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GWが終わって

 あまり考えを発信する気分にもならず、こちらのブログは停滞気味。

 内省的な思索がよどみがちなときは、あまりジタバタせずに何も考えない時間を確保することが大事だと思っている。

 この頃、プログラミング作業に没頭しているのは、考えないようにするためでもある。アプリの動作を設計している間は、ツイッターもニュース報道もたまにしか見ないで済むし、機械的な整合性を考えるだけなので気が楽だ。

 GWの連休は帰省もして、本当にのんびりと暮らした。

 半ばリセット状態になって、あらためて自分の立ち位置を考えたとき、教育学を学んでいた自分をどこかに置いてきたことに気がついた。

 価値相対化が進んだ時代に、どこかしら規範学的な教育学が存在感を弱くしていた事実はあれど、だからこそ教育学的な思考が逆に必要とされていると言えなくもない。

 カリキュラム研究は教育学の中の学際的分野としてどこか中空に置かれているが、それでも全体を見渡すために強い思考を伴って展開するものとして必要とされている。漂うような立ち位置は、実際のところ捕らえ所が無くて敬遠されがちなのだが、そういう媒介的なところが好きだから仕方ない。

 5/15にとある会でしゃべることになった。

 久し振りにカリキュラム研究者としての立場で語ろうかなと考えている。

 温故知新になれば、それでいいかなと思う。

いつものように

 新年度が始まり、新しい出来事も増えて、いろいろ慌ただしくなってくる。

 一方で、震災被害の大きさや、後手に回る対応など、やるせなさを感じる出来事も多く、日本の行く末に絶望感さえ抱く。

 被災地支援に貢献したい気持ちもあるが、自分に出来ることは従来からやっていることしかないので、淡々と日々を過ごすしかないかなと考えている。

 けれど、原発事故と放射性物質の流出などの問題は、地球規模の問題として考えれば考えるほど、うまく対応できていない現状に苛立ちと哀しみを感じる。

 日本経済が低迷したり、失墜しても、貧乏暮らしをすればいい。けれど、健康に害を及ぼす危機がこの世に住まうことを難しくするような問題は、全く次元の異なる深刻さである。

 学校教育は、この現実をどのように踏まえていくべきだろうか。

 学習がどうあるべきかという方法の問題は依然重要としても、私たちは何を伝えるべきなのかという内容の問題は根本的な問い直しを迫られる。

 情報は、真実を語られるべきなのか、脚色されるべきものであるのか。そのこと一つも十分な議論が積み重ねられているわけではない。

 世の中の見本が千差万別で、大本営発表だの、隠ぺいだの、記者クラブだのの問題があからさまに発せられる今日、子ども達は何を感じ、今後何を考えるのか。

 私は自分たちの世代も非難され、恨まれて、将来的に排斥されることさえ覚悟しなければならないと感じている。そのこともさらに上の世代への苛立ちに繋がっているのかも知れない。

 どちらにしても、私に出来ることは限られている。その力不足に対する批判は甘んじて受けるとして、将来的にどうやって退場するのかを真剣に考えなければならないと思う。

 

先入観の解除

 地震のあった翌日,恩師とゆっくり話す機会があった。

 いつもだったらお忙しそうな先生のお顔を拝見することが出来れば幸いといった感じになるところだったが,思い掛けない事態が,そうした定型を取っ払うことにもなった。

 あまり迷惑をかけちゃいけないという気持ちばかりあったせいか,世間話的な話をだらだらと交わしたことがなかった。院生の時は,自分のあまりの出来なさが辛くて相談の足も遠のいたりしていた。

 けれども,あの時の状況は特別で,大きな地震が起こった翌日午前にエアスポット的な時間が生まれた。

 恩師は施設の責任者としての仕事はあったけれども一区切りついたところ。師弟ともども他にどうしようもない状況に放り込まれたのだから,それはもうのんびり会話するしかないというお膳立てであった。

