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G7教育相会合 倉敷宣言全文(2016年5月15日)

Kurashiki Declaration
倉敷宣言

はじめに

1. 我々、G7 各国の教育大臣は、G7 教育大臣会合のため、2016 年 5 月 14 日、15 日に岡山県倉敷市に集まった。歴史と伝統文化が息づく地域一体で教育を支える、この倉敷において、教育の課題について深く議論し、今後の教育の在り方の多くの側面について合意を得るに至ったことを感謝したい。

2. 今日の急速な社会・経済的な発展は、我々の社会に多大な変化をもたらしている。グローバル化や技術革新により、多様な社会、より広く情報にアクセスする新たな機会、人々の交流の活発化、生活の質の向上への扉が開かれた。AI(人工知能)やインターネット・オブ・エブリシング(IoE)を含む技術的進歩により、生産性が増し、一部の仕事が自動化され、新たな仕事が創出される可能性を指摘する研究もある。一方で、我々は、貧困、拡大する収入格差、紛争、テロ、難民・移民の大量流入、環境・気候変動問題などの地球規模課題に直面している。

3. このような(社会の)発展及び課題を踏まえ、グローバルな視点から教育政策の方向性を議論する重要性を認識する。私たちはこれ以上、収入格差や対立の根深さを放置することは許されない。国際社 会の平和を守り、持続可能な発展を促進するためにも、倫理を尊び、他者を理解し、(特に社会的少数者の)人権に配慮し、主体的に行動するには、ひとえに教育の力に拠らなければならないことは自明の理である。人々が自らの可能性や夢を実現し、社会を発展させる上で、教育は極めて重要な役割を果たす。

4. 特に、暴力的な過激化・急進化 、テロを阻止し、これらに対抗するため、我々が協調して取り組む中で、教育によって、基本的な価値観である生命の尊重、自由、民主主義、多元的共存、寛容、法の支配、人権の尊重、社会的包摂、無差別、ジェンダー間の平等を促進するとともにシティズンシップを育成することは、極めて重要である。

5. 教育の重要性に基づき、我々は、以下について宣言するとともに、それを世界的にどのように実行に移していくかを示す G7 教育大臣の行動指針を設定する。

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前略

 過日は,長らく連絡を差し上げない中で突然に面会をお願いして,お忙しいところをお邪魔いたしました。久し振りにお話が出来て,とても嬉しかったです。

 先生のもとで学んでから,早17年が経とうとしています。

 自分が不出来であることは繰り返すまでもありませんが,少しは賑わいになるからでしょうか,最近は文部科学省でアルバイトする機会をいただいています。

 在学当時,先生が文部省の審議会に出席されるお話しを聞くたび,そんな雲の上のような場所で仕事をするとは,どんな世界なのだろうかと思っていました。

 いまこうして文部科学省に出入りさせていただくようになって,そのときの想像との違いなど楽しみながら仕事をさせていただいています。もっとも,私自身はこの手の仕事の作法に慣れておらず,思いつくことを好き勝手に発言して周りを困らせている程度です。

 ほぼ同時期に,教育内容と指導方法が別々の会議で議論されているのは不思議なものです。しかも先生がいらっしゃる方は初等中等教育局,私がいるのは生涯学習政策局という別の部局。お互い遠巻きには情報が漏れ伝わっているのかも知れませんが,縦割り組織の難しさからか,連携しているとは言い難いのが現状です。

 そちら教育目標・内容・評価の議論で「求められる資質・能力の枠組み」が検討されているわけですが,こちらの指導方法の議論ではICTなどの道具も活用したイノベーティブな学びの姿とそのための指導方法のモデル化を検討しています。

 21世紀型のスキルや能力といったキーワードで緩やかに繋がっているようにも思いますが,それにしてもこの辺の大きな地図を誰かが把握して事態は進行しているのでしょうか。そういう意味で指導方法に関する先生のご意見も聞いてみたいと思ったりします。

 ただ,あと残り少しで私に何が出来るとも言えないので,大きな変化よりは小さな最善を盛り込むことに努力できたらなと思います。

 17年前は,インターネットも普及の手前だったこともあり,もう少しゆっくりと物事を考えたり,小難しい本を読む余裕があったように思います。

 それから環境も立場も変わってしまいましたし,歳もとったために,ただでさえ無かった能力が衰退していること否定できません。それでいて何かを諦め切れてない自分の浅はかさにいまだ悩まされています。

 とにかく,いまはいただいた仕事を自分なりに頑張りつつ,一段落したら落ち着いて研究作業に没頭したいと思う今日この頃です。

 

教育と情報の歴史探訪へ

 もう少しで小学校におけるフューチャースクールが終わりを迎える。

 何か教師支援に関することでコツコツ調査研究でも始めようかと思い,教員研修の関していくつかの教育センターに連絡を入れながら資料を集め始めた年の夏,とあるメールが届いたことから私の教育情報化めぐりがスタートした。

 それまでも教育の情報化は関心事ではあったけれども,外野に立っていたこともあって,直接的ではなく間接的に動向を把握していた程度だった。それは誰か偉い人が関与して取り組むもので,私のような外野は話題になることを眺めてやじを飛ばすのが関の山だった。

 ところが巡り合わせとは面白いもので,東京暮らしが終わって徳島に引っ込んだと思ったら,国の仕事に関わることになり,県外へとお出かけすることも多くなった。行政の仕組みを理解しなければならない場面も増え,そのための術を自分で探さなければならなかった。

