月別アーカイブ: 2007年10月

物事の終わり-03

 「教育らくがき」の最後をどんな駄文で締めようか。この間,ずっと頭の隅で考えていた。この数日だけでも,取り上げたい話題はたくさん出てきており,いつもの調子で書き綴りたかった。
 皆さんはアホかと思われるかも知れないが,一つの駄文を書き上げるのにだいたい2,3時間以上をかけていた。「それだけ時間をかけて,そのレベルか」と思われるだろうが,あれこれ素材を集めて,ウラ取ったりして,それから使う部分を選んだり,必要ないもの捨てたり,言葉を選びながら書いて,読んだときの心的な影響を想像して,推敲し直したり。結構手間をかけながら駄文の落とし所を決めた産物だったりする。
 駄文と称することに,ある種の意味を持たせていたのは,同じ捨て去る文章にしても,単なる走り書きではなくて,捨てられることを狙って練りながら書いていたからである。それが他の教育関連ブログとは根本的に異なるスタンスだった。
 そのことを理解した上で,駄文を楽しみ,思考を巡らすきっかけに使っていただけた皆さんには,敬意を表すとともに,深く感謝する次第である。

 私は「教育らくがき」で,そういう贅沢をしたかったのである。教育について,ずらしたところで考えを巡らしてみること。学術的な正確さや勉強不足なんてことを気にせずに,物事の本質って何だろうということを,いろんな知見を肴に考え,駄文を通して共有すること。そういう余裕を持ち続けたいという願いのもとで続いていたのだと思う。
 ただ,駄文への誤解や偏見が多くなってきたことも事実。どうやら一部の人々には,そんな余裕もなくなってきているらしい。そして誰より,私自身に余裕がなくなってきたことが判明。このまま「教育らくがき」を続けるのは野暮というものだ。

 私はあなたではないし,あなたは私ではあり得ない。だからこそ,世界は面白いのだし,コミュニケートする価値があるのだ。道筋は違っても,かかる時間が違っても,諦めないことが大事である。そのためには,逆説的だけれども,いつでもスタート地点に戻る覚悟も重要だ。
 物事の終わり,それはまた,別の物事の始まりでもある。本当に感謝。

物事の終わり-02

 有終の美。「有終」とは「終りを全うすること」であると広辞苑にある。最後までやり通して立派な成果をあげること。そうやって終りを迎えられれば,満足感が得られ,次に繋がるということだろう。ゆく道が階段だろうと登山だろうと,そこには最上階や頂上といったゴールがあって,ひとつひとつを制覇し有終の美を飾ることこそ,人々に求められていることなのかもしれない。
 悠久の時。「悠久」とは「果てしなく長く続くこと」であると広辞苑にある。終りがないとは言わないが,私たちが生きるこの世は,私たちが去った後も後世の人々によって生きられるとすれば,果てしなく続く世界なのだろう。そこには無数のひとつひとつの出来事があるとはいえ,そうした物事の総体として悠久の時が織り込まれていくのだと考えても間違いではないと思われる。
 本当に力のある人は,悠久の時に思いを馳せながら,ひとつひとつの有終の美を飾れる人なのだと思う。