 恩師とテレビを見ながら,珍しく世間話と自分の仕事の話をした。

 テレビで映し出される災害映像は,翌日ということもあって,まだ地震や津波による倒壊や火災,帰宅困難者の居る駅の映像など中心で,津波が本当にもたらした甚大な被害や原発事故の全貌を十分に認識する段階にはなかった。

 そんな調子なので,恩師との世間話も阪神淡路大震災の記憶をたぐり寄せて今後の復興の話をする感じで始まった。

 復興にかかるコストのことを考えると,教育・研究費に割く財源も厳しいものになるだろうとか,それとあわせて,私が関わっている「フューチャースクール推進事業」についてもいろいろ意見を交わした。

 国の事業に関わるのは初めてなので,そこでの感想を率直に先生に漏らしてみたり,それに対する先生の考えや意見を聞いたりした。

 そういうことが嬉しかったし,あといくつか聞きたかった質問も思い出したので,それについても教えてもらうことが出来た。

 国全体は大変なことになってしまった時だけれど,私個人にとっては,その隙間で得られた時間がとてもあり難いものだった。

 その会話の中で,とある人の話題が出た。

 どんな風に接したらよいのか,まだ考え中の人。だけど,このところあまりよい印象を持ててない相手だった。

 恩師はその人と会ったことも話したこともあった。

 それで,どんな人なのか聞いてみた。恩師らしい表現でその人のやって来た仕事を説明してくれた。私がよい印象を持ててない理由も明解に指摘してくれた。それは悪い意味ではなく,そういう仕事をしている人だという意味で仕方ないことであった。

 「会って話してみたらどうですか?」恩師が言った。

 その人は誰にでも会って話を聴く人だという。取り次いであげようかとも言われた。

 私は困ってしまった。

 私もいろんな人に会って話を聞くのは大好きだから,本当なら「是非,お願いします!」と言って会ってみるのが自然だろうに,なぜか困ってしまった。

 それで私は,相手に対して先入観を持っていることを確認した。

 恩師に説明してもらったその人の過去の仕事について,一般知識以上のものを私自身が持ちえていないことも気になってはいた。たぶん誤解を持ったまま会ったらダメだという直観アラームがポケットの中で鳴っていたのだろうと思う。

 
 こういうときはスタートラインに向けて戻ってみよう。

 その人が書いた本で私が持っている本を探し出してみた。十何年前の本。誤解の出発点はこの本を読み切れなかったことにあるのかも知れない。

 それからamazonで著書を購入してみた。金欠なので関係しそうな本から2冊しか買えなかったけど,また夏のボーナスの時に他のも。

 先入観を解くには,少し冷静になって相手の過去を調べてみないといけないなぁとあらためて思った。

 
 そして,恩師も大事にしないと…。恩師孝行まだまだ足りない。

東日本大震災以後

 3月11日に起こった東日本の大震災は,地震,津波だけでなく,原子力発電を始めとしたインフラのエネルギー源に致命傷を与えたことで,深刻な打撃を日本社会に与えている。

 エネルギー源の損失によって,救助や支援活動が困難になるだけでなく,東京という中枢都市の機能が低下して,日本全体の体力が落ち始めている。

 また,原子力発電所の事故による放射能漏れへの恐怖という心理的な要因が,被災地支援の難しさを高め,震災対応に対する人々の苛立ちをも高めている。

 そうであるにも関わらず,日本人が暴動に走らないことを世界の人々は驚きの目で見て賞賛していたりする。今後日本企業が復興のために動き出すことを見越して投機筋による円高さえ引き起こされたりしている。

 少なくとも1万人の命が失われたり,見失われている。

 その規模と福島原子力発電所事故の影響規模を考えると,今後の財政的な厳しさは,よりいっそう増すだろう事は容易に想像がつく。

 子ども手当など政策の棚上げ議論もすでに聞こえている。緊急の復興国債発行を提案する声もある。

 原子力発電所事故の行方が全く見えない現段階では,復興にどのくらいコストがかかるのか,素人想像すら難しい。

 科学者でさえ,原子力に対する立場の違いによって見解に相違がある。

 しかし,諸外国の関心の高さと断片的な情報を自分なりの経験則で推し量ってみるならば,おそらく日本は未来を圧迫する厄介な問題を抱え込んだのだろうと思う。あとはどれだけ真摯に引き受けるかが残された課題だろう。

