世界の教育について大ざっぱに眺めていると,それはまるで椅子取りゲームか,ババ抜きでもしているように見えてくる。歴史は繰り返すというけれど,ここでは互いに他国のやり方なぞっているという風である。
特に日本は,世界の国々をキャッチアップするため,様々な形で海の向こうの先進事例を意欲的に吸収してきた歴史がある。それはある意味,見事だったし,おかげで経済大国の地位に至った。その後の迷走は悩ましいけれども。
東アジアの国々は,日本の成果を評価し,日本型教育モデルを取り込むところもあった。また,1980年代終わり頃のイギリスが行なった教育改革は,日本の教育システムを参考にしたようなものだった。自由がウリだったイギリスの教育が,ナショナルカリキュラムの導入によって画一化へと動き始めたときのことである。
一方の日本は,学習指導要領による画一的な教育内容から,より「選択」を取り入れた柔軟なものへと比重をシフトさせた。基準性を緩める動きや,受験科目選択の多様化なども起こり,自由化へと走り始める。
イギリスと日本で,隣りの芝生や花が蒼く見えたり赤く見えたりしたのか,それは互いの教育モデルを交換するような状況にも見えたものだった。
福田誠治『競争しても学力行き止まり』(朝日選書2007.10)は,今のところ最も新しいイギリス教育に関する著作であるが,福田氏が書くところによれば,かつてのイギリスの教育は今のフィンランドの教育とそっくりなのだという。(なお,福田氏は著書『競争やめたら学力世界一』でフィンランドの教育について詳しくまとめている。)
そして同書では,かつてのアメリカがモデルにしたのは日本の教育だったというような指摘をする箇所もあったりする。結局,そのような欧米諸国を,今度は社会が成熟してキャッチアップ型では立ち行かなくなってきた日本がマネ始めているという始末である。
だから,かつて日本が自分たちで実践した来た様々な教育ノウハウが,横文字の名前とともに帰ってきていることが多くなったのである。実に滑稽な状況だ。
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なぜ私たち(特に教育研究の世界の人間)は,自分たち日本こそが源流であるはずの様々な教育的取り組みや教育的思潮について,横文字を付され逆輸入された形で論じたりするのだろうか。
それは悲しいかな,学問的な蓄積の手順が日本国内で踏まれなかったせいである。つまり,私たちにとって,かつてのそれは当たり前すぎたため,学問的な研究対象として言語化されたり,蓄積されてこなかったのである。なるほど実践記録や事例紹介はたくさん残っている。けれども,共有され再利用できる形では言語化されなかったということである。
だから,それが完全な第三者たる諸外国の研究者達によってしがらみなく理解され,欧米語による明確な言語化を経ることは,ある意味必要な過程だったといえなくもない。
こうして,日本の私たちは,海外の研究者達の整理によって,自分たちの教育実践を理解する術を得たのである。けれども,年月の流れと世代の交代もあって,それは残念ながら「再会」というより「初対面」に近い状態で受容されているというわけである。
だから,研究者コミュニティの中にも,世代間の意識格差はかなり大きくあるといっていい。そこでは,日本に源流のある様々な物事が,なぜ「昔の名前」で出てこないのかについての理解も十分共有されているとは言い難い。
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教育や教育関連研究に対する理不尽な扱いは,そのコミュニティの一員として遺憾に思うし,憤慨もする。けれども,やはり私たちは研究世界における物事やその道理を十分伝えきれていないと思う。教育議論が生産的に展開しないのも,国のかたちとの関係で教育を考えられていないのも,その不十分さに問題の一端はある。
サイエンス・コミュニケーターといった役割の議論と同様に,学問一般についてしっかりと理解を促すコミュニケーターの役目を負う研究者人材が必要だ。
昔の名前と今の名前を結びつけて,その流れを踏まえることをしなければ,また誰かがババを引くことになり兼ねない。そういう過ちは繰り返すべきではない。
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これだ!このソフトを探してたんだ!
