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勝手に共有

 近々,「ICTを活用した先導的な教育の実証研究に関する協議会」という総務省と文部科学省が連携している事業の省庁関係者と協議会構成員による会議が行なわれる。

 構成員の先生方が学校現場を視察するための準備や実施が進められているようだ。実証校では公開授業などが開かれている慌ただしい時期のため,日程調整はなかなか難航したりする。仕方ない面もあるとはいえ、なかなか悩ましい。

 オープンに情報交換できるとよいのだが、フルオープンにすると無用な混乱が発生するということも一理あるので、ぶっちゃけ型の私なんかは少々自制しなければならなかったりする。

 それでも,実証現場と協議会のような場との乖離は明らかだし、それはこちらから情報を送り届けきれていないとにも原因があると思うから、少なくとも私が怒られて済む範囲の情報(ってのがあるわきゃないとも言えるが ^_^;)なら,協議会関係者などに直接お知らせするのも悪くないと思うのである。

 というわけで,私たちにはソーシャルメディアがあるじゃないか,あるじゃないか!てな具合に,私の手持ちの情報を勝手に共有することにした。

 総務省「フューチャースクール推進事業」(FS:Future School)と文部科学省「学びのイノベーション事業」(LI:Learning Innovation)事業に関わって撮りだめている手持ちの写真をSNSで写真共有する。

 普段は公私でFlickrに写真を溜め込んでいるが、これでグループを作ってみたものの,米国Yahoo!のみで展開しているサービスということもあって登録が面倒くさいようだ。それで他のSNS,FacebookとGoogle+を検討してみた。

 Facebookの写真アルバムは,友達リスト機能と組み合わせると特定のグループで写真を共有できる。ただし,見てもらうには互いに「友達」承認しなければならない。
 アルバムは無制限に作成できるが,一つのアルバムは200枚までという制限がある。

 Google+にも写真アルバムがあり、サークル機能と組み合わせることで特定の人々に写真を見せることができる。Facebookと違って,Google+は一方的に相手をサークルに放り込んでしまえば、承認し合う必要もなく見てもらうことができる。
 アルバムは写真と動画を無制限に作成することができる。

 
 まぁ,どっちにしても相手がSNSに登録していなければ意味がないといえるが,とりあえずあれこれ共有の手段を確保して情報提供できればと考えている。

 意外なことに,わりと文部科学相側の協議会構成員はGoogle+に登録している人が居て,総務相側は一人くらい…。まあ,構成員にも是非ICTを利活用していただきたいと願いながら、学校現場近くからの情報発信を展開したいと思う。
 

次への布石

 連休中の東京出張から引き上げ,徳島に戻る。

 東京では研究会の出席やら,いつもの訪問先を巡り、仕事道具や文献資料を集めて、ぶらぶらしながら情報収集。行きは鞄一つで身軽だったが,帰りは荷物が増えて移動が大変である。

 懐はすっかり凍りついたので、しばらくは大人しくしたい。

 このところのお出掛けで世間の様子を見た限りでは、大震災はあったものの、その後の日々は何事もなかったように淡々と続いているといった風な感じであった。

 ただ、国内の素知らぬふりはともかく、国内の繁栄は相当のコストを覚悟しない限り困難であることは共通了解事項になりつつあるし、日本自体の対外的プレゼンスはますます薄くなっていることにも異論が少ない。

 
 こういう状況で、どちらかといえば底上げを基調として動いてきた日本の学校教育をどのように変えていくべきなのか。いわゆる新しい学力やナントカ型スキルが諸説紹介されているし、あれこれ実践事例も話題にされている。

 ところが日本のように可もなく不可もなく教育を低コストで推し進めてきたような学校教育風景から、そうした議論を眺めると、「それは分かってますし実現できますよ、あなたが予算と決定権を与えてくれたらね」みたいな受け止めが現実で、それは矛先を行政や国民に振り替えてもあまり変わらないのである。

