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東京出張

 今日は東京出張。朝も早くから自転車をこいで駅に向かい、空港バスに乗って朝一の飛行機で羽田に飛んだ。

 実は前日から頭痛が発生し、あちこち体もだるくなっていたのだが、せっかくの東京出張をキャンセルしたくはない。終業時刻を見計らってすぐさま帰宅し、明るいうちからベッドに潜り込んで休んだ。おかげで体のだるさは無事解消。後は勢いで出掛けることにした。

 午前午後と会議を行ない。その後は東京大学にお邪魔した。学会の論文誌をコピーしたかったので、何食わぬ顔して古巣の研究室で作業。後輩たちや先生とも再会できた。みんな元気そうでよかった。スタッフ室にも顔を出して挨拶した。

 調子にのって予定外の論文もたんまりコピーしてしまった。さすがにそのまま帰れないので、こっそりコピー代を忍ばせて失礼することにした。

 それから宿に荷物を置いて、向かった先は池袋。行くところは一カ所しかない。ジュンク堂池袋本店である。目星をつけていた本と店頭で見つけた本を予算オーバーになるほど買い漁った。徳島じゃ手に入り難いものだと思うとついカゴに入れちゃって…。

 さて、明日もお仕事である。終わったらそのまま逆方向に徳島へ。もう少しゆっくり滞在したいけど、まあまた次のチャンスに。

水無月五日 – 溜まった仕事

 梅雨が近づき,肌寒い日。毎授業に書かせるコメント用紙を照らし合わせながら,出席の確認を行なう。それから,来週の東京出張のための仕事に取り掛かる。隙間時間に興味のある資料や文献を読んだりするが,まとめて時間を確保するのは,やはりなかなか大変である。

 学生達に書いてもらうコメント用紙の確認。この仕事に関わってから,ずっと続けている。だから10年くらいのスパンで見ていることになるが,文章を書くことを苦手とする学生が増えているように思う。

 もちろん,受け持った大学・学部も違えば,学生個々人の違いもあるから,一概に言えることでは無い。けれども,コメントの分量が少なくなってきたり,漢字の間違いや表記回避の頻度増加などに直面することが多くなったと感じる。

 それとは別に,コメント用紙を書く授業終わり頃にのこのこやって来て,出席したふりをしてくれる学生も居る。休んだらどう?とも思うが,結局,最初から出席したくなるような授業を提供していない,こちらの力不足のせいだろう。そう思うと,コメント用紙を確認する作業も辛いものだ。

 (漢字の問題については,来週火曜日のクローブアップ現代が取り上げるようだ)

 来週金曜は,ある仕事で東京出張。久し振りに飛行機に乗って羽田に飛ぶ。ほぼ仕事で埋まるスケジュールなのだが,一泊できるので,夕方は東京散歩でもしよう。

 その出張のためにいろんな自作学習ソフトウェアを見ているのだが,とてもバラエティに富んでいる。Webサイトによるコンテンツ作品から開発ツールを使ったインタラクティブな作品まで。それぞれの目的と達成具合を理解したうえで,一通りプレゼンテーションするのが私の仕事だ。

 自分でもプログラミングがしたくなるのだが,なかなか簡単にはいかない。とりあえずアプリケーション開発の材料集めはしているが,どうなることやら。

 さて,仕事の続きを…。

水無月二日

 研究室の建物は,空調が中央管理方式。六月の衣替えシーズンになっても「冷房」には切り替わってくれないので,換気による室温調整が必要になる。

 研究室は扉や窓を閉めると密閉状態になる設計で,夜暗くなる頃に虫が入ってくるのを避けるために閉め切った後は,換気システムのお世話になるしかなかった。

 この換気システム。ダイキン製の立派なシステムなのだが,とりあえず手元で「自動換気モード」「全熱交換換気モード」「普通換気モード」というモード切り替えと風の強弱くらいは設定できる。

 正直なところ,モードの違いがよく分からず,熱のこもった蒸し暑い研究室を何とかするために「全ての熱を交換してくれるモードでいいかな?」と全熱交換換気モードを選んで過ごす日もあった。(時々気分で自動にしたり普通にしたりする。)

 しかし,熱が交換されるどころか,むしろ暖かくなっている気もしてきた。

 う〜む,パソコン機器とかの熱源が多いから,仕方ないのか?