「インスピレーション」というソフトがある。アイデア表象ツールであり,アイデアプロセッサと呼ばれる類いのソフトである。最近で言えば,アイデアマッピングツールといえば通りがいいかもしれない。
インスピレーションはその手のソフトとしては有名で,そしてなかなか使いやすいソフトであった。現在でもアメリカの開発元でVer8が発売されているが,日本語版はない。
とても歴史が有るソフトなので,OSの移り変わりとともにバージョンが上がったわけだが,日本語版はVer6でストップしている。そのためMac版はOSXには対応していないし,Win版もXPで動作確認できてるだけ。今後は白紙なのである。
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そんな過去のソフトウェアとなったインスピレーションなきあと,あの「マインドマップ」旋風も手伝って,今度はマインドマップ・ソフトがあれこれ登場する。これもアイデアを視覚化する点では似ているが,トニー・ブザンという人が提案した方法論みたいなものが注目されたため,どれも何かしら似たような空気が漂っている。
問題はトニー・ブザンが箇条書き風のノートテイクを「つまらないノート」と言って切って捨てるところにある。つまらないことには同意するが,そのおかげで世のマインドマップは「中心イメージからの枝分かれ」という原理が教条的に受け入れられてしまって,その手のソフトも「中心トピックス」が必ず必要になってしまっている。
ものによっては中心トピックスが,必ずソフトの作業領域の中央に位置づく必要があって,スペースを自由自在に使いたい場合,たとえばKJ法(カードやポストイット)的な使い方は,許容してくれないものも多い。
特に,それは操作性において色濃く,表面的にはKJ法的にアイデアをちりばめられるとしても,その状態を生成するのにマウスドラッグが必要だったりと,手順が多くなって結構煩わしさが伴うのだ。
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私個人としてはあくまでも,アイデア入力をキーボード中心で連続して行なえ,その後,それをマウスで関係づけながらマッピングしていくことをしたい。
入力時に,階層構造も簡単にキーボード操作で制御できれば嬉しいし,次々とアイデア・トピックスを増やす操作も,単にリターンキーやエンターキーなどで自然できるものが良い。
だから最初見た目はKJ法的にアイデアが羅列し,あとでじっくりマップを練り上げるものが欲しい。それをうまい具合のバランスで実現しているものは,ほとんどなかったのである。
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その中で,一番希望イメージに近かったのは,その操作性もデザイン性においても,Mindjet社のMindManegerというソフトで,こちらは企業にも導入されている立派なソフト。
ただし,中心ピックスの位置固定問題があった。これは我慢するしかなかった。けれども,それ以上に,私が構築する環境だと,日本語のトピックスを連続入力する際に入力文字取得の問題が発生し,パッパッパッとアイデアを入力していく肝心な作業で使い物にならなかった。
新バージョンになって改善されているかと思いきや,残念ながら問題はそのままだった…。
こうして,なかなか気に入ったアイデア表象ソフトに出会えぬまま,長らく漂っていた。
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アイデアマッピングツールのネタがあれば,すぐにも探しに行き,マック版があれば試してみたが,どれも操作性や動作の軽快さやデザイン性などのバランスに難があり,いまひとつだった。
「こりゃ,もうオムニ・アウトライナーとオムニ・グラフで我慢するしかないかぁ」と思っていた。ちなみに,この2つはデザイン性と柔軟性はよろしいが,キーボード操作を重視してない点が残念。そもそも2つ組み合わせて使うのは煩わしいし…。
そこへ,また新しいアイデアマッピングツールの情報が舞い込んだ。
「マインドピース?どんな感じだろう…」
