の教育番組ビデオを通して視聴する作業を続けており,他の事柄に時間を振り向けることが難しかったりした(とはいえ現実逃避はいっぱいした)が,それも一段落したので,ようやく文献読みとか思索とかに時間を使えそうである。なんだかんだと前期以上に落ち着かないかも知れないなぁ〜。ははは。

 ポッドキャストのリスナー数が増えているが,新しい録音をしていない。先日,渋谷方面の放送局の人とご一緒したら,「2人以上でやったほうがいい」とアドバイスされた。そろそろ出演者を本格的に募集したほうがよろしいかもしれない。
 そもそも「教育らくがきPodcast」は,ボッドキャスティングなるものが登場するよりも,はるか以前から企画され,実際に制作されていた。新し物好きだから,そういう実験的試みは結構早かったのである。前身の「教育フォルダラジオ」はいろんなコーナーが数回録音され,パロディやコントみたいなものもあったが,いまやファイルを見つけ出せない。ひとりしゃべりはこのときからスタイルが固まっていたようである。(いきなり佐伯ゆたか先生の話題に触れているあたり,まあ…,縁というものは変な風に絡むものだなぁ。)

 まあ,結局挫折企画として葬られたあと,再度ポッドキャストとして蘇ったりしているのは,質は低くとも「俺にだってオープンエデュケーションできるんだ!」という高らかな志があるから…,と書ければいいんだけど,実は,ちょっと面白い事してみたいという安易な発想なのである。

 というわけで,リスナー数の増加は,新しいのが聞きたいという要望の一つの表れとは思うので,ぼちぼちポッドキャストも新展開を考えよう。

夏休みの終わり

 夏の暑さの鬱憤を憎まれ口で晴らした後は,水戸にある常磐大学で行われる日本教育情報学会に出席することから今年後半の仕事が始まるといった感じである。ああ,夏休みよ,さようなら。というか夏休みあったのだろうか?
 本日これから電車に乗って,学会へ。泊まりのない学会って,ちょっと珍しい気分なのである。午後に発表があるので,ここ数日間,傍らでヴィゴツキーを眺めながらつくっていた教員研修に関するスライドを見せる。わりとシンプルな筋書きの調査報告発表なので,本質のところで悩むことはなかったが,逆にそれでいいのかと不安になるのは私の悪い癖である。
 シンプルでいいんだ,シンプルでいいんだ。そう自分に言い聞かせないと…。他人にはよく「聴いている人たちをみんなカボチャと思えば緊張しないよ」とアドバイスするが,今日は発表者の私がカボチャになって,中身空っぽになります。そのつもりであっさりいこう。
 ぼちぼち大学院で取り組むべき研究の方向性を固めないと…。夏休みは終わって,本当の秋が来る前に,なんとかしよう。
 ※教育フォルダのサーバーに障害発生中の模様。アクセスできないときはしばらくお待ちを。

協調的知識統合

 蒸し暑い七月の終わり,集中講義を受講している。「協調的知識統合論」という講義で,学習科学の世界的な権威である三宅なほみ先生が担当されている。
 しかも授業は東京大学駒場キャンパスにある新しい学習空間「駒場アクティブラーニングスタジオ」(略称:KALS)で行なわれている。私にとって初めての駒場キャンパス授業である。いろんな意味で新鮮な気分で通っている。

 講義は「熟達化とは」をテーマにしており,熟達化に関する研究知見をジグソーメソッドによって協調的に学んでいく授業である。先生が説明する時間は限られており,ほとんどは私たち受講生が資料を読み,それを受講生同士で共有する作業を通して,知識統合していく過程に時間が割かれている。
 これが気がつくとあっという間に時間が過ぎてしまう。しかも参考資料を読んで理解したうえで説明する作業が続くので,一段落した頃には脳みそも身体もぐったりしている。いやはや,こういうタイプの集中講義は初めての経験かも知れない。
 ジグソーメソッド自体は目新しくはない。昔から知られた方法であるし,私自身,教育学講義などで紹介したりするお馴染みの方法である。しかし,実際にジグソーメソッドを使う機会というのは,意外と無い。普通の授業の時間で収まりきる方法でないことも一因だろう。だからこそ,朝から夕刻までの集中講義などは,絶好の適用機会というわけだ。