 大きな事業の末端に関わり始めただけではあったが,教育の情報化に関する仕組みに直接関与する立場になって,あらためて過去の教育の情報化を振り返ろうとしたとき,その情報へのアクセスが極めて難しいことを思い知った。

 話題だけが先行し,その取組みが後に何を残して,どう積み上がっているのかを知るための資料は限られていた。この界隈は文部科学省だけが関わるわけではない,総務省はもちろん,かつては経産省も関わっていた(省庁再編前のことだ)。それらの取組みを加味して教育情報化を理解するためのまとまった手がかりは皆無と思われる。

 乗りかかった船というべきか,人一倍そういう事柄への関心が強いこともあり,教育情報化の歴史探訪を本格的に始めることにした。

 そんなわけで,流儀知らずをいいことに,あちこちに顔を出してはあれこれ質問などして勉強。まだ掘り起こしは足りないものの,少しずつ過去の流れのようなものが見えてきたりもした。

 ようやくフューチャースクール推進事業も区切りがつき,私自身の役目は解かれた。少しばかり文部科学省で始めたアルバイトの仕事が残っているが,そのことも含めていよいよ歴史探訪の本格作業を始めていきたいと考えている。まずは過去の文献を探しに行こう。

 そのまえに,一つ片付けておきたい仕事がある。デジタル教科書なるものに対する混乱状態をほぐすための情報整理作業である。これも資料をあれこれひっくり返して取り組みたいと思う。

多様と差異と格差

 以前からフィンランド教育への関心が高かったが、最近は尾木ママの紹介もあってオランダ教育にも関心が向きつつあるようだ。

 もともとオランダの教育は、リヒテルズ直子氏によって紹介されることが多く、amazonを検索するとあれこれ著作を見つけられる。オランダ自体を幸せな国と紹介する本もある。

 西欧諸国の教育は、断片ばかりが不連続に取り上げられて,なかなか全体像を描くことが難しい。どうやら多様な教育が許されているということは見えてくるのだが,それを担保しているものが何なのかを突き詰めると「そういうお国柄」という結論に行き着く繰り返しだろう。

 日本に住む私たちにとって、そうした西欧の教育がまぶしく見えるのは、私たちが「国家行為としての教育」から卒業する段階にあるのにそれが出来ていないこともあるのだろう。

 学習指導要領、教科書検定、教育費国庫負担…どれも国民が等しく教育を受けられるように設けられた制度や仕組みだが,それらの設計が想定した時代からは長い時間が経過しているであろうし,根本的な見直しに着手することもないまま、その都度の手直しで引き継いでいるのが実情である。

 その結果何が起こったのかというと,新しい試みに対して上記の制度や仕組みが足枷になってしまう場面が強くなっているということである。

 「国家行為としての教育」という言葉から連想されるような、国が何から何まで管理統制する教育はいまや幻想に過ぎない。けれども、そういう心性は一般の人々に根強く、教育システム改善の糸口が国レベルにあるとばかり考えやすい。

 けれども、実際には都道府県や市町村レベルにこそ問題の糸口がある。

 公立の学校教育に限っていえば,設置者管理主義と呼ばれる原則によって、地方自治体に教育をコントロールする権限と責任が付与されている。身近な学校に何か課題があるとすれば,それは地方自治体レベルで解決することが基本なのである。

 しかし、日本にある1800もの地方自治体の現実は様々であり,問題解決のためにもてる資源も異なっている。課題解決が出来るかどうかも異なれば,それ以前に、何を課題として捉えるか自体が異なっている。

 そのことを十分に踏まえないまま,国が号令をかければ地方は動くと考えることが無茶なことは、ここ数年、幾人かの地方自治体首長たちの動向を見ても明らかである。

 国内的な視野と国際的な視野との狭間で、私たちが目指すべき日本の教育の将来像がはっきりしない。

 多様であることを求められているが,多様であることは差異を受け入れるということでもある。日本国内には多様な現実がうごめいているものの、それはどちらかというと差異としてではなく格差として現われているのかも知れない。

 差異を認める制度で多様な在り方を保証するのではなく,型を決めてかかる制度はそのままに,格差が多様な現実を生んだだけというのが日本の現状なのだろう。

 意図せざる格差による差異は具現化しても,差異化を意図して教育に取り組もうとすると、型を重んじる制度に阻まれるという具合だ。

 それが単に国内の差に留まらず,国際の場で活躍するためのベースの差として問題が深刻化しつつあることに、危機感を抱かざるを得ない。

 個人的には、日本の教育の諸制度はもっと自由度を加えていくべきと思う。それは大幅な弾力的運用という形式をとることから始まるだろうし,それで済むこともたくさんあると思われるが、ゆくゆくは法制度自体が再構築されなければならないと思う。

 ただ、どのような手順でそれが進むとしても,教師の専門性を深めていく必要があることには変わりなく,そのための条件整備は何よりも優先されなければならないし、そのことに関する障壁を解決するために大きな決断が必要だ。

 もっとそのことに関心が向くように仕向けなければならない。

躊躇えばエンターテイメントにはならない

 新年度が始まり、NHKの教育番組にも新顔がお目見えした。その中に「歴史にドキリ」という番組があって、中村獅童氏が歴史上の人物に扮して歌って踊る歴史番組となっている。

 先日、第1回が放送され、番組Webサイトでも動画が見られる。しかし、どうもあまり評判が良くないらしい。

 実際、私も第1回分を見て、残念な気持ちになってしまった。毎回のテーマに誘う中村獅童氏の演技から番組は始まるのだが、歴史解説映像の間に挟まれている歌と踊り部分が浮いてしまって、存在意義が見いだせなかったからである。