 個人的な思い出話を掘り返しても仕方ないし,ご興味ないかも知れないので,私なりになるべく手短に書く。「教育らくがき」という駄文Webページを始めることになった経緯は,開始当時のインターネット上における教育関連コンテンツの少なさにあった。その不満が次第に解消され,もはや過剰な事態である。
 よって本ページの当初の役目「枯れ木も山の賑わい」は終わり,教育周辺をフラフラ漂う人間の駄文記として惰性のまま続けようかというものになっていた。しかし,いよいよそのようなWebページの存続さえ「?」となった次第である。
 長らく読者の皆さんはすでにおわかりと思うが,この駄文たちは,幾重もの予防線と意味付けとメタメッセージといった添加物が,たっぷりと塗りたくられながら披露されていた。ブログメディアでありながら,その特性を無視して長文を書き続けたのも,結果的には「安易なコメントお断り」を言外にまとうためであったといえる。
 インターネットの歴史とほぼ重なる10余年の間,2ちゃんねるの登場やGoogleやブログの登場などによって個人発信の利便と危険が爆発的に増した。そんな時代を乗り切るために,変な知恵のようなものをつけてしまったのかもしれない。そもそも私自身はパソコン通信(アスキーネット)時代からの「ネットワーカー」である。20余年も通信生活と隣り合わせたのだから,皆さんがお読みの文章が何故こうも芝居がかった胡散臭いものであるのかは,そこから推して量っていただきたいと思うが,そんなことする必要はこれっぽっちもないことは,皆さんならもうよくおわかりのことと思う。
 つまりこういうことなのだ。私が駄文上で私自身を卑下すれば,そう受け取らない人もいるだろうし,場合によっては真正直にそう信じ込む人もいるということである。こうした多少の混乱を駄文にまぶしておくことで,何か書いてあるようでいて,結局は何も書いていないという風に読ませることもできる。まじめに取り合うに値しない文章が一丁出来上がりというわけである。
 そのような駄文スタイルを確立するに至る経過は,残してある過去駄文をご覧いただければ結構だが,いよいよその過去駄文を私自身のサイトから抹消し,駄文書きを「終演」しようと決意した,というのが今回のテーマである。

 継続こそ力なり。「継続」とは「受け継いでつづけること」であると広辞苑にある。大学受験ラジオ講座(ラ講)で印象深く聞いた言葉だ。しかし,どうも私は継続派というよりは,飛躍派のようであった。「飛躍」とは「正しい順序・段階をふまず先に進むこと」であると広辞苑にある。何をどう間違ってか,先にだけは進んでしまったので,いまさらながら巻き戻し中である。
 巻き戻しに半年以上の時間がかかるというのも,まあ,それはそれで恥ずかしい話だ。とにかく巻き戻ったところで,いざ再びレコーディングするにあたって,今までと同じように駄文を公開し続け,駄文を書き続けるべきか,大きな問題になったわけである。ポッドキャストで能天気にしゃべっている裏側では,いろいろ考え続けていた,と書いたら少しは格好がいいものだろうか。
 そして一本の電話を機に,(別にその電話がすべてではなくきっかけとして)腹が決まった。
 継続こそ力なりとも考えた「教育らくがき」という駄文書きを,次回で終わらせることにしよう。
 物事の終わりは,突然やって来るものだ。
 

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物事の終わり-01

 先日,国立公文書館に出かけた。大学院における授業課題として訪れたのであるが,特別展だけでなく施設全体を大変興味深く見学することができた。
 文書館という施設は,国立のものだけでなく地方にも設置されているし,また大なり小なりの組織にはそれぞれ文書にまつわる業務を負った文書室といった部署が存在する。いずれも,何かしらの利用価値のもとで永続的に保管が必要な文書を管理することが役目であり,その保管対象も単なる紙だけでなく,音声テープという場合もあれば,昨今ではデジタルデータという場合も多い。
 そもそも文書館という施設ができたのは,公文書の散逸を防ぐということが大きな理由である。過去に記録された文書は,その時代の証言をする歴史資料になりうる。特に公文書は国の歴史の記録であり,私たちが未来に向かって正しく歩むための貴重な記憶でもある。その記憶が,文書の処分や紛失によって消えてしまわないために,文書館という組織と関連の法律が整備され,しっかりと保管されなければならない。私たちが死んだ後にも,文書館は私たちの生きた時代を後世に伝えるために生き続けなければならない組織なのである。
 それほどの重要性を担う施設であり,国のレベルで記憶を司る位置にあるのが「国立公文書館」という施設である。この施設には,国家にかかわる公文書,並びに歴史資料が厳重に保管されていると同時に,国民がその権利に基づいて閲覧することができるようなサービス機能がある。
 驚くべきは,国立公文書館が設置されたのが,1971(昭和46)年だということ。国立公文書館は私と同い年であるということだ。こんな重要な施設は,私が生まれるずっと前から設置されて運営されているのだとばかり思っていたのに,そうでもなかった。しかも国立公文書館法という法律の成立は,1999(平成11)年と,ついこの間みたいな時である。そして,2001年には独立行政法人となり,御取り潰しの対象になっているというわけである。