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「マインドピース」はアイデア粘土細工ソフトウェアであると紹介されている。京都の小さなソフトウェア会社のソフトで,いまにところオンライン上でのみ販売。しかし,これを開発したプログラマー氏は,あのデジタルステージ社がリリースした数々のソフトの開発にかかわっていた人物。これはもう期待度大である。
そして,マインドピースは小粒ながら,まさに理想に近いアイデア表象ソフトだった。
マインドマップ的な使い方はもちろんできるし,中心トピックス的なものも生成されるが,2つ目のトピックスを入れたら,それはもう中心でも何でもなくなる。KJ法的な使い方にもフィットしている。
なによりデザインセンスがよい。まだ小さなソフトウェアだけれども,ゆえにシンプルで軽快で,柔軟性もありそうだ。まだまだ改善・拡張の余地もあるし,欲しい機能がたくさんあるが,それは今後の楽しみでもいいくらいである。
まさに「これこれ,これを探してたんです!」というソフト。マック版のみならず,Win版もあるので,ぜひ試していただきたい。
こういう小さなソフトウェアを育てて末長く使いたいものである。
バナーつくってもらっちゃった…。→
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ちなみに同じ京都にあるこちらは大学の京都大学から「アイデア革命」というソフトも登場している。こちらはWin版しかないが,発想支援という,また違ったコンセプトでプロデュースしている興味深いソフトだ。
嬉しいのは学校機関へのプレゼント企画をしていること。条件が合うようならぜひ応募してみてはいかがだろうか。締め切りは12月末。
memo20070919
・大学9月入学の学長裁量
・道徳の教科化見送り
・台形の面積復活
・OECD教育調査結果公表
iPodはVideo時代へ
皆さんもニュースでお聞きになることと思うが,アップル社の音楽プレーヤー「iPod」が新しいラインナップと新しいサービスをひっさげて私たちの前にやってきた。
これまでも大きなiPodはビデオ再生が可能であったが,今度のラインナップは,そもそも画面のないの最下位機種を除けば,Video再生が標準機能であるというコンセプトを打ち出している。これは教育分野,特に映像コンテンツを扱う高等教育や教材ビジネスの分野にとって,大きなインパクトもたらす。
もちろん新しい「iPod nano」のデザインには賛否両論あり(ほっそりした従来デザインに比べて,新デザインは薄くはなったが太ってしまった),売れ行きがどうなるか予断は許さない。けれども上位クラスとして登場した「iPod classic」と待望の「iPod touch」と合わせて考えれば,今回のiPodが示した(Videoという)方向性が避けられないものであることは明らかである。
高等教育レベルだけでなく,小中高校段階に向けた教育コンテンツにおいても,そろそろVideo教材の波に対する準備を整えておかなくてはならないだろう。供給者側においては,当然ながらすでに開発に取りかかっていることだろうが,むしろ利用者である学校や保護者側の準備を考えなければならない。教材コンテンツばかりあって,上手な使い方のサジェスチョンが行なわれなければ,せっかくの宝の山も無意味である。
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私個人は「iPod touch」こそ待ちこがれた新iPodである。携帯電話機能が付けば「iPhone」というわけで,たしかに無線LANのない場所でも通信できる点で魅力的だが,日本での販売がどうなるか分かったもんじゃない。しばらくは「iPod touch」が日本で大ヒットするだろう。う〜んすると,なかなか手に入らないというわけか…。
ちなみにiTunes Music Storeからダイレクトに購入できるサービスも発表された。いちいちパソコンから曲などを購入して転送する手間が省けるようになる。つまり聞きたいと思ったときに,iTunes Music StoreにWiFi接続(無線LAN接続)して,購入できるわけである。
iTunes Uも同様に利用できるとなれば,「iPod touch」や「iPhone」単体で,大学の講義を自由に選んで受講できる時代がやってきたことになる。日本の放送大学も,ぼちぼち本気で対応を検討した方がよいと思うんだけど,どうなのよ?