 授業で見せることを目的とするならば、番外編にあるように歌と踊り部分は省いてもらって、もう少し落ち着いて解説して、中村獅童氏に語らせたほうがよっぽどマシだと思う。

 個人的にこの番組のスタートには期待していたし、応援していたのだが、この調子で続けて大丈夫なのか心配になってしまった。

 実は昨年度のうちに、この番組のパイロット版を見る機会を得ていた。

 それは徳川家康を扱った回として制作されたもので、現在放送開始されたものよりももっとポップな造りになっており、番組の構成は似ているが構造が全く違っていたのである。

 そして、私はそれが結構気に入っていた。

 正直なところ、そのパイロット版も授業で使えるという調子のものではなかった。むしろコンセプトからして、授業で使うということをあまり気にしてなかったといっていい。

 私は、パイロット版にそういう割り切りを感じて、そのチャレンジ精神を応援したかったし、放送版の最初に掲げられている「History is entertainment.」という言葉を徹底したほうが、むしろ印象深いものになるのではないかと思っていた。

 ところが、実際には製作者側も迷いを隠せなかったようだ。

 Webサイトに公開されている番外編は、先ほど指摘したように授業を意識して無難な造りへと変更してある。

 しかし、たぶん実際につくってみて、製作者としての面白みがなかったのだろう。申し訳程度に歌と踊りを復活させたのが第1回という感じなのかも知れない。だから中途半端さの残る番組となってしまった。

 歴史を題材にしたバラエティ番組は様々あれど、歌って踊るネタで最近人気を博しているのが「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」である。

 こちらはローカルテレビ局の番組ということもあって、番組作りも面白いコンセプトで攻めているのが興味深い。先に頑張っているだけに、いろんな試みをして人気を集めている。

 「歴史にドキリ」はこの種の番組の新しい仲間として、先輩の良い部分を吸収して、自分の味を徹底的に出していくべきなのだ。あちらはバラエティ番組、こちらは教育番組。おのずと独自色も出てくるはずなのだ。

 そのためには徹底したエンターテイメントを追求しなければならないと思う。楽曲はもっと時間をかけるべきだし、番組を映像クリップと歌と踊り部分をくっつけたような造りにするのではなく、一つの作品にしなければ意味がない。

 それは授業で使うとか使わないとかそういう話ではなくて、「History is entertainment.」というコンセプトに正直であるのかということである。そういう突き抜けをしない限り、授業どころか、極上のエンターテイメントを通して歴史を知り学ぶという活動にすら届かないものになってしまう。

 残念ながら、NHKの教育番組には法律的なルールがあり、学校教育に利活用される番組でなければならない。

 そのため「授業で使われることを気にするな」といった趣旨の上記のような応援は、ほとんど意味をなさないのが現実である。

 たとえば、かつて小林克也氏が進行役として登場した「おしゃべり人物伝」のようにNHK総合テレビの番組としてなら、そういったつくりもあって良いのだろうけれど、学校教育番組としてその路線を徹底することは難しいと思う。

 そんな制約の中にも関わらず、この番組を作ろうと考えた製作者の人たちの茶目っ気に私は好感を抱いたし、こういうコンセプトの番組が一つは(全部は困るけど)あっても良いのではないかと思ったのだった。

 まぁ、面白くなくなった現在のテレビ番組の中で、80年代の深夜実験番組的な匂いのする番組がたまに出てきたことに嬉しくなったというだけなのかも知れない。

 でも、製作者も楽しい、視聴者も楽しい、そんな番組こそ、長く私たちの記憶に留まるのではないだろうか。そう考えれば、パイロット版から見え隠れしていた「History is entertainment.」というコンセプトを徹底するところに、本当に私たちを教育してくれる番組が存在するように思う。
 

何のためのデジタル教科書

 「デジタル教科書」が話題に上ることがある。教育の情報化に関係するトピックスとしてはホットな話題だとも言える。電子書籍へ注目が集まったことも相乗効果となった。

 デジタル教科書とは何か。

 電子書籍のように、教科書や教材が電子化されたものと想像できる。電子化されると、それはデジタルデータだから、昨今のWebページと同様にマルチメディアで表現され、インタラクティブな構成も可能だ。ネット接続されていれば既存のWebサイトともリンクするからオープンだとも言える。

 要するに、電子書籍やらWebやら動画やらのデジタルな情報資源を、教科書的に利用すればそれはデジタル教科書になるし、教材として使えばデジタル教材とも呼べるだろう。もしもデジタルな情報を記録する側に回って、その時に使ったソフトウェアの道具(ツール)があるなら、それをデジタルノートとか呼ぶことになるかも知れない。

 デジタル教科書とは、その程度のものである。

 他の方々は同意しないかも知れないが、私の考えでは、使い方が呼び方を規定している関係にあるように思う。

 だから、デジタル教科書を解説するときに登場する「指導者用デジタル教科書」と「学習者用デジタル教科書」という分類は、使い方の異なる主体で区別した結果できあがったものである。

 このうち、指導者用デジタル教科書に関しては、指導者の使い方が想定しやすく、実際の商品がすでに存在していたこともあって、カテゴリとしての共通理解は形成されているといってよい。端的には電子黒板(IWB)に映すためのもの、それである。

 ところが、学習者用デジタル教科書に関しては、学習者が教科書をどのように利用するのかハッキリと共有されていたわけでもなく、それをデジタル化して何が起こるのかについても、ほとんど想定がなされていない中で、名前だけが先行して付けられてしまった。