 日本が抱えた大きな問題の範囲で考えると,事態を静観して見守る他ないのであるが,そこを閑却して,いつもの範疇で今回の事態を考えることも大事なことだと思う。

 初めの地震や津波が起こってから一週間。

 あらためて教育分野や情報分野に関する問題が様々な形で浮き彫りとなった。

 実のところ,もう少し自分の中で物事を整理しないと,細々書けないなぁという感じ。要するに,まだ落ち着かない感じなのである。

 それも,自分自身がネットなどのメディアに繋がっているがゆえの問題なのかも知れない。

 災害時にTwitterが役立つのか役立たないのかという議論もあるが,TwitterにしてもWebにしても,テレビやラジオにしても,どのメディアにどのように接続するかは個人個人の問題だと思う。

 その上で,情報にしても物資にしても,いざというときには「仕分け」が出来ないといけないのだなとあらためて感じたり,そのための教育をどう考えればいいのかということもあったり,いろいろあるけれども,それもまたもう少し時間をかけて考えたい。

CEC「教育の情報化」推進フォーラム2011

 教育現場にコンピュータを整備する歴史の中で,1986年に通産省(現在の経済産業省)と文部省(現在の文部科学省)が共に管轄する団体として設立したのがCEC(コンピュータ教育開発センター)である。

 このCECは「100校プロジェクト」であるとか「Eスクエア」という名称の事業を展開し,その成果を世に問うてきた。そうした成果報告会が継続されて,「教育の情報化」推進フォーラムとなっているわけである。

 今回,企画内容に「21世紀型コミュニケーション力」とか「一人一台の情報端末」とか「デジタル教科書」とかのキーワードが並んでいたので参加することにした。

 相変わらず,直前まで宿も確保せず,ふらっとお忍び感覚で出かける。

 もっともTwitterでは全開で中継をしていたので,私が東京のお台場に居ることは世界中が知るところになっているわけで,おかげでいろんな人から声も掛けていただけた。

 学校現場からの実践報告は,様々な取組みから勉強させてもらうことが出来た。教育の情報化推進のためには,こうした細かい事例の蓄積も大事である。個別の善し悪しも,時間が許す限りじっくり検討できればなおよいと思う。

 事業報告「21世紀型コミュニケーション力の育成」は,なかなか興味深い内容だった。

 昨今「コミュニケーション力が大事」と盛んに言われているが,具体的にどのような力をつけるのか,どのように指導するのか,といったことが整理されていたとはいえなかった。

 報告された事業は,学習指導要領にある言語活動の中に21世紀型コミュニケーション力が含まれるであろうという考えのもとで,小学校から中学校にかけてつけるべき能力を整理し,指導指針を示そうという試みである。

 21世紀型コミュニケーション力とはどのようなものか。

 今回の報告は「交流」「対話」「討論」「説得・納得」という段階に整理することで指導を組み立てようとしている。

 個人的には多少,段階のネーミングに落ち着かないが,,整理した内容自体は子どもたちの実態を踏まえたオーソドックスな内容であり,また義務教育段階が押さえるべきコミュニケーション力としても妥当なものと感じた。

 しかし,何が「21世紀型」なのかは,残念ながら明確ではない。

 たとえば,最後の段階である「説得・納得」には「相手を説き伏せる」という文言が含まれているが,これでは20世紀型と言われても違和感が無い。より妥当性の高い説明や理解を求めるという一種の正解主義的なアプローチと勘違いする危険も残る。

 発刊された報告書には,この点についての理論的な検討はほとんど記述されておらず,基本的には学習指導要領にもとづく理論構築に終始している。

 何が21世紀型なのかは様々な議論があるが,たとえば教育心理学の世界では「知識構築型アーギュメント」という用語が登場している。

 捉え方によっては,知識構築型アーギュメントもより妥当な提案を求めているだけとも見れなくはないが,「共同体にとって価値のあるアイデアを産出し,継続的に改善すること」という定義からすれば,協調的なレベルを最終段階で(再度)重視することだと考えられなくもない。

