月別アーカイブ: 2004年9月

中山文部科学相誕生

 9/27夜に第2次小泉改造内閣が発足したとのニュース。義務教育国庫負担金制度などの問題で注目される文部科学大臣のポストには,自民党森派の中山成彬氏が起用された。
 今回の内閣人事は,改革路線を加速させるねらいが明確なものだという評がある。ほとんどの人々が財政関係の息がかかった経歴を持つ点,郵政民営化以外にはあまり方向性が見えない布陣など,確かにそういう印象があちこちから感じられる。
 さて,中山文科相なのだが,記者インタビューの記事によると義務教育国庫負担金制度廃止には反対の姿勢を継承すると明言していた。これまでの路線を引き継ぐのは官僚出身者としては当然の態度なのだろう。文部省時代の政務次官の経歴がある人なので,文部行政と縁もゆかりもなかったわけではないが,もともとは大蔵官僚であり,最近までは経済産業大臣として活躍されたようなので,おそらく三位一体改革に対しては一定程度の理解を示し,土壇場で国庫負担金制度を切り崩しにかかる可能性も否定できない。あくまでも不安がないわけではないという意味でだけれど。
 web記事を検索していると野党なんかの解説ページが出てきて,「改憲色くっきり」なんて指摘が書いてある。中山氏が改憲に対してどんな考えを持っているのか,まだはっきりわからない。中山成彬氏webサイトをじっくり見てみなければならないか。前出のインタビュー記事には「愛国心」という言葉に関する言及があったり,奥様の中山恭子内閣官房参与と共に北朝鮮拉致問題に積極的に取り組まれていた点など,あれこれ勘案したりすると,教育基本法改正に先鞭をつけて改憲につなげるという道筋に適した人物のようにも見えてくる。果たしてどうなるのか。
 テレビで「個性化教育は必要か」なんてことを現場の先生を招いて討論ショーしていたが,そんな見せ物的なことをしているところで,見えにくい問題がじわじわ大変なことになっていることを取り上げて欲しいんだけどなぁ。

非常勤授業(skm&hg_01)

 非常勤先の後期授業も始まった。第1回の授業だ。先日書いたように今期担当するには「視聴覚教育メディア論」と「教育の方法と技術」という,どちらも教職課程の科目。前者は今年からだから初挑戦だが,後者も毎回構成がくるくる変わるので初めてのようなものか。
 とにかく,私は相手の顔や様子がわからないと異様に緊張するタイプなので,今回も何をどのくらい準備すべきか考えあぐねていた。最初は授業ガイダンス程度のことをすればいいのだから,もっと気楽に取り組めばいいのだが,それが出来ない性格らしい。相手からの要求水準を妙に高く見積もってしまうのだ。
 それで,いよいよ第1回を迎えて,授業をやってみると,ああ,そんなに力むこともなかったかと思うのである。周りの教室は早々と第1回の授業を切り上げているのに,私の教室は第1回から盛りだくさんである。結局,学生達のコメントを見返すと,盛りだくさんの話が追い切れていないことがよくわかる。ただ,どうやら私が一生懸命であることは伝わるらしく(自分で書くのは恥ずかしいが‥‥),わりと最初のネゴシエーションは悪くないのである。このあと難解な授業が続くと,下降線をたどるけど。
 受講生の雰囲気もわかると少し気楽なのだが,それでも授業準備は常に悶々とする。自分の勉強不足がわかっているから,いつも不安なのだな。こればっかりは永遠に絶えることのない感情なのかも知れない。
 さて,苦しくも心地よいチャレンジを楽しもう。

リスニング試行テスト

 大学入試センターは,再来年1月のセンター試験で導入される英語のリスニングテストのため,抽選で選んだ高校2年生約4万人に参加してもらって,試行テストを今日行なったようだ。(ニュース検索)
 センター側も,今回のリスニング導入には並々ならぬエネルギーを注いでいるようで,とにかく試験が問題なく遂行できるよう,この試行テストから得られるデータも参考に準備を整えたいようだ。今回のように台風がやってくるなどのアクシデントは,季節が違うとはいえ何があるかわからないという点で,よい教訓であろう。その他,試験官の足音や消し忘れた携帯電話などの周囲の音や飛行機等の騒音,再生機であるICプレーヤーの故障・操作ミス・配布や回収そして輸送にいたるまで,完全掌握しなければならない。

