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どこでも職場

 私は自分のことをカリキュラム論を軸にしている教育研究者だと位置づけているのだけれど,この頃のお仕事は情報教育分野との絡みが多くて,「情報通信時代の教育」を研究している人間になっているのが実態である。だから,モバイルとかユビキタスという世界に入り込んでモノを考えている。
 もっとも自分自身の活用という意味では,中高生のような携帯ヘビーユーザではないし,PDAも大昔のシャープ電子手帳で懲りたし,マッキントッシュのデカいノートパソコンをメインで使うので,私自身はちっともモバイルな人じゃない。ユビキタスも,どっちかというと懐疑的な立場である。ただし,根っからの新し物好きと好奇心が唯一の頼りとなって,こういう世界に思いを馳せて,「う〜ん,どうでしょ〜。お〜,そうかなぁ〜」と考えるのが好きなのだ。
 そんな私のパソコンにはSkypeがインストールされていて,ごく普通にオンラインにしている。阿部寛のドラマじゃないが,オンラインにしても滅多にコールはないから,とくに支障はない。じゃSkypeをわざわざオンラインにしている意味がないじゃないかと思われるかもしれない。私も半分そんな気がしている。
 けれども,前の職場を離れてからはしばしば,問い合わせメッセージが入ってきて,引き継ぎ足りなかった事柄をやり取りするのに使う機会がある。コンタクトリストには,前の職場の人たちが幾人か登録されているので,場所が離れていても必要があれば連絡取れる形になっているわけだ。
 オンライン状態をいちいち見られるというのは,抵抗感もあるが,距離感がわかって慣れてしまえばどうって事はない。お互いオンライン状態なのにずっと通信しないこともあるが,それはこういうツールを使うときには織り込み済みの前提条件みたいなものである。インスタントメッセージとも呼ばれるチャット機能でのやり取りが断続的で,ときに文脈逸脱しやすいということや,反応の順番がひっくり返ってしまうことなども,すべて了解した上で使うわけである。
 先日も,久しぶりに前の職場で一緒に働いていた職員さんから問い合わせのコール。音声チャットを電話感覚で使い,ソフトウェアの使い方や技術的な解説などをやりとりした。なんか在職していたときと全く変わらないやり取りが展開するので,私は自分が退職したことを忘れそうになる。「うちの学校では…」,ああ,もう自分の学校じゃないか…,と。
 Skypeのマック版は,ウインドウズ版に比べてバージョンが低いが,ようやく次のバージョンのベータ版と,ビデオチャット機能を搭載したプレビュー版が登場した。これでウインドウズパソコンとのビデオチャットが実現するようになる。正式リリースされる頃には,ビデオチャットソフトの定番はSkypeになるだろう。
 ほかにもYahoo! MessengerAIMGoogle TalkGizmoなどのソフトもあるが,なんといっても一番ユーザー数が大きいのは,MSN Messenger(いまはWindows Liveメッセンジャー)である。ところがこのソフトもマック版には力を入れていないため,音声とビデオチャットが同じようにできないのだ。そういうわけで,いまのところクロスプラットフォームのビデオチャットの有望株はSkypeかYahoo!くらいしかない。Skypeに関していうと,すでに無線LAN対応Skype携帯が登場し,いよいよ構内電話といての活用もできそうになってきた(便利なのは確かだが,正直この機器に対してとるべき態度は考えなければならない…)。
 ちなみにGizmoはユーザー登録の際に電話番号登録もいとわなければ,登録した者同士のネット通話や固定電話に対する通話も無料にするという大胆なサービスを開始している。ビデオはできないけど,音声で十分というユーザーにとっては魅力的だし,これで一気にSkypeを追い越そうと考えているらしい。
 技術競争もさることながら,いよいよ価格競争も現実的になってきたVoIPソフト市場。モバイルやユビキタスと合わせて,教育活用の可能性,もしくは問題性を考えておきたいところである。