 ただ,義務教育段階を対象とする限り,21世紀型で特徴的なことを明確に言語活動の指導事項として起こすことは難しい。それは中等教育段階に期待されるところであろう。

 報告「児童生徒一人一台の情報端末による教育に向けて」は,東日本地域におけるフューチャースクール推進事業の成果にもとづいたものである。

 東日本地域の事業推進体制は,研究者チームによる全体会が事業と研究をしっかりと掌握しているため,早くから実践事例を集約し整理するなどの成果を発信している。

 この点について西日本地域は異なる体制のため,事業と研究を事業者(シンクタンク)が担っており,研究者は助言を伝える役割でしかない。それぞれの実証現場で得られた知見を十分発信することができない歯がゆさがある。
 (私がTwitterやブログでゲリラ的に情報発信しているのは,それではダメだという考えにもとづいている。)

 東日本地域の体制と情報発信は評価に値するし,敬意を表する。

 報告内容は,実践を「創造」「考えや意見の共有」「協同」「提示」「情報収集」「習熟」「コミュニケーション」の7種類の活用法に整理したり,一人一台環境の具体事例の紹介であった。

 一人一台環境で取り組みたいこと,つけたい学力とは何か。またこうした環境を導入する際には,劇的な変化を目指すのではなく,新しい取組みをそっと付け加えるのだということも重要であると指摘された。

 総括パネルディスカッション「デジタル教科書のゆくえ」は,話題になっているデジタル教科書に関する動向を扱ったもの。

 登壇者は,デジタル教科書に関する企業の協議会の発起人やiPadの教育利用に関する新書を書いた塾業界人,そしてデジタル教科書を開発している教科書会社の企業人の3人。

 協議会発起人は,このテーマでだいぶ有名になった人で,あちこちで講演している内容とか『教育と医学』誌に書かれていた原稿とほぼ同じ。

 塾業界人も,新書の内容と塾で取り組んだことの報告。iPadあるいはデジタル教科書はツールでしかないという主張は大いに賛同できるところである。

 教科書会社の人は,現在開発が進行しているデジタル教科書についてや,様々な調査などを踏まえて学習の在り方やカリキュラム開発の重要性を指摘。

 基本的に,三者三様の主張や報告は,それ自体異論もないし,デジタル教科書議論を追いかけてきた人間からすると新しくもない。

 その後,司会者の味のある進行でフロアからの意見もたっぷりと拾うことになった。

 さて,最初は大人しくして聴くことだけに専念しようかと考えていたのだが,やはり出てくる質問や質疑の拡散具合を聴いていて,どうしても我慢できずに発言することにしてしまった。

 このままだと「様々な議論がありますが…」的なまとめで終わりかねない。

 「デジタル教科書のゆくえ」と銘打ってはいるが,そのことの本当の意味を考えた上で全体の位置づけを把握してデジタル教科書を議論せず,デジタル教科書そのものだけに目を奪われては短絡的である。

 三人の登壇者の発言を拾い直して,この問題がある特定のデバイスを学校教育に導入することの問題ではなく,新しい教育に取り組むための仕組みが学校教育制度に欠けているということの問題として理解することを投げ掛けた(つもり)。

 これだけ社会や世界における学びが多様化しているというのに,そこから最も遠ざけられ学校教育に捕らわれた形になっているのは,他ならぬ教員である。

 デジタル教科書の導入は,確かに学校教育に大きなインパクトを与え,その波風の中で教員にも新しい物事との出会いをもたらす意味で重要だとは思う。しかし,それはデジタル教科書に限った特徴ではない。デジタル教科書よりも他のものを選択した方がよい場合だってある。

 どんなものだって教育的な可能性を感じたのならば,まず取り入れて試してみて知見を積み上げていくことの自由が,なぜ日本の学校現場は保証されないのであろうか。

 遠い将来に,新たなツールの教育の可能性が注目されたときに,私たちはそれについてもデジタル教科書と同じように議論を繰り返してばかりで,可能性に近づくことが難しくなるのだろうか。