 物事の核心が,どこかずっとずっと遠くの向こうにあって,畏れ多いものだとばかり思っていたら,実はそうでもなくて無駄に遠回りしていたみたいな気持ちになることがある。
 その遠回りは,徒労なのだろうし,端から見れば滑稽で,こいつ大丈夫なのかと懐疑さえ抱かせる。そしてたぶん,単純素朴に,その通りなのだ。
 それでもその遠回りに意味があるとすれば,「その遠回りには実りがないことがわかった」という点で意味があるのではないか。いや,それはあまり本当のことではないのだが,多くの誰かにとってはそのような結論の方が都合よいのだと思う。
 他の誰かにとってのことよりも,私にとっての遠回りは,実に様々な出会いと経験をもたらしてくれたという点で,とても大事なものである。褒められた道筋ではなかったとしても,私は私の遠回りに関わったすべての人物事に対して感謝するほかない。他の誰に何を言われようが,自分自身の人生として誇りに思っている。
 そして,その道すがら書き綴っていた駄文が,遠回りの記憶として残っていたりする。この駄文たちも,それぞれの時期における私自身の実像や虚像などを織り交ぜ,時代に振り回されながら書き綴ったものとして,それ自体は生成され存在している。その点で,駄文自体の存在は事実である。
 けれども,その存在はどこまで行くのだろう。私はその存在を維持していく事ができるだろうか。そもそも,今後も駄文を生成し続けるべきなのか。10余年の月日が流れてもなお,同じ調子で駄文を書き続ける事に,自分自身が縛られてしまっているのではないか。そのことは常に悩ましい問題だった。

 アーカイブズの世界は紙文書だけでなく電子文書をも射程に入れ,より一層活発化している。そうした世界に触れることを通して,私自身が書き散らした駄文も(その価値があろうとなかろうと)可能な限り保管し続けることが,勝手気ままな発言をしたある種の責任として必要だと考えてきた。
 しかし,そうした記録を自ら公開しておく事が,記録保管に関わるこちらの思弁も駄文執筆時の背景も推し量られる事なく,私の公式な態度表明となってしまう場合がある。それは一つ一つの駄文の内容というよりも,そうした駄文自体の公開を許容している意識態度が問題と成り得るということである。
 仮に自ら公開を止めても,インターネット上にはいくらかのコピーが残存して流布し続ける。そうした残存データの存在を考えれば考えるほど,むしろオリジナルの存在意義は強まることも分かっている。だからこそ,普通の人々は余程のことがない限り,個人的感想などを含むものは匿名で書き捨て,記録データに対する責任から降りることでバランスを保っている。あるいはもっと賢い人々は,インターネット上で駄文を書き散らさない。

 物事の終わり。それは永続的な価値を考えれば考えるほど,逆照射されて強く前面に出てくる。

昔の名前で出てません

 世界の教育について大ざっぱに眺めていると,それはまるで椅子取りゲームか,ババ抜きでもしているように見えてくる。歴史は繰り返すというけれど,ここでは互いに他国のやり方なぞっているという風である。
 特に日本は,世界の国々をキャッチアップするため,様々な形で海の向こうの先進事例を意欲的に吸収してきた歴史がある。それはある意味,見事だったし,おかげで経済大国の地位に至った。その後の迷走は悩ましいけれども。
 東アジアの国々は,日本の成果を評価し,日本型教育モデルを取り込むところもあった。また,1980年代終わり頃のイギリスが行なった教育改革は,日本の教育システムを参考にしたようなものだった。自由がウリだったイギリスの教育が,ナショナルカリキュラムの導入によって画一化へと動き始めたときのことである。
 一方の日本は,学習指導要領による画一的な教育内容から,より「選択」を取り入れた柔軟なものへと比重をシフトさせた。基準性を緩める動きや,受験科目選択の多様化なども起こり,自由化へと走り始める。
 イギリスと日本で,隣りの芝生や花が蒼く見えたり赤く見えたりしたのか,それは互いの教育モデルを交換するような状況にも見えたものだった。
 福田誠治『競争しても学力行き止まり』(朝日選書2007.10)は,今のところ最も新しいイギリス教育に関する著作であるが,福田氏が書くところによれば,かつてのイギリスの教育は今のフィンランドの教育とそっくりなのだという。(なお,福田氏は著書『競争やめたら学力世界一』でフィンランドの教育について詳しくまとめている。)
 そして同書では,かつてのアメリカがモデルにしたのは日本の教育だったというような指摘をする箇所もあったりする。結局,そのような欧米諸国を,今度は社会が成熟してキャッチアップ型では立ち行かなくなってきた日本がマネ始めているという始末である。
 だから,かつて日本が自分たちで実践した来た様々な教育ノウハウが,横文字の名前とともに帰ってきていることが多くなったのである。実に滑稽な状況だ。