 率直に書けば、学習者用デジタル教科書とは「指導者用デジタル教科書以外」を指し示すために存在するようなものである。

 ところで、学習者用デジタル教科書なるものが成立するためには、その手前に踏まなければならないステップがある。

 学習者用デジタル教科書を動作させる機器(デバイス)が準備されることである。

 もし、使い方が名前を規定している説が正しいのであれば、件のデジタル教科書が動作するデバイスは、学習者の手の届く範囲に存在しなければ学習者用デジタル教科書にはならない。

 現状、デバイスはどの程度学習者の手の届く範囲にあるだろう。

 千差万別といったところである。

 研究事業に関わる学校などには試行的に学習者一人一台のデバイスが用意されているところも出てきてはいるが、ほとんどの学校で学習者が自由に使える状況にないだろう。家庭でのデバイス所有程度も一様ではない。

 このことから現状では、学習者デジタル教科書なるものが全員にまんべんなく使われるのは難しいことがわかる。

 また、学習者用デジタル教科書は動作するデバイスの性能や機能に規定される性質を持つこともわかる。

 こうした様々な制約や要因に強く影響を受け、そのうえ学習者の使い方によって求められる形が異なるであろう学習者デジタル教科書とは、本当に一体何なのか。

 皆さんはすでに、学習者用デジタル教科書と言えそうなものの実例をいくつか目にしている。

 たとえば大学の授業テキスト(教科書)として、電子書籍を使う試みがある。大学生という学習者が講読するために使うのだから、一般的な電子書籍ではあるが学習者用デジタル教科書と呼んでも間違いではない。

 iPhoenやiPad用の学習・教育アプリなどがある。これも教科書かどうかの見解は分かれると思うが、読みもの、ドリルもの、動画観賞ものなど、学習者が使えるものが多数ある。

 一方、国の事業として、児童生徒一人一台のデバイス環境を前提とした学習者用デジタル教科書の開発もなされている。各人にデバイスが確保されていることを前提とできるので、授業における学習者デジタル教科書の活用に期待がかけられている。

 いまのところ、これは実証校の公開授業を参観しない限り、一般の目に触れる機会がほとんどないため、どのようなものであるのかはあまり知られていない。「教育の情報化ビジョン」という文書に学習者用デジタル教科書に関する解説があるが、それを参照しながら開発されているとイメージしてもらう他ない。

 いずれにしても開発中のため、模索は続いている。

 学習者用デジタル教科書は興味深いテーマではあるかも知れないが、個人的には、そこが本丸ではないように思っている。

 どちらかといえば情報活用ツールとしての学習者用デバイスをどうするのかが問題だと思っているのだが、それもどんな機種や機能・性能を持つのかということではなくて、学習に必要ならば(学習者用デバイスやデジタル教科書に限らず)どのようなツールであれ自在に取り入れられるような条件整備こそが大事だと思っている。

 しかし、そうなれば、必然的に「何のためのデジタル教科書か」という問いが浮上する。到達しようとする学習の目標次第では、デジタル教科書なるものである必然性をなんら説明できない場合もある。

 たぶん、21世紀型スキルとかDeSeCoなどの話題と無関係ではないのだろうが、残念ながら、そのような論点を踏まえたデジタル教科書の議論は十分なされていない。
 

シンキングツールとの再会

 2012年2月4日に行なわれた関西大学初等部の研究発表会に参加する機会を得た。前日の予定が出張の主目的であり、大阪入りして初めて発表会の開催を知ったので、参加することになったのは偶然だった。

 関西大学初等部は2010年に開校した新しい私立小学校である。この学校では、思考スキルの習得による思考力育成の取り組みを行なっており、そこにシンキングツールとルーブリックと呼ばれるものが導入されている。この実践が注目を集めている。

 この学校と私には直接の縁があるわけではないが、大変お世話になっている関西大学の黒上先生が立ち上げに尽力されていることから、興味を持っていたというわけである。


 
とはいえ、実のところ全く無縁というわけではない。

 米国のシンキングツール実践事例を視察するよう、黒上先生からお使いに出された経験があるからである。米国フロリダ州オーランドにあるShenandoah Elementary Schoolに訪問したのは2005年10月のことだった。

 ところが当時の私は、職場でくるくる空回り。その年のクリスマスイブに辞表を提出して、翌年には東京に引っ越すという人生の転換点を迎えていた。

 せっかくお使いに出かけてお役に立つべきときにお仕事を放棄すことになってしまったというわけである。そんなわけで、シンキングツールは私にとって始まったまま終われなかったテーマとして、なんとなく頭の片隅に残り続けてきた。

 関西大学初等部ができるというニュースとその実践の方向性を聞いて以来、いつかは初等部に訪れたいと思っていたのである。
 (それに東京時代に修士論文でお世話になった先生もその学校でご活躍だと聞いていたので、久し振りにお会いできればとも思っていた。)

 これが神様のいたずらか、ひょっこりそのチャンスが訪れた。

 予定外だったとはいえ、前日の用事が公開授業の参観であったから、そのための準備は万端である。JRで高槻駅へと向かい、とことこと関西大学・高槻ミューズキャンパスへ。

 いやはや、ため息出ちゃうほど立派な建物である。

 しかし、建物以上に先生方の意気込みと実践に目を見張った。まだ4年生までしかおらず、6年制の小学校としては未完成状態、その中で、一つの大きな場所を生み出そうとして必死に頑張られている先生方の姿は迫力があった。

 思考スキル習得と思考力の育成を担う「ミューズ学習」の授業も低学年中学年にも関わらず大変高度な展開を見せていることに素直に驚いた。最初からこうではなかったらしいが、2年程度でここまでくるとは、ミューズ学習の取り組みの可能性を感じた。