 その上、この国に一番欠けているのが財源とリーダーシップだと異口同音に大合唱しているのだから、あとは限られ残されたリソースを我先に確保するか、どこからか奪うしかやれることがない。大震災関連のコスト発生は、そうした日本の現実をより分かりやすく露わにさせたともいえる。

 
 個人的な考えでは、可能であれば日本を離れて世界の学校を渡り歩くくらいの感覚で子育てした方が良いと思っている。もっとも親の仕事に絡んで暮らす場所が自由になるわけではないので、高校生や大学生になったら留学をさせることから始めるのが現実的だろう。大震災以降、この選択肢はとりわけ重要だと考えている。

 一方で、日本の学校教育に関して諦めるわけにはいかないのも事実。とはいえ、国内経済が衰退していくことを他人事のように眺めながら、学校教育だけ充実させることは難しい。そのことを念頭に起きながら方策を考えなければならない。

 もう少し物事を丁寧に追っていく必要があるが,同時にそのスピードを上げなければならないから,なかなか難しくもある。

 焦る気持ちはあるけれど,私は時代に漂い流されながらフィールドを渡り歩く人間。なかなか腰を据えて取り組めないのが悔しい。

教育フォルダ Twitter

 2009年11月末から教育フォルダ Twitterアカウントで教育関連情報へのリンクをツイートしている。あと2ヶ月頑張ると2年経過したことになる。

 もともと教育フォルダは,このブログのタイトルである「教育らくがき」というホームページから始まっている。そして,まさに当初していたことが教育関係のWebページへのリンクを紹介するという活動だったので,教育フォルダ Twitterの開始は原点回帰だったわけである。

 教育フォルダ Twitterのツイートは,私が眺めている情報の中から共有したり記録したりするとよいと思ったものである。ピックアップ作業は全部手作業なので,更新タイミングなどは不定期だし,出張行ったり,仕事が慌ただしい時には更新が鈍る。

 リンク情報とはいえ,ネットでは時間が経てばリンク切れも当然なので,もとの情報が公開された日付,情報元を明示するようにしている。リンク切れでも新聞社のWeb記事なら日付を頼りに新聞紙面を探せるかも知れない。もちろんWebオンリーだと無理だけれど。これらも全部手作業である。

 ピックアップ基準は特に決めていない。逆に,教育関係としても個人の不祥事とかの話は,よほど共有した方が良い知見が含まれていない限りは採用しないという傾向はある。

 あとは,気分次第なので,その辺が教育から遠回りしているあたりと思っていただければ幸いである。最近は原発事故問題などの関係も多く,正直なところニュースを追いかけていると気が滅入ることも多いけれど…。

 誰かのためというよりは自分用のニュースログとしてやっている面も大きいので,それなりに継続していくと思う。2100名強の皆さんにフォローしていただいているのは有り難いこととも思う。まあ,力抜いて続けますか。

311後の学術活動

 日本教育工学会に出席したことに関してはりんラボ・ブログに書いた。

 あのような文章を表ページとも言えるりんラボ・ブログに書くのは珍しいが、もちろん、もっとディープなお話があるからこそ、である。

 「国際重視・国内軽視」というのは極端な表現なので、そんなことを考えている人はいない!とお叱りを受けるかも知れない。しかし、そのように受け止められる余地がある以上は、あながち間違いな表現でもないと思われる。

 そこで、否応なく連想したり重ね合わせてしまうのが、311(東日本大震災と原発事故)以後の出来事である。

 特に原発事故に関係する情報の一部は、国内重視・国内軽視の姿勢に則って流れていたのではないかと思わざるを得ない。

 国際社会や機関に対しては情報を提出しなければならないのでルール上出すが、国内社会や関係者に対しては何かしらの理由をつけて情報を隠蔽していたことは周知の事実である。

 もっとも、こうした現実は、国際重視・国内軽視が理由とは言えないかも知れない。全く逆に「国際軽視・国内重視」だからこそ、海外にはホイホイ情報を出すが、国内には危機管理やパニック回避の理由から情報公開を渋ったと説明することも成り立つ。