いろんな意味でアツかった
8月29日,30日,慶應義塾大学三田キャンパスにおいて,日本教育学会第66回大会が開催された。初日は用事があれこれ入ったいたため参加できなかったが,2日目には参加することが出来た。
初日には公開シンポジウム「教育政策と教育学研究との対話—教育学は政策学たりうるのか—」が開催され,かなり盛況だったらしい。参加できなかったのが残念。
参加した人の話を聴くと,昨今の教育再生騒ぎと完全に教育研究が排除された現状について,登壇者はもちろんのこと,聴衆もかなりの問題関心を持って参加しており,会場全体の雰囲気も,またシンポジウムの内容もアツいものになっていたという。
私自身が出席していたら,その現場を臨場感込めてお伝えしていたところだけど…,う〜ん,残念。誰かレポートしてください。(といって,この分野で詳細にレポートしてくれる余裕のある人は少ない…とほほ。広報不足は問題だと思うんだけど。)
2日目にそのテーマに関する企画があったわけではないが,あちこちの課題研究やラウンドテーブル企画で,初日の盛り上がりの余韻が感じられたのは確かである。
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会場を眺めると,いわゆる大御所の皆さんや多くを占める中堅の研究者・教育関係者の皆さん,そして活躍する大学院生の人々など,いつものように大会を構成する人たち以外にも,新参の若者や長い人生を歩まれたであろうご老人も出席されていた。開かれた学会だから,そうした人たちが参加されていることはとてもいいことだと思う。いつもの問題意識も生まれるが,その事はまた改めて書こう。
遠方よりW先輩とKさんが出席された。久し振りに3人でお会いすることが出来たので,夕食などご一緒した。学会のこと,昨今の話題のこと,もちろん研究のことなどで話が盛り上がり,私自身についてもあれこれ話を聴いてくださった。
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もともと人生の星回りは最初からずれていた。この日本で骨を埋めるのかどうかは分からないけれど,こんな風に日本に住んで生きているなら,なぜ私は始めから純粋な日本人として生まれてこなかったのだろうと思う。
だから,この人生で起こっている様々なボタンの掛け違えのような出来事は,生まれたときからそういうものだったんだと思えば,あんまり気にならない。
周りには迷惑をかけっぱなしではあるけれど,少しずれたところで頑張ることにしよう。
星空をGoogle Earthで
夏休みの宿題として毎日,気象日記をつけずとも,気象庁のデータベースを使えば好きな場所の好きな時点の気象情報が手にはいるようになったことは一大事だった。そしてGoogleマップは衛星写真による世界地図を提供し,Google Earthは衛星写真による地球儀を提供して,世界中を驚かせた。
いよいよ私たちは高質な天体写真・星図を自由に眺めることが出来る。ニュースでも報じられているようにGoogle Earthに新機能「Sky」が追加され,地球から眺める夜空を自由に探索できるようになった。
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人によっては,宇宙や天文の世界に憧れる機会がある。雑誌の付録についてきた天体望遠鏡を使って,必死に星空を見定めようとした経験をもつ人も多いに違いない。
昨年12月には長寿雑誌であった『月刊天文』が静かに休刊となったが,『月刊天文ガイド』といった雑誌は天文ファンにとっては大事な情報源かつコミュニティの場であろう。
かつてのパソコン総合誌『月刊アスキー』から生まれた天体シミュレーションソフトの「ステラナビゲータ」が大ヒット。90年代には天文関係のムックが数多く製作されてブームが起こった。PC-9801シリーズのMS-DOS上で凝ったことをすれば,とにかく話題になった時代である。そのソフトを生んだアストロアーツという会社が,親会社だったアスキーの名を受け継いで現在に至っているというのだから,何が起こるか分からない世の中だ。
そしていま,無償配布ソフトで天文写真が自由自在に見られるようになったのである。
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こうした変化は確実に学校教育に届いていく。問題は届けられた側に,それ相応の準備や実践が出来るのかということだ。衛星写真や天文写真をこれほどリッチに扱えるようになったことは,喜ばしいことではあるけれど,同時に使い方にも工夫の余地が生まれる。場合によっては,教材の自由度が,教授の焦点を甘くしてしまう逆効果についても配慮が必要になるだろう。またまた教材研究の新たな課題がやってきたということかも知れない。
ただ,カリキュラムデザイン的な問題意識からすれば,こうした新しい教材を現行の学校教育の文脈に取り込む工夫の開発というだけでなく,こうした教材の生まれる背後の文脈を見通すことにも意識を向けたい。
こうした革新的な産物が,基本的な教授学習の営みを否定するわけではないし,慌てふためいてそれらを変えなければならないというわけではない。そのことを踏まえた上で,あらためて世界が前提としている地盤がフラットになっている現象や,地球環境の変化による過酷な世界生存競争の流れを理解していかないと,同じことをしていても結果が全く異なってしまうし,説得的な説明も難しくなる。
They are watching us.