努力の積分

 生まれて初めて退職金というものをもらう。今日の現実はどうあれ,僕らの世代として「退職金」というのは,一生に一度,自分が定年退職などしたときにもらうものだとイメージしていたのだが,まさか自分がこの歳にして1回目をもらうとは思わなかった。(2回目あるのか知らないけど…)
 いまでも初任給の嬉しさは覚えているし,毎月もらうお給料とこのご時世にあるだけ有り難い賞与をもらう度,私自身がそれに見合う仕事をしているのか自問自答していたことを思い出す。努力の数値化ほど人の心を振り回すものはない。それが「円」に単位変換されれば,豊かさをもたらす場合もあれば,争いを連れてくる原因にもなる。そこで平常心を保つには,かなりエネルギーが必要になる。
 下世話な話をすれば,退職金の金額が大したものじゃないことは,もう何年も前から予想はしていた。だから私は自分の努力が微分されて雲散霧消する前に,別の形として職場に残るように努力を積み重ねることにした。それがこの5年くらいの私の行動だった。職場の情報環境を整え,学生や教職員をサポートする設備と人材を提供すること。風当たりも強くて,評価されるどころか小言を言われることも多かった。
 けれども,たぶん退職金なんて軽く凌ぐ価値のある部署と業務を提供できたと思っている。私を助けるために集ってくれた人たちは,学生想いで,しっかりとした自分のポリシーを持って仕事をしてくれる人たちばかりだった。もっとお給料をあげたかったのだが,私は自分のもてるノウハウを惜しみなく伝えることで,それに代えることにした。仕事を通してスキルアップすることで,その人の技能資産が増せば,次の職場の選択肢も広がる。働くということは,給与以外にもそういう報酬があるべきだと思う。それは自ずと本来の目的である学生や教職員への充実したサポートに繋がる。
 どこまでも自己満足の域を出てはいないが,私は自分の退職価値をそういうところに置いてみた。風の噂には,今年度も学生達の利用度が高く,サポート部署として定着しているようだ。嬉しいことではないか。
 自分の人生をどう描くのか,どんな風に価値を見出していくのか。その方程式はますます複雑化していくようにも見える。たくさんの項目を並べて,変数の重み付けをし,ロジックを組んで,算出した結果に,そもそもどんな信憑性があるのかということを考え直してみる必要がある。確かに過去の経験の集積は,何がしか確かな指標を提出してくれるのかも知れないが,それを超えて何か違った価値観とイノベーションを信じ,努力を積分していくことに自分を開いていくことも必要だと思う。
 それでも人はお金で動くもの。そういう考え方もある。私だって,しばらくこの退職金で生き延びないといけないもんね。でも,焦りは禁物。私の場合は,自己研鑽を抜きにしては成り立たない人生でもあるので,この機会にいろんな経験を通して勉強させてもらいたいと考えている。そのための資金としてなら,これでも,まあ,何とかなるかな…何とかするか。

書類づくり

 非常勤先に成績表を提出して(郵送するよりデリバリーの方が早い!),それから本務校に出て,一日中書類づくり。関係者に配布する資料が完成したのは夜11:00頃だっただろうか。久しぶりに車で出勤したので,のんびりドライブしながら帰宅。
 夕食を食べていなかったので,途中,どうしてもラーメンが食べたくなり,開いているお店を探し回る。夜中0:00を過ぎると意外と店は開いてない。若い夫婦がやっている比較的新しいお店に閉店間際のところ初めて入り,担々麺とギョーザを頼んだ。幸い,なかなか美味しかったので満足して店を後にする。明日は朝早いのに,また夜更かしだ。だって,すぐに寝たらブタになっちゃう(わけないか)。
 結局,私の第一弾教員人生は,事務仕事に染まったまま終わりそうだ。

それはいつか通る道

20060126 最後の授業を終えた。もう少し題材を深めて扱いたかったものの,授業進行の狂いもあって,駆け足であっさりとこなすことになった。通年授業。お付き合い願った学生達に感謝の言葉を述べて,淡々と締めくくった。
 それで終わると思っていたが,彼女たちは前にぞろぞろやってきて「先生,一年間ありがとうございました」と声を発した。横を向けば花束。サプライズとはこのことで,私はどこへ視線を向けてよいのやら,照れて目線を落としたままだった。
 一年だけの担任となったが,この娘達は強い連帯ということが少々苦手ということもあって,こちらはハラハラすることが多かった。女の子のリレーションシップというのは,男の私には難解である。特に大人げなさの残るこの世代は,表裏の落差を抱え,実のところかなり危うい存在でもある。私にできることは,バックヤードで見守っていることを発信し続けることだけだった。
 とはいえ,彼女たちと過ごした一年は,片想いの嬉しさにも似た幸せな一年であった。それは自分自身の現在を見つめ直すものでもあったし,行く先を探ろうとし始めた記念すべき一年でもあった。
 こんなときに出てくる言葉は,あふれる想いに比して少ない。私は彼女たちにただ「ありがとう」とつぶやくように繰り返すしか言葉がなかった。

Show must go on.

