年が明けて,最初の仕事は研究会出席の東京出張。
フューチャースクール実証校めぐりを報告して,この分野の今後の方向性について諸先輩方の研究を学んだ。現状を把握することは歴史記録を残すためにも大事なことだと思う一方で,自分の動いている範囲がずれているのではないかという違和感も増していく。
ずれを抱え込むことは何事においても重要なことなのだが,ずれが全体への問いかけにならなければ意味がない。それがうまいことできていないのではないかと感じている。
太陽を見過ぎたのかも知れない。少しばかり遠ざけていたりする。
それというのも,日々の仕事の傍らでプログラミング作業を再開したから。
私がプログラミングに手をかけるというのは,何から遠ざかるためであることが多い。今回もきっとそういう気分になったのだろう。そうやって対象との距離を置いて,少し冷ましてから再度取り組むことがよい場合もある。
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以前,開発し公開していたiPhoneアプリをアップデートした。
ところで,プログラミング教育を推進する人たちの活動を見ていると,少し複雑な思いになる。アプリ開発の経験からプログラミングを教育することは必要にも思えるけれど,私にとってのプログラミングは「没入」の要素が強く,そういうものを学校教育に取り入れるとしたらどういうバランスがよいのか,冷静になって判断が難しいとも思うからである。
けれども,最近の補正予算で設けられた「理科教育設備整備費等補助」に見られる理科教育の推進の動きを見ると,いまは理科教育よりも情報科教育を推進する方が必要なのではないかとも思う。バランスを考えれば,圧倒的に情報科をプッシュして層を分厚くすべきである。
先日のセンター試験の数学には,BASICの問題が含まれていて,う〜んと悩んでしまった。依然としてBASIC言語は学習のための基本言語足り得るのか。いきなりC言語じゃ駄目なんだろうか。あるいは,RubyやPHP,JavaScriptの方がもう少し現代的で役立つのではなかろうか。なんか無難なところでBASIC言語に落ち着いているとしか思えないのは,私の偏った見方なのか。
道楽半分でObjective-Cを操りiPhoneアプリを作っている人間になってしまったので,その辺の議論を冷静にできなくなっていることが悔やまれる。
私にとって,アプリ開発は,道楽であり,自己満足であり,技術的冒険であり,収益源でもあり,没入行為である。もちろん,アプリユーザーとのソーシャルな繋がりを生むツールでもある。そうした多様な存在であるだけに,これをどのような意義で教育の中に取り込むべきか,そのことについて世間的なコンセンサスをどこに持って行くべきなのか,迷いも多い。
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プログラミングも一段落して,出前授業や定期試験やお客様対応や出張準備など,相変わらずバタバタな日々が続いている。
今年は情報発信を心掛ける一年にしたいと思っていたが,初っぱなから崩壊気味。最初に発信するのはアプリとなったが,あれやこれやまとめていかないとなぁと思う。