カメラ付きiPod touchのもつ爆発力は,実は,Appleが得意とする教育市場において可能性が眠っている。
高等教育におけるMacBookなどのノートパソコン普及が高まっていることは,すでによく知られている。ネットブックの登場もは価格面で,それを押し広げる可能性を持っている(もっともネットブックを大学の勉強のために多くの学生が手にしたという話題はまだ聞いたことが無い…)。情報伝達の道具でいえば,学生が個別に持っている携帯電話の普及率の方が高いであろう。
しかし,カメラ付きiPod touchのようなモバイル端末は,まったく異なる利便性を提供するツールとなり得る。それは,学生自前の携帯電話回線に頼ることなく無線LAN通信が可能で,ノートブックやネットブックのようにフタを開く手間なく情報を引き出すことが出来る。さらに写真や映像の記録機能が,講義における活動を広げる可能性を付与する。
こう考えると,学内(あるいは無線LANのある場所)における学生達のサポートツールとして有用である。
小・中・高校教育ではどうだろうか。
情報活用能力や情報モラルの育成は,小中高の教育において重要課題となっている。そのためのツールとして,教室にパソコンと電子黒板(電子情報ボード),やがて子ども達一人一人に扱ってもらうためのキッズパソコン(ネットブック)が目論まれている。
ところが,もっとも身近な情報ツールである携帯電話の扱いは混乱している。
小学生の携帯電話普及率は低く留まっているとはいえ,利用開始のタイミングは家庭の事情によってバラバラ。このことが,子ども達の中に携帯電話への習熟度の差違を生み出し,必然的に教え合いの機会を生成する。
このとき,子ども達独自の教え合いの場と学校における情報教育の場がうまく噛み合うことが期待されるが,さきほど指摘したように子ども達の携帯利用開始時期がバラバラということは,五月雨式に子ども達が携帯電話との関わりを始めるということであり,授業としての情報教育という考え方では個々の子ども達への適切な介入が間に合わない可能性を孕んでいるのである。
これに対処する一つの方法として考えられるのは,学校側が子ども達に向けて携帯電話に匹敵するツールを提供することである。その具体的なものとして「iPhone」があると考えている。Google携帯でももちろん構わない。
しかし,iPhoneもまた携帯電話である。そして携帯電話を学校が提供することは難しい。そこには携帯電話回線の契約や料金が関係してくるためである。
そこでこの困難な部分を取り除いた「カメラ付きiPod touch」が重要な存在となってくるのである。
カメラ付きであることの利点は,初等中等教育の実態を理解している人々には釈迦に説法ではあるが,児童・生徒が自ら撮影した写真や動画を教材とすることに,大きな可能性があるからである。
カメラ付きiPod touchの有用性は,携帯電話の主要な機能を再現できることにある。
メールの送受信,Webへのアクセス,カメラ,録音,音楽プレイヤー,地図,その他アプリを導入することが出来る。こうした機能をもつ「ツールを触れる日常が学校にある」という事実を作り出すこと以外に,学校教育が情報教育をごく普通のこととして扱う日を迎えるのは難しいと考えている。
「ツールを扱う日常が学校にある」 このことが大事である。
iPod touchならば電話回線を使用しないため,通信は(近隣の家からの無線LANが及ばない限りで)学校のネットワークの範疇でコントロールできる。必要であればiPod touchにある「機能制限」設定を使用してもいい。
携帯電話とは違って電話回線料金の問題は発生しない。少なくとも学校のネットワーク整備は済んでいるのだから,通信料金の問題はクリアしているはずである。
利用形態は,学校ごとに異なっていてもよいと思う。学校の備品として,クラス単位,授業単位で使う形でもよいし,全校児童に一つずつ提供し,6年生が卒業したら新1年生がそのiPod touchを引き継ぐ形に設計してもいい。地方毎に事情が異なるのであるから,可能な形で入り込めばよい。
自分たちが使うものであることを意識できれば,物の大切さや丁寧に扱うことの大事さも,教育のメニューとして加えてしまうことが出来る。いつも端末ばかり気にしているような子ども達に,人が話しているときはちゃんと人の顔を見て話すことや,目の前で端末をいじられたらどんな気持ちになるのかを演じさせて考えさせるのもいい。
機器や情報との接し方を指導できる機会を学校の中に作り出すこと。情報教育だけを日常から遊離させないためには,そうした次元の取り組みも大事なのである。
私は,学校や教育がもっとリッチであっても良いと思っている。
新しい校舎になった学校も増えてきてはいるが,ほとんどの学校は大人たちが過ごしたあの当時の学校の様子をほとんどそのままに維持している。
どこか別の場所に出かけた際,その土地にある保育所や幼稚園を見かけることはあるだろうか。
少し薄暗く,かなり長い歴史がありそうで,園舎も教室のロッカーも壁も薄汚れている。そんな環境で,元気な園児が走り回っているという風景。
財源問題は確かに大きな問題である。それは別に論じていくべきだ。
しかし,そのことが教育をリッチにしないことの理由にはならない。
リッチにするための選択肢はたくさんある。
私はその一つとして「カメラ付きiPod touch」のようなツールを学校へ入れることを推したい。
あなたにとって教育をリッチにするためのオススメは何だろうか。
(追記:もちろん「リッチ」という言葉に物質的な意味だけを込めているわけではない。それによって学びの機会や深まりが豊か・リッチになるということをむしろ念頭に置いている。)