最近は出張が続いている。出かけるのは大好きだが,移動中や宿泊先で仕事をするという芸当はできないので,出張が続くと宿題がストップするのが悩みのタネである。
それでも旅路でボーッと考え事するので,頭の中は動いているともいえる。
出張先や帰り道で時間の余裕があれば,ご当地の書店による。いまどき日本全国,似たような本しか置いていないのだろうけど,それでも書店で時間を過ごせばいろんな情報に触れられる。
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最近は書店内でめぐる書棚の比重が変わってきている。教育やコンピュータ関係はもちろん見るが,地方自治や行財政に関する書棚を眺めることが多くなった。
というのも,昨今の教育や教育情報化などに関する主張や言説は,どの論者も大した違いがなくなってきており,勉強不足の人々を除けば,だいぶコンセンサスは出来上がっているように思え,むしろ注目すべきは具体的なアクションへと繋がる回路の方ではないのかと考えるようになっているからだ。
いったい誰が事態の鍵を握っているのか。
何をどうすれば知見を政策に反映できるのか。
そんな素朴な疑問を見極めたくて,行政や財政の文献資料を手に取るようになっている。
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教育の情報化の歴史をさかのぼっていると,予算の話や事業の記録を見ることになる。けれども,何年に何とかいう予算が幾ら付いたとかいう話は残りやすいのか目に付くが,その背景の成立過程を掘り起こすのは簡単ではない。
いったい何がどうなって教育情報化政策が動いているのか,教育のICT活用を専門にしている関係者でさえ完全に理解しているとはいえない。理解していたとしても,政策の形成過程に適切に関われている人間は本当に少ない。
私自身,勉強をしていく中でやっと輪郭が見えてきたところ。事が単純でないことを知れば知るほど,短絡的な批判の言葉を飲み込むようになってきている自分を物足りなくも思うが,もっと効果的な主張の出し方はないものか,いろいろ模索しているところである。
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いまのところ思うのは,関連学会による政策提言の影響力が弱いこと。
あるいは政策提案するための団体や活動が少ないこと。
だからメーカーや企業系の情報ばかりで物事が動きやすくなっていたのだと思う。
歴史を振り返る作業は,まだまだ資料の掘り起こしに手間取っている。