 なぜ私たち(特に教育研究の世界の人間)は,自分たち日本こそが源流であるはずの様々な教育的取り組みや教育的思潮について,横文字を付され逆輸入された形で論じたりするのだろうか。
 それは悲しいかな,学問的な蓄積の手順が日本国内で踏まれなかったせいである。つまり,私たちにとって,かつてのそれは当たり前すぎたため,学問的な研究対象として言語化されたり,蓄積されてこなかったのである。なるほど実践記録や事例紹介はたくさん残っている。けれども,共有され再利用できる形では言語化されなかったということである。
 だから,それが完全な第三者たる諸外国の研究者達によってしがらみなく理解され,欧米語による明確な言語化を経ることは,ある意味必要な過程だったといえなくもない。
 こうして,日本の私たちは,海外の研究者達の整理によって,自分たちの教育実践を理解する術を得たのである。けれども,年月の流れと世代の交代もあって,それは残念ながら「再会」というより「初対面」に近い状態で受容されているというわけである。
 だから,研究者コミュニティの中にも,世代間の意識格差はかなり大きくあるといっていい。そこでは,日本に源流のある様々な物事が,なぜ「昔の名前」で出てこないのかについての理解も十分共有されているとは言い難い。

 教育や教育関連研究に対する理不尽な扱いは,そのコミュニティの一員として遺憾に思うし,憤慨もする。けれども,やはり私たちは研究世界における物事やその道理を十分伝えきれていないと思う。教育議論が生産的に展開しないのも,国のかたちとの関係で教育を考えられていないのも,その不十分さに問題の一端はある。
 サイエンス・コミュニケーターといった役割の議論と同様に,学問一般についてしっかりと理解を促すコミュニケーターの役目を負う研究者人材が必要だ。
 昔の名前と今の名前を結びつけて,その流れを踏まえることをしなければ,また誰かがババを引くことになり兼ねない。そういう過ちは繰り返すべきではない。

教育らくがきPodcast No.008

第8回はオープンエデュケーション関連のお話。
 オープンエデュケーションという波が大きくなろうとしています。いろんな意味でオープンなものが出てきていますが,それを活かすために,こちらもいろいろ準備しなくてはならないようです。
 いやはや,本当ならばストリーミングからMP3,そしてFlashへの流れについて概観して,それぞれがどんな風に対応しているかを語りたかったんだけど,時間足りないなぁ〜。次回は意外と近いかも…?!
← krp008_20071008.m4a (3.2MB)
 