 シンキングツールも米国で視察したものを流用するわけではなく、むしろ様々な思考技法の知見を踏まえた上で小学生の学びにあうものを選択して独自に作り上げて活用していた。ポケモンのように、新しい技法を一個一個ゲットしていく形で習得させようというわけである。

 もちろん現在もこの取り組みは試行錯誤を重ねながら作り出している最中。

 だからこそ、今回の公開授業でも「事実」から「まとめ」を起こしたあと「主張」に結びつけていく場面が発生したときに、子ども達が「まとめ」と「主張」をうまく区別できないという問題に直面していた。

 その後、これを分科会の議論のテーマとして掲げ、いろいろな意見が飛び交うことになるのだが、どうも私にはピンと来ない意見も多かった。

 発言しようかどうしようか迷ったが、頭の片隅に残っていた「宿題感」が提出を促していたので、遠慮がちに「アメリカでは、シンキングツールをもっとあっさり使っていた。まとめと主張を迷ったところも、スパッとシンキングツールを使って解決してもいいのではないか」と発言をした。

 ところが、この発言内容が、どうも現場の先生には違和感があったらしい。

 記録をとっていないので正確な受け止めではないかも知れないが、とある女性の先生がこんな感じの発言をした。

 「どなたかアメリカではもっとあっさり…と言われましたが、子ども達が困難に直面して考えようとしている場面で先生が寄り添って一緒に考えてあげていたことがとても良かったと思います。あくまでも子どもが主体的に考えることを大切にしたい…云々」

 当日の発言となんかちょっと違う気もするが、とにかく「あっさり」に対して違和感を感じていたことは明確に表明していたように思う。

 その後も現場の先生方の感想や意見が続くのであるが、私の中ではむくむくと補足をしたい気持ちが大きくなっていた。もはや、いつもの暴走モードである。

 先ほどの先生の発言や思いを否定するつもりはなかった。

 だから、子どもが主体的に考える場面を一緒になって大事にする、それも重要であることを確認した上で、なぜシンキングツールをもっとあっさり使うべきかを、関西大学初等部の関係者でも何でもないのに、かつてのお使い経験だけでとうとうと語り始めた。

 何をしゃべったのか、正直なところあんまり覚えていないが、時間を浪費したために最後に講評をいただく来賓の先生方の発言時間がわずかしか無くなってしまったのは申し訳ないことをしてしまった。


 
 全体シンポジウムは、このミューズ学習を教科の学習へと応用することに関する様々な意見が出されていた。もちろん、思考スキルの習得にフォーカスするという方法自体も議論の対象となった。思考スキルを学んだ成果が教科の学習にも転移するのかどうか。

 たぶん、実践をもっと見たり体験してみないと、シンキングツールをゲットして思考スキルを習得していくことの意味や効果を理解しづらいのかも知れない。

 「あっさり使えば」という私の意見は、もちろん何も考えないで淡々とツールを使えばいいということを言いたかったわけではない。子ども達にだってツールを使うことが腑に落ちなければならないだろうし、それを成立させるためのプロセスは思いの外手間がかかるはずである。日本的な教育との融合にもかなり悩みが多いはずだ。

 だから、正直なところ「あっさり」という言葉に違和感を感じた先生の反応は正しいと思う。きっと、背後に隠れた様々な苦労を直感的に感じたからこそ、先生がもっと子ども達によりそう重要性を指摘したのだろう。そして実際、関大初等部の先生方はその苦労をされていると思う。

 だから、私はもう少ししっくりくる表現を見つけて発言すべきだったのだろう。

 なんとなく、頭の片隅の宿題が大きくなった、そんな関大初等部での参観だった。

あれから四半世紀

 私が学校という空間でパソコンに触れたのは,中学校のマイコンクラブだった。それは1984年頃のこと。そういえば日本教育工学会もそれくらいに設立である。

 能天気な中学生にとって,臨時教育審議会なるものが行なわれて「情報化への対応」なるものが答申されたことなど無関係な世界ではあったが,断片的に伝わってくる「コンピュータ教育萌芽」の息吹は,憧れとして心に焼き付くことになった。

 国が教育用コンピュータなどのハードウェア整備に予算を出し始めた頃は,ちょうど高校生から大学受験,浪人などして慌ただしく,その後,教育用ソフトウェアなどの予算が出されていた時には教育学部生としてのほほんと日常を過ごしていたので,国の動きなんてほとんど知らずに生きた。

 残念ながら私の被教育経験の中にパソコンが活用されたことはほとんどない。パソコン関連の知識はすべて自学であったし,難しいことは専門家が昔から考えてくれているだろうと信じていた。まして,昔で言うノンポリ大学生に国の仕組みや政治・行政が分かるわけなかった。

 てっきりコンピュータ教育も専門家が考えてくれていて,私は不幸にも触れられなかったけれど,すぐ後の後輩たちは恵まれたコンピュータ教育を受けられる世の中になるのだと素朴に思っていた。

 インテリジェントスクール,100校プロジェクト,こねっとプランだとかの名前が聞こえてくると,私のあずかり知らぬところで着実に物事は進展しているのだと信じないわけにはいかなかった。

 けれども,その後少しずつ分かってきたことは,私が見ている限りのこと以外には何も起こってはいなかったということであった。

 古い文献資料を掘り起こしていくと,たくさんの言説が豊かに広がっていて,まるで教育全体が情報化による豊かな学びの創造に賛同し,着実に変革が進もうとしているように思えるのであるが,残念ながら現実には少ないパソコン教室でたまに行う特別な授業といった状況は今も続いている。

