投稿者「rin」のアーカイブ

文月二三日

 この頃は睡眠時間が少ないのにも慣れてきたのか,真夜中帰って早朝出勤の日々が続く。授業は区切りがついて順次試験を実施しているので,そのための問題作成や出席処理をしている。

 学会発表申し込みのための原稿を作成するのも時間がかかった。昨夜ようやく2頁に押し込んで完成した。来月初めには毎年恒例,夏の集中講義が始まる。そのための準備もしておかなくてはならず,宿題が溜まっているのは相変わらずである。

 どこか遠くへ旅してみたいが,働けど働けど貧乏なので,せめて自宅の湯船につかってのんびりさせてくれれば,それでいい。

未来を選ぼう2009

未来のためのQ&A
http://www.google.co.jp/mirai2009

 米国大統領選挙中やオバマ大統領就任後に市民から意見を集めるため使用した「Open for Questions」というサイトで使用したのがGoogle Moderatorというシステムであったが,これを日本の選挙や政治にも活用しようとオープンしたのが「未来を選ぼう2009」というサイトである。その中のメインの試みが「未来のためのQ&A」で,これらはGoogleがやっている。

 考えてみれば,日本での世論から政治家へ向けた「多対一コミュニケーション」は,これまでマスコミを代理人として機能していたように装ってきた(あとは直接に選挙ぐらいしか手段がない)。とりあえず新聞・テレビの大マスコミが,疑問を投げ掛けそれに政治家が応えることで,市民世論の代表たるマスコミと,市民権力の代表たる政治家が対峙し,チェック機能が働くという前提にあった。

 ところが,もはやそのどちらにも「代表たる」資格や資質が失われつつあり,最悪,お互いが予定調和の中であぐらをかいてしまった。
 そうなってみて,ふと思い返せば,そもそもの主権者たる市民の側は,本当のところどういう考えを持っているのかを,私たちお互い何も知りえていなかったりする。

 少し無謀かも知れないが,直接市民の声を拾い出すシステムを動かしてみるのも,こういう時にはいい試みかも知れない。もちろん意見を述べあうことも大事だが,むしろ「鋭い質問」を出し合うことにこそ,私たちの意見や考えが集約されてくるのではないか。そういう場として「Google Moderator」が提供する「未来のためのQ&A」を考えることが出来る。

 「未来のためのQ&A」の中にある「子育て,教育」の項目には,現時点で270程度の質問が書き込まれ,投票に基づいて順番付けされている。

 大ざっぱだが短く率直な質問あり,詳しく前提を書いて焦点を絞った質問あり,このときとばかりタブーを聞く質問あり,様々な立場から書かれたものが並んでいる。それだけこの分野で問題を放置したのだし,すべての質問がそれなりに大事なのは,おそらく異論はない。問題は,どこから先に取り掛かるかの優先順位である。

 そもそもの日本の国の形のビジョンが必要になる。地方分権に基づいた合衆国的な在り方なのか,もっと国による再配分機能を強化した福祉国家的な在り方なのか。あるいはそれ以外の何かなのか。そこから筋を導かないと,教育だけを無制限に優先することが出来ない以上,何を守って,何は諦めるべきかもハッキリしない。

 とりあえず,こうしたサイトを通して,どんな質問や考えがあるのかを共有するのはよいことだ。

補助金はある

 テレビ東京のニュース番組「ワールド・ビジネス・サテライト(WBS)」のコーナーに内田洋行社長である柏原孝氏が登場した(7/17)。同系列のBSジャパンというチャネルで放送する「小谷真生子のKANDAN」という番組を予告するコーナーのため,インタビューの一部を切り出した映像が流れたわけである。

 そのWBSで流れたインタビュー部分で,柏原社長は地方の教育格差に懸念を持っているとして,それは地方財政の問題だと指摘する。その流れの中で,地方財政にばらつきがあることが問題で,国からは教育費が地方交付金という形で地方に渡されることを説明した。しかし,「お使いになるのは地方でお決めになる」ため,教育事業の差が出てくる可能性があるのだとする。

 これは全く正しい説明と指摘なのだが,この次あたりから怪しくなっている。

 「以前は,あの,ま,補助金という時代がありまして…そのときには,まあその,そのお金でこれを買わなければならないという風になってましたから,その時にはずいぶんとそういう教育設備の普及が進みました」

 小谷キャスターが,「また改めてそういう方向に変えるべきとお考えですか?」と訪ねると,柏原社長は「そういう部分があると…もっと,あの,公平感,あるいはスピード,こういうものが,まあ,是正されると思います」と返している。