 けれども,このジグソーメソッドをなかなか使わないもう一つ要因は,効果的に用いることができるのか,教員側に掴みにくいところにある。
 一つには,用意した資料からジグソー的な活動がうまく成立するのか不安なこと。二つ目には,ジグソーに参加する学生の能力に左右される不安があること。三つ目には,最終的に期待した理解に到達することができるのかということ。四つ目には,評価が難しいことなどがある。
 端から見た活動の様子は,教員側が資料を配って,あとは学生が議論して,その結果を発表するといった風である。教員は議論しているところを見守っているくらいで,あとはじっと待つしかない。「なんだ教員は楽じゃん」と思うかも知れないが,長い時間を待ち続けて,しかも授業の行方や結果は不安だらけという状況は,なかなか耐え難いものがある。そんなこんなで,ジグソーメソッドを実際に導入するのは,躊躇しがちなのであった。
 ところが,実際に受講生の立場で経験してみると,これはこれでなかなか面白いのである。疲れるけれども,受講生同士で協調する過程で,繰り返し重複することも多いが,それでも新しい見方や考え方に接することもできるからである。その上,気がついたら時間が経過しているというのだから,長い長い集中講義に対する心理的な抵抗感も低くなっている。
 おお,これは使える。というわけで,わたくし,夏の出稼ぎ非常勤講師は,自分が受講している集中講義が終わった翌日から,自分の担当する集中講義があるので,さっそくこのメソッドを使おうと心に決めたのであった。
 え?教える側が楽できることに気がついたからじゃないかって? ま,まさか,馬鹿にしてもらっちゃ,こ困るなぁ。新しい知見を活用するのは教員として当然の責務。自分の抱えている課題や仕事が忙しくてあんまり準備できなかったから,ネタをパクっちゃおうって魂胆なんか全然無いんだから…,そうじゃ無いんだから…,そんなんじゃ無いって…,無いって言ってるのに…,違うんだもん…。

 さて,熟達化というテーマは,長いこと論じられつつも,いまだホットなのだという。昨年には,ケンブリッジ・ハンドブック・シリーズの一つとして『Expertise and Expert Performance』が上梓されている。分厚い本には,「加齢と熟達化」なんて章もあって,多方面から熟達化について論じたものとなっている。後期のゼミで購読する予定。
 集中講義は,さすがに全てを扱えないので,そこから三宅先生なりに授業構成を考慮して選んだ代表的な理論や実験研究を扱っている。故波多野誼余夫による定型的塾達と適応的熟達であるとか,状況論的な学習などを含んでいる。個々の理論はお馴染みだが,それらを組み合わせて考えるとどうなるのか,複数の人間で議論して考えると,また違った学びを生成させるのである。
 理想的には,このような協調的知識統合活動が学校現場の教員間で展開されることが期待される。もちろん,結構負荷の高い活動ではあるので,いつでも展開してなきゃいけないというわけではない。
 けれども,たまに展開しようと思ってできることでもないのが,なかなか難しいところだ。教育の専門家として,協調的知識統合が今後の教師に重要な能力であるとすれば,そもそも教師には何が必要になるのか。何はなくとも,何度も体験してみることこそ大事なのだと思う。そのためのファシリテイターの存在が当分は重要視されるだろう。

東京大学大学院にいらっしゃい

 東京大学大学院学際情報学府では5月19日(土)に入試説明会を開催します(告知ページ)。私も昨年,この説明会に参加して慌ただしく受験準備をした思い出があります。
 東京大学に入るのとは少し違って,東京大学大学院ですので,研究に対する強い意欲をお持ちの方に対して,門戸は広く開かれていると思います。ご興味のある方は,是非お越しください。
 特に来年度から新しい学舎「福武ホール」の利用が始まり,学際情報学府の大学院生にとって利用しやすい居場所ができることになります。新しい施設で大学院生活をスタートさせるチャンスです。