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公私混在

 気分転換に見るWebニュースで,学校や教師の不祥事に関する報道が絶え間ない。それを報道する者の凝固した想像力と粗雑な文章力のせいで,現実がもつニュアンスは紋切り型の不祥事ものへと処理されているのが読むだけでわかる。もちろん,こういう報道記者に対する固定観念も疑う必要があるのかも知れない。けれども,見せ物的なニュースがこうも日常茶飯事にもたらされると,この人達,学校教育に残されたわずかな信頼さえも失墜させようと意気込んでいるのではないかと思いたくもなる。
 もっともこの頃,学校現場とインターネットという取り合わせの狭間で起こっている事件は確かに多いし,私とて,教育現場を職場としている人間ゆえ,長らく続けている個人Webサイトについて,再考しなければならない時期にきていると思う。メディアに関する授業準備をする中で,そんなことも考えていた。
 私はパソコンの先生で雇用され,サラリーをもらっている。「情報技術」周辺の事柄について関心があり,月並みだとしてもスキルを持っていたからだ。もっとも,個人的な研究専門分野は「教育」だから,「情報技術」と「教育」が重なるあたりに研究者として身を寄せていることになる。
 けれど,私の中では社会・人文科学系の問題意識の方が高いらしく,そういう観点から,「学校教育にパソコンやインターネットが入るなんて事の大変さに私たちは対処できるのか?」と憂いでいる自分が常に内在している(ラッダイト的感性?)。
 私は可能性について目を背けているつもりはない。脳天気な私は,結構いけいけドンドンな人である。面白いことに挑戦しないなんてあり得ない。けれども,可能性に目を奪われることで,取り返しの付かなくなる事柄には何度も出会ってきた。だから,周りの人々が可能性を論じるなら,私は懸念を表明するバランサーとして身を置きたくなるのだ。
 不祥事報道や学校批判記事などに接するとき,たぶんそういう自分の中のバランサーが働くのだと思う。そのうえで自分の態度を選択しなければならないし,行動もしなくてはならない。
 もっとも,健康状態や生活の慌ただしさによって,自分のバランサーがうまく働かなくなることは多いけれど。

さあ,後期だ

 いよいよ後期がスタートした。授業再開である。もっとも学年によっては実習に出かけているので,そうでない学生達の授業から五月雨式に再開される。ペースをつかむ助走期間としては有り難い。でも来年度の学年歴を変えるとか会議しているみたいなので,来年はまた違った雰囲気になりそうだ。
 結局,非常勤先の補講やら集中講義などもあって,この時期あちこちでやっている学会に出かけられなかった。日本教育工学会の大会も今日までやっているが,悔しいけれど今年も欠席。また情報収集をしておかないと‥‥。
 さて,気持ちを切り替えて,後期授業の直前準備。後期は「情報基礎演習」というパソコンの授業や「卒業研究」というあれこれ挑戦する授業に加え,幼児教育課程の「教育方法論」が入り,非常勤先では「教育学」に変わって「教育の方法と技術」と「視聴覚教育メディア論」なる授業を担当する。特に「視聴覚教育メディア論」は今年度からはじめて担当する科目なので,講義全体の段取りがまだ固まっていない。日頃からメディア論系の文献は好きで眺めているが,講義となるとそれなりの構成作業が必要だ。
 そんな感じで,慌ただしい日々はそのまま後期にも引き継がれるのでありました。実習訪問と高校訪問どうしよう‥‥。

どうしても‥‥

 ZAKZAK社会欄(9/22)にて「“学習達成度”診断なのに事前練習させる」の記事。仙台の小学校で民間の標準学力検査(CRTテスト)実施にあたって,1)事前練習させたことや,2)テスト結果を保護者への報告無しにWebページに掲載したことが,取り上げられていた。
 1)事前練習をさせた件は,現場に身を置く立場に訪れる脅迫にも似た心理状況がどうしてもそうさせてしまうのかも知れない。一斉学力テスト反対闘争の時代(S36〜頃)にも,そういう出し抜きが地方で多発したことを問題とした部分もあったわけだし,歴史の教訓をもっと周囲の人々が理解してあげないといつまで経っても現場はやりにくい。
 2)情報公開が求められている昨今,とはいえ簡単お手軽というわけにはいかないようだ。個人情報保護法が来年から施行されるのもあって,この辺はさらにシビアになるのだが,しかし,そうなればなるほど情報公開を避けたい心性も生まれる。ケース・バイ・ケース,その度毎に情報の公開と保護とのバランスをどうするのか,という問題だが,現場はいちいち議論している余裕がない。その事情を察して,問題発見→即批判・処罰ではなく,問題発見→改善勧告や問題解決支援といった姿勢で関われないものだろうか。
 記事の事例は,穏やかに進行したのか,総非難を浴びて学校関係者もぐったりなのか,記事からは読み取ることは出来ない。少なくとも私たちは学校が問題を多く抱えていることを承知しているのだから,うまくネゴシエーションして,共に問題解決に取り組む者になりたい。

