月別アーカイブ: 2005年3月

H16年度→H17年度

 年度末,いくつものお別れがあれば,新しい出会いもやってくる。慌ただしい時間を過ごし続けている私を横目に,周りの人々はすっかり入れ替わっていたりする。先日も,2年ほど在職して去っていくスタッフを,今年度入ったばかりの人たちとともに,見送るための食事会をした。寂しくも楽しい会であった。
 卒業生達も明日からは立派な社会人。教育現場で活躍することになる者が多いが,その直前をどんな気持ちで過ごしているのか。緊張したり,不安になっていないだろうか。研修期間の間に,すっかり慣れてしまった人もいるかも知れない。それぞれがまた新しい歩みを始める。次代の子どもたちのためにしっかり頑張って欲しいなと,教育職の遠い同僚として願う。
 新しい年度の準備もするものの,細々として雑多な事柄に手間取っている。一度全部,リセットしたい気持ち。今日は来年度のためにいろいろと部材を買い出しに出ようかと思っている。

東京大学・初中等教育高度化推進機構構想

 東京大学で日本教育学会の臨時総会と緊急シンポジウム「教職プロフェッショナル・スクールの可能性と危険性」が行なわれた。教職専門職大学院の福井会議に出席した縁もあるので,シンポジウムもそうだが,ついでに臨時総会にも出てみようと思って日帰り東京出張をした。
 臨時総会とシンポジウムは,どちらも大きな転換にかかわる事柄だった。臨時総会では,日本教育学会が社団法人化することを決定した。会員とはいえ学会運営なんてお任せなのだが,たまにこうして話を聞くと興味深い。とにかく夏の総会に向けてさらに準備をすすめていくとのこと。定款案はさらに見直されるし,現在の会則を運営規則として移行させる作業もあるらしい。ああ,それは学会事務局が広報することですか,はい。
 シンポジウムの方は,やはり微妙かつ淀んだ雰囲気であった。詳細はまた改めてご報告したい。なにしろ話を突き詰めようとすればするほど,プロフェッショナル・スクール(専門職大学院)以前の問題を追及することになり,つまりこれまで教員養成を担ってきた人々や自分たちへの批判合戦となって,くら〜い気持ちになるのだ。その上,あの場に集っている人々は,専門職大学院に絡んだ様々な問題意識を持ってそこにいる。シンポジウムの内容が生の教員養成現場とリンクしていないことを嘆く(確かに僕だってちゃぶ台をひっくり返したくなる)のは簡単なのだが,それぞれの問題意識をもう少しかみ合わせていく必要があると思う。ああ,また今度書こう。
 シンポジウムに先立って,東京大学総長・佐々木毅先生のスピーチがあった。正式な発表や報道がなされるとは思うが,東大総長の公式見解として次のようなものがあった(注:文言はこの通りではない)。「東京大学では,現在の学力水準を問題視している(いまの学力水準は困る)」「このような中等教育の現状では,国際競争で勝てない」「専門職大学院の議論についても,大学を挙げて注視しているが,ネガティブなものを取り除くようなアプローチでは不十分」「積極的なメリットがなければリソースをかける意味はない」「(専門教育において)もっと知識を増やすことに腐心すべき,それなくしてハウツーだけではダメである」など。
 斯様な認識を東京大学では全学的に議論しているとのことで,その結果,専門職大学院の文脈とはまったく別に,初等中等教育の水準を引き上げるための積極的な取り組みをする必要があるとの認識に達したようだ。そして今後,東京大学としてそのような取り組みのための組織を作っていくような体制になりつつあるという。
 このあと,佐藤学先生から,全学的なバックアップのもとで初等中等教育の高度化を推進するための機構が出来るという補足があった。正式名称などはまだわからないが,教育研究の分野に野心的な研究センターが出来るということが事実上発表されたというわけだ。
 外部の人々にすれば「また東京大学だけが,どうしてそういうことできるかなぁ〜」という気持ちもないわけではないと思う。ただ,それはいかにも東大らしいアプローチというだけであって,そんな構想でなくても,自分たちの大学機関で出来る取り組みから始めればいいのである。だから,東京大学が初等中等教育に対して何かしら本腰を入れたというところの波を上手に捕まえて,全国で地道な取り組みが起こればいいのだと思う。