 結局、私が言いたいのは、方輪走行の滑稽さなのだ。

 そして、積極的に情報公開を行ない、共有した情報をもとに議論を展開することの方を私は好むということである。

 もし無差別的な人々による議論の拡散やあらぬ誤解によって間違った展開をすることを懸念しているというのなら、それこそ学術研究共同体が責任を持って情報掌握と議論を代理していくことこそ大事だろう。その場合でも私自身は広く情報公開されるべきと思っている。

 私が心配しているのは、国際重視・国内軽視みたいなことを無意識にやっていると、そのうち研究者というものは足下救われちゃいますよ、ということだ。

 日本の文脈を離れて研究することは良いこと。けれど、日本の文脈はいつになく困難な事態を迎えているというのに、それについて何もコミットしないのは、いかがなものか。私にしてみると、国内の面倒くさい部分は先達の人たちに押し付けて見て見ぬふりをしているようにも思えてしまうのである。

 確かに日本の文脈は大変特異でロジカルに説明したり、問題を解決しようとすることが困難だったりする。

 だったらそんな面倒な部分は閑却して、海外事例などの分かりやすいところで研究を進めたくなるのももっともな話であるし、それを日本の文脈にあてがって論じてみた方が速く感じることもあるかも知れない。

 けれども、それにしたって国内の問題をどうにかすることを後手に回せば、世界から相手にされなくなる時はやって来る。

 いや、もうやって来ているのかも知れない。
 

平成二十三年葉月八日

 気がつくと八月。ようやく前期の成績処理も終えて、溜まっている宿題を次のコマに進められる。

 日々は慌ただしいのだけど、自分の仕事ぶりは見事に空回りしながら、スローモーな進み具合に気持ちはグッタリして、その上、夏の暑さで身体もグッタリしていた。

 何かこう、上手くできていないことが積み重なっていることが、自分でよく分かっているだけに、心がギシギシしたり、トゲトゲしくなってしまっている自分がいる。

 一段落したところで、もう一度余裕を取り戻してみよう。

平成二十三年文月三十日

 職場は試験期間中。今日は出席処理を少しした。

 この頃考えていることと同じような考えの文章や著名人の発言を目にして、自分も結構シンクロしているのだなと思った。

 未来に悲観的であるというよりも、なるべく的確に状況を理解して前に進みたいという気持ちが強い。

 それが時折、批判的態度に見えるかも知れないけれど、この先のことを考えれば、とても大事なことだと思う。

 さて、明日も頑張るか。

平成二十三年文月十六日

 本日は職場のオープンキャンパスでミニ講義の講師をした。午前と午後に繰り返したが、短時間でできることも限られているので、パソコンでスライドづくりをする簡単なものだった。

 思索をすればネガティブになりがちなので、なんとかこの状況を打開するために、回り道とはいえ生活・職場環境の見直しから始めることも同時に進めている。

 休みに入ったら真剣に家に中の整理をしようと思う。衣類や雑貨を収納するちゃんとした家具が無いし、部屋のレイアウトも引っ越し時のいい加減な配置のままで機能的では無い。ひどい散らかり様だから、客人は呼べない。

 職場も似たようなもので、増え続ける蔵書は置き場もなく。必然的に仕事の場所確保も難儀する。これでは作業のたびに掃除が必要で、時間がもったいない。

 コンピュータも新調することにした。基本的にモバイル派なので、従来購入してきたパソコンは小型軽量のノート型で処理速度はほどほどのものばかりだったが、今回はデスクトップ型のハイクラス・マシンを購入することにした。

 負荷の高い仕事をしたいというわけではなく、蓄積されてきた私自身のデジタルデータを整理するためである。

 デジタルカメラのデータに始まり、過去の文書書類データ、ビデオデータ、音楽データ、ダウンロードデータなどが、複数のハードディスクやCD-ROM、DVD-ROM、USBメモリなどに散財している。それこそフロッピーディスクやZipディスク、MOディスクにも残っている。

 そろそろこうしたデータを整理しておくことも大事かなと思う。バックアップを繰り返し、様々なバージョンが存在するデータもあるだろうし、完全に同じデータにもかかわらず重複して存在しているものもあるだろう。そうしたものも整理したい。

