月別アーカイブ: 2006年10月

神無月31日目

 10月も終わり。米国渡航や催事への出席で慌ただしく過ぎた。その分,仕事の宿題が溜まって大慌てをしている。昨日今日はしこしこと研究の調査結果をエクセルでグラフ化していた。(減っていく教育予算グラフはその傍らでつくった。)
 明日から11月である。あっという間に今年が終わりそうな予感。ひぇ〜,もう少しのんびりと過すのかと思っていたが,まったく予想が外れた。なんだよ,今年も独りで年末かよ。まあ,それが性に合っているのかも知れない。
 再生とかいじめとか未履修云々のことは,ちょっと食傷気味。今まで叫んでも誰も見向きもしなかった教育分野に突然スポットライトを当てるものだから,叫び疲れて「どうせ見てくれない」って諦めきってた場面が飛び込んでくるのは当たり前。そこを捕まえて「規則に従ってなかった」とか「問題を放置していた」とかだけ論じたら,これはもう関係者だって何を信じたらいいか分からんよ。それもある種のいじめだって。
 というわけで,しばらくその手の話題は封印しよう。気分が滅入るだけだし。少なくとも確認しておきたいことは,ソニーや日産で起こっているように,急激な組織変更や改革は副作用を起こすということ。両企業とも,要領が良かったりコミュニケーション能力が高い人は生き残っているかも知れないが,寡黙な研究者や地道なエンジニアはどんどん去っていった。日本の教育現場にも同じことを起こしてしまわないように,(いじめや自殺などのニュースに直面することで)感情的にならず,冷静な判断のもとで現実に立ち向かうべきと思う。
 って相変わらず熱く書いてみるけど,うちのブログのアクセス数少ないからねぇ。影響力はありません。おかげさまで文句言われることも少ないのは有り難いことです。永遠のマイナー教育ブログという確固たる地位を築いております。(^_^;
 そうだ,先日N先生から御著書を献本いただきました。博士論文をもとにした著書の出版。目が飛び出るほどの価格に有り難さが倍増。もちろん内容も素晴らしいです。勉強になります。感謝感謝。
 追記:なんか「教育再生ホットライン」なるものが開設されている。大丈夫かな…。

減っていく日本の教育予算-2

Edubudget1997_2007
 グラフなどにして見える化すると分かりやすくなる一方で,「わかる」と思ったら思考が立ち止まってしまいがちな傾向と闘わなくてはならない(追記:いじめの統計が…という表現がお好みなら,そこを入り口にすればいい)。
 日本の文部一般会計(と教員人件費の代名詞「義務教育国庫負担金」)が減少しているグラフを前回の駄文で示した。しかし,それを見て「文部科学省はどうなっとるねん!予算削り続けて!」と感じて止まってしまったら,それは大いなる誤解である。
 文部科学省は,確かにいろいろ問題のある省庁の代表格であるが,同時に日本の教育についてそれなりに踏ん張っているところでもある。この10年近くに至っては,文部科学省に同情の念さえ抱くような状況になっている(だからといって甘やかしてはいけないけど…)。
 たとえば上のグラフをご覧いただきたい。役所仕事の賜物とはいえ,文部科学省は少しでも事業拡張や予算拡大をしようと概算要求している。そりゃ中央集権的な発想だと論難することもできる。けれども,地方分権にしたとき頼みの綱である地方財政事情が,重厚化しつつある昨今の教育要求を支えるほど,各市町村で等しく豊かで整っているとも考えにくい。国側に余裕のある教育予算が確保されていれば,少なくとも保険にはなるはずである。
 ただここで,皆さんは立ち止まってはいけない。このグラフから受ける印象を確定させる前に,考えたり問わなければならない疑問が山ほどある。「一体,文部一般会計というものの内訳はどうなってるのだろう?」「地方財政における全ての教育予算を合計した数値をグラフ化したらどうなるだろう?」「塾やお稽古事などの家庭における教育費の推移はどうなっているだろう?」そんな素朴な問いをたくさん持たないと誰かに欺かれてしまう。
 (追記:『データからみる日本の教育』を眺めるだけでも結構いろいろなことが見えてくる。各自でご覧いただければ,議論も深められると思う。っていうか,国の一般歳出における構成比上も文教関係費というのは右肩下がりなのね。とほほ…。)
 私たちの生活実態はどんどん変わっている。それに引きづられて価値観もどんどん変化している。鉄道に乗って通勤・出張したり,レジャーに出かけたりする。自動車に乗って営業に走り回ったり,ドライブを楽しむ。居酒屋で仕事を忘れるために酒を飲んで語り明かしたりする。化粧品で自分を素敵にめかし込み,友達とミュージカルに出かけて楽しい時間を過したりもする。帰宅後はスポーツ番組を見たり,エッセイを読みながら夜を過す。チャンネル変えたら,大学の先生か政治家みたいな人が難しいことしゃべってるのでテレビを消して眠りにつく。
 そんな日々を当たり前だと思っている人達が大多数だとしたら,教育の出来事みたいな耳の痛い話は,社会面の話題に押しとどめてしまう方が都合いいかも知れない。その方が都合のいい人たちばかりが,何かを何処かで話し合っている。