わるいことと,いいこと

 研究業から日常校務へと静かに切り替える日。山積みの課題を切り崩しながら,不在中の動きについて報告を受ける。その中で,悲しい顛末の話もあった。居ても立ってもいられなくなる。もっと仕事仲間は大事にしたいのに。自分の無力さが悔やまれる。
 個人情報保護に関する取り組みに向けた勉強会。常に啓発していくことは大事。そのためには勉強会を繰り返さないといけない。単に技術的なことだけでなく,組織や仕事の取り組み方が重要視されているからだ。
 そういった意味で,少しばかりいいこともあった。担当すべき校務を少し見直してもらえそうなのだ。研究業とのバランスをとるためにも有難い。念じれば通ずるといった感じかな。
 なぜか出来事はセットでやってくる。一喜一憂するなかれというメッセージなのか。とにかく淡々粛々と目の前の課題を片づけていくしかないか‥‥。不思議と穏やかな時が流れている。

闘う場所

 賑やかな広島の夜を過ごした後,大阪では優雅なパーティー。懇親会の雰囲気も対照的な2つのお出掛けだった。私自身はどちらも好き。そんな優柔不断さを持つ。ん?柔軟性があるってことにしましょうか。
 大阪での懇親では,初めての方が多かったにもかかわらず,皆さんとても仲良くしてくださるので,とても居心地が良かった。そういう場面に迎えていただけることに感謝。あまりに快く迎えてくださるので,むしろ気後れしてしまう面がないわけではないけれど,気負わず自分なりに関わっていければよいなぁと思う。
 ワインと素晴らしい手作りイタリアン料理に舌鼓を打つ。一線で活躍している皆さんの雑談は,背景とかさっぱりわからないが,想像しながら聞くだけでも楽しい。なにしろ刺激を受けるし,勉強にもなる。NHKで活躍している人,パロアルトに憧れている人,名古屋に引っ越しに来る人,大学院に進んで学べることに期待を抱いている人などなど,活躍の場がとても賑やかな人たちと一緒に過ごすひとときに酔いしれていた。本当に皆様に感謝。

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大阪の談話

 広島から帰った翌日,大阪某所へと出掛ける。科学研究費補助金というものがあって,申請の上で認められると補助金を得て研究活動が出来るという制度になっている。認められた研究活動グループの一つに入れてもらっているので,その研究会に出席したわけである。
 広島で少し打ち合わせた研究の分野が「教育社会学」や「教科の歴史研究」から現場の実践に迫るものとすれば,こちら大阪での研究会は「教育工学」や「カリキュラム分析」から思考力育成する現場の実践へとつながる授業モデルを提示してみようというもの。
 研究会はとても面白かった。というのも,今回は研究代表K先生の大学の学部生と大学院生の皆さんも参加して研究会が行なわれたからである。さながら大学のゼミのように進み,よくある英訳の議論から用語定義の問題,ちょっとした眠気など,いやぁ,また大学院で勉強したい気持ちになってしまった。

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広島の放談

 さて,土産話シリーズ。この3月は福井へ出掛け,広島へと向かい,大阪にお邪魔するなど,研究関連の出張(と懇親)が続き,「ああ,僕も研究者でした,忘れてました‥‥」という気づきを得るような時間を過ごした。なにしろ自分で自分の肩をつかんで「研究者の俺,起きろー!」と振り揺らしてみても,寒がっているか,「いやいや」しているようにしか見えないし‥‥。
 広島とくれば,もちろん,W先輩に会うのが目的。なんだかんだとご無沙汰してる罪滅ぼしもあるし,なによりお祝いを直接述べたかったこともあるし,今後一緒に研究分野でも協力しようということでそのためのお話もする必要があった。地震のために少し遅れた新幹線を降りて,お待たせしていた先輩と再会。少しばかり打ち合わせした後,大学院出身や所属しているHくんやKくんと合流し,その夜,広島で飲み歌い明かした(え〜っと,「ほどほど」です)。

