韓国を探しながら…

 最近はフューチャースクールのこともあって,こちらの駄文を書く機会を逸していた。久方ぶりに科研費の書類を書こうともしていて,どうして味付けしようかと考えながら文献をひっくり返すと,時間があっという間に過ぎる日々である。

 国内のデジタル教科書の動向に目を光らせつつ,お隣である韓国の取り組みや動向を追いかけている。

 「韓国は日本よりも先行している!」と日本からひっきりなしに視察団が出向いたりして,韓国のデジタル教科書の取り組みは話題になっている。デジタル教科書を議論し始めた日本にとっては無視できないお隣さんというわけだ。

 私も5年前(2005年)に釜山に連れて行ってもらったことがあり,現地の学校を見学したことがある。当時は,学校に各教室に大型ディスプレイと提示用パソコンが備えられているという段階で,ユビキタス・スクールという事業指定を受けた学校ではWindows Mobileを搭載したiPAQというモバイル端末を導入する実践も行なわれていた。

 その勢いが2007年からのデジタル教科書モデル事業につながっていくことを考えれば,だいたい現地の様子は察しがつくといった感じだ。

 しかし正直なところ,韓国という国に対しての私の理解はまだ浅い。

 デジタル教科書のことを追いかければ追いかけるほど,韓国に対する根本的な理解の努力を省いて語ることが難しいと感じるようになってきた。

 なぜなら,教育の周辺で垣間見られる人々の状況や言動が,非常に日本に似ているように思われたからである。

 もちろん両国の仕組みは全く違うし,日本人と韓国人の文化や思考体系もかなり違う。

 にもかかわらず,調べるほどに日本と似たような問題に直面し,似たような選択をしている部分があるように見える。

 この要因をどこに求めればいいのか,それを自分なりに探らねばならないなという気持ちが強くなっていたのである。

 少しずつ歴史や政治の問題を知るために文献を読むのだけれども,日本語訳されているものは限られているし,どの立場で書かれたものなのかを判断しながら読むのはなかなか難しい。

 ネットの情報は特に判断が難しい。朝鮮日報などの韓国主要メディアはご存知の通り,日本語サイトを用意するサービスぶりだが,だからそれが韓国の実態や世論を反映しているかと問い始めると,安易に信じることもまた難しい。

 文部科学省の『諸外国の教育動向2009』によれば李明博政権の教育政策の柱は「公教育の信頼回復」と「科学技術力の強化」を目指すことだとされている。

 しかし,教育の平準化を継承する一方で,高校の多様化を推し進めて,公教育と私教育のバランスがどこへ行くのか,まだよく見えない。

 ただでさえ韓国の教育熱は世界と比べて断然熱く,学歴競争がしっかりと埋め込まれている社会であるから,その点でも韓国教育を参照する際には気をつけなければならないことが多い。

 しばらくは韓国の本当の姿を探しながら,あれこれ慌ただしい日々を送ることになりそうである。

 まあ,まずは韓流ドラマの復習と,K-POPのお勉強から始めることにしますか。