減っていく日本の教育予算

Edubudget1999_2006_1
 日本の教育予算がどうなっているのか。どうもグラフなどで視覚化されていないとダメみたいなのでつくってみた。(教育らくがき20060125の駄文で示した表をグラフ化した。このグラフに関しては再利用や転載は自由にしていただいて構わない。追記20061030:2000年度のポイントを補正後の金額に基づいたものに修正した。)
 フィンランドの教育について講演を聴いたとき,ファンランドの教育予算は年々増加しているというグラフを見せられた。右肩上がりである。日本は右肩下がりである。それが事実の一つ。
 この図を見れば,普通は「教育予算を減らし続けていくような状況が,昨今の教育問題を引き起こしている要因ではないか」と考えないだろうか。無駄な予算を増やして問題が発生しているというなら,競争原理で効率を目指すというのも分かる。しかし,すでに予算は減少中。予算削減したことが悪い結果を生んでいるというのがこの図を見るときの素朴な理解じゃなかろうか。そんな素朴な前提もないままに声の大きい人達の意見で物事が進んでいる。
 ただし,このグラフをご覧になる際には,いくつかの周辺情報も合わせてみなければならないことを肝に銘じておこう。たとえば全体の国家予算はどう変化しているのか。児童生徒と教師の数はどう変化しているのか,などは気になるところではある(そんな注意書きしないで「予算減ってるんだよ〜!日本の教育は危ないよ〜!」と言いふらし回った方がいいのかも知れないが…)。
 
 
Edubudgetfinland
 ちなみにフィンランドセンター所長ヘイッキ・マキパー氏の講演(20061027熊本)で示されたスライドを引用させていただく。教育投資のグラフが右肩上がりなのが分かる。

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NHK教育フェア2006

 10月24日からNHKで教育フェア2006が行なわれている。世界的な教育番組コンクールである「日本賞」を中軸として,特別番組放送やイベントが開催されている。
 教育番組に関する国際コンクールを主宰するのが日本であり「日本賞」という名前が付いていることは,意外に思う人達も多いはずである。すでに40年もの長い歴史があるが,当の日本人にはほとんど知られていない。そして,昨今の日本の教育を考えると,その賞の舞台にふさわしいかどうかも考えてしまう。
 ただ,逆説的だが,日本ほど教育番組コンクールを主宰したりするのに適した国もない。
 特別番組「これが世界の教育番組だ」を観ると,日本の立ち位置というのがおぼろげながら見えてくる。日本という国は,そこで何かをする(たとえば奇抜な教育番組をつくる)には厄介事の多く厳しい環境だが,余所の物事・情報を収集して距離を置いて眺めたりする(たとえば他国の教育予算が多いことを羨む)のに適した緩い環境なのである。皮肉なことだが,それは日本の強みだったりする。
 (ちなみに,BBCが取り組んでいる「BBC Jam」についても紹介されていた。500億円規模5年プロジェクトの進捗が分かって興味深かった。)
 番組「日曜討論」で伊吹文部科学大臣を迎えての討論。どんな話しぶりなのかを初めて見た。就任直後の英語教育云々騒動の時にも感じたが,番組における語り口を聞く分にも,優先順位を判断し論理的に論じる力のある人に思えた。ご本人にその力があるのか,あるいはこの短期間にレクチャーできる有能な官僚がいるかどちらかであろう。
 討論内容自体は,1時間番組で,キレイな討論を目指したものだから,核心を突くような深い展開は望めない。とはいえ,その条件において,悪くない展開だったと思う。さすがベテラン番組。