← krp008_20071008.m4v (3.2MB) iPhone&iPod Touch向け試験用

新iPodたちを触ってきた

 今週末と来週末は近くで祭りがあるので,今日は本屋に行くついでにあちこちウインドウショッピングして回った。そしてようやく新しいiPodシリーズを店頭で触ることができた。
 熱烈なAppleファンを自称する私も,年季が入ると慣れたもので,すぐにお店に行って実物を買いに行くということもない。基本的に初期ロットは避けるというのが普通だし,実物展示を見るのも出かけた先でたまたま遭遇したというタイミングでチェックするぐらいである。大好きなものには,それくらいの距離感で触れたほうが,いつまでも大好きでいられるというものである。その分,心は熱いです。^_^;
 先日出荷開始したiPod Touchも在庫はなかったが,展示はあったので,実機に触ってみた。すでにiPhoneをじっくり触られていただいた経験があるので,今回のチェックはWebアクセスだけ。
 軽くYahoo!やGoogleを利用したり,日本語入力(やその隠し機能とやら)を試してみたり,もちろん教育フォルダも表示させてみた。ありゃりゃ,iPod Touchで見ると教育フォルダのリンク集って文字が枠からオーバーフローしちゃっている。これはレイアウトか何かを見直さないといけないなぁ。
 自分のサイトの表示に問題があった以外は,基本的にWeb表示はパソコンを縮小したイメージで使える。2度タップして拡大する操作や画面をスクロールする操作も慣れてしまえばスムーズにこなせる。あとはWebページによって複雑なら表示に少し時間がかかるとか,無線LANの電波の強さも反応速度に関係したりするが,それは理由が理解でき納得できる現象である。
 新しいiPod nanoの小ささにビックリした。そしてビデオ再生のデモが行なわれていることに改めてビックリした。いやはやこれは実際に見ると衝撃的だ。すでにビデオ対応のプレーヤーを利用している方々には「何を今さら」な感じなのだろうが,あらためて,笑ってしまうような驚きである。ははは,ビデオ再生してるよ,このおチビちゃんは…。
 ひょいっと一つ買って帰りたくなってしまう衝動がピークに達するが,いやいやいやいやいやいや…,ここは我慢である。もちろんiPodに関しては今すぐ買っても良い判定が出てはいるのだけれど,こちらとしては今月下旬に発売の新しいMac OS Xの準備をしたいし,そこで新しいハードウェアの登場も期待されるから,その辺が出そろって落ち着いてからの方がよい。長らくAppleファンを続けていると,そういう経験的な勘が働くのである。とにかくAppleにとってはOSXが生命線。もはやMacだけでなく,iPodやIPhoneのOSにもなった今,OSX 10.5が無事市場に出て一山越えた辺りが,いろんな意味でApple製品の買い時である。といっても資金あるわけじゃないから手出せないけどね。

 わお,ポッドキャストリスナーが1200人台へ。わかりました,わかりました。

デジタル教材コンテスト

 アップルが,「第1回デジタル教材コンテスト」開催し,作品募集をしている。QuickTimeを使ったムービー教材か,Podcastingを利用した授業企画を考えるという2つの部がある。小中高校の教職員の方を対象としているので,普段の経験を活かした作品や企画を応募してみてはいかがだろうか。グランプリ賞品はMacBook Proである。
 それにしても,審査員の顔ぶれを見たら,知っている人ばかり…。皆さん,ちゃんとマックユーザーである。

大学院再開とポッドキャスト

 秋がやってきて,大学院も後期(ここは冬学期と呼んでいる)が始まった。何かと慌ただしかった夏季休業が終わって,ある意味では平穏な日常が帰ってくるともいえるし,それなりに賑やかな日々が始まろうともしている。
 とあるバイトで過去の教育番組ビデオを通して視聴する作業を続けており,他の事柄に時間を振り向けることが難しかったりした(とはいえ現実逃避はいっぱいした)が,それも一段落したので,ようやく文献読みとか思索とかに時間を使えそうである。なんだかんだと前期以上に落ち着かないかも知れないなぁ〜。ははは。

 ポッドキャストのリスナー数が増えているが,新しい録音をしていない。先日,渋谷方面の放送局の人とご一緒したら,「2人以上でやったほうがいい」とアドバイスされた。そろそろ出演者を本格的に募集したほうがよろしいかもしれない。
 そもそも「教育らくがきPodcast」は,ボッドキャスティングなるものが登場するよりも,はるか以前から企画され,実際に制作されていた。新し物好きだから,そういう実験的試みは結構早かったのである。前身の「教育フォルダラジオ」はいろんなコーナーが数回録音され,パロディやコントみたいなものもあったが,いまやファイルを見つけ出せない。ひとりしゃべりはこのときからスタイルが固まっていたようである。(いきなり佐伯ゆたか先生の話題に触れているあたり,まあ…,縁というものは変な風に絡むものだなぁ。)

 まあ,結局挫折企画として葬られたあと,再度ポッドキャストとして蘇ったりしているのは,質は低くとも「俺にだってオープンエデュケーションできるんだ!」という高らかな志があるから…,と書ければいいんだけど,実は,ちょっと面白い事してみたいという安易な発想なのである。

 というわけで,リスナー数の増加は,新しいのが聞きたいという要望の一つの表れとは思うので,ぼちぼちポッドキャストも新展開を考えよう。