 いまはたまたまデジタル教科書の議論になってはいるけれども,ここで私たちが考えなければならないのは,新しいツールを活用するような新しい教育に対応するための試行錯誤の自由を専門職としての教員が獲得できるように,教育の諸制度をデザインし直すことの必要性であり,そのためのコンセンサスを得ることである。

 いま現職の多くを占める比較的上の世代は,あと数十年のうちに現場からいなくなってしまう。そのとき,残された下の世代が新しい取組みにも柔軟に対応できるよう,いまから置き土産のように準備しておかなくてはならない。

 これは現職の教員の問題ではない。将来の教員の問題なのである。

 というようなことを話したのかどうなのか…。自分が発言したわりには忘れっぽいこともあって,だいぶ話が膨らんじゃったのかも知れないが,とにかく,こんな調子のことをしゃべったと思う。

 幸い,司会のAK先生の最後のまとめが素晴らしかったので,私の中途半端な演説の記憶は聴衆の心の中からキレイに洗い流されただろうからホッとしている。

 そのあとはマイタウンマップコンクールの授賞式を見学してから,一人で東京の街に繰り出し,唐揚げ食べたり,ジュンク堂に捕らわれたりしていた。

 なかなか楽しい東京滞在だった。

新しい地平を見たあとに

 教育らくがきの更新がパッタリと途絶えたのは、書き出すことよりも、いろんなことを眺めて見ることに力を入れていたことが理由とも言える。

 2010年に起こった出来事は、私にまた違った地平の景色を見せてくれた。その景色が、私自身の考えてきたことや知っていること知らないこととどう関係づけられるのかを必死に追いかけていた。

 私はカリキュラムを専門に出発した研究者なので「情報通信時代の教育内容とは何か?」という問いを基調に活動をしてきた。

 情報通信時代の教育内容…それは現代的な事象を踏まえた未来にも通用する知識の集合体、とでも答えられそうなものである。

 しかし、この時代にふさわしい教育内容とは何かという問いは、70年代からの学校化に対する社会学的議論をくぐり抜けていく中で、教育方法と共に権力政治問題と分かちがたい共犯関係を論難され、単なる内容構成の問題で済まされなくなっていた。

 よって、教育という場で展開するコミュニケーションと密接な関係、言い換えれば教育の場における「知の扱われ方」のことを見極めることで教育内容とは何かが明らかにされなければならないと考えられているわけである。

 これは学習論の観点から言うと、知識伝達型から知識構築型への重心移動とも関係する事柄である。

「知っていること」の意味が,「情報を覚えて暗唱できること」から「情報を発見し利用できること」へと変わろうとしている(Simon, 1996)

 といった知識学習に対する捉え方の変化は、21世紀を迎えて10年、もはや対岸の火事としては見られなくなってきているのである。

 けれども、一方で、従来の教育内容についても、かなり他人事のように扱ってきた歴史がある。

 たとえば、教科書中心主義と称される教育は、教育内容の構成を不問のまま、内容の伝達技法を研ぎ澄ませるという積み重ねを強いてきた。

 何のために教えるのかを問わないまま、伝達と習得を評価する作業が繰り返される中で、「教育目的に照らして評価する」という基本的な構造がすっぽり置き忘れられてしまったのである。

 教科教育学は、基本的に教科書中心主義の世界観において強固な基盤を構築する努力を続けてきた学問群であり、それも教科を越境をすることはない分断された状態にある。そのため、教育目的という場合のそれは「教科の教育目的」であり、それに連なる教育目標を煮詰めている。

 よって、学校教育全体の教育目的が情報通信時代において新しい捉え方を要請されているのだとしても、全体の教育目的が教科の教育目的のところと接続する回路が乏しい状況では、方向性を示すだけでは届き難いという現実がある。