 職場で大学祭。先日の駄文にも書いたように,プレ企画という名目でお昼のラジオ番組にチャレンジした。大学祭前日までの4日間限定で,マイクとスピーカを設置したスペースを学生ロビーに用意し,大学祭の告知などして雰囲気を盛り上げようという,助走の手助け企画だった。
 ところが,意外と好評だったこともあり,「ぜひ当日もやって!」という声に押され,半分片付けた機材をもう一度組み直し,当日もラジオブースを構えることになってしまった。当日はのんびり構えて大学祭を楽しもうかと思っていたのに,フル回転でラジオのパーソナリティ兼裏方をこなすことになった。
 有り難いことに,ラジオブースはいつも賑やかだった。卒業生が立ち寄る場所としてもうまくいったし,ちびっ子も興味津々で近づいてくる。普段はキャンパスにいない男性陣も物珍しさにちょっかいを出してくる。模擬店の店員さんもやってきて,ラジオで賑やかに宣伝をしてくれる。学生ロビーを中心に,楽しい雰囲気を演出できたのではないかとちょっと満足している。来年は,いよいよ学生達にバトンタッチすべきだろう。

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デューク更家来校

 職場が40周年なので,記念講演会の講師としてデューク更家氏をお招きした。もちろんウォーキング・エクササイズ付き。デューク氏のWebを見ると「ウォーキング・トークショー」って書いてある。でもまさにそういう内容だった。とにかくトーク上手である。
 トークショーの会場は体育館。抽選で当たったウォーキング参加者と観客席のお客さんで会場は満杯であった。で,私は記録係なので,ビデオ撮影セッティングして,デジタル一眼を持って講演会の様子を記録し続ける。ウォーキング・トークショーは,すぐにウォーキングではなくて,人の身体のしくみなどを面白く解説しながら心得を知ってもらい,徐々に体を動かしてウォーキングの極意へと導いていく流れ。最後には,みんなですてきなウォーキングスタイルで会場を闊歩し,ざっくばらんに質問に答えてさわやかにお開き。
 いやはや,さすがである。関西人なのか,関西なまりの軽妙なトークもウォーキング指導のわかりやすさも,多くの人々を魅了して講演会はあっという間に終わってしまった。アシスタントの女性2人も出番は少なかったが,さわやかに参加者を誘っていたのが印象的。
 もっともウォーキング・トークショーで,一番歩いていたのは,カメラマン役の私だって話もある。ははは‥‥。

待ちこがれた休みの終わり

 夏休みが終わった。やっと雑務から解放される日が来た。明日は東京に出かけて研究会に出席する。こんな本末転倒な日々の様子を書かなければならないなんて,大学以前の私自身も想像だにしなかった。長期休業の方が忙しいなんて。
 今日は職場のオープンキャンパスだった。ネットワーク工事も一段落したところに間髪入れず予定が入る。諸々の事情で日本教育学会の大会に出かけることも出来ず仕舞い。明日の東京の仕事を終えて,ようやく緊張状態が解かれるといった風なのである。当事者でない限り,想像しようもないことだが,本当に8月直前から今日明日まで,朝から晩まで強迫観念にも似た緊張状態が続き,安らかに時間を過ごす余裕はなかったのである。死なない代わりに小さな事故を起こしてしまったほど。精神的にも体力的にも,あまり健全とは言えない日々だった。
 催し物が終わり,職場で残務。同じく残って頑張っていた職員の人たちの仕事を少しばかり手伝い,ようやく学校を出たところで,春に卒業した学生たちがクラス会のために集合している現場に出くわす。まだ四,五ヶ月しか経っていないので,集まる気力が残っているようだ。このクラスには,いろいろな形で関わった実績があるはずだが,友達との再会に比して教員との再会には大した感動もないようで,ニコニコ笑顔で手を振ってくれる子達を除くと,まるで「見たことある人に出会った」といった調子なのである。