 長いインタビューの一部分を切り出したのだから,編集が加わって,もともとの意味や文脈が落ちてしまっている可能性があるが,それにしてもこのような誤解を招くような伝わり方を容認するのはよくない。まして,この分野でイニシアチブをとっている内田洋行としては,厳密に言えば,抗議するか,訂正させるべきである。

 「補助金という時代がありまして…」という部分で生まれるのは,「いまの時代は補助金がない」ような誤解である。これは正しくない。

 むしろこの教育の情報化分野に関して言えば,ずっと補助金は出続けていたのであり,それを出し続けていた文部科学省や財務省の関係者の苦労は,もっと喧伝されて良いはずである。

 ただし「全額補助」ではない。だから,柏原社長が(いつそんな事実があったのか短時間で調べた範囲では発見できなかったのだが)かつて全額補助した時期があったという記憶に基づいてしゃべっているのだとすれば,かつては全額補助時代があったということを話していた文脈かも知れない。

 それでも,現在でも「2分の1補助」は存在しているし,最初に指摘した地方交付金部分で,残りの2分の1も補助してもらえるようになったのだから,本来ならば,そのことをもっと主張して地方財政責任者やそれを監視する市民に対してアピールすべきだったのではないか。

 インタビュー本編でそのような主張もなされていたのかも知れないが,それならば,なおさら地上波における番宣コーナーでの短い引用が引き起こす誤解に対して懸念を抱き,抗議するか,もっと別の方法でアピールすべきである。

 国民は,国の予算となると,とても大ざっぱな理解しか持っていない。

 なぜ定額給付金は,予算案が可決したら,てんやわんやはあったけれども,地方自治体が動き出して給付が実現したのか。

 一方,同じように予算案が可決したのに,学校ICT化(情報機器導入)に対する予算は,どうして地方ごとに格差があったり,そのうち使われたかどうかも分からなくなるのか。

 前者は「全額補助」だった。後者は「半分補助・半分交付金」だったりする。

 そのことの違いが何を意味するのか,誰も話題にしない。

 整備されないのは「補助金がないからだって,内田洋行の社長がテレビで話してたよ」と誤解した誰かが言って,「ああそうなんだ,まったく国はどうして教育にお金使わないのかね」って嘆いて終わる。

 ちょっと待ってよ。

 補助金はあるし,しかも実質的には「全額補助相当」である。

 いま現実に起こっていることを,ちゃんと知らせないとダメである。

 文部科学省は,申請締め切りを8月21日までに延ばした。

 まだ申請していない各地方の教育委員会事務局の担当者は,一生懸命に申請の準備をしているだろうか。そういうところを人々がもっと鼓舞しないといけない。

 そのためには,正しい情報と正しい理解が実現されなければならない。もうマスコミに振り回されてやられちゃいましたというのは無しにして欲しい。

ガラガラ?

教員免許更新、大学講習ガラガラ 228講座中止に(asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0715/TKY200907150200.html

 選択制なのだから,そういうこともあると承知しないと…。制度が定着したら,もう少し内容を柔軟にして,教師が学ぶコミュニティづくりに繋げていくべきだと思う。8人以下で学べるなんて贅沢じゃないか。時期が来れば,少人数が売りになる。

 免許更新講習自体の成立までには,いくらも論ずるべき問題があったと思うけれど,始まってしまったなら,どれだけ制度の隙間から逸脱できるのか,そう考える方に早く発想転換した方がよいとも思う。

 講座の名前の付け方ひとつで,応募の数は激変する。そういうマーケティングのイロハを,もう少し下世話に活用しても罰は当たらないと思う。だって,中身をズルするわけではないのだから。そういう工夫で試行錯誤しながら,ニーズをつかんでより良い学びの場をつくっていく必要がある。

 ただし言っとくけど,それは簡単なことではないし,大変な苦労が必要だ。安上がりに済まそうと考えているなら,お門違いも甚だしいのである。

文月東京出張

 カリキュラム学会が千葉・神田外語大学で行なわれるのに合わせて金曜日から東京に出かけた。一ヶ月前にもお仕事のお呼ばれで東京に出かけたので,あまり間を空けずに東京行きが続いたことになる。実力ある先生方は,分単位で東へ西へと仕事で奔走されているのだろうが,私のような傍流逆流研究者は月単位で出かけられるだけでも贅沢なのだ。

 先回は朝っぱらから自転車漕いで駅へ向かうところから始まったが,今回はお昼のフライトなのでバスに揺られて駅そして空港へと向かった。ところが羽田からの飛行機に出発の遅れが発生し,私が乗る折返しの飛行機も影響を受け出発遅延。珍しく徳島空港をじっくりと眺めることになった。