 自分も暑がりだから,自分のせいか…。

 とか,いろいろ考えていた。

 しかし,六月に入って,さすがに耐えられなくなり,「いったい全熱交換換気ってなんじゃ?」と疑問を持ち始めた。それで調べてみることにした。

 その結果,大変な勘違いをしていたことがわかった。

 なんと「全熱交換換気≒室温維持換気」だった。

 ははは…。道理で暑いわけだ。

 どうも,空調と連動して室温と外温の換気による急激な温度変化を抑え,エコ空調するという代物らしい。またしても「空調管理システム」絡みである。まったく…,道具がしゃしゃり出すぎだ。

 しかもモードのネーミングがどうかしている。熱交換するのは,部屋の熱と外の熱かと思ったら,換気の際にすれ違う室内排気の熱と外吸気の熱のこと。要するにせっかく追い出した熱をご丁寧に部屋に返してくれるのである。

 教訓:背後技術のネーミングをユーザー向け機能名に使ってくれるな

水無月一日

 最初に思い切り振ったメトロノームが落ち着いていくように,徳島に引っ越してからの生活や仕事も徐々にペースらしきものが見え始めた。中途半端な拍数に変わりないが,それも数年すれば整うだろう。

 新しい職場では平日毎日授業が組まれているので,自転車操業的な教育活動が中心となっている。まるまる研究や出張をしたければ週末・休日を充てる。自分の研究室に閉じこもることは苦痛ではないので,特に困ってはいない。

 働き始めたというのに相変わらず貧乏なのは,あっちこっちから税金滞納分請求・学会費滞納分請求・新規税金請求・必要経費請求がやってくるのを律義に支払っているためだ。独身でもこんな調子なのに,家庭を持っている人達はどうやってやりくりしているのか,不思議で仕方ない。

 学問を志した以上,家庭や財産が手に入らなくても恨むまいと誓ったが,別に志さなくても現代社会は家庭も財産も手に入れ難いので,もっと別のことを誓えばよかったと思うこともある。

 前の職場を辞めて,当ても無く東京へ住み処を移したのは3年ちょっと前のこと。たくさんの人に助けられて過ごしたのは,何度も書いた通りである。貯金も尽きかけた頃に徳島からの求人。私も実体経済で生きる人間,お給料は欲しかった。

 飛び出すときも飛び込むときも,我ながらラッキーだったと思う。振り返って考えれば,どちらも上手くいかない場合があり得た。仕事を辞めたら(当時流行った言い方の)下流社会へまっしぐら,二度と這い上がれないかも知れなかった。貯金が尽きた3年目以降,都合よく求人が来なかったら生活はどうするつもりだったのか。

 「知力,体力,時の運」といえば,かつての名番組アメリカ横断ウルトラクイズのキャッチフレーズだが,とにかく時の運を巧いこと捉まえて乗り越えた東京生活だったと思う。

 いまは東京で研究したことを,情報技術(テクノロジー)を使って拡張するためのネタを仕込んでいるところ。上手くいくかは分からないが,とにかく頑張ってみよう。

 でもその前に,あちこちのお仕事お仕事…。

皐月一八日

 教職員健康診断やら学会研究会やら休日出勤やらで賑やかに過ごすと,自動的に次の週がやって来て,突然の会議や仕事がいくつも降ってくる。ぼちぼち年度初めの様子見が終わって,本格的な慌ただしさが始まりそうだ。

 6種類もの授業を走りながらつくっていくのは,なかなか大変である。特に初年度だから,学生の実態を踏まえた上で,あれこれ組み立てなければならない。いつか通った苦しい道を,再度歩き始めている。

 残念ながら,確実に体力は衰えていて,一日2コマが終わるとぐったりしてしまう。少し居眠りをして,ボーッとしてから,雑務をすると,あっという間に夜になる。遅い夕食をして,遅く寝て,そして朝早く起きると寝不足になる。あと繰り返し。