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もっとみんなの保育所へ。

 広島へ出掛けた。ご存知の通り,福岡沖玄界地震が起きた直後。私が乗った新幹線も状況の推移を見ながら運転するような事態であった。ちょっと無謀な気もしたが,予定は決まっていたから,とにかく向かう。これに似た気分を以前にも味わったなと思ったら,テロ事件の一年後に出掛けたNY行きのときだ。
 広島での出来事や途中で寄った場所のお話は,少し後で書くとして,帰宅するために乗った地下鉄で,ある吊り広告を見つけた。ボーッと見ていた週刊ポストの見出しのその隣り。「子育てに迷ったり,悩んだり,困ったら,保育所へ」という見出しに次のようなことが書いてあった。
 (1)子育てに関して誰かに相談したい。発育の違いについて誰かに教えて欲しい。→保育士がご相談をお受けします。
 (2)通院しなければならない。急用が出来てしまった。子どもを誰かに預かって欲しい。→保育所で一時的にお預かりすることが出来ます。
 そして「これからの保育所は大人も育んでいきます」のセリフとともに,子どもと若夫婦が園児帽と鞄を持っている写真が添えられている。厚生労働省の「もっとみんなの保育所へ。」広告。
 細かい文面はうろ覚えなのでまた確認していただきたいが,とにかく突然出会ってビックリしてしまったのだ。確かに保育所(一般的には保育園として聞き慣れているかも知れないが‥‥)は,子育て支援の機能を持つようになり,地域に向けてサポートをしている。これは子どもを入所させている保護者にだけではなく,地域のすべての人々に提供されているサービスなのだが,なかなか知られていないのも事実。そこでこうした中吊り広告などのPRが必要というわけだ。
 ところが,まぁ,インターネットで探してみても,この広告に関する情報は皆無。当の保育所には,当然情報がいっているのかも知れないが,このPRは,なかなか微妙な影響も与えそうだ。
 一つには,保育士の専門性のアピールをして専門家として相談をお受けするというわけだが,相談する側としては,もう少し具体的な段取り解説が欲しいところだ。というのも,訪問してみるとわかるが,保育所というのは入り口が千差万別で職員室にたどり着くまで大変なのである。それに外部のお客さんを迎え入れる部屋やスペースが確保されているとも限らない。もちろん支援センターとして形を整え始めている保育所は増えてはいるのだが,多くの保育所はまだまだウェルカムな状態ではないと思う。
 二つめには,一時預かりをPRしている点。これも本当に急用があって預けたい事態になった人々には有難い支援なのだが,これを逆手にとって,都合よく利用してしまう人たちにどう対処するのかは課題だろう。各保育所でルールのようなものはあるとしても,無理強いをしてくる利用者対応をうまく処理できるのかどうか。保育現場にとっては頭痛のタネだ。
 厚生労働省は,こうした子育て支援の条件や環境整備を強化しつつ,保育士資格の取得に関しても養成校の教育水準維持と保証の強化に乗り出している。専門家による子育て支援体制を整備するためには,専門家としての保育士の養成が不可欠。それはいま滞りつつある保育士養成課程の四年制化(四大化)を今一度推し進めようとする動きなのかも知れない。
 そんなことにも思考を逸脱させながら,この広告は電通(広告代理店)の作品なのだろうか?とぼんやり考えていた。

ブルー・スノー

 職場の行事をそそくさと後にして,そのまま福井に向かった。今週末も福井出張である。福井大学の学生さん達の前で少々お話をするのが仕事。ここ数年,毎年呼んでいただいている。感謝感謝。
 ところが,今週末の日本海側は強い寒気のために大雪。先週は暖かかったし,数日前までは春のような陽気だったと現地の人たちも言っていたくらいなので,あまり寒さ対策をせずにきたのは失敗した。寒いです。
 そんな風に身の寒さもこたえるが,心の方も寒くなることがあって,なんともブルーな気分。私のパブリックな部分が,プライベートな部分をどんどん食い尽くそうとしているようだ。何がパブリックでプライベートなのか区分けの問題はあるものの,日々の「意欲」や「鋭気」みたいなものを充電できる時間がほとんど無いことは確か。湯船を空焚きしているような状態である。誰か水入れてぇ!
 車窓から眺める景色は,夜のとばりのせいで降りゆく雪しか見えていない。自分の先行きを暗示でもしているのか。旅の友もなく,独り揺られる座席の上で,あれこれ考えあぐねる時間。まだ頑張れるのだろうか。