 つまり、個々の教師の教育実践にインパクトを与えるためには、実質的な教育環境の変化によって行動の変容を促すことも考えなければならないということである。もちろん方法は多様だ。

 教育の情報化に関して、私は教師の周辺における情報化を優先的に行なうべきだと考えている。それは、単に校務の情報化というだけでなく、教師の専門性を発揮する様々な場面(教材研究、教材開発、授業支援 etc..)に自在に活用できる環境をつくることを想定している。

 しかし、現実に進行した情報化は、子どもたちが使用するコンピュータの整備を優先的に行ない。大小の成功失敗を繰り返してきた歴史であった。教育の情報化が子ども達の学習に役立つと言えば聞こえはいいが、それは容易ならざるハードルの高い目標であり、まして日本の場合、そう簡単には成功と認めてもらえない領域である。積み重ねを考えれば、攻めるところを間違えているとしかいえない。

 昨今、ようやく教師に1人1台のコンピュータが整備されるようになり、電子黒板と提示用電子教科書(デジタル教科書)の本格導入が始まろうとした。かなり出遅れたが、まともな循環に入り始めたところだった。

 ところが、2009〜2010年に起こったことは、ようやく始まった妥当な流れを遮った上で、教師用が主なターゲットだったデジタル教科書に「児童生徒用」を持ち出し、またもやハードルの高い領域へと最初に攻め込もうという機運を生むことになった。

 将来的な展望として、児童生徒用のデジタル教科書がめざされてもよいと考えているが、しかし、その前に教師にとってのデジタル教科書が十分整備されたり、教師としての専門性を高めるための情報環境がリッチにならない限り、児童生徒用の成功はあり得ない。

 それに、私たちは、情報通信時代の教育内容とは?という問いを追究するための方法論さえまともに確立していないことを忘れてはいけない。その問いに対する議論の積み重ねも無いところに、どうしてデジタル教科書なるものが受け止められる可能性が生まれようか。

 そして2010年、私は国の事業に関わる仕事を請け負った。

 事業全体からすれば、末端の一協力者でしかないから、何か偉そうなことができるわけではない。

 ただ、そういう仕事に関わらない私から見たとき、そういう仕事に関わっている私に何を期待するのかをいろいろ考え、できるだけそれに沿うようにしようと思った。

 末端の協力者とはいえ、事業に関わる関係者に「会う機会」が生まれるし、そういう人達に何かを「言う機会」も得られる。関係者から詳しいことを「知る機会」だってある。

 そういう新しい地平から見える景色は、必ずしもバラ色ではないし、どこかもどかしささえ感じることも多い。

 どこかに訴えることで解決する問題ならば大声で叫んでやりたい気にもなるが、残念ながらそう簡単な話ではないことも分かってくる。だとしたら、私にできる事は関係者に問いかけて、議論をもっと深くに掘り下げてる糸口を見つけ出していくことだけである。

 過去の文献を紐解く度に、同じ問題が発生していて同じような課題提起がなされ、今後打開されていくことの期待が記されていることを、重々承知している。諸先輩方は、その歴史を繰り返してきた張本人だし、私以上にその進歩の無さに辟易しているはずである。

 その鬱屈とした歴史を接ぎ木して、問題をまた先送りすべきではないと思う。今作成が行なわれている「教育の情報化ビジョン」が、新しいスタートのための希望の持てる展望を示すものであって欲しいと願う。

 大まかには、こんな感じで考えている。

 あと各論の細かいところを駄文にしたためられるようにしていこう思う。

遅い新年のご挨拶

 長らく更新が滞っていることも問題だが、この教育らくがきで年末年始のご挨拶を放ったらかしたのも珍しいことであった。
 遅ればせながら、2011年もどうぞよろしくお願いいたします。

 更新の滞りの主原因が、TwitterとFacebookなどソーシャルメディアへの軸足移動にあることは、あらためて書くまでもないかも知れない。

 ブログに軸足があるうちは、発信したいものがあればそれなりに文章を練る時間を確保して、ここに長い駄文を書き連ねるしかなかった。ブログに書く以上は、どうたらこうたら書かないと気が済まない性格であるから、必然的に駄文の積み重ねが生まれてく。