 ぼちぼち朝型生活に切り替えなければならないなと思う。

 関西圏で新型インフルエンザの感染が広がってるという。高速道路で接続している徳島県にも,遅かれ早かれ広まるのではないかと覚悟はしている。人の移動は頻繁だから,可能性は否定できない。

 私たちのように普段はせいぜい二,三ヶ所で生活している人間と違って,運送業など定期的に遠距離地点を移動しなければならない仕事をしている方々が居る以上,関西だけの問題で留まるわけがない。今週来週には関東圏も慌ただしくなるんじゃないかと心配である。

 とにかく生活を改善して,健康を維持せねば…。

研究会がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

 徳島大学で日本教育工学会の研究会が開かれるので参加した。わざわざ研究会の方から徳島の地にやって来るのだし,この前やっと準会員から正会員に切り替えたんだし,東京大学からの発表者もいらっしゃるみたいだから,参加しないわけにはいかないだろう。

 久し振りにいろんな方とお会いした。地方での研究会は賑やかというわけにはいかないけれど,それでもいろいろ発表があって面白く聞いた。自分も発表しないといかんなぁと刺激を受けた。頑張ろう。

 徳島大学では「五月祭」をやっていた。東京大学の五月祭は「ごがつさい」なのだが,こちらの五月祭は「さつきさい」と読むらしい。もちろん規模は比べ物にならないくらい小さいが,それでもステージが設置されて,賑やかにやっていた。

 せっかくなので,昼食は模擬店で買って少しは貢献しようかと思ったが,腹が膨らみそうなのはたこ焼きと焼き鳥とフランクフルトくらいしか売っていない。焼きそばとかはないらしい…,う〜ん。仕方ないので,たこ焼きと焼き鳥で我慢した。

 今日は天気がすぐれないので,途中,雨もポツポツ。それでも本降りにならなかったのはよかった。私も研究会を終えたら自転車で帰らないといけないので,買い物で駅に寄ってから急いで帰った。

皐月六日

 名古屋から新神戸を経由して徳島へ。さきほど無事帰宅。

 教育・人文系の蔵書からいくつか選んで段ボール6個分を送ったり,書店で新刊を眺めて手に入れたり,お仕事絡みな休日だった。まあ,実家の家族と食事が出来たから良かったとしよう。

 こういう機会には,いろんなものの有り難みを考え,それが分かってきたりする。

 自分を支えてくれていた家族や周りの人々の存在。都会暮らしをしていたときには気がつかない利便性。仕事をすることでもらえるお給料の有り難み。あっちこっち動く程度には元気な自分の健康状態。社会貢献する糸口がまだ残っている幸運。

 多くの借りがあるから,どんなに遠回りでも次代にお返ししないと…。

 そう思ったGW。

皐月四日

 GWも後半。実家に戻って蔵書の確認や大きな書店巡りをする。教育学や人文関係の蔵書の多くがこちらに残してあるので,それを徳島に連れて行かなくてはならない。

 20年前の駄文が出てきたので,思わず読みふけっていた。生意気で鼻持ちならないのは20年前から一貫している。もっとも若き日は惚れた腫れたのことばかり書いてあって笑ってしまう。とても人には見せられない,ははは。いまも変わらないか…。

 名古屋の書店事情は,不在していた3年の間に劇的に変化してしまった。

 名古屋には栄と名古屋駅前(名駅)という2つの繁華街がある。栄には一時期,丸善とマナハウスと紀伊国屋と旭屋書店という大型書店が揃い,名駅には三省堂とジュンク堂という二大書店が構えていた。

 ところが,名駅の再開発などで栄と名駅の集客バランスが変化し,出版不況といった背景も絡まって,マナハウスが閉店,旭屋書店が店舗縮小,紀伊国屋が栄から撤退し名駅へ移転してしまった。

 丸善は健在だし,新たにあおい書店が大型店舗で参入したりと,決して書店が消滅しているわけではないが,全体のパワーは衰退している感じ。特に専門書は丸善が踏ん張っているだけで,それも援護射撃がなく心細い感じになっている。

 それでもこれだけ書店が栄と名駅にあれば,書店環境としては悪いとは言えない。徳島は,紀伊国屋と宮脇書店ぐらいじゃないだろうか。ゆえに帰省中は書店をめぐって本漁りである。

