ニッポン放送株をめぐるライブドアとフジテレビの攻防戦は,株式市場の様々なルールを駆使したパズル解きのような手段を次から次へと繰り出して,そのからくりに感心する一方で,あまり生産的でない様相も呈している。日頃,マスコミのパターナリズムがもたらす弊害を嘆いている立場からすると,ライブドアがちらっと見せてくれた「あぐらをかいていたマスコミへの一撃」劇は,「この日本でも何かを変えられる余地がある!」と希望を抱かせる痛快な出来事だった。
報道機関は,社会の公器であるという認識から,一企業がマネーゲームによって経営支配することはそぐわないとか,外資が一定割合以上の株を持ってはいけないとか,そういう理屈がある。しかし,はっきり言えば,そんな建前で守られるほどの器が今日のマスコミにあるとは思えない。所詮,利益追求体であり,広告代理店と共謀して日本人の脳みそを馬鹿にしてきた前歴がある。しかも,8チャンネルは見るだけで馬鹿になると揶揄されたテレビ局だ。インターネット企業と協業して,羽目を外すことくらい,お家芸で軽くやってくれればいいだろうに,結局,その裏で自分の取り分をしっかり確保している人間がわんさといることを再確認できたまでか。
ライブドアにしても,インターネットの可能性を熱心に信じて取り組んでいることには共感するが,若い企業ゆえだろうか,一つひとつ表出してくるものに成熟さや思慮深さが足りない。だから,パターンの蓄積を持つ先輩達に軽んじられるのであろうし,熱意がいまいち伝わらない。とにかく,この騒動からは世代の違う集団が関係を取り結ぶに伴う諸々の問題や課題を見出せるし,だからこそ個別具体的な衝突よりも,今後日本で生きたり働いたりすることの姿や質とは何かを考えるのに絶好の話題だと思う。
月別アーカイブ: 2005年2月
ライブドア騒動
昨年からweblogバージョンでお送りしている「教育らくがき」なのだが,いまいち調子に乗れない。決して悪いシステムだとは思わないし,ちょっとずつでもコメント付けてくれる人もいるので,基本的には続けたいのだが,どうも私はwebエディタでちまちまhtmlファイルの中に駄文を書き綴っていくことの方が性に合っているのではないかと思えている。まあ,この春に体勢を整える際に,もう一度再検討してみよう。
さて,『論座』2005年3月号に掲載された苅谷論文「少子化時代の怪/教員が大量に不足する!」を踏まえて,文部科学省が教育学部の新設や定員増を認めてこなかった定員抑制策を「転換」したというニュースを目にすると,はぁ〜とため息をつきたくなるが,それ以上にライブドア騒動で見えてくる団塊世代以上の反応の馬鹿さ加減やトンチンカンさには呆れてしまう。
自分たち自身が用意した「自分が使う分には都合よく,けれども他人が使うことで自分たちの首を絞める場合もあることを想定しなかった中途半端さを孕ませた」ルールを,いざ他人が使う段になって感情的に批判するのはいかがなものか。情報通信社会である世の中では「セキュリティを怠った者にも非がある」というのは,企業人ならイロハであろうに‥‥。
マスコミの報道の仕方も無茶苦茶だから,激しい感情敵対合戦に見えているのは虚構なのかも知れない。それならそれで,そういう報道を許している当人達が,ますます馬鹿らしい。ライブドアの試みの善し悪しは評価しようもないが,今のところはわりと応援したくなる挑戦をしている点で,私は堀江派かな。
新・中教審はじまる
ニュースでご承知の通り,新しいメンバーによる中央教育審議会が15日に始まった。毎日新聞がweb記事[1,2]でその辺の状況を詳しく伝えている。
以前ご紹介した2つの国際学力調査の結果を受けて,日本の教育を抜本的に見直す必要があるという構図だ。そのために「生活科」や「総合的な学習の時間」といった取り組み始めた部分に関しても例外なく議論の対象とすることも明言されている。(この辺が変に注目されてしまったので,文科省としても「新聞報道について」というコメントを出して理解を求めている。ちなみに,こんな風にマスコミ報道に対してきちんとコメントする姿勢が出てきた。大事なことだと思う。)
毎日新聞記事が審議事項についてまとめてくれているが,どうもレイアウトが間延びして見難いので,引用して整理してみよう。大きな事項は次の3つ。
●「初等中等教育改革の推進方策」
●「地方分権時代の教育委員会の在り方」
●「教員養成・免許制度の在り方」である。
このうち●「初等中等教育改革の推進方策」の中に2つの事項。
「<1>学校教育の諸制度の在り方」
「<2>教育課程と指導の充実・改善方策」
そして,「<2>教育課程と指導の充実・改善方策」がさらに細かくなっている。
「(1)「人間力」向上のための教育内容」
「(2)学習指導要領の枠組み」
「(3)学ぶ意欲を高め、理解を深める授業の実現など指導上の留意点」
「(4)地域や学校の特色を生かす教育の推進」
この審議項目の箇条書きを眺めると,大項目の後ろ2つ,「地方分権時代の教育委員会の在り方」と「教員養成・免許制度の在り方」は,<1>の諸制度の在り方と<2>の指導充実改善方策を考えるのにそれぞれ対応しているようにも見える。一筋縄ではいかないことがこういうところからも感じられる。
とはいえ,ドイツがPISA国際調査結果による「PISAショック」なるものを受けたのと同じく,日本でも教育に関する議論が盛んになること自体悪いことではない。大事なのは,冷静に議論を吟味することだ。たとえ日本の学力調査結果が如何様であったとしても,日本の教育には,あれこれ見直さなければならない事柄は多かったのである。