大学広報が注目する番組

 かつて「小便少女もいる」というトリビアを皮切りに深夜帯から放送が始まった「トリビアの泉」も,すっかりお馴染みの人気番組に成長している。深夜時代からゴールデンに移った現在に至っても,計算された番組作りと,独自の面白真面目なセンスが堅持されている点で,この番組の評価は高い。あとは外部要因によって視聴率が低迷する時期が来るまで,根気強く続いて欲しい。
 ところで,その番組カラーが堅持されているとは書いたが,「トリビアの泉」における外部とのタイアップネタが増え,この番組の持つ「PR機能」が強調されすぎていることに違和感を持つ視聴者もいるかも知れない。もっともそれもこの番組の当初からの目論見であったわけだし,NHKのプロジェクトXの暴走は問題外としても,民放番組としてはそれこそが収益増進手段である以上,仕方ない。視聴者としてはメタ的な視点から楽しんでしまうしかない。
 むしろ最近,この番組のPR機能に注目しているのは,大学広報関係である。なにしろ「確認のVTR」に登場する大学の先生や専門家は,大学の顔として茶の間の前に登場するのである。そして大学の名前が紹介され,専門研究がPRされ,番組の演出に協力することでユーモアと親しみのあるスタッフを有しているとイメージづけられるのであるから,大学広報的には有り難いことこの上ない。
 ご存知のように国立大学も今年から独立法人化し,私立大学などと同じ土俵でPR合戦をする時代となった。そこで,旧国立大学としての権威性によって,こうした番組からのオファーを勝ち取れば,CMを制作するよりも効果抜群かも知れない。もちろん,もとをたどれば,トリビアというニッチな知識や研究を支えることの出来る幅広く奥深い研究支援環境を確保維持していくという,高等教育機関としての基本を押さえていることが大事なのは明らかである。
 番組制作者側も,その辺については先刻承知のようで,過去のトリビアと同じようなコメントが必要な場合でも様々な大学の様々な先生や専門家に振り分けている点,長らく見ていて感心してしまう。
 とはいえ,トリビアごときを確認するために大学が存在しているとか,その程度としか見られないように,大学教育や研究もどんどん前進しなければならないよなぁと思う今日この頃。

天動説支持は理科嫌いのせい?

 ニュースで「小学生の4割が天動説」などと取り上げられているのは,今日から岩手大学にて行なわれている日本天文学会の年会で,研究発表される内容がもとになっている。プログラムの中の「天文教育・その他」セクションの1番手がそのグループの発表である。次には「小学生の7割は月の満ち欠けの理由を知らない」という同じモチーフの発表もあり,なかなか興味深い。
 細かい検討は出来ないが,この2つの発表要旨から見えるのは,学習指導要領を上方に据えた教育内容のヒエラルキーを前提にした問題意識と,発展学習プログラムによる現実的な教育実践の必要性を前提とした問題意識の違いだ。もちろんどちらもあり得べき態度である。どちらも国立天文台の縣氏がメンバーなので,あえて異なるアプローチで書いているのだと思われるから,詳細は発表を聞いてみないとわからない。
 「理科嫌い」への懸念は,あちこちで聞こえるので,そろそろ言葉自体が腐らないように使う側も慎重でなければならないと思う。ただ,思うに天文知識を発揮する場面が,日常生活にほとんどないことの方が,この問題の核心にあるのではないか。あるいは,学校で学んだ知識を隅や忘却のかなたに追いやるような,めまぐるしい消費生活が原因かも知れない。

集中講義を終えて

 「カリキュラムデザイン」という授業が終了した。4日間の集中講義で,朝から夕方までを過ごした。終わってみればあっという間だし,振り返ってみれば大した内容を盛り込めていなかったのかも知れないと思う。
 それでも学生にとっては新知識が短期間のうちに流れ込んでくる,めまぐるしい4日間だったようで,カリキュラムデザインがなんなのかをまとめることについて不安が残っている者も多かった。そりゃそうだ。私の講義実践が及第点だったとしても,受講生が専門家へ華麗なる変身を遂げるには,4日間はあまりに短い。半期の授業だって,難しいというのに。
 講義をやり終え,少し気心の知れかけた学生たちと別れてから,教務課に終了の挨拶をする。そしてここからは独り反省会。学生たちのコメントを読んで一喜一憂する。ある程度割り引いて考えながら,とりあえず自分を労ってみるのだ。
 最終日は昼食抜きで学生たちと過ごしていたので,帰路で食事をとる。帰宅してからしばらくして,案の定,眠りに落ちてしまった。目覚めたとき,あたりは真っ暗。映画『ボーリング・フォー・コロンパイン』のテレビ放送を見て,ニュースを見て,これを書いている。明日は本務校で朝から面会やら会議やらの連続。その用件の多さに不満があるわけではない。心落ち着かないことが,悩ましい。満たされる気持ちを何から得るべきか,きっと自分自身で見失っているのだろう。
 集中講義は,体力勝負であると思う。同時に,知的精神力の挑戦でもある。若い世代の学生たちと限られた時間で関係づくりをし,知的に切り結ばなければならない。それはそう簡単な事じゃないことを,次第に広がる年齢格差が自覚させてくれる。それでも,互いに苦労を乗り越えた4日間は,わりと充実感をもたらす。一期一会,そういう言葉が素直に当てはまる,それが私の集中講義だ。

集中講義中

 月曜日から明日まで,集中講義を担当している。朝から夕方まで,しゃべりっぱなし(?)の6時間。帰ってくると,パソコンの画面を見ながらウトウトしてしまう。身体はとっても疲れているみたいだ。講義しているのは「カリキュラムデザイン」。教職課程の授業なので,内容のバランスが難しいものの,理屈っぽい授業になんとか付いてきてくれているようだ。明日が最後。果たしてうまく決着つけることが出来るのか,いまからもう一度悩まなくては。