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日本教育工学会大会・最終日

 2007年9月22日〜24日の三連休,早稲田大学・所沢キャンパスにて日本教育工学会第23回全国大会が開催され,大会自体は無事終了した。早稲田大学の大会スタッフの皆さんの大会運営スキルの高さと,爽やかさが印象的だった。
 わたくしはと言えば,3日間連続して参加し,初日・2日目と(懲りずに3日目も)あちこちで質疑応答に手を挙げた。日本教育工学会の流儀ではないのかも知れないが,「質問は発表者へのお礼,もしくは礼儀」といったような教えを受けてきたため,今回自分が発表しない分,できるだけそれに従った。基本的には何も質問が出なさそうなときに手を挙げたり,なるべく発表内容から離れないけど話題が膨らむような質問をしようと心掛けてみた。

 とはいえ,質問スキルが高いともいえないし,場の空気に煽られすぎて大言を口にしたりと,あまり良い印象を周囲には与えなかった部分もあったかも知れない。だとしたら,申し訳ないと思う。来年の大会では,発表する立場になることは確定的なので,役割交代ということで,質問攻め役は他の誰かに譲ることになるだろう。役者はフローティングしてこそ新鮮なのだから。
 自分の発言の妥当性について,ぼんやりあれこれ考えた。発言内容というよりは,発言場所や自身の立場というもの,周りの人たちへの配慮,そういうものが大事なのだという指摘は,もっともなことだと思った。たまたま紹介された春木良且『人を動かす情報術』(ちくま新書)には「情報ステージ」という時間的空間的な範囲のことが書かれているらしいが,まさに私はそうした情報ステージについて認識が甘かったのだと思う。

 一つ一つの研究発表はそれぞれ興味深くて,めぐらす思考によい刺激を与えてくれるものばかり。また,今回は私自身,教育工学の積み重ねという観点から様々な発表題目を眺めてみることができたので,ようやく入口が分かったという感覚である。
 長らく研究世界に身を置いていて,ようやく入口かいっ!と先達の皆さんには呆れられるのかも知れないが,残念ながらそれが私の勉強速度である。後方から皆さんを追いかけるばかりである。(と書いて,やる気無いように誤解されるのも困るので,野暮は承知で書くけれど,どんなに後方にいようが「諦める」つもりはいまのところこれっぽっちもない。)

 どんなに誠実でも,どんなに物事を真摯に問うても,その世界のルールに基づいて成果を積み重ねない限り,ゼロに等しい。ゼロに何を掛けてもゼロ。そんなシビアな世界。勝手口から出入りしてた分は,まあ置いといて,あらためて入口から入り直しである。
 3日間の学会大会を終えて,あらためてそう思った。来年は上越教育大学での開催。頑張ろう。

日本教育工学会・初日

 9月22日〜24日まで,早稲田大学・所沢キャンパスで,日本教育工学会大会が行なわれている。所属研究室にとってはメインの学会ともいえるので,初日から最後まで参加することになっている。
 大学院生になって日々追い立てられていたので,今回,発表というわけにはいかなかった。来年以降は是非頑張りたいと思うが,その前哨戦として,質疑応答で間が空きそうなら可能な限り質問しようと思って臨んだ。
 ちょっとハリキリすぎて,物議を醸した場面もあったようなのだが,まあ,その弁明は後日落ち着いて書くとして,とにかく明日以降もなるべく頑張ろうと思う。でも,ちょっと大人しくしようか…^_^;