今日はNEW EDUCATION EXPO2007に出席した。教育をテーマとした展示・セミナーの催事としては国内最大規模のものだと思う。今年は東京会場と大阪会場が予定され,東京会場が無事お開きとなった。
様々な企業の製品展示となると,どうしても学校管理者や教育委員会関係者といった層へのアピールが強くなりがちだ。しかし,その展示にしても,またセミナー類等は,是非とも現場でふつ〜に働く教師の皆さんに触れて見て欲しいものばかりだ。本来ならば,こうしたEXPOの場にやって来て,教育機器の最新動向を知ることも自己研修の1つとして正当に評価されるべきである。
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今年はご縁を頂いて,最終日最終時間帯のセッションの1つに登壇させていただくことになった。頼まれると「NO」とは言えないことを見透かされて,役者の一人として「バトルセッション・これならできる!普段着のICT活用」というテーマの一部分を語ることになったのである。
本来であれば,ICT活用は整備されたICT環境のもとで,校内研修や勉強会を開き,活用ノウハウを共有しなければならないということをシンプルに語るだけでよかった。
ところが語っているうちに火が付いて,「この国の教員をバックアップするしくみはあまりに乏しい」と話を膨らませちゃったから,さあ大変。どうも熱く語っているうちに「New Education Expoに来ているのは毎回一部の人達。来てない人達にこそ届くべきだ」とかなんとか,主催者を苦笑いさせてたらしい。
ああ,やらかしてしまいました。
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そんなことがあると「人の心を扇動(アジテイション)することを安易に行なってはならない」と少し自己反省。周りをその気にさせることは悪ではない。とはいえ,研究者という立場を取るのであれば,それは研究成果をもって代えなければならないと肝に銘じるのも倫理の1つ。
今回はバトルセッションの登壇であるから,登壇者としてのパフォーマンスだと,聴衆に割り切ってもらうしかない。
セッションが終わり,幾人かの方々からご挨拶を頂いた。意外と好意を持って受け止められたみたいだった。皆様に感謝しつつ,またここから自分なりの模索を始めるしかない。
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今後,地方主体の時代が本格化する中で,全国の教師をバックアップするしくみはどう保証されるのか,まるっきり展望は示されていない。もちろんすでに国立教育政策研究所が中心となって提供しているものがあるにはある。けれども,ご覧頂ければ分かるが,魂込めて生きた情報提供活動を維持しているとはいえない。先輩諸氏には悪いが,カリキュラムというものを単純なデータベースのみでしか捉えられていない,本質理解への努力を欠いた造形物に終わっていると思う。終わっていないというなら,動き続けて欲しいものだ。
私たち大人は,若い世代や子ども達から常にその言動を見られているのだと,意識しなければならないと思う。最近は,どこぞの会議の人間も似たような言葉を語っているが,そう言う自分たちの言動の矛盾や不整合こそ批判の対象として見られていることに,もっと自覚的になっていただきたいものだ。そうやって私たちは信任を得られなくなってきているのだから。
彼ら(子ども達)は私たちのことを見ている。ほとんどが大人ばかりのEXPOの場で,そのことを考えることは,案外大事なことではないのかと思った。
紙の上でデバッグ
今日,大学院のゼミがあり出席した。春からの新入生が全員集まって発表をした。まだまだ学ぶべきことは多い。