神無月28日目

 熊本から戻る。国内航空線を利用した。どちらかというと鉄道派なのだが,やはり時間短縮のためには飛行機は便利である。最近はICチェックイン/Skipサービスで,搭乗手続きが簡略されて便利。
 研究協議会は,いろいろ勉強になった。シンポジウムに関しては考えるべきことが多い。良くも悪くも日本の現状を体現していたと思う。今まで一生懸命紹介駄文を書いていたが,批判ばっかりになっていてよくない。疲れているので上手くまとまらないのだ。明日以降書くことにする。

全日本教育工学研究協議会

 熊本市内で全日本教育工学研究協議会が開かれているので飛んできた。来週,関西大学で日本教育工学会の大会が予定されていて,同分野の大会が2週連続で行なわれることになる。
 ただこちらの協議会は,現場の先生たちの実践や研究の報告が多い。学校現場の情報教育について考えたいならば,こちらの方が現場の先生たちと情報交換できて勉強になる。昨日はフィンランドの教育に関する講演と現場実践に関するシンポジウムが行なわれた。
 懇親会は高くてパス。その代わり,夜の飲み会に誘われたので,現場の先生や業者の方々と歓談した。こうして全国から地道に頑張っている先生方が集まり,自分たちの実践を蓄積している成果が今後大事になる。
 高校の単位履修不足について報道が相次ぐ。やって来た熊本は問題なしという県だが,全国の多くで問題があるという調査結果も明らかになった。なんで今さらこの問題が大々的に報じられるのか。こんな形で取り上げられたら,この時期に卒業学年の子どもたちが貧乏くじを引くことになる。
 教育再生云々は,マスコミの「不安あおりネタ」探しの対象を教育問題に広げさせたという効果ばかりを生み,再生どころではなくなっていまいか。
 問題を解決することは大事なことであり,それが放置されていたこと事態が問題だと人々は考えるだろう。けれども,もう少し丁寧に結び目をほどかないと,肝心の生徒たちが大きく傷ついてしまう。カタルシスを得るための報道合戦や無責任な批判・責任追及について,私たちは最大限の自制を求められている。

M0歓迎会

 今日は来年度から通う大学院ゼミの新入生歓迎会だった。M0(ゼロ)と呼ばれる新入生を加えてゼミメンバーが一同に会する。夕方のゼミから出席させてもらったが,久し振りの感覚で,ある意味新鮮でもあった。
 新入生メンバーは5人。学部から進学する人もいるし,他分野の修士を経てもう一度こちらの修士課程に入る人もいる。みんな20代のフレッシュなM0である。まあ,私も気持ちは20代ということで。
 いままでちゃんと話せていなかった先輩たちとも,わりとたくさん話ができ,興味深い問題意識をいろいろと教えてもらうことができた。あらためて「思い入れ」というものの大事さを確認した。それを生かすか殺すかは,自分の研究をどのようにデザインするかにかかっているとも思えた。
 気持ちがはしゃいでいたので,M0としての慎ましさに欠けていたかなと反省。もっとも初回だからといって新入生同士遠慮してももったいない。「近所のおばちゃん」精神を発揮して,あれこれM0メンバーのことを聞いてみた。みんなそれぞれ思い入れをもっているので頼もしい。お荷物にならないように頑張らないと…。

学習科学研究会-4

 今日は学習科学研究会の日。文献が変わって,Gerry Stahl (2006). Group Cognition を読む。協調学習を支援するようなコンピュータの在り方やツールを研究開発してきた著者の遍歴を綴ったような本。
 で,いきなり教師同士のカリキュラム共有を支援するシステム(Teacher’s Curriculum Assistant)を開発するお話から始まるので,ものすごく興味津々。なにしろ「こうだったらいいのにな〜」を形にしてみましたという雰囲気なので,思わず膝打ちしたくなる。
 ただ,成果としてはプロトタイプ開発で終わってしまった模様。まだインターネットが普及し始めの頃のことだし,レッスンプランなどを共有する発想が米国では少ないこともあって,当時開花はしなかったようだ。補助もカットされたとか書いてある。
 時代も変わってきたし,指導案を作り込む文化のある日本でなら,ある程度の可能性があるのではないか。そう思うのは,夢想が過ぎるのかも知れないとしても,50年後の世界に期待を掛けて,こういう研究の取り組みしてみてもいいんではないかなと思っている。
 その後,Yさんと飲みながら研究談義。これからどんなスタンスで研究に取り組んでいくべきか,いろんなヒントをもらう。腰を落ち着けて取り組む姿勢を意識しないといけない気がした。