教育システム情報学会研究会・発表

 共同研究グループの先生が発表を行なうので,八王子市のとある会場で行なわれる「教育システム情報学会」の研究会に参加した。研究世界に馴染みのない皆さんには,こぢんまりとした規模にビックリされるかも知れない。
 教育情報・工学系の学会は数あって,それぞれの特色も大きさも様々である。学会同士には親子関係や敵対関係にあるものもあって,新参者にとっては学会選びも楽ではない。とはいえ,「研究を発表する」という行為が学術研究活動にとって命で,特に理系ではその頻度も重要な指標となるため,発表の機会や場があれば選り好みしないことも大事になってくる。
 その上,自分の発表を上手に切り分けて,切り分けた断片の特色と発表学会の特色を組み合わせていくということができるとよいらしい。この一年は,そういうイロハを実体験できて,とても勉強になった。
 ちなみに今回は「研究会」という場。皆さんが思い浮かべる学会は一年に一回行なわれる「大会」と呼ばれる規模の大きな場の方だと思う。けれども,発表の場が一年に一回だとぜんぜん足りないという事情もあって,小規模で数ヶ月に一回という頻度の研究会が用意されていたりするのだ。そんなわけで,この日の参加者も20名弱とこぢんまりであった。
「教材の活用促進を目的とした親と子向けのナビゲーションシステムの開発」
堀田博史(園田学園女子大学),堀田龍也(メディア教育開発センター),林向達(椙山女学園大学),星野徹,牛島大介(株式会社ベネッセコーポレーション)
 こうして私たち研究者の研究成果は,「学会発表した」という記録が残ることになり,あとから研究成果を参照したい人たちが学会の発表リストをさかのぼることで過去の研究成果を確認できるわけである。
 発表者側にしてみると,こうやって自分の研究内容を部分的・段階的に発表するのを積み重ねていき,一通りの流れを出し終えたら「研究論文」として全体をまとめて発表する。それでひとサイクル。
 文献に埋もれて,知見を溜めて溜めて…というスタイルばっかりやってきたものだから,こういうスタイルはある意味新鮮。計画上手にならないといけないなぁと頭では分かるのだけど,根っからの無計画さんの私は前途多難だな,こりゃ。

長崎大学で研究発表

Rin_nagasaki 週末は長崎大学で日本教育工学会の研究会があった。研究協力しているプロジェクトで前座となる調査研究の発表を担当することになっていたので,6年ぶり3度目の長崎訪問をした。(仕事している珍しい写真)
「小学生の学習に関する親子の意識や特性に関する分析」
 林向達(椙山女学園大学),堀田龍也(メディア教育開発センター),堀田博史(園田学園女子大学),星野徹・牛島大介(株式会社ベネッセコーポレーション)
 学校での学習だけでなく,学校外学習との連携が重視されてくる中で,宿題を始めとした家庭での学習を促進させることを考えなければならなくなっている。そのために必要なことは何か,求められているものは何かを把握し,どう働きかけるべきかは,体系化されていないし,共通認識が固まっているとも言い難い。
 子どもの学習環境や学習現実をどのように設計(デザイン)していくのか。その鍵プレイヤーである「親」はどう関わり,振る舞うべきか。このことに関する知見を固めていくことが,広義のカリキュラム観点からも大事だし,教育工学的に支援ツールを開発する観点からも重要だ。今回の研究発表は,そういう取り組みの最初の最初。予備調査による仮説組み立て部分といった内容である。
 学会発表は初めてではないけれど,日本教育工学会で発表するのは,シンポジウム登壇を別にすれば,初めて。実は小さな発表デビューだった。発表資料を用意してそれに基づいて発表するスタイルとは違い,スライドを映写して発表するスタイルなので,さながら大学の講義みたいになってしまった。細かい反省はたくさんあれど,とりあえず90分タイマーは作動せずに終えられた。
 長崎には前日の夕方に到着。長崎といえばH先生がお住まいになっている。ホテルにチェックインしてすぐにバスで網場町に向かった。すでに辺りは暗くなっていたし,事前に連絡もせずお伺いするので(先生,ごめんなさい),会えないことも覚悟して向かった。幸いH先生はご在宅。お疲れのところだったが,少しばかりおしゃべりすることが出来た。お元気そうでよかった。嬉しいことに,研究発表の場にも訪ねてくださった。ありがとうございました。
 研究会最後の特別講演を英語で聴く。ゴールベースドシナリオによるコミュニケーションスキルを育成する教材をご紹介いただいた。約1000もの事例とエキスパートによる数百本のコメントビデオによってつくられた環境問題に関する教材だった。興味深くはあるけれども,行き着くところコストの問題だなと思う。
 ただ質疑の場面で,扱っている題材が英米圏の価値観で集められたものに偏っていることを指摘するものがあり,もっと共生共存を指向するような文化的価値観によるコンテンツでつくってはどうかという主張があった(と思う,英語で…)。
 問題解決のための最適解について,多数の事例や証言に基づくとはいえ,その解釈がある種の思考体系から逸脱することが出来ていない可能性はあるのかも知れない。シナリオ化するにあたって無意識に選択する文化的背景や習慣を意識化して考慮していくのは,また違った難しさを生むのかも知れない。
 長崎空港までK先生運転のレンタカーに便乗する。食事をご一緒してから,先に飛び立つ先生を見送って,しばし待ち時間。今回の研究協力メンバーの皆さんと合流して,東京に向かう。ぼちぼち,年末と年始からの出張の準備をしなくてはならない。