終わって食事をしながら歓談。プログラミングの話題になって,どんな言語を使っているかなんて話になった。「いやぁ,最近はフレームワークを勉強しないといけないでしょ,そういうのに慣れなくて…」なんて話をしていたら,「りんさんの頃は,アセンブラでプログラミングだから。連続用紙に印刷してたんでしょ…」なんてツッコミが入った。
ははは…。図星だよ,おい。
紙に印刷してデバッグしてたもんな。論文の推敲と同じで赤ペン持って,極めて文系的プログラミングスタイルでした。懐かしいなぁ〜,ツッこまれるまで忘れてたよ。今年は頑張ってAjax使いになりたい。
Windows VistaとカラーiPod shuffle
Windows Vistaの一般販売が始まった。真夜中0時発売というイベントが済んでみれば,売れ行きはスロースタートといった模様。あちこちの報道も「消費者は様子見」といった雰囲気を伝えるにとどまっている。
なにしろVistaにしても,新しいOffice2007にしても,高い。
そして,Vistaに限ればパッケージが4種類あり,それぞれ通常版とアップグレード版があるから,8種類もの価格が並んでいる(さらに世の中にはDSP版と呼ばれるものがあるので,実際には12種類だ)。教育現場に導入するとしたら,どれを選ぶべきか困ってしまうだろう。資金が許せば,全ての機能を含む「アルティメット(Ultimate)」タイプを選びたいところだが,5万円する。(ははは…)
そうでなければ「ビジネス」タイプと「ホーム・プレミアム」タイプが考えられる(さらに下位のホーム・ベーシックというタイプもあるが,あえてそれを導入するのは疑問である)。教育現場の場合はどれを選べばいいだろうか。「教育とコンピュータ」誌1月号の岡崎俊彦氏の記事を引用してみよう。
「家庭版はビジネス版に比べると安価ですが,ビジネス版相当のネットワーク機能やセキュリティ機能を追加することはできません。情報保護の信頼性を第一に考えれば,児童生徒の個人情報や成績処理のデータなどを扱うコンピュータで,Home Basic版やHome Premium版を導入するのは避けるべきでしょう。」
って,アドバイスそれだけ?頼むよ,一冊1,300円する雑誌なんだから,もうちょっとなんとかならんかね。とりあえず,岡崎氏の言うように,家庭版(ホームタイプ)は選ばないとすれば,自ずと「ビジネス」タイプと「アルティメット」タイプのどちらかということになる。
じゃあ,「ビジネス」と「アルティメット」のどちらのタイプを選ぶべきか。両者の違いは,次の通り。
[ビジネス×,アルティメット○の機能]
・保護者による制限
・メディアセンター機能
・ムービーメーカー
・DVDメーカー
・ドライブの暗号化
(※実はさらにややこしいことに,組織団体購入向けのボリュームライセンスという契約形態があり,これ用の「エンタープライズ」タイプってのがあるのだ。このタイプは「ビジネス」タイプにドライブ暗号化機能がプラスされたものになっている。逆に言えば,「アルティメット」タイプから保護者による制限とメディア関係の機能が省かれた形だ。)
メディアセンター機能,ムービーメーカーとかDVDメーカーは,教材再生や教材づくりに活躍する可能性もある。セキュリティを云々するなら保護者による制限もドライブ暗号化の機能もあってしかるべきだろう。
そう考えると理想は「アルティメット」タイプでと言えそうだ。(教員配布用には「エンタープライズ」タイプという選択もあるが,メディアやビデオ関係がない点は「いざ」という時に使えない状況を覚悟しないといけない。)
さらにドライブ暗号化機能は使わないという割り切りをするならば,校務に関して「ビジネス」タイプでも問題ないだろう。
なんか無駄な議論にも思えてきたな。こんなシンプルさに欠けた製品構成をせずに,全部一本で通してコストを抑える分安くしてくれればいいのに…。基本OSでこんなのは異常である。
さらにOffice2007にもソフトの構成によって似たようなタイプ分けがあって,最上位タイプは9万円という値段だ。インターフェイスが一新されたとはいえ,こちらもおいそれとは購入できない代物である。