 けれども、Twitterに軸足が移り始めると、書きたいことをパッとツイートするのが習慣になり、それで発信意欲はとりあえず満たされてしまう。そのあとブログにああだこうだと書くのは、どこか野暮な気分になってくるから、いよいよブログ更新が滞るというわけである。

 まあ、そんな誰しもが百も承知の言い訳をダラダラ書いてしまうのも、私の駄文ブログならではというところである。

 昨年は、iPhoneやiPadに始まり、デジタル教科書やフューチャースクールに絡まって過ぎた一年だった。遊軍みたいな研究者なので、それはそれで賑やかにやれたと思うが、こもって勉強したり何かを書いたりする機会を確保する難しさが増した。

 それで、分散していた蔵書の統合を決断したのが昨年後半だった。過去に集めた文献資料も今の研究室にまとめて、研究室を書庫化すれば調べ事もはかどると期待したのだった。もっとも山積み状態の蔵書では検索性に欠けてしまうが…。

 とにかく、今年は過去を参照して現在を見直してみることに時間を掛けようかと思っている。繰り返される歴史を、もう少し先へ進む未来に繋げるための補助線を紡ぎ出してみようという魂胆である。

 もう一つやりたいと考えていることがある。Webやアプリのプログラミングである。

 NICER運用停止については別の駄文に譲るが、いま教師を支援する情報環境やサービスは新しい考え方のもとで構築される必要性が強まっている。

 どのような支援環境が求められているのか。そのような問いに対する様々なチャレンジが活性化されなければならないと思う。そうしたチャレンジをひとつふたつでも企てたいなと思っている。たくさんのチャレンジがあって、その中からウケるものも出てくるはずだ。

 悲しいかな指導学生がいないので、この企てはほそぼそと趣味的に展開するしかないのが玉に瑕だが、気長に取り組もうと思う。

 徳島に移って2年が経過する。今年も慌ただしい一年になりそうだ。

 どうぞ、よろしく。

関心・意欲・態度

 サーバーの不調が発生していた。昨日のブログを更新して掲載できたと思ったら,データベースをリストアされたようで,きれいさっぱりなくなっていた。

 検索するとGoogleにキャッシュが残っていたので,それをまるまるコピーして再投稿した。便利というべきか,恐ろしいというべきか…。

 先回書いたように,最近は韓国の情報を収集するために,韓国語Webサイトをぐるぐる徘徊している。

 Google Chromeというブラウザを利用すると,Webページを遷移する度に翻訳機能が働いてくれるので,上手に使うとカタコト翻訳でも情報を得ることができる。

 以前は対象ブラウザをIEに特化するのが当たり前だったので,いまでもアクセスや翻訳に難儀するページは多い。さらにハングル文章をイメージ画像で表示することも珍しくないので,翻訳機能が役に立たないページも多い。

 近日中に韓日翻訳ソフトを手に入れて,PDFファイルなどの翻訳にも手をかけてみようかと思うが,いつまでも機械頼りでは埒があかないだろう。

 不思議なもので,「知りたい!」と思えることがあると,少しは言葉の壁にも風穴があくらしい。

 挑戦しようと何度も語学入門書を開きつつも,ハングル文字を前に挫折を繰り返してきたにもかかわらず,最近は,実際の文章の中でハングル文字を興味深く眺められるようになった。

 文字の原理とかは何度も説明を読んで知っていたけれども,そういう「仕組み」が「面白く」思えるためには,(私の場合)意気込みだけではどうも駄目みたいなようだ。

 束のようにやってきた韓流ドラマやK-POPじゃなくて,デジタル教科書ではまるとは思わなかった。そのうち逆流し始めるけれど…。

 そんなこんなで,あれこれ漁る日々。

 今週末は出張&引っ越し荷造り作業など,また慌ただしい。

韓国を探しながら…

 最近はフューチャースクールのこともあって,こちらの駄文を書く機会を逸していた。久方ぶりに科研費の書類を書こうともしていて,どうして味付けしようかと考えながら文献をひっくり返すと,時間があっという間に過ぎる日々である。

