地震のあった翌日,恩師とゆっくり話す機会があった。
いつもだったらお忙しそうな先生のお顔を拝見することが出来れば幸いといった感じになるところだったが,思い掛けない事態が,そうした定型を取っ払うことにもなった。
あまり迷惑をかけちゃいけないという気持ちばかりあったせいか,世間話的な話をだらだらと交わしたことがなかった。院生の時は,自分のあまりの出来なさが辛くて相談の足も遠のいたりしていた。
けれども,あの時の状況は特別で,大きな地震が起こった翌日午前にエアスポット的な時間が生まれた。
恩師は施設の責任者としての仕事はあったけれども一区切りついたところ。師弟ともども他にどうしようもない状況に放り込まれたのだから,それはもうのんびり会話するしかないというお膳立てであった。
恩師とテレビを見ながら,珍しく世間話と自分の仕事の話をした。
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テレビで映し出される災害映像は,翌日ということもあって,まだ地震や津波による倒壊や火災,帰宅困難者の居る駅の映像など中心で,津波が本当にもたらした甚大な被害や原発事故の全貌を十分に認識する段階にはなかった。
そんな調子なので,恩師との世間話も阪神淡路大震災の記憶をたぐり寄せて今後の復興の話をする感じで始まった。
復興にかかるコストのことを考えると,教育・研究費に割く財源も厳しいものになるだろうとか,それとあわせて,私が関わっている「フューチャースクール推進事業」についてもいろいろ意見を交わした。
国の事業に関わるのは初めてなので,そこでの感想を率直に先生に漏らしてみたり,それに対する先生の考えや意見を聞いたりした。
そういうことが嬉しかったし,あといくつか聞きたかった質問も思い出したので,それについても教えてもらうことが出来た。
国全体は大変なことになってしまった時だけれど,私個人にとっては,その隙間で得られた時間がとてもあり難いものだった。
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その会話の中で,とある人の話題が出た。
どんな風に接したらよいのか,まだ考え中の人。だけど,このところあまりよい印象を持ててない相手だった。
恩師はその人と会ったことも話したこともあった。
それで,どんな人なのか聞いてみた。恩師らしい表現でその人のやって来た仕事を説明してくれた。私がよい印象を持ててない理由も明解に指摘してくれた。それは悪い意味ではなく,そういう仕事をしている人だという意味で仕方ないことであった。
「会って話してみたらどうですか?」恩師が言った。
その人は誰にでも会って話を聴く人だという。取り次いであげようかとも言われた。
私は困ってしまった。
私もいろんな人に会って話を聞くのは大好きだから,本当なら「是非,お願いします!」と言って会ってみるのが自然だろうに,なぜか困ってしまった。
それで私は,相手に対して先入観を持っていることを確認した。
恩師に説明してもらったその人の過去の仕事について,一般知識以上のものを私自身が持ちえていないことも気になってはいた。たぶん誤解を持ったまま会ったらダメだという直観アラームがポケットの中で鳴っていたのだろうと思う。
こういうときはスタートラインに向けて戻ってみよう。
その人が書いた本で私が持っている本を探し出してみた。十何年前の本。誤解の出発点はこの本を読み切れなかったことにあるのかも知れない。
それからamazonで著書を購入してみた。金欠なので関係しそうな本から2冊しか買えなかったけど,また夏のボーナスの時に他のも。
先入観を解くには,少し冷静になって相手の過去を調べてみないといけないなぁとあらためて思った。
そして,恩師も大事にしないと…。恩師孝行まだまだ足りない。