 学際情報学府は,理系文系分野が「情報学」というキーワードで繋がれた学際的な研究科です。文理それぞれに自らの領域を深めている人たちもいれば,学際的領域で広い視野を取り込んだ研究を進めている人たちもいます。
 それゆえ,学際情報学府について知るためには,どんな先生方がいて,それぞれの研究室がどんな研究に関心を持っているのかを知る必要があります。説明会プログラム最後にある「学環・学府めぐり」では,研究室単位で教官と大学院生が皆様に取り組んでいることを知ってもらえるように簡単なプレゼンを準備しています。気軽に覗いていただければと思います。

 ちなみに私が所属しているのは文化・人間情報学コースの山内(祐平)研究室です。山内研究室と連携している研究室として中原(淳)研究室もあります。所属メンバーの研究テーマは多様ですが,「教育」や「学習」というキーワードに少しでも関係しそうであれば,ご一緒できる可能性があると思います。
 この機会に東京大学大学院にいらっしゃいませ。

新規性はどこに

 ゼミ発表が近いが準備がなかなか進まない。現実逃避行為だけ捗ってしまう。現場教師の支援につながる研究を組み立てたいものの,めぼしい部分には先行成果もあって,新規性を得るのは難しい。
 論文作成の基本が頭で分かっていても,いざ実際に取組むとなると苦労は桁違いである。手順として先行研究を漁るわけだが,すればするほど憂鬱になる。自分が思いつきそうなことは,すでに人が思いついているものだ。そう簡単に新しい課題が設定できるわけでもない。
 自分の問題意識をもっと絞り込んで焦点化していくことが迫られる。残された細かな問題に新しい課題を設定していくことで新規性を得るしかないか。あるいは,まったくちゃぶ台をひっくり返すか。さすがにちゃぶ台返しは修士でやるべきでないか。
 とりあえず自分の関心の原点に戻ってみることにする。迷ったら最初に戻ろう。

 やるべき事柄が右肩上がりで増加している。何事も挑戦と経験だと思う悪い癖のせい。落ち着け自分。

学部の授業

 月曜日は教育学部の授業に出席する。職業研究者をやってた人間がなんでまた学部の授業聞いているのか,呆れられるかも知れない。しかしまぁ,知識はぐるぐる世代交代しているから,無駄なことでもない。
 それに長らく教育界に携わっていて,素朴に思っていた謎を解明するためもある。いったい東京大学教育学部ではどんな教育学の授業をしているのか,という謎。大した謎じゃないかも知れないが,素朴に受けてみたかった。

 念願叶ってモグリで受講する。なるほど,こんな感じか。授業の雰囲気自体は他の大学と大きく違うということはなさそうだ。わりと普通っぽい。
 扱う内容も,もの凄いぶっ飛んでるかというと学部の授業なのでそんなこともない。ただ,やはり受講生の知的基礎体力の水準が高いからだろうか。言葉の細かい説明をする場面があまりない。先生方もごく普通に語れる感じなのは,微妙だけどちょっと違うところかも知れない。
 そんなわけで,復習のために学部授業を聞いていた。

 唯一履修手続きをした「放送とメディアリテラシー」という講義は,某公共放送のMさんが担当している授業。私の肩書きが先生から学生に変わっちゃった意地悪なシチュエーションを利用して,せっかくの機会なので学校放送の仕事を学ばせていただくことにした。Mさん,最初ちょっと嫌そうだった…^_^;
 今日は音響デザインについて。私たちは視覚情報をたくさん受けていて,重要な判断も多くは視覚にもとづくと考えがちである。けれども,実際にはかなり聴覚情報に頼っているのだということを教授いただいた。
 演劇に少しかじっていた経験からも,その指摘には同意できる。舞台は音先行でないと動かないことがあるからだ。
 授業では,音響がない映像と音響処理後の完成映像を比較することで,音響の大事さを実感できた。事実をよりリアリティをもって伝えるには,いくらかの再構成をしなければならない。こうした表現手法は,拡大していくとメディアとはなんぞやという大きな問題につながっていく予見が授業でも示されるのであるが,それはまた次回以降となる。