 そのためにも最新鋭のマシンは必要だ。ファイル一つ開くのに待ち時間が長かったり、内容を表示するのに時間がかかると、膨大な量のデータ整理は終わらない仕事になってしまう。

 というわけで、考えてみれば本職が情報関係の教員であるのに非力なマシンしか持ってないというのもさみしい話なので、これを機会にバーンと購入することにした。

 人生折り返しをすぎる頃。

 いまさら焦っても仕方ないので、まずは個人としての生き方を見直すことから始めなければと思う。なにしろ、生活の風景があまりに不憫だと自分でも思うから。

 もうちょっと優雅な生活しよう。

平成二十三年文月十三日

 昼夜逆転の日々にも一区切りつけて、この数日から早寝をするようになった。必然的に早起きになるので、その時間に情報チェックや本などを読もうかと思う。

 手を付けていない課題が積み上がってしまい、その上、自身のモチベーションは減衰している中で、今後どのように自分自身を突き動かしていくべきか、悩む日々は続いている。

 私自身は、問題に捕らわれたいと思う性格ではない。

 無論、生に捕らわれている限り、この社会の問題の何かを背負い込んでいることは承知している。だとしても、それ以外の細かい解決可能なことにはケリをつけて、前進するのがよいと感じている。

 ただ、世の中には、その細かい事柄に留まることで生きている人達もいる。

 そのことに直面して初めて、世の中は政治で動くのだと理解した。私たちは大なり小なり、様々な形の政治力学に捕らわれている。その厄介さに気づくのはとても遅かったのだと思う。

 そういう意味では、2006年に東京に出ていくまで、私自身は牧歌的な社会で過ごしていたように思う。それは高望みしなければ、大変居心地の良い場所だった。

 そこから仕事を辞めて東京に出て、人・物・事がうごめく都市を少しばかり経験した。物事は、もう少しグローバルな哲学のもとに動いているかと思っていたが、そこで動いていたのは巨大なローカル意識だった。

 とはいえ、お世話になった場所で学んだことは多く、必然的に自分の至らなさを痛感することになった。ますます、自分の考えていた世界観が取り崩されていくようにも感じられた。時代の変化は想像以上に大きかったということかも知れない。

 世の中に対する認識が変わり、世の中自体も大きく変わり、その条件のもとで自分自身をどうドライブしていくべきか決めかねている。

 もっとも、迷った時には原点回帰せよ、は鉄則である。

 だから、正直なところ私が次に何やるべきなのかは、私の中では決まっている。ただ単に、その他の物事が片づかないことに対する苛立ちが積もっているのだろう。

 プログラミングとか、家の掃除とか、蔵書の整理とか、片づけたいと思っているものに少しずつ手を付けている。国の事業のお手伝いは、悩ましい現実に直面する少々厄介な仕事だが、悪態つきながらお役目終わるまで頑張ろうと思う。

 それらを片づけつつも、できるだけ文献に身を沈めて静かに文章を綴ろうと思う。それが本来私がやりたかったことだし、それ以外の派手なことを真似てみてもモチベーションは続きそうにない。

あっちへこっちへ

 6月は賑やかな月であった。

 個人的にもiPhoneアプリの開発に熱が入っていたということもあったし、審査員をさせていただいている学習デジタル教材コンクールの審査準備でたくさんのコンテンツを見ていたりもした。東京出張をしての審査会や研究会への出席。そして先日は愛媛で講演を行なう等、キャパシティの少ない私には大変な日々だった。

 7月は前期授業の締めくくりをしなければならない。と同時に、FSの会議がいくつか入るので、授業の隙間をやりくりしながら出張ということになりそうだ。

 25日にはえひめITフェアでフューチャースクール推進事業の講演とパネルディスカッションを現場の先生方とした。

 今回もお話したいことはたくさんあったが、詰め込み過ぎても伝わらないので、「御用学者として百点の講演」を目指すことにした。

 結果的には百点にならなかったけれど、わりと上手に演じられたのではないかと思う。会場は、その御用学者振りに呆れていたのか、それともツッコミどころがあり過ぎて困ったせいなのか、質疑の時にも無反応。相変わらず相手にされないらしい。