NHKのクローズアップ現代でも問題が指摘されていたように,仮にアップグレード版を購入しても,現在使っているパソコンではパワーが足りず導入できない場合がある。さらに,今日では,リナックス(Linux)という基本OSと,OpenOfficeというオフィスソフトが無償で提供されている時代である。さらに使いやすさや革新性で先んじているMacOS Xという基本OSも人気だ。
Windows VistaやOffice2007は確かに最新ソフトだが,これだけの価格を支払うに値する新しさがあるとは言えないのである。
それでも,市場はVista布陣である。パソコンを新たに購入するとなれば,VistaやOffice2007を使うことになるだろうし,教育現場にも徐々に入り込むことになるだろう。しばらくは,新しさゆえの問題にもたくさん遭遇することになる。それに振り回されないように自衛しながら,取り入れていくしかない。
さて,そんなWindows Vistaの発売に合わせてか,アップル社から新しくカラーバリエーションを用意したiPod Shuffleが発売になった。新しい色は,赤,青,緑,そして流行色のオレンジだという。
分かる人には分かるが,これはWindows Vistaのマークの色だ。つまりアップル社からのVista発売祝いというわけである。まあ,ライバル会社の肝いり新製品に対して,自社の低価格帯の製品であるiPod Shuffleのカラー化で迎えるあたり,アップル社が余裕をアピールしているとも想像できる。
あなたはWindows Vista使ってみたいですか?
マルチ・タッチの時代
英国の教育テクノロジー展示ショウ(見本市)BETTについて,その視察内容をぼちぼちまとめようと,持ち帰った資料を紐解いて整理し始めたり,Webで公開された会場レポートビデオを確認しているところ。
イギリスの教育の流れ(あるいは基本)はPersonalizationである。今回のBETTショウでも,そのような方向性を推進する様々なテクノロジーが展示されていた。個別の学習に役立つ教材・学習コンテンツは当然のことながら至る所で展示されていた。それに負けず劣らず,学校として一人一人の子ども達をしっかり支えるための情報システムに力を入れる企業が目についた。
管理教育という言葉は,日本の文脈では負の印象で語られる。しかし,時代は「監視」をベースに動いている。皆さんはこの社会の中であらゆる形で監視管理されている。電話番号,銀行口座,定期券,メールアドレス,社員番号など…。
学校は責任を持って子ども達の学習を管理することが求められ,そのためにICTが活用されるべきであるという発想は,世界の主流である。日本は,話題をずらして,とことんお金を使うつもりがないらしい。おっと,その話はまた別の機会に…。
会場の至る所,液晶プロジェクタと一緒に「インタラクティブ・ホワイトボード」というものが設置されていた。英国の情報教育環境を語る上でよく引き合いに出される機器である。電子情報ボードとか,アクティブ・ボードとか,スマート・ボードとか,いろんな名前で登場するが,要するに液晶プロジェクタの映像を映すスクリーンそのものがペンタブレットになっているという機器だ。
現地の学校視察をすれば,ほとんどの教室にプロジェクタと電子情報ボードのセットがあって,ごく普通に授業で活用されている。短時間ながら使ってみると,慣れれば支障はない使い勝手。反応速度は接続しているパソコン次第。大学の講義のつもりで板書をしてみたが,それなりに記録が出来た。
それを同行して見ていた日本の某大手電器メーカーさんが「子ども達が同時にやってきて,算数の答えみたいなものを板書することはできますか」と尋ねてきた。「う〜ん,今のところパソコンのマウスと同じでフォーカス出来るのは1カ所ですよねぇ」と返事をしてみたが,とてもよい質問だと思った次第である。