アン・リーバーマン女史

 学校改革実践研究福井ラウンドテーブルは,様々な立場の人々が小グループで同じテーブルを囲みじっくりと語り合うという充実した時間を過ごし,無事お開きとなった。同じグループに,以前見かけたホームページの持ち主も居て,ちょっと嬉しかったし楽しかった。いやぁ,帰ってきて確かめたらやっぱりその方だったわけだ。Japanese Onlyでごめんなさい‥‥。
 さて,5日に行なわれた「日本における教職専門職大学院のための福井会議」には,3人の基調講演者がいて,そのうち2人が東京大学の佐藤学先生,宮城教育大学の横須賀薫先生であることは書いたが,もう一人,海外から特別ゲストで,カーネギー教育振興財団の上級研究員であるAnn Lieberman(アン・リーバーマン)女史がアメリカにおける教育再構築の取り組みについて講演した。
 いやはや,実は参加しているときには「あれはどこぞのアメリカおばさんなのか?」とハテナマークを点滅させながら,それでも「ヒヤリングの練習だ」と思って,通訳なしにじっと耳を傾けていた。後で,講演の日本語レジュメが事前に手元に配布されていたのがわかってズッコケて,さらに家に帰ってきて,彼女について調べたら,アメリカの教師教育に関する研究をしている大御所だったことがわかって,あららぁ,そんな人だったのねぇ〜,残念っ!。
 言っていたことはシンプルきわまりなかった。リーバーマン女史の取り組みにおいて「ネットワーク」形成が重要鍵語であり,昨今ではWebベースのマルチメディア教材によって知識共有をすることに関心があるようだ。なぜならば,彼女らのプロジェクトにおいて「(教育実践を)公開し,批評し,受け継がせ,積み重ねる」(Make it public, Critique it, Pass it on, Built upon it)が重要視されているからである。それが,「実践を通した」ティーチング(教師の専門技能)の研究に通ずるというわけだ。
 会議の場では誰も彼女の発表について疑問を差し挟まなかったが,もう一人の基調講演者の横須賀先生は教育系大学院に関する別文脈の発言の中で,日本の学校や教育が持つ文化的な問題(つまり古くて柔軟性のない閉塞的な伝統文化)を指摘していたことが,リーバーマン女史のアメリカ風「あっさりいったら?」的な取り組みについて日本の私たちにはどうしても海の向こうの話だよねぇ的感想しか引き出さないことの説明になっているのかなとも思う。
 言ってみれば,あの場は柔らかな「ライブドア vs フジテレビ」構図の変奏だったのだ。リーバーマン女史にしてみれば,日本の人々が難しい顔して大学院や専門職大学院をつくらにゃならんと時間を潰していることが不思議でたまらないのだろう。そんな風に足踏みするくらいなら,マインドを開いて「少しでも現場の人たちと膝つき合わせることにエネルギーを割いたら?,そこから物事はよくなるのよ」って思っていたに違いない。でもねリーバーマンおばさま,マルチメディア・ウェブサイト(webベースのマルチメディア教材)によって教師教育の改革を素朴に信じられるなんて,ライブドアを「月並みなアイデアしかない若輩者」と見なしている現代の日本人には難しい話なのです。だから,日本で「専門職としての教職」養成を実現する教職専門職大学院をつくりたいなら,若い世代の研究者だけを専任メンバーにして,あとは院外協力研究員として年輪を重ねた名だたる先達の研究者に周りを固めてもらう(ただし専門職大学院の運営にはあくまでアドバイザーで実質的には口出させない)というくらいしないとダメです。それともカーネギー教育振興財団で日本支部つくって,研究やってください。
 とにかく,リーバーマン女史の講演もまた,教職専門職大学院についての複雑化する議論そのものを「無意味じゃないの?」とひっくり返してしまう要素を持ち得ていた。みんなそのことを強調したくはなかったのだろうけれど,きっとみんな思っていたことだ。日本人の幾重にも凝り固まってしまったマインドを解き放つためだけに,新しい制度を増やしたり,問題発生の余地を膨らましている。それが「何か措置をしたのだ」という一時的な満足感を満たしはするだろうけれど,やっぱり宿題は次の時代に持ち越されるか,時間オーバーで何もかも失うのかも知れない。