先行成果探し

 教員が教育活動を展開することを支援する取り組みを始めたいと思って教育工学の入口に立つ。改めて取り組むべき何かを具体的に考えるにあたって,先行成果を見回し始めなければならない。
 私が教育研究を志すよりも遥か昔から,教師支援を考えた来た先達がいるのは当然で,その成果も様々。教員支援のためのコンテンツも教育情報ナショナルセンターのサイトを始めとして存在している。
 いろんなバリエーションがあって構わないとは思うものの,同じものを再生産しても何も前進しない。しかも,残念ながら先行成果も大成功しているというものはほとんどない。活用されているとは言い難いのである。 「ポータルという発想じゃダメ」という意見もある。
 何かしら違ったアプローチで取り組まない限りは,うまく根付かないことだけは確かなようだ。
 使いにくさの解消も考えなければならないが,むしろ教育現場や教師の日常のフローに入り込む仕組みを見つけ出すことの方が重要なのだと思う。それがプッシュ型のツールという形になるのかは,まだ分からない。あまりややこしくても逆効果だとも思う。とにかく調べないといけないことはたくさんあるようだ。

学習科学塾−転移編・参加者募集

 学習の「転移」については,教育に興味を持った皆さんは聞いたことがありますよね。決して真新しいお話ではありません。けれども,どうやら世界の研究界の前線ではあらためて「転移」が注目されているそうなのです。
 学習科学に関する研究会から派生した1日だけの勉強会です。英語文献ですが,興味のある皆さん是非。英語得意ではない私も頑張っているくらいですので,そこで立ち止まらないで,ご一緒しませんか?
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魁!学習科学塾 番外編ー転移
発起人:山口悦司(宮崎大学)
    中原 淳(東京大学)
    望月俊男(東京大学)
    林 向達(東京大学修士課程)
    舘野泰一(東京大学修士課程)
    三宅正樹(東京大学修士課程)
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■趣旨
 学校で勉強したことって将来役に立つのか??な
んて考えこと、ありませんか?ある時点で学んだ内
容が、次の時点にどのような影響を及ぼすのかは、
よくわかっていません。
 学習転移といわれるこの問題は、非常に大きな教
育的意味を持っています。それだけに様々な意見が
主張されてきましたが、まだまだ見解の分かれる未
解明な部分です。
 今回の番外編では、
・学習科学の国際ジャーナルの小特集(2006年)
・転移に関する最新の図書(2005年)
を輪読し、学習転移研究の現状と今後について
議論します。
 学習研究の最前線では、転移の問題がどのように
捉えられているのか、その意義や将来について、集
中的に学ぶことができます。
 研究会には下記の条件を満たす方なら、どな
たでも参加できます。
ふるってご参加ください。
1.下記の日程に参加できる方。
2.下記にある文献リストのうち、1つ以
上を担当しA4レジュメを作成し、発表でき
る方。なおレジュメは、PDF化し、NAKAHAR
A-LAB.NETにて公開させていただきます。
 ※研究会は相互貢献の場です。
 ※オブザーブのみに参加は認めないこと
  とします
なお場所の関係で、人数を11名にて打ち切ります。
ご了承下さい。お申し込みはお早めに。
■日時
 2007年 1月16日(火曜日)
   午前10時 – 午後7時まで
■場所
 〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
 大学総合教育研究センター
 マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
 tel:03-5841-1727
 fax:03-5841-1729
 東京大学本郷キャンパス内 第2本部棟4階
 403号室です。
 http://www.utmeet.jp/access/index.html
 