 四半世紀が過ぎて,新しい道具を取り入れることにまだ四苦八苦している。

 何のご縁か,総務省と文部科学省の事業に関わる立場に立った。学校現場近くで見守るだけの仕事だ。願わくは自分が見てきた現実をもっと前進させることにお役に立ちたいと思うのだが,この立場に立ってみて初めて見えてくる難しい事情もある。

 とはいえ,私が関わる事業を今どこかで四半世紀前の私と同じまなざしで見ている後輩がいると思うと,もっと頑張らなければならないかなと思う。

 後輩が四半世紀後に「いまだ新しい道具を取り入れるのに四苦八苦している」と繰り返して書くことがないように物事がもっと進むよう発言していこうと思う。
 

CEC「教育の情報化」推進フォーラム2011

 教育現場にコンピュータを整備する歴史の中で,1986年に通産省(現在の経済産業省)と文部省(現在の文部科学省)が共に管轄する団体として設立したのがCEC(コンピュータ教育開発センター)である。

 このCECは「100校プロジェクト」であるとか「Eスクエア」という名称の事業を展開し,その成果を世に問うてきた。そうした成果報告会が継続されて,「教育の情報化」推進フォーラムとなっているわけである。

 今回,企画内容に「21世紀型コミュニケーション力」とか「一人一台の情報端末」とか「デジタル教科書」とかのキーワードが並んでいたので参加することにした。

 相変わらず,直前まで宿も確保せず,ふらっとお忍び感覚で出かける。

 もっともTwitterでは全開で中継をしていたので,私が東京のお台場に居ることは世界中が知るところになっているわけで,おかげでいろんな人から声も掛けていただけた。

 学校現場からの実践報告は,様々な取組みから勉強させてもらうことが出来た。教育の情報化推進のためには,こうした細かい事例の蓄積も大事である。個別の善し悪しも,時間が許す限りじっくり検討できればなおよいと思う。

 事業報告「21世紀型コミュニケーション力の育成」は,なかなか興味深い内容だった。

 昨今「コミュニケーション力が大事」と盛んに言われているが,具体的にどのような力をつけるのか,どのように指導するのか,といったことが整理されていたとはいえなかった。

 報告された事業は,学習指導要領にある言語活動の中に21世紀型コミュニケーション力が含まれるであろうという考えのもとで,小学校から中学校にかけてつけるべき能力を整理し,指導指針を示そうという試みである。

 21世紀型コミュニケーション力とはどのようなものか。

 今回の報告は「交流」「対話」「討論」「説得・納得」という段階に整理することで指導を組み立てようとしている。

 個人的には多少,段階のネーミングに落ち着かないが,,整理した内容自体は子どもたちの実態を踏まえたオーソドックスな内容であり,また義務教育段階が押さえるべきコミュニケーション力としても妥当なものと感じた。

 しかし,何が「21世紀型」なのかは,残念ながら明確ではない。

 たとえば,最後の段階である「説得・納得」には「相手を説き伏せる」という文言が含まれているが,これでは20世紀型と言われても違和感が無い。より妥当性の高い説明や理解を求めるという一種の正解主義的なアプローチと勘違いする危険も残る。

 発刊された報告書には,この点についての理論的な検討はほとんど記述されておらず,基本的には学習指導要領にもとづく理論構築に終始している。

 何が21世紀型なのかは様々な議論があるが,たとえば教育心理学の世界では「知識構築型アーギュメント」という用語が登場している。

 捉え方によっては,知識構築型アーギュメントもより妥当な提案を求めているだけとも見れなくはないが,「共同体にとって価値のあるアイデアを産出し,継続的に改善すること」という定義からすれば,協調的なレベルを最終段階で(再度)重視することだと考えられなくもない。

 ただ,義務教育段階を対象とする限り,21世紀型で特徴的なことを明確に言語活動の指導事項として起こすことは難しい。それは中等教育段階に期待されるところであろう。

 報告「児童生徒一人一台の情報端末による教育に向けて」は,東日本地域におけるフューチャースクール推進事業の成果にもとづいたものである。

 東日本地域の事業推進体制は,研究者チームによる全体会が事業と研究をしっかりと掌握しているため,早くから実践事例を集約し整理するなどの成果を発信している。

 この点について西日本地域は異なる体制のため,事業と研究を事業者(シンクタンク)が担っており,研究者は助言を伝える役割でしかない。それぞれの実証現場で得られた知見を十分発信することができない歯がゆさがある。
 (私がTwitterやブログでゲリラ的に情報発信しているのは,それではダメだという考えにもとづいている。)

 東日本地域の体制と情報発信は評価に値するし,敬意を表する。

 報告内容は,実践を「創造」「考えや意見の共有」「協同」「提示」「情報収集」「習熟」「コミュニケーション」の7種類の活用法に整理したり,一人一台環境の具体事例の紹介であった。

 一人一台環境で取り組みたいこと,つけたい学力とは何か。またこうした環境を導入する際には,劇的な変化を目指すのではなく,新しい取組みをそっと付け加えるのだということも重要であると指摘された。

 総括パネルディスカッション「デジタル教科書のゆくえ」は,話題になっているデジタル教科書に関する動向を扱ったもの。

 登壇者は,デジタル教科書に関する企業の協議会の発起人やiPadの教育利用に関する新書を書いた塾業界人,そしてデジタル教科書を開発している教科書会社の企業人の3人。