 国内のデジタル教科書の動向に目を光らせつつ,お隣である韓国の取り組みや動向を追いかけている。

 「韓国は日本よりも先行している!」と日本からひっきりなしに視察団が出向いたりして,韓国のデジタル教科書の取り組みは話題になっている。デジタル教科書を議論し始めた日本にとっては無視できないお隣さんというわけだ。

 私も5年前(2005年)に釜山に連れて行ってもらったことがあり,現地の学校を見学したことがある。当時は,学校に各教室に大型ディスプレイと提示用パソコンが備えられているという段階で,ユビキタス・スクールという事業指定を受けた学校ではWindows Mobileを搭載したiPAQというモバイル端末を導入する実践も行なわれていた。

 その勢いが2007年からのデジタル教科書モデル事業につながっていくことを考えれば,だいたい現地の様子は察しがつくといった感じだ。

 しかし正直なところ,韓国という国に対しての私の理解はまだ浅い。

 デジタル教科書のことを追いかければ追いかけるほど,韓国に対する根本的な理解の努力を省いて語ることが難しいと感じるようになってきた。

 なぜなら,教育の周辺で垣間見られる人々の状況や言動が,非常に日本に似ているように思われたからである。

 もちろん両国の仕組みは全く違うし,日本人と韓国人の文化や思考体系もかなり違う。

 にもかかわらず,調べるほどに日本と似たような問題に直面し,似たような選択をしている部分があるように見える。

 この要因をどこに求めればいいのか,それを自分なりに探らねばならないなという気持ちが強くなっていたのである。

 少しずつ歴史や政治の問題を知るために文献を読むのだけれども,日本語訳されているものは限られているし,どの立場で書かれたものなのかを判断しながら読むのはなかなか難しい。

 ネットの情報は特に判断が難しい。朝鮮日報などの韓国主要メディアはご存知の通り,日本語サイトを用意するサービスぶりだが,だからそれが韓国の実態や世論を反映しているかと問い始めると,安易に信じることもまた難しい。

 文部科学省の『諸外国の教育動向2009』によれば李明博政権の教育政策の柱は「公教育の信頼回復」と「科学技術力の強化」を目指すことだとされている。

 しかし,教育の平準化を継承する一方で,高校の多様化を推し進めて,公教育と私教育のバランスがどこへ行くのか,まだよく見えない。

 ただでさえ韓国の教育熱は世界と比べて断然熱く,学歴競争がしっかりと埋め込まれている社会であるから,その点でも韓国教育を参照する際には気をつけなければならないことが多い。

 しばらくは韓国の本当の姿を探しながら,あれこれ慌ただしい日々を送ることになりそうである。

 まあ,まずは韓流ドラマの復習と,K-POPのお勉強から始めることにしますか。

個人年表を書いてみた

 ふらふらと人生の遠回りをしているうちに,自分が何をしてきた人間なのかを知っている人が周りにほとんどいなくなってしまった。

 とにかく,出来事がたくさんありすぎて,その度に異なる場所の異なる人々と一緒になるので,私自身を時系列で知っているのは私だけになり,その私自身もまた忘却のせいで自分自身を把握できなくなっている。

 あちこちに自分の痕跡は散らばっているのだけれど,細かい前後関係はよくわからなくなっていて,素材はあるのに正しく並べることが困難になっている。

 ということは,私のことに関心がある人,あるいは私と何かの縁で一緒になった人達は,もっと分かっていないわけで,どうして私がこんなにバランバランな人間なのかの理由さえ,掴み切れていないのだろう。

 というわけで,私も私自身を見失う前に(もうほとんど前半は見失っているのだけれども…)年表を作ってみた。(→Kotatsu RIN’s Personal History

 記憶に残る大きめの出来事を書き出しただけなので,細かい諸々はかなり端折ってあり,展開は極端だが,遠回りしていることだけははっきり分かる。大したことない人間だと了解できれば,役目としては十分である。