 それでも、現場の先生方とのパネルディスカッションでは、ぶっちゃけた話しもして、総務省からやってきた課長補佐さんが大きくズッコケていた。現場の先生方のお話には、フロアも興味津々で、フューチャースクールと絆プロジェクトという2つの事業で取り組んでいる先生のお話を比較しながら聞けたのは面白かった。少ないながらも質問をいただいて、パネルディスカッションは好評のうちに幕を閉じた。

 他の地域の催しを知らないので、なんとも比較のしようがないが、たぶん一番面白いイベントになったんじゃないかと思う。某NEEとか、ナントカITソリューションフェアとかよりも、四国のローカルイベントの方が現在・過去・未来を語ってたんではないだろうか。

 東日本大震災から3ヶ月以上が経ち、私自身の心は少し落ち着きを取り戻しつつもある。もちろん被災者支援はまだ始まったばかりのことだから完全に落ち着いてしまって忘却してはまずいが、日常の中の様々な事柄に支援への回路が組み込まれるようになればいいなと思う。

 さて、調子を整えてまた頑張ろう。
 

日本人としての生き方を考える

 5月15日に講演というか、発表というか、20分間しゃべる機会をいただいた。

 聴衆の属性が不明だったので、話す内容をどうしようか当日まで悩み続けていたが、私の問題意識をストレートにぶつけることに決めて、20分に詰め込むことになった。

 正直なところ、20分という時間では、軽めの話題を浅く紹介しても足りないことは分かっていた。だから最初はウケ狙い企画で済まそうとも考えていた。あるいは、フューチャースクールのことを写真で紹介して終わるくらいがちょうどよい。

 もしも、リクエストが明確であったならば、それに沿って話すのだが、依頼趣旨が不明瞭だと、私なりに語るべきことを語る以外に興味が無いので、結果的に聴衆の聞きたいこととはズレが起こってしまう。

 特に私の話は、既存の価値観の問い直しを含めた議論を基底としているので、実用的な話を聞きたい側には難しいと受け取られるらしい。

 また来月、今度は一般の方も混ざった聴衆の前でフューチャースクールのことをしゃべる機会を与えられたので、依頼に沿ってしゃべろうと思う。

 けれども最近は、311大震災に関係して出てくる様々な事象を見るにつけ、とてもやるせない気分になることが多い。

 特に原発事故問題に関連して、日本と世界との関係に関わる動きには、失望の連続である。

 自分も含めて国内に閉じた生き方をしていることに、とても苛立ちを感じる。国際的な視野で物事を取り組んでこなかったことが、情けなくもなる。

 会社公用語を「英語」にした日本企業があるなんて話題が物珍しく語られたのはここ数年でしかない。

 それほど日本人の国際意識というのは遅れているというか、ズレていた。

 そして、今回の震災に関わって、マスコミ報道における国内外のまなざしの違い、事故に対応する企業や政府の言動の理不尽さ、あるいはネットの情報から浮かび上がる様々な意識の相違など…。

 学校教育のカリキュラムを考える人間として、あまりにも無残な現実を見るにつけ、従来の学校教育に「甘さ」みたいなものがあったのではないかと思わざるを得なくなってきている。

 その「甘さ」とは、怠けていた部分があるというよりは、根本的に何かが欠落していて、そもそも想定していなかったから取り組めてもいなかったという類いのものだと思う。正直言って、現場の先生たちは怠けてはいない。どちらかといえば、死に物狂いでやっている。

 問題は、従来よしとされた努力のベクトルが、本当に現代においても妥当なのかどうか、だれもその根本的な価値観を疑わずに、伝統の上に屋上屋を重ねてきたことこそ問われなければならないということである。

 情報時代のカリキュラムを考える。

 このテーマについて、いよいよ真剣に考えなければならないと思う。