 協議会発起人は,このテーマでだいぶ有名になった人で,あちこちで講演している内容とか『教育と医学』誌に書かれていた原稿とほぼ同じ。

 塾業界人も,新書の内容と塾で取り組んだことの報告。iPadあるいはデジタル教科書はツールでしかないという主張は大いに賛同できるところである。

 教科書会社の人は,現在開発が進行しているデジタル教科書についてや,様々な調査などを踏まえて学習の在り方やカリキュラム開発の重要性を指摘。

 基本的に,三者三様の主張や報告は,それ自体異論もないし,デジタル教科書議論を追いかけてきた人間からすると新しくもない。

 その後,司会者の味のある進行でフロアからの意見もたっぷりと拾うことになった。

 さて,最初は大人しくして聴くことだけに専念しようかと考えていたのだが,やはり出てくる質問や質疑の拡散具合を聴いていて,どうしても我慢できずに発言することにしてしまった。

 このままだと「様々な議論がありますが…」的なまとめで終わりかねない。

 「デジタル教科書のゆくえ」と銘打ってはいるが,そのことの本当の意味を考えた上で全体の位置づけを把握してデジタル教科書を議論せず,デジタル教科書そのものだけに目を奪われては短絡的である。

 三人の登壇者の発言を拾い直して,この問題がある特定のデバイスを学校教育に導入することの問題ではなく,新しい教育に取り組むための仕組みが学校教育制度に欠けているということの問題として理解することを投げ掛けた(つもり)。

 これだけ社会や世界における学びが多様化しているというのに,そこから最も遠ざけられ学校教育に捕らわれた形になっているのは,他ならぬ教員である。

 デジタル教科書の導入は,確かに学校教育に大きなインパクトを与え,その波風の中で教員にも新しい物事との出会いをもたらす意味で重要だとは思う。しかし,それはデジタル教科書に限った特徴ではない。デジタル教科書よりも他のものを選択した方がよい場合だってある。

 どんなものだって教育的な可能性を感じたのならば,まず取り入れて試してみて知見を積み上げていくことの自由が,なぜ日本の学校現場は保証されないのであろうか。

 遠い将来に,新たなツールの教育の可能性が注目されたときに,私たちはそれについてもデジタル教科書と同じように議論を繰り返してばかりで,可能性に近づくことが難しくなるのだろうか。

 いまはたまたまデジタル教科書の議論になってはいるけれども,ここで私たちが考えなければならないのは,新しいツールを活用するような新しい教育に対応するための試行錯誤の自由を専門職としての教員が獲得できるように,教育の諸制度をデザインし直すことの必要性であり,そのためのコンセンサスを得ることである。

 いま現職の多くを占める比較的上の世代は,あと数十年のうちに現場からいなくなってしまう。そのとき,残された下の世代が新しい取組みにも柔軟に対応できるよう,いまから置き土産のように準備しておかなくてはならない。

 これは現職の教員の問題ではない。将来の教員の問題なのである。

 というようなことを話したのかどうなのか…。自分が発言したわりには忘れっぽいこともあって,だいぶ話が膨らんじゃったのかも知れないが,とにかく,こんな調子のことをしゃべったと思う。

 幸い,司会のAK先生の最後のまとめが素晴らしかったので,私の中途半端な演説の記憶は聴衆の心の中からキレイに洗い流されただろうからホッとしている。

 そのあとはマイタウンマップコンクールの授賞式を見学してから,一人で東京の街に繰り出し,唐揚げ食べたり,ジュンク堂に捕らわれたりしていた。

 なかなか楽しい東京滞在だった。

事業推進者の協働性

 これから書く駄文は,多少内省的であることと,結論は最初から決まっているということもあるので,こちらのブログに書くことにした。

 あらかじめ明確にしておきたいが,これから書くテーマに関して結論は決まっている。「他人に頼らず自分で物事を進めていく必要がある」ということ。その結論に私は納得して物事に取り組んでいくつもりである。

 しかしながら,この結論に至る手前に,いくつも「言いたいこと」が発生する余地がある。そのことに無頓着でいたいとは,これっぽっちも思わないのである。本来であれば,それら苦言をどこかに収めるための説明や納得解がなくてはならない。その説明がたとえ理屈に見合わないとしても,人心とは何かしらの言及を求めるものだから。

 そして,もう一つハッキリさせておきたいのは,この文章は,特定の人達を非難・批判するがために書こうとしているものではない。そう読み取ることの方が簡単なのかも知れないが,私が書こうとしているのは個々人の資質の問題ではなく,個人が置かれてしまっている状況や立ち位置のことであり,それが孕む問題性の方である。

 残念ながら,結論は決まっている。私はその上で,いずれ行動を起こすつもりではあるけれど,その前に事態が動くことも期待している。しかし,現時点においては,内部的というよりも,むしろ外部的な理由によって現状を納得して前進するしかない。

 「物事は理想通りに事を運ぶのが難しい」

 少なくとも状況は,言外にそうしたメッセージを強く発している。

 「フューチャースクール推進事業」に私自身が関わり始めていることは,りんラボブログにも書いている通りである。

 周りのお役に立てるならば,大小は関係ないと考えているが,それでも国の事業に関与できることを誇りに思うし,私に出来る範囲で尽力したいと思う。

 しかも今回の事業は「フューチャースクール」という名称にもあるように,将来に繋がる学校教育の在り方を模索していこうという創造的な取組みである。教育の情報化の歴史の積み重ねを踏まえて,全学校に展開する契機となるよう,関わる私たち自身の在り方も含めてモデルのデザインを描いていかなくてはならないと思う。

