水無月一日

 最初に思い切り振ったメトロノームが落ち着いていくように,徳島に引っ越してからの生活や仕事も徐々にペースらしきものが見え始めた。中途半端な拍数に変わりないが,それも数年すれば整うだろう。

 新しい職場では平日毎日授業が組まれているので,自転車操業的な教育活動が中心となっている。まるまる研究や出張をしたければ週末・休日を充てる。自分の研究室に閉じこもることは苦痛ではないので,特に困ってはいない。

 働き始めたというのに相変わらず貧乏なのは,あっちこっちから税金滞納分請求・学会費滞納分請求・新規税金請求・必要経費請求がやってくるのを律義に支払っているためだ。独身でもこんな調子なのに,家庭を持っている人達はどうやってやりくりしているのか,不思議で仕方ない。

 学問を志した以上,家庭や財産が手に入らなくても恨むまいと誓ったが,別に志さなくても現代社会は家庭も財産も手に入れ難いので,もっと別のことを誓えばよかったと思うこともある。

 前の職場を辞めて,当ても無く東京へ住み処を移したのは3年ちょっと前のこと。たくさんの人に助けられて過ごしたのは,何度も書いた通りである。貯金も尽きかけた頃に徳島からの求人。私も実体経済で生きる人間,お給料は欲しかった。

 飛び出すときも飛び込むときも,我ながらラッキーだったと思う。振り返って考えれば,どちらも上手くいかない場合があり得た。仕事を辞めたら(当時流行った言い方の)下流社会へまっしぐら,二度と這い上がれないかも知れなかった。貯金が尽きた3年目以降,都合よく求人が来なかったら生活はどうするつもりだったのか。

 「知力,体力,時の運」といえば,かつての名番組アメリカ横断ウルトラクイズのキャッチフレーズだが,とにかく時の運を巧いこと捉まえて乗り越えた東京生活だったと思う。

 いまは東京で研究したことを,情報技術(テクノロジー)を使って拡張するためのネタを仕込んでいるところ。上手くいくかは分からないが,とにかく頑張ってみよう。

 でもその前に,あちこちのお仕事お仕事…。

水無月一日」への1件のフィードバック

  1. w先輩

     青森のWです。コメントがまったく無いので、久しぶりにこちらに書きます。この文章を読んで、改めて本当に東京での3年目以降、どうするつもり(どうなるとこ?)だったんだろうなあ、と思いました。なんとなく、俺の広島での最後の年を思い出しました(笑)。
     ただ先輩としての感想は、りんの東京での3年間は、リング上でチャンピオンに戦いを挑む無鉄砲な挑戦者という感じだったかな?でも無鉄砲大いに結構!だって、その前はリングに上がることもなく解説だけだったものね。重いパンチももらったし、空振りもしたし、たまにクリーンヒットもあって、ふり返ると良かったかな、という気がしますね。また夏に飲みましょう!

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