 さてと,蔵書整理を頑張りますか。

皐月一日

 初めての土地にやって来て,新しい環境に自分の荷物を押し込んで,久しぶりの仕事を始めた四月が過ぎた。一ヶ月はあっという間だったが,たくさんの物事が動いた分だけ重みもあった。

 そんなスタートアップの慌ただしさの中で,GWの連休はちょっと一息つく絶妙なタイミングでやって来る。もっとも休み明けからのさらなる慌ただしさを暗示するかのように,あちらから一つ,こちらから一つ,そちらから一つと宿題やお仕事が舞い込み始める。

 とりあえず宿題とともに帰省。徳島から名古屋まで,高速バスで新神戸に向かって新幹線に乗るのが良さそうなので,そのルートで移動しようと思っている。

 今日はチューターとして担当になった学生達3人と個別に面談した。なんかものすごく年の差を感じつつ,この土地の今どきの学生たちの意識ってどんな感じなのかを探り探り会話した。

 暗い雰囲気だったらどうしようかと心配していたが,全然明るくて,やりたいことについて前向きな子たちだった。とりあえず入学したばかりの学生生活は楽しいみたいである。

 でも,3人揃ったところに加わって雑談していると,やっぱり90分の大学の授業は大変らしい。授業始まってまだ序盤だというのに「追試だよ,きっと」とか言っている。まあ,そうならないように頑張ろう。

 最後に徳島・阿波の方言をあれこれ教えてもらったが,使いこなすのはまだ修業が必要みたいだ。

今日もヴィゴツキー日和り…

 今日も午前中から大学にやってきてヴィゴツキーの文献を眺めている。おおよその俯瞰図を描いてから細部を埋めようとする質なので,あっちこっちの文献を行ったり来たりして,自分の中の整合性を調整している。この作業に時間がかかるのが,私の要領の悪さである。ああ。

 ヴィゴツキーの生涯は,37年ほどと短かったが,残した業績の影響の大きさは計り知れない。というか,彼の「心理学における道具的方法」という理論を知るにつけ,この重要な原理的知見が80年代になってようやく世界的な注目を集めて再評価されているという事実に,唖然としてしまうのである。それは私が生きているうちに起こっていることだったのだから…。
 ヴィゴツキーの生きていた当時,心理学の世界において主流であったのは,行動主義的な考え方だった。もの凄く単純化したところだけ言えば,刺激と反応という連合(SとRの連合)で表される世界観といっていい。何か原因があって,それがストレートに結果につながるような構図である。全てはそうした単純なS-R連合へと還元できるというわけだ。
 で,ヴィゴツキーは「それじゃ見落としてしまうものがあるんじゃない?」と疑問を投げかけて,SからRへの単なる直線経路ではなく,媒介物Xを置いたS-XとX-Rの経路を提示して見せたのである。曰く「こうした新しい経路による構造が重要だ」と。
 このXという媒介物は,私たち人間の精神について考えれば「言語」であるといえる。そして「言語」というのは文化的で歴史的なものであるので,この考えに基づく人間の精神の発達理論を「文化−歴史的発達理論」という風に呼ぶ。ヴィゴツキー理論と言った場合には,この文化−歴史的発達理論のことか,それを含んだものということができる。
 「媒介物を経由した,その構造が新しい」となると,それはまあそうだろうし,何も難しそうな部分がない。けれども,そのシンプルさゆえに,その考え方は強力だし,基礎的な知見としての耐性もあるわけだ。
 こうした重要な概念を打ち出したのがヴィゴツキー30代のこと。それまでの間に,いろいろ考えていたとすれば,若き日の彼の優秀さがここからも理解できる。なるほど「心理学におけるモーツァルト」と評されることも納得できる。

 と,ヴィゴツキーな時間を過ごしているが,今日は共同担当者との打ち合せの日だったにもかかわらず,待てど暮らせどやってこない。どうやらフラれたらしい…。さては,お盆モードで忘れたな。まあ仕方ないか。
 なんかこのまま一日終わるのも面白くないので,上野に出かけてみるか…。