新年度が始まり、新しい出来事も増えて、いろいろ慌ただしくなってくる。
一方で、震災被害の大きさや、後手に回る対応など、やるせなさを感じる出来事も多く、日本の行く末に絶望感さえ抱く。
被災地支援に貢献したい気持ちもあるが、自分に出来ることは従来からやっていることしかないので、淡々と日々を過ごすしかないかなと考えている。
けれど、原発事故と放射性物質の流出などの問題は、地球規模の問題として考えれば考えるほど、うまく対応できていない現状に苛立ちと哀しみを感じる。
日本経済が低迷したり、失墜しても、貧乏暮らしをすればいい。けれど、健康に害を及ぼす危機がこの世に住まうことを難しくするような問題は、全く次元の異なる深刻さである。
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学校教育は、この現実をどのように踏まえていくべきだろうか。
学習がどうあるべきかという方法の問題は依然重要としても、私たちは何を伝えるべきなのかという内容の問題は根本的な問い直しを迫られる。
情報は、真実を語られるべきなのか、脚色されるべきものであるのか。そのこと一つも十分な議論が積み重ねられているわけではない。
世の中の見本が千差万別で、大本営発表だの、隠ぺいだの、記者クラブだのの問題があからさまに発せられる今日、子ども達は何を感じ、今後何を考えるのか。
私は自分たちの世代も非難され、恨まれて、将来的に排斥されることさえ覚悟しなければならないと感じている。そのこともさらに上の世代への苛立ちに繋がっているのかも知れない。
どちらにしても、私に出来ることは限られている。その力不足に対する批判は甘んじて受けるとして、将来的にどうやって退場するのかを真剣に考えなければならないと思う。