9月18日(土)18:00〜19:30,愛知県名古屋にある金城学院大学にて,日本教育工学会ワークショップが開催される。そのプログラムの一つとして「タッチデバイスの教育利用 ~新しい技術やデバイスに注目と関心が集まる現象と実相を考える」がある。
流行りものに手を出したお調子者は,私である。
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ワークショップ(WS)で何をするつもりなのか。
iPhoneやiPadを持ち寄って教育利用の方法を考える…という月並みなネタを(自由枠とはいえ)学会の場でするつもりはない。
WS目的は,私たちの「ミスディレクション」を少なくする方策を考えることである。
ミスディレクションとは何のことか。
ある対象を論じる際の見方の偏向をもたらす働き全般である。何かしらの誘導ともいえるし,欺きともいえる。
たとえば「新しいデバイスが教育を革新する」という文言は,意味的にも論理的にも飛躍を含んでいる点で問題だが,同時に,事実の有無とは無関係に,ある種の心理的な誘導を生ずる点でも問題をはらんでいる。
「デジタル教科書でなければならない理由が見当たらない。印刷教科書でできていることを変える必要がどこにあるのか」といった文言は,一見,正当な指摘に感じられるが,デジタル教科書と印刷教科書の関係を排他的に置いている前提が問われず,「他方の否定」を肯定する枠組みに人々を追い込んでしまう。
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いま,こうした「ミスディレクション」が至る所で展開し,人々の解釈枠組みを振り回したり,規定してしまったりしている。
本来,学術研究の領域は,こうした混沌とした言説に向けて,適切な補助線を提示することが求められているのではなかろうか。
しかし,たとえば「教育の情報化」という範囲の大きく,かつ,歴史の長いテーマについてでさえ,学術界は外部に対して明確なメッセージを発してこれたとは言い難い。結果的に,政治行政の世界から学問は排除されてきた。
補助線提示の先行事例として私が常々挙げるのは,AERAの「Research Points」である。これはアメリカ教育学会が学術研究成果を教育政策につなげようとして出している出版物である。
あるテーマに関して,現在どのような研究成果があり,責任研究者による捉え方を端的にまとめた研究要約論文が公開されている。行政に携わる人々が,こうした知見を踏まえることを促す努力の一端である。
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皆さんもネット上で海外の研究成果をニュースとして見ることがあるだろう。最近でいえば「ネット接続時間の22.7%はソーシャルメディアに割かれていた」といった類の話題があった。
このようにある研究成果が話題になることは,米国に限らず日本でも時々あるのだが,海外発の話題の方が量的にも伝搬力においても優勢のように感じられる(残念ながらその根拠は手もとになく印象論である…)。
私が企画したWSは,進行中の事態を事例として,このようなことを指摘した上で,新しい研究対象に対する学術研究のあり方を考えていこうというものである。そのための具体例として,タッチデバイスの教育利用を取り上げ,また実際に,そのことについても(アクロバティックな進行にはなるが)同時に皆さんと考えていきたいと思っている。
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という難しい話はあるにはあるが,私はiPad持ってきて,ぐりぐりデモンストレーションしちゃうのだ。あとは質素に暮らします ^_^;