 全国に散らばる10校の小学校が実証校となり,モデルを作り出す役目を託されたわけで,この10校は重要な使命を負った,いわば運命共同体。それは単に学校関係者だけではなく,教育委員会,事業者,行政,そして研究者も含めて,事業に関わる者全員が使命を共有・理解していなければならない。

 そのために何が必要だろうか。

 私は「声掛け」だと思っている。

 これから一緒にやっていこう,という声掛けが必要なのだと思う。私たちはそこから,人の想いや本気を読み取ろうとする。そして,同じくそこから,私たちの対話が始まるのではないか。

 誰がどんな風にどういうタイミングでどれだけの声掛けをするのか。

 そうした文脈から私たちは大いに相手の心理を読み取ろうとする。

 「あ〜,この人は,私たちのこと気にしてくれてるんだ」
 「おっ,結構気合い入って,意志が固そうだ」
 「この人の描く夢に,自分の運命を託してもいいかも」

 言葉がもっともでも,タイミングを逃せば,説教を聞かされているのと同じになってしまう。気持ちが伝わらなければ,声にはならず,単なる空しい言葉になる。

 フューチャースクール推進事業は,総務省(国)と,そこで行なわれる研究会があって,中間に請負事業者があって,選定された都道府県の地方公共団体・教育委員会,学校・家庭(地域),そして研究者がある。

 つまり,実証現場を直接統括するのは請け負った事業者であり,総務省や研究会は事業者を介して間接的に動向を確認するという形になっている。

 私の場合,実証校となった学校の先生との繋がりがきっかけで,事業者からの依頼を受け,この事業に関わることになった。総務省や研究会とは直接接触はない。必要な情報は総務省Webサイトで確認するか,事業者から説明を得ることになる。

 当然といえば当然であり,制度的に考えて理不尽な点は何もない。

 総務省や研究会が考えていることは,事業者がメッセンジャーとなって,学校の先生や研究者に伝えてくれるのだろう。だから,現場の私たちは,事業者としっかり打ち合わせながら事業を進めていけばいい。そう納得していた。

 ところが,私は地区の最初の協議会で行なわれた総務省の研究会報告を聞いて驚いた。研究会から学校や研究者へのメッセージが何もなかったからである。

 事業者は,資料を作成してくれた上で,研究会を傍聴した内容を3点にまとめて報告してくれた。報告内容としては十分なものだった。

 「それだけですか?」と私が聞くと,さらに西日本地域の実証計画に対して研究会メンバーが指摘した事柄を紹介してくれた。

 少し間が空く。

 「あの,関わる研究者に対して,何か伝達事項とか,議論とかありませんでしたか?」と聞いてみた。

 「それはありませんでした」

 「…」

 そんなものかなと思った。各校の独自性を発揮した実証事業の展開を尊重しているのかなとも思えた。任されたのだと思えば,それはそれで嬉しい。けれども,一緒にやっていこうという最初のタイミングで「声掛け」がないのは寂しくもあった。

 後日,驚いたのはこの記事だった。

 「ICT活用の成果をすべての学校に」(教育とICT Online)

 総務省の研究会の座長がインタビューに応えていた。しかも私たちがかかわる事業に関して,いろいろ語っている。

 広く国民に理解を得る機会としては,良い記事だ。この世界の第一人者である先生が語っている内容も,私は共鳴できるし,そのために尽力したいと思わせるものだった。

 けれども,何か欠けてやしないだろうか。

 我々は運命共同体として,協働してこの事業にあたる関係ではないのだろうか。どうしてこのタイミングで,この方法で,事業の目指すビジョンを知ることになるのか。

 情報を共有し,お互いの存在を認め合い,共に学んでいこうという協働教育の理念実現のために力を合わせる者同士だというのに…。私たち自身の情報共有が乏しく,お互いの存在が見えなくて,どうして共に事業推進していこうとできるのだろう。

 こうした状況は,回避できるはずのものだと思う。

 繰り返すが,結論は決まっている。

 「物事は理想通りに事を運ぶのが難しい」
 「他人に頼らず自分で物事を進めていく必要がある」

 そんな屁理屈みたいな非難・批判をするなら,改善する策を自ら提案して解決していくのが筋だ,というのはよく分かっている。そのための行動を起こすつもりではあるけれど,それもモデルづくりに役立つ形で行なえるようにアレンジが必要だと考えている。その上で,動くつもりだ。

 そもそも,こういう不必要な感情的もつれ合いの要素は,各人が配慮の念を持って仕事に取り組めば回避可能なことであった。

 私も事業者に対して,研究会の場でメッセージをもらえるように予めお願いをしなかったことは責められるべきだし,事業者も総務省・研究会と各都道府県の現場を繋ぐパイプ役として深い部分での情報の取得と提供を試みるべきだった,総務省やその研究会にしても,全国10校の実証校関係者に対して,まずは協力してくれたことを深く感謝し,どういう理念のもとで一緒に取り組んでいくのかを声掛けすべきだった。

 
 もちろん,その必要を感じない人達もいるかも知れない。

 そんな些細なことをことさら問題にする神経がどうかしているのかもしれない。

 けれどもフューチャースクールは,いろんな人々が関わり,将来的には全国展開する目標のもと動いているのであるから,幾重もの配慮が必要なのだと思う。

 仮に政治情勢的な理由で頓挫することが危ぶまれようとも,細かい配慮を諦める理由にはならないと思う。

 教育は人なり

 もしこの言葉を本当に踏まえるつもりがあるなら,私たちはもう少し謙虚に丁寧に深い配慮を持ってことに当たるべきである。