学校視察で見た授業でも,スクリーンの使い方は,教師からの提示がメイン。子ども達が操作する場合でも,一人の子どもが先生に代わって操作するというスタイルである。
けれども,日本の授業(黒板を使った場合)には,複数の子ども達が前に出てきて,同時に板書をするという場面が結構ある。この同時並行的な板書によって,その後すぐ,板書を比較しながら授業を進めることが出来る。
けれども情報機器を使うと,この同時並行的な板書や提示が知らぬ間に排除されてしまう。スクリーン画面の狭さという制限ゆえに,そういう使い方を前提しないという形になっているのである。
ちなみに,日本の悪いところは,そういう仕方のない欠点を導入しない理由に仕立て上げちゃうところなのだ。私のような口の悪い研究者は,文句を言うのが仕事だから,自由度の小さい現状の情報機器を叱咤するけれど,現場実践を担う人々は逆にメリットに注目して,どんどん前向きに情報機器を導入して活用すべきである。そういう役割分担の無理解は,もう少し正していかなくてはならないと思う。これは余談。
で,BETTに展示されていたものにこの手の同時板書が出来るシステムがあるかを調べてみると,残念ながら電子情報ボード上でマルチ・タッチするものはまだ登場していない。ただし,ワイヤレス・タブレッを組み合わせてコラボレーションする機能を持つソフトウェアはあるようなので,タブレットが複数あって,それを各自操作すれば同時板書は可能かも知れない。
といわけで,いずれは電子情報ボード自体が複数の電子ペンをサポートして,ソフトウェア的に同時板書を可能にする機能が標準搭載されるはずである。商品がバージョンアップする道を考えれば,そういう方向性しかない。
マルチタッチといえば,この教育らくがきでも取り上げた「Multi-Touch Interaction Research」という研究プロジェクトが思い出される。そこで紹介された衝撃的なビデオは,パソコンが進化する上で当然避けては通ることの出来ない方向性である。いずれ衝撃どころか,当たり前の操作風景になる。
そして,それを具現化しようとしているのがApple社だ。BETTに先駆けて行なわれたMacworld Expo基調講演で発表されたiPhoneという新しいスマートフォン(多機能携帯電話)は,ユーザーインターフェイス(UI)として「Multi-touch」が採用されている。
指先操作というUI自体は珍しくはない。Apple社が凄いのは,UIを生かしたソフトウェアをつくってしまうところである。基調講演ビデオをご覧いただくといいのだが,このiPhoneという携帯電話で写真を扱う際,写真を拡大縮小する操作方法が,まさに上記の研究プロジェクトのビデオで見られるそれそのままなのである。
このiPhoneのMulti-touchインターフェイスの発表について,研究プロジェクト側も知っているらしく,ページには「Yes, we saw the keynote too! We have some very, very exciting updates coming soon- stay tuned!」(ああ,僕らも基調講演は見たよ!こっちも凄い刺激的な最新情報があるから,待っててね)とリアクションが書いてある。
Apple社iPhoneが採用したMulti-touchインターフェイスとそのソフトウェア自体は(現時点の情報を見る限り),真のマルチ・タッチではないと思われる。2つの指が触れて,その動きを関知すること自体は現在のパソコンでも可能である。それをソフトウェアとしてどのように具体的な操作や動作に落としていくのか。もしかしたら春前にリリースされるMac OSX 10.5という新しい基本ソフトにおいて,何かしらの未来を見ることが出来るかも知れない。
いやぁ,だって私たちはすでにWiiなんかで複数同時並行の操作というものに触れている。パソコンなどの情報機器の自由度をゲーム機に近づけることは,もしかしたら緊急の課題じゃないかとさえ思う。