保育分野のテキストである加藤繁美『子どもへの責任』(ひとなる書房2004/1600円+税)などといった視点から眺めてみても,あるいは前日に起こった小学校での刺殺事件にまつわる短絡的な反応も含めて,たぶん人々が考えておきたいことはたくさんあるのだ。それは,子ども達を取り巻く環境そのものをどうするかというより,それにどう接していくかという「大人の態度とは何?」を示して欲しいという欲求なのだと思う。座席の2つや3つで「波乱のスタート」という相変わらずのことしていていいのかってことでもある。
いつもの話
三連休ならぬ「三連勤」を終えて,明日からまた出勤。私が倒れたら,「この人はよう働いた」と語って欲しいものである。とにかく,明日は毎年恒例のバレンタイン・ディであり,今夜も夜間営業中のスーパーで,明日のチョコ配りのためなのか若い女性があれこれ物色している様子を見ることができた。
私の職場は女子短大なので,さぞチョコをたくさんもらえるだろうと考える人が多い。しかし,職場では定期試験もすべて終了し,大がかりな催し物も三連休のうちに終了してしまったので,明日の当日に職場で学生達の姿を見つけることはできない。それでもあなたは数多くいる女の子達から義理でももらえるのと違うの?と思うだろうか。
たとえば私の職場には1000人弱の学生がいる。仮にその半分に私の存在が認知されているとして,500人。そのうち私と会話を交わせる程度以上の関係を保っているのが,半分として250人。人には好き嫌いがあるから,私に対して嫌悪感を抱いていないのを半分と見積もって,125人。大雑把に義理でもチョコをくれそうな可能性を持つのを100人としようか。さて,ちょうど百分率として表現できそうだ。短期大学のしがない教員が,女子学生から義理でもチョコをもらえる可能性は何パーセントだと思うだろうか。
ゼロ。0パーセントである。私が好かれるような人間でないとか,近づきがたい存在であるとか,優しくないとか,格好良くないとか,そういう要素も関係するだろう。はいはい,そういう評価を甘んじて受けよう。モテるとは言えない。たぶん学生に数多く不義理をしているのだろう。人気がないなら,それでもいい。しかし,こういう環境にいながら,ゼロ記録を更新し続けるのも,それはそれで結構しんどい。嘘でもいいから,「先生,いつもありがとうございます」ってメルティ・キッスの一つでも差し出されてこないものかと,私は毎年思ってしまう。
もっとも,今年は卒業したOGからチョコをもらえた。ああ,卒業してからわかる恩師の有り難さといったところか。持つべきものは卒業生なのかも知れない。そして連れられた寿司屋さんの女将さんからももらった。お客用でも独り身には嬉しい。
疲労困憊。何でもないことが励みになりうる,そんな精神状態なのだ。とにかく,早く眠ろう。明日も朝が早い。
三連勤
年度末年度初めの慌ただしい時期を迎えている。大学の授業や試験も一段落して,教員としては成績付けを早く片づけて,来年度の授業準備や研究に時間を割きたいところだ。ところが,この御時世,「そうは問屋が卸さない」というのがいつものパターンだ。入試業務やら担当部署の年度内の残務やら,来年度のための事業計画業務やら,目まぐるしい。
そしてようやく今日から三連休!といいたいところに催事続きの「三連勤」が始まる。卒業していく学生達にとってはこれまでの学生生活の成果発表の場となる様々な催しをこの三日間で披露するのだ。地域の皆さんをお招きするイベントでもあるため,私たち教員もそのフォローをするため参加する。もちろん,ここ数日は,そのための準備も賑やかに進められていた。
働いてお給料をもらえる立場であるから,それだけで私は贅沢であると思う。一方で,某大学では教員OG/OBの助けを借りて,無償で非常勤教員として活躍してもらう制度を始めた。年輪を積み重ねた専門家の力を有効活用するという観点からは面白い取り組みだが,非常勤として生計を立てる下の世代の人々にとっては青天の霹靂である。世代の循環を滞らせるツケは後々大きく跳ね返ってきそうだ。
慌ただしい日々の中で,細々と教育に関する報道や言説状況をウォッチしてみているが,なかなか駄文でご紹介する余裕がない。教育にまつわる論議や問題把握が,個別細分化され,全体として捉えることがとても難しくなっているように思うだけに,物事の意図を大雑把でも整理していくことが必要に思うのだが,すべてフラットに乱立したまま,人々を煙に巻いて終わっているのではないかと危惧する。
まっ白
「寒波襲来」なんて仰々しく呼ばれながら,全国的に雪舞うほどの天気が訪れた。昨夜のうちに見た雪降るテレビ映像は,雪が降っていない我が家近辺にとって,どこか余所事だったが,朝起きてみれば見事な雪化粧にウキウキしている自分がいた。
入試業務で選考会議などの資料や原案づくりなどしたり,情報環境整備の仕事では予算ヒヤリングに向けた金額計算や業者対応など,相変わらず慌ただしいものの,穏やかな心持ちを保つのも大事だと今一度思い出してみる。大きく振れる感情を駄文に記す度,皆さんにご心配をおかけしていること,申し訳ない。
まっ白に広がる平面の上を,雪合戦をしてた頃の気持ちではしゃいで歩いた。少しだけ,昔ながらのゆったりした時間の流れを感じる。もしかしたら,新たな気持ちで物事が始められるかも知れない。そんな雪の日。