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教職専門職大学院

 福井に来ている。「日本における教職専門職大学院のための福井会議」というものに出席させていただき,翌日の「学校改革実践研究福井ラウンドテーブル2005」でお手伝いさせていただくことになっているからだ。
 教職専門職大学院に関する会議は,大変微妙な感情を残したまま終わった。このごろ,この手の話のために脳みそを動かしていなかったので,とにかく話を聞くことばかりに熱中していた。同時並行して思考の逸脱をする余裕はなかったが,それにしても,その場はとても微妙な空気をつくり出していた。
 そうなった一つの要素は,3人いた基調講演のうちの一人が佐藤学先生だったこともある。雑誌『論座』の論考でご承知の通り,佐藤先生は今日の教員問題について大変憂慮している。教員採用における競争率の高さによってかろうじて維持されていた教員の質が,昨今の競争率低下,つまり人手不足によって質の低下を招くことになっている問題。これを始めとして,現在の各教員養成系学部大学の大学院の在り方,それを放ったまま教職専門職大学を(法科大学院などと同じ発想のもと)つくり出そうとする整合性の無さなど,明らかに損失や破綻を招くような制度改革に,大いなる警鐘を鳴らしている。これまで教員養成系学部大学や教職課程などにおいて教員を輩出してきたとされる教員養成教育は,はっきり言って不十分きわまりなく,確実に失敗してきたのだと厳しく指摘した。
 もうちょっと会議の内容を丁寧に記述すべきだと思う。いつもの佐藤節が炸裂していたとはいえ,もちろん,今後の教員養成や教師教育が「ケース・スタディ」を中核としてカリキュラムが再構成されなくてはならないという大事な示唆もあるし,その他にも教師の専門職性などあれこれ考えるべき項目はあった。あそこでビデオカメラを回していた誰かがちゃんと情報をオープンにしてくれれば,そういうことも皆さんに伝わるのに,なかなか難しいものだ。
 とにかく,その後に続く教職専門職大学院にまつわる委託研究の報告などを聞いていても,この最初に提示された問題の枠組み,つまり,これまでの教育系学部や大学が放置したままの問題を丁寧に拾い直して本気で変えていくよう行動しなければ,日本における教員養成や教師教育は,かろうじて残っている信頼とチャンスを完全に失うことになるだろう,という前提がすべてを覆してしまいそうだったことが,わたしにとってはとても微妙な気分だったのだ。
 私はかつて教員養成系学部で学んだ日々と,仲間達のことを思い出していた。いつか自分の母校に教員として戻ったら,現場に散らばる仲間を大学に呼び戻して,再び教育についてともに議論を深められるのではないか,そんな夢のようなことを考えた時期があった。もちろん,国立大学法人の母校に教員として採用されるにはそれなりの能力と業績が必要なので,夢のまた夢の話である。
 でもたぶん,今回の会議で求められていたのは,現場と大学の「そういう関係」ではなかろうか。研究者が現場にフィールドワークやアクションリサーチしてみても,所詮は限られたスパンで終わってしまう。しかし,会議を主催した福井大学の先生たちの熱意や取り組みを聞いたり見たりすると,研究者は現場に「一生を掛けて」付き合う覚悟が求められているのだと主張されているように思う。とある先生が口にする「ゆるやかな関係で」という言葉も,長く付き合っていくことを前提としている。
 そして,私は思ったのだ。この会議に出席した人たちを見回して,10年後,20年後,30年後生き残って教育学部を担っている奴は誰なのかと。もう一人の基調講演者である横須賀薫先生は,(半分冗談で?)「遺言」なんて言葉さえ持ち出した。上の世代の人たちは,自分のリタイヤのことを考えなければならないときに,次代の教職専門職大学院について力振り絞って考えようとしている。けれども,世代文化を枠とする思考限界だってある。あるいは,もう身体が動かないと嘆く世代だ,エネルギーの必要な内発的な改革について熱意を込めて議論する余地はもうないかも知れない。そんな人たちが,難しい顔して今後の教員養成や教師教育の在り方を一生懸命語ろうとしている。
 文部科学省から出席してきた係長は20代後半だ。大学院生は20代前半か。30代はどれくらいいただろう。40代は?この会議の中において世代毎の温度に違いはあったのだろうか。上の世代は,(学部生といった学生達を含めた)下の世代について,どれほどの意識を盛り込んで議論していただろう。下の世代は,上の世代がくぐり抜けてきたさまざまな闘争と苦悩の経験に基づいた思考の在り方にどれほどの想像をめぐらせられたのだろうか。
 教員をめぐる様々な問題について,それにかかわる私たち自身がどれほど自らの取り組みを再構築し実践していけるのか,そんなきわめてパーソナルで些細なことが問題の核心なのである。ところが,私たちは問題をパーソナルな領域にとどまらせることをよしとしない悪い行動パターンがあるようだ。なにか改善への取り組みを形にしなければならないという暗黙の要請。教職専門職大学院や教員免許更新制など,こうしたお題目と取り組みが,単なるアリバイ(改革のための改革)でないと誰が言えるだろうか。
 とにかく鈍った思考の中で,私は微妙な気分を味わっていた。