■参加の申し込み方法
 参加申し込みは、下記のリストから担当
したい論文を3個ご選択の上、下記の申し込み
フォームをつかって、
mmiyake[atmark]mvg.biglobe.ne.jp
のメールアドレスまで11月30日までにメールをください。
 ご指定いただいた3つの文献のうち、1つを
ご担当いただければ幸いです。
 【1】、【2】などという風に番号
でお知らせください。
 なお人数の関係で、11名を上限に参加者を
打ち切ります。先着順といたします。
 参加費は一回100円をお茶代として申し受けます。
〆ココカラ———————————-
申込フォーム
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名前:
所属:
メールアドレス:
文献担当希望:
 第1希望
 第2希望
 第3希望
————————————〆ここまで
■文献内容
1. 学習科学の国際ジャーナルの小特集(2006年)
The Journal of the Learning Sciences/ Volume: 15, Number: 4 2006
【1】 Alternative Perspectives on the Transfer of Learning: History, Issues, and Challenges for Future Research
Joanne Lobato
【2】Framing Interactions to Foster Generative Learning: A Situative Explanation of Transfer in a Community of Learners Classroom
Randi A. Engle
【3】Sameness and Difference in Transfer
Ference Marton
【4】Authoritative, Accountable Positioning and Connected, General Knowing: Progressive Themes in Understanding Transfer
James G. Greeno
2. 転移に関する最新の図書(2005年)
Transfer of Learning from a Modern Multidisciplinary Perspective
(Current Perspectives on Cognition, Learning, and Instruction)

目次情報
http://www.loc.gov/catdir/toc/ecip0513/2005009105.html
※今回の読書会では、以下のchapterを取り上げて輪読します。
【5】Chapter 1
Schwartz, Bransford and Sears
これまでの転移研究で用いられてきた指標とは異なる視点から新しい転移像を構築することを目的に。ターゲットとなる問題を解決出来るかどうかではなく、ターゲットとなる問題をよりよく学べるかどうか、将来の学びへの準備としての転移、という概念の提唱。
【6】Chapter 2
Wolfe, Reyna and Brainerd
fuzzy trace theoryという理論的枠組みから、転移を可能にする記憶の形態を考察する。
【7】Chapter 4
diSessa and Wagner
複雑な知識の集合としての概念が、文脈等の情報とどのように関係するのか、熟達者と初心者における概念やその適応能力の仕方の違い等から転移における問題を考える。
【8】Chapter 7
Hickey and Pellegrino
評価と転移との関係を評価を構成する3つの側面、学習理論、教授と評価の心理的距離、総括的あるいは形成的評価等の評価の役割、から考える。
【9】Chapter 10
Dziembowski and Newcombe
古典的研究の詳細な見直しから、これまでの研究が見落としてきた転移元と転移先における概念の違いや、転移の可塑性を明らかにする。
【10】Chapter 11
Hakel and Halpern
How People Learnの知見から、転移を促進する為の方法を考察
【11】 Chapter 12
Fisch, Kirkorian and Anderson
インフォーマルな場からの転移とはどのようなモノなのかを、テレビの教育番組の内容がどのように転移するか等から考える。
※当日、研究会終了後、懇親会をいたします
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研究会幹事:三宅正樹(東京大学修士課程)
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シンポジウムとその夜に

 諸々のイベントが終わってすっかり夜も更けたというか,しばらくすれば夜が明けそうというか…。語らったり,盛り上がる機会をもてるというのは,なんと嬉しいことだろう。
 詳しくは後日書きたいが,2日目のシンポジウムは最後の最後で私もフロアから発言することになった。シンポジウムのテーマに即して考えるべきことは何なのか,あれこれ思案しながらシンポジアストの皆さんの話を聞いていた。
 21世紀に入ったにもかかわらず,そしてWindows XP(すぐにでもVistaへ)やインターネット,Googleがインパクトを与えている日常になっているというのに,そのことに呼応した見解を述べなくてもよいものだろうか。私がこの世を去り,まだ見ぬ子ども達が私たちを振り返ったときに,彼らが何を思うのかについて想像力を巡らさなくてもよいものか。
 私にしてみれば,せっかく同時代に生き,こうして同じ場に集って語る機会をもった者同士,もっと大事にし合いたいと思うのである。とはいえ,単なる理想論というよりは,シビアに現実を見ることから始めるべきだというのが,私の主張だった。結局私たちは,分かってもらえる相手とコミュニケーションしてる振りをしているだけで,外に対しても内側においても,分かり合えてない相手とのコミュニケーションに欠けていたのではないか。
 まあ,また後日詳しく書こう…。
 懇親会と飲み交流会では,ご挨拶程度しか出来ていなかった先生方や大学院生の皆さんとしっかりお話しできる機会をいただいたり,とても有り難かった。大胆なことは好きだが,元来恥ずかしがり屋(そのうえ,うっかり屋さん)なので,たくさんの方々に失礼をしていると思う。それぞれの皆さんとちゃんとお話しできる機会がやって来ることを辛抱強く待ちかまえていたい。