喉やられる

 帰国後,喉の調子におかしさを感じた。身体のだるさはなかったので,留守中に溜まったホコリのせいかなと,換気やら軽い掃除やらして数日過したが改善されない。夜は寝苦しくて目が覚めるし。
 悪い病気を連れて帰ってきたのかと不安になって,とりあえず耳鼻咽喉科に出かけた。海外渡航のことやら,留守部屋のホコリのことやら,ちゃんと伝えて喉を診てもらう。
「赤いですね。かなり炎症を起こしています。」
 しゃべる職業だから人より赤くなりやすいのだろうが,それにしても凄く赤くなっているのだとか。旅の疲れや環境的なものなどいろいろ条件が重なって起こったのではないかということ。薬を処方して様子を見ることになった。
 東京は雨で,風も強く肌寒い。体調に気をつけないと…。

事実を演出しない真実の滑稽さ

 18日に初会合が開かれた教育再生会議。その後の記者会見や委員への取材をもとにした報道記事の様子を見ると,世論やマスコミとの最初のネゴシエーションは失敗に終わったようだ。
 その最たるものとして会議の非公開決定がある。毎日インタラクティブ記事(→該当記事)を参照していただきたいが,座長となった野依氏が「ラ・マンチャの男」のセリフを引用して説明したことが,周囲を煙に巻く行為にも捉えられた。やりとりの全容を知るよしもないが,該当するセリフとそれに続く部分について考えると興味深い。報道記事では野依氏が引用したのは「事実は真実の敵」という部分らしいが,続く部分を読むと,野依氏にとっての真実が「切り取られたもの」であることがよく分かる。
「事実は真実の敵だ。最も憎むべき狂気は、あるがままの人生に折りあいを付けて、あるべき姿の為に闘わぬ事だ。」
 結局,闘わないことを宣言したのね。すくなくとも座長という人が国民とのコミュニケーションに長けている人物ではないということだけははっきりした。早めに別の広報役を立ててこの失態を取り戻さなければならない。もう一つは,週明けのどの時点で初会合の議事記録が公開されるのか次第で,傷口の大きさが変わってくる。
 正直なところ,この会議の議論が質の高いものであるとは思えない。再度確認するように,この会議の役目は空気と闘うことである。上手くポーズがとれるかどうかだ。その意味で,野依氏が「事実は真実の敵」と述べて,非公開としたことは意味があるのだが,その分,記者会見などの公開部分で巧みに振る舞わなければならない。野依氏みたいな学問一徹屋さんでは,そこで観衆の注意を集めるための魅力に欠けるのである(だから,非公開の裏方に徹すべき人である)。
 その論を拡張すれば,教育再生会議自体が前面に出てはいけない。むしろ外部の各種教育的取り組みに対して,お墨付き(力)を与えて動かしていくような存在でなければならない(それがエンジンである)。どうも気がついたら,いろんな教育再生のための取り組みがあちこちで活性化して成果を上げているけど,それは教育再生会議が粛々と刺激を与えていたからだって風にならなければならない。
 誰が17人の連名で出てくる玉虫色の答申文書に期待なんかするものか。そんなものが真実だというなら,結局のところ美しい国は絵空事に過ぎず,額に入れたいだけだった,ということになる。そしてこの調子なら,手続き的にはそうなることは目に見えている。
 「最も憎むべき狂気は、あるがままの人生に折りあいを付けて、あるべき姿の為に闘わぬ事だ。」あるべき姿とは何か。そのことに様々な立場があることは確かである。首相が描くものがあるべき姿かも異論はあるだろう。
 ただ,そうした価値議論の遙か手前に,やるべき事柄はたくさんある。そのやるべき事柄の為に闘わなければならないということを,教育再生会議委員や事務局職員の全員が理解していないと,空気を変えられるものではない。
 それが共有された上で,もう一度,教育再生会議というものが17人の委員で始まったことをうけとめたとき,不安な気持ちと同時に一縷の望みを掛ける私たちがいる。その滑稽さを承知しつつも…。