 宿題いっぱい…頑張らないと。

入学式

 今日は入学式。行ってきま〜す。

 平成19年度東京大学大学院入学式が本郷キャンパス安田講堂で行なわれた。入れ替えで2回行なわれ,総長式辞と研究科長式辞を聴く。いよいよ東京大学大学院学際情報学府の大学院生としての生活が始まった。
 小宮山総長の式辞はシンプルだが印象的であった。配布された東京大学憲章とアクションプラン2006を紹介し,東京大学が「世界における知の頂点を目指す」ための両輪であると位置づけた。

 知の頂点を目指すために必要なものは何か。「知識」あるいは学識ももちろん大事ではあるが,むしろ「勇気」が大事であると総長は説く。
 この「勇気」には3つの勇気が含まれているという。「孤独を恐れぬ勇気」「功を焦らぬ勇気」「他流試合に挑む勇気」の3つである。
 「孤独を恐れぬ勇気」は,自らの研究テーマを追究する際,細分化された研究コミュニティや学問体系において,ますます他者の理解を得ることが困難になっているという状況に耐えるため必要である。
 「功を焦らぬ勇気」は,ともすれば業績数を増やすことが目的になってしまう風潮に抗して,どれだけ自らの研究行為に誠実であれるかという際に必要なものである。論文発表は手段なのであって目的ではない。
 「他流試合に挑む勇気」は,他者との学術的な論争を恐れず積極的に論を交わすことで,自らの研究の弱点を埋めたり,研ぎ澄ませていくために必要である。特に世界水準の研究を目指す以上,海外の研究者との他流試合にも挑むべきである。
(正式な記録はこちら「平成19年度 東京大学大学院入学式総長式辞」)

 午後からは各研究科毎のガイダンスが行なわれた。お待ちかねの学生証を受け取り,時間割や授業シラバスなどの説明を聴く。考えていたよりもハードな毎日が待っているみたいだ。
 主な施設を案内されたあと,コース別の説明会。30名ほどの新しい顔ぶれの自己紹介やこれからの大学院生活の流れを再度詳しくレクチャーされる。先輩の経験談なども聴いた。よくばって授業を取りすぎると自分の時間が無くなるから注意した方がいいと強調されていた。バランスは難しい。
 その後,先輩方による新入生歓迎会が行なわれ,立食形式で歓談する。多様な分野が混在する学際情報学府という大学院は,他のコースやゼミとの交流が少なくなりがちなところもあるので,積極的に関わっていくことが大事になる。
 ビンゴゲームも工夫が凝らされて(名前ビンゴゲームになっていた),お互いが挨拶したりコミュニケートするチャンスをつくれるようになっていた。孤独になる大切さとともに,つながれる仲間が存在することも大事なのだと思う。
 歓迎会が終わり,ゼミ室に戻る。一緒に入った新しいゼミ仲間と一緒に授業のとり方など先輩からアドバイスを受けながら思案する。新しい電子メールアドレスの設定や図書館利用の書類など,あれこれ気に掛けていたら夜の9時を回っていたので,帰路につく。

 丸一日の入学行事が終わる。間髪入れずに翌日には先輩方の修士論文経過発表会があるし,来週からは授業も始まる。初心に戻って走り出すしかない。

M0歓迎会

 今日は来年度から通う大学院ゼミの新入生歓迎会だった。M0(ゼロ)と呼ばれる新入生を加えてゼミメンバーが一同に会する。夕方のゼミから出席させてもらったが,久し振りの感覚で,ある意味新鮮でもあった。
 新入生メンバーは5人。学部から進学する人もいるし,他分野の修士を経てもう一度こちらの修士課程に入る人もいる。みんな20代のフレッシュなM0である。まあ,私も気持ちは20代ということで。
 いままでちゃんと話せていなかった先輩たちとも,わりとたくさん話ができ,興味深い問題意識をいろいろと教えてもらうことができた。あらためて「思い入れ」というものの大事さを確認した。それを生かすか殺すかは,自分の研究をどのようにデザインするかにかかっているとも思えた。
 気持ちがはしゃいでいたので,M0としての慎ましさに欠けていたかなと反省。もっとも初回だからといって新入生同士遠慮してももったいない。「近所のおばちゃん」精神を発揮して,あれこれM0メンバーのことを聞いてみた。みんなそれぞれ思い入れをもっているので頼もしい。お荷物にならないように頑張らないと…。