日本教育工学会2日目

 一昨日の夜から関西入りして,昨日からの日本教育工学会に参加している。この学会とのご縁は2001年にさかのぼり,そのときは他分野の人間という感覚での参加だった。しかし,いよいよこの分野のフォーマットの上に則って自分の研究を展開しなければならなくなったから,あれこれ意識しながら発表などを聞いている。
 1日目のシンポジウムは「ICT教育とそれを支えるシステム」というテーマを聞いた。別の部屋では「社会人学習環境を創る」という,これも興味深いもの開催されたが,やはり教育現場関係のシンポを選んだ。
 あらためて,シンポジウムというのは難しい。いや,設定されたテーマが難しいのかも知れない。ICT教育がどうなるのか。そんな問いかけに陥ってしまったら,きっと議論百出だし,なにより今は政治問題と化しているのだから,研究者集団として何かをアピールすることは出来ても,問題対象を研究するというアプローチからどんなに迫っても,実りはないのかも知れない。損得で動くゲーム盤の上にのっかる覚悟があるかどうかを問われてしまう。
 (そういう意味では社会人学習環境を創るのは,団塊の世代からのニーズもありそうだし,世代交代によって薄まりつつある企業ノウハウや知識の喪失危機という意識が市場を生み出す損得世界が広がっていて,まだ夢があるのかも知れない。それを夢というかはいろいろ議論もあるかも知れないが…。)
 様々な一般発表を聞いて,分野の幅広さと様々な関心があることを改めて認識する。応募総数は過去最高数だそうで,確かに会場中を走り回らなければならないくらい。
 やはり体力は大事ということか。ちなみに関西大学は街から離れた自然多き場所にキャンパスがあり,街を見下ろせるその展望は素晴らしい。今朝は正門でバスを降りて大会会場まで歩いてみたのだが,学生さん達が朝から声を上げてスポーツしていたり,秋の気配を漂わせるキャンパス内の山道は,優雅な気持ちを抱かせてくれた。
 周りが木々に囲まれているだけに,学舎周辺の空間には大きな木のようなものはなく,現代的な建物でシャープに空間が構成されているので,そのコントラストがまた興味深い。
 さて,これから2日目のシンポジウムが始まり,懇親会があり,夜の交流会とイベント続き。そういう機会にいろんな人を知ってみたいと思う。人見知りせずに,上手くは話せるといいのだけれど…。

学習科学研究会-4

 今日は学習科学研究会の日。文献が変わって,Gerry Stahl (2006). Group Cognition を読む。協調学習を支援するようなコンピュータの在り方やツールを研究開発してきた著者の遍歴を綴ったような本。
 で,いきなり教師同士のカリキュラム共有を支援するシステム(Teacher’s Curriculum Assistant)を開発するお話から始まるので,ものすごく興味津々。なにしろ「こうだったらいいのにな〜」を形にしてみましたという雰囲気なので,思わず膝打ちしたくなる。
 ただ,成果としてはプロトタイプ開発で終わってしまった模様。まだインターネットが普及し始めの頃のことだし,レッスンプランなどを共有する発想が米国では少ないこともあって,当時開花はしなかったようだ。補助もカットされたとか書いてある。
 時代も変わってきたし,指導案を作り込む文化のある日本でなら,ある程度の可能性があるのではないか。そう思うのは,夢想が過ぎるのかも知れないとしても,50年後の世界に期待を掛けて,こういう研究の取り組みしてみてもいいんではないかなと思っている。
 その後,Yさんと飲みながら研究談義。これからどんなスタンスで研究に取り組んでいくべきか,いろんなヒントをもらう。腰を落ち着けて取り組む姿勢を意識しないといけない気がした。