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休日出勤

 今日も職場に出勤。翌日曜日もネットワーク設定の作業に立ち会うため出勤。大きな声では言えないが,多分21世紀はナントカ基準法というのは失効している世界なのだと思う。
 コンピュータ相手の仕事は,必ずしも効率的で素早いわけではない。むしろ待たされ悩まされ苦しめられて時間を過ごし,しかも長引いて終わりが延びる。明日の日曜日こそは休めるのではないかとみんなで作業の順調さを喜んだはずなのに‥‥。
 そんな日々を過ごしながらも,実は研究のお仕事もあれこれ舞い込んできていた。参加している研究会の打ち合わせで報告しなければならない課題や,珍しく研究関係の原稿執筆依頼がやってきた。しまった,返事のハガキがまだ出せてない。もちろん引き受ける(おいおい)。来月の出張も準備したいが,まだ資料をもらってないなぁ,困ったなぁ。集中講義のレポート課題も締め切り日がやってきて,さっそく郵送で届けられたようだが,残念,不在だったので郵便屋さんが持ち帰り預かりをしてしまったようだ。
 オープンキャンパスの体験講座の準備はできてないし,延期されていた保育園実習の指導訪問にも出かけないと行けないし,前期の授業再開で成績付けもしなくてはならないし,後期の非常勤講義の準備は本当に白紙だし,英語の勉強は遅々として進まないし,炊事洗濯は溜まりにたまって手がついてないし‥‥。
 ぐっすりと眠って,さらに朝寝坊したい。

ネットワーク工事の現場

 今年の夏は職場のネットワーク工事に関わる仕事に明け暮れている。研究者としての仕事が脇に追いやられているのは,私の要領が悪いせいだ。もっと世渡り上手になりたいものだと思う。けれども,損して得とれというのが私のモットー。工事業者や本職SEの方々の仕事ぶりを立ち会いながら学んでいる。
 情報教育分野でもひと頃は「ネットデイ」なんて名前で,ボランティアの人々が自分たちで学校にネットワークを張ろうという活動が賑やかだった。そんな活動に参加した人たちは,きっとこういう配線工事の奥深さやネットワーク設定の構成の妙に魅せられて楽しんでいたのではないかなと思う。
 校舎の中を縦横無尽に走るケーブル。それを実現するために使われる道具の面白さや熟練したプロの仕事術はため息が出る。しかもわからなければ質問をすると親切に教えてくださるので,本当に勉強になる。構内電話の配線も,配電盤を開けてもチンプンカンプンだった部材の意味がわかると,実は背後にあるシンプルな思想が見えてきて「なるほど」と合点がいく。
 そこには単純な仕組みの積み重ねによる複雑なネットワークの成立という流行りのテーマが具体例としてあるし,専門家の知恵というか身体化した技といったものにも触れられる。複数の人間による恊働的な知の交流と,なにがしか(この場合ネットワーク)をつくり上げる創造行為が展開する場であるところも興味深い。「現場」体験がそこにある。

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保護者懇談会

 10人の保護者との対話は,楽しくもあり,冷や汗ものでもあった。初対面同士の堅苦しさを和ませようと,少しおどけてみせながら司会進行する。一人ひとりに家庭での様子や対応の現状を聞く中で,不安や質問への返答を織り込む。
 入学して3か月。学生達自身も学生生活のペースをようやくつかめたところか。しかし,大学で学ぶための技法や家庭生活との両立方法に対して具体的に習得できていないようだ。日々,学ぶべきことはたくさんあって忙しいはずなのに,親から見るとのんびりしていて,「この子,大丈夫かしら」と不安になるという声もあった。学生達に向け,何かしらガイドをすべきだろうか。
 いまのところクラスの子たちは,結構仲良くやっている。クラス全員仲良くなろうという気持ちは大事だし,実際そうであっても欲しい。ただ,45人もいれば性格も考えもバラバラなのが当たり前。きっとどこかの時点でぶつかり合うこともあるだろうし,分裂してバラバラになることもあるだろう。この年頃の女の子の気持ちは山の天気のように変わりやすいものだから,何があっても不思議ではない。好きも嫌いも,そこに関係があって初めて生まれる感情だ。だから,どんなことがあろうと,うまく共生できるようなクラスであって欲しい。最後には「しょうがないなぁ」って感じでもいいから,クラスメイトを思いやれる関係で短大生活を過ごしてくれればと願う。
 唯一の不安は,クラス指導担当の行方か‥‥。