プロジェクトで研究する

 今日は委託研究プロジェクトの定例会。いつもは産学双方のメンバーで行なうが,今回は研究者チームのみで集まり,研究議論と成果発表の展望を共有した。あらためてプロジェクトで動くことの意義や実際を確認することができ,だいぶ見通す先が晴れてきた。もっとも,今日の天気はどしゃ降り…。
 多くの研究世界がそうであるように,教育研究の世界にも,文系的研究スタイルの分野と理系的研究スタイルの分野がある。同じ研究対象にもかかわらず,この二つは研究成果の組み立て方や評価規準もだいぶ異なる。そして私といえば,この間を文系から理系へと越境しようとしている最中なのである。
 細かい事実を端折れば,文系的研究スタイルは孤独な文献渉猟や主題思索の上に一本一本論文を書いて成果を出す。渉猟と思索を重ねるのが研究の核であるから,論文を書くにあたってそれらが足りないというのは困る。とはいえ,終わりはないのが渉猟と思索の旅である。上手く問題設定をして切りをつける必要があるというわけなのだが,これも下手に設定して問題を矮小化してしまう怖さと闘わねばならず,私のような大言壮語する人間にはなかなか難しい。
 そしてまた細かい事実を端折れば,理系的研究スタイルは共同作業の計画的な設計と実行によって部分部分の考察を世に問い,最終的にそれら部分をもとに研究主題に関する一本の論文を書いて成果を出す。全体を部分に分けて計画的に実行するのが研究の核であるから,そのプロジェクトのマネジメントが不十分では困る。とはいえ,様々な課題や障壁,人的物的資源はマネジメントの知恵の輪である。上手く采配をふるって問題を切り分けたり,分担したりして,計画通り進行させる必要があるというわけなのだが,これも下手に采配をふるい全体構成が破綻してしまう怖さと闘わねばならず,私のような小心者にはなかなか難しい。
 文系的スタイルの方を入口にした私にとって,理系的なスタイルは何がどうなっているのかよく見えなかった。頭で理解しているものと,表面的に見えているものが上手くリンクしないのだ。だから,業績の積み上げ方とか評価のされ方も実感として落ちてこなかった。まあ,自分にとって肝心の文系スタイルの方だって,十分にクリアできていなかったんだから,そりゃアンタの理解力不足の問題だと言われればそれまでだけどさ…。
 それで最近になって,研究プロジェクトに加えてもらったおかげで,理系的な皆さんがどんな展望でプロジェクトやら研究を進めているのか,実感を伴って見え始めた。まさに「習うより慣れろ」である。
 そして思ったのだが,独りでやっているより精神的に楽である。ああ,別に手が抜けるという意味ではないのだが,少なくとも終わらない旅をし続けるような途方もなさからは解放される気がしている。
 ただ一方で,文系的な頭は「そんな割り切った問題設定でいいの?文句言う人いないの?」と老婆心を発揮する。システム開発の研究がシステムの普及推進までは問題としないことに違和感を覚えるのもその一つだ。
 けれども,その問いへの応答は,分野の越境努力にこそ期待されるのだと思う。だから口ばっかりじゃなくて,自分で飛び込んでみることにしたのである。そしていまはそのための準備体操中である。
 アクティブな皆さんと仕事をご一緒することで,自分自身も活性化されていくのが分かる。かつての職場でも,志ある仲間との仕事はこんな高揚感を味わえる数少ない機会だった。
 けれども,プロジェクトを展開していくことは,上にも書いたように簡単ではない。プロジェクト内部と外部の温度差が原因で,プロジェクトで立てた目標が,組織内で非難されたり阻害されたりすることもある。そうなると目標達成は難しいし,何よりかけた努力がむなしくなる。意欲喪失,組織停滞,辞意転職。っと,これ以上は言うまい…。
 プロジェクトを守るのは,プロジェクトマネージャーの力量や政治力にかかっているのかも知れない。でもそれだけでなく,プロジェクトの内と外をどうやって橋渡しするのかも考えていきたい。それはマネージャーでなくても意識すべきことだし,出来ることは何かあるかも知れない。
 何かの縁があって,私はプロジェクトの内側で仕事が出来るようになったけれども,かつて外側にいた私自身に対して,いまの私は何が出来るのかを考えたいと思うのである。