 空港内には近所の小学校の児童が描いた壁新聞やお手紙が展示されていた。どうやら空港見学した成果とお礼らしい。地方空港の仕事や飛行機に運行に関わる話など,調べたことを文章や挿し絵,クイズにしてまとめていた。
 その中に「徳島空港は一年以内に無くなる」というクイズがあって,「ははは,さすがに×だろう」と思ったら正解は「○」。え〜?!と思ってふにゃふにゃの文字の解説を読むと,どこかへ移転して現在の施設は自動車教習所になると書いてあった。その移転先がどこなのかをあちこち調べたら,正確には滑走路が増設されるに伴ってターミナルも新しいものが少し離れたところに出来上がる予定なのだと分かった。

 そんな子どもたちの壁新聞も,フライトが時間通りだったら通り過ぎて見もしなかったかも知れない。偶然が呼び寄せる嬉しい巡り合わせに身を任せる旅の始まりである。

 羽田に着くと,まずはN先生との打ち合わせ。飛行機が遅れてしまってお待たせすることになったが,久しぶりにお会いして,あれこれ宿題の成果をご報告する。めぼしい仮説を提示することはほとんど出来なかったが,お互いの考えていることのすり合わせが出来たので,今後しばらく継続してストーリーを考えることになった。

 そこから急いで東京大学へ。午後5時までに教育学部の図書室で文献コピーをしたかった。この調子だと到着は4時半,文献を探してコピーする余裕は30分である。目的の文献は検索済みだし,ある程度勝手知ったる場所だから,予定通り間に合えば心配ない。とはいえ,面倒なことを避けるためには,なるべく早くたどり着き,慌てずに作業したかった。

 幸い,教育学部図書室での文献コピーは無事終了し,とりあえず福武ホールにとことこ歩いていく。研究室に行こうかどうか迷ったが,今回は手土産買うのを忘れてしまったし,「また来たんですか」と思われるのも悲しいので,前回会っていなかったHさんの顔でも見て帰ろうかと思ったら,いろんな人に発見されて,結局研究室にもお邪魔した。

 あれこれみんなの会話に耳を傾けつつ,事のついでに研究室の文献もコピーして,まあ,みんな相変わらず元気そうだったので,ホテルにチェックインするために失礼することにした。次回は,ちゃんと手土産を忘れないようにしよう。

 ホテルにチェックインして,すぐさま出かける。向かった先は新宿。前回は池袋ジュンク堂であったが,今回は新宿ジュンク堂と新宿紀伊国屋が目的地。いつものように本漁りである。最近は統計処理環境”R”について知りたかったので,新しいところの解説本をいくつか買ってみた。紀伊国屋では,『教育社会学研究』の最新号を見つけた。特集が「質的調査の現在」ということで,教育社会学分野における方法論の議論を知るのに面白そうだった。

 その後,秋葉原へ移動し,ヨドバシカメラへ。子どもたちが喜びそうなiPhone用のケースとタッチペンを漁った。iPhoneを子どもたちに貸し出すときに,カラフルなケースがあったほうが見た目にも機器保護のためにもよいと思われることと,実際の操作を指だけでなくニンテンドーDS風にタッチペンでやってもらうにも悪くないと考えたからである。これも少しずつ進めなくては…。

 ふらっと寄った書籍の階で『UNIX Magazine』最終号を発見したり,タワーレコードでCDを買ってみたり,レストランの階で遅い夕食を食べたりして,ホテルに戻った。

 翌日は朝から京葉線に乗り海浜幕張駅へ。東京ディズニーランドに行く観光客も利用する線なので,途中,若い人たちや家族連れがわんさか乗ってくる。と思ったらわんさか降りていく。海浜幕張に着く頃には空いている。

 日本カリキュラム学会は今年で設立20周年。今回はその記念大会である。私にとってメインの所属学会なのだが,東京暮らしの間はずっとお休みをしていたので,4年ぶりの大会に参加となった。

 学会大会は,良い意味でも悪い意味でも変わっていなかった。

 この学会は,それほど大規模な学会ではないので,大会規模も把握できないほどではない。現場の実践家に対してもオープンだし,学会を構成する主要なメンバーの先生方も柔軟性を持ったオープンな方々で,それがこの学会の良い持ち味になっていると思う。その点はいまでも変わっていない。だから,私は基本的にこの学会が好きである。

 でも,学会での議論も相変わらずなものが多かった。確かにカリキュラム研究の守備範囲は曖昧かつ複雑で,研究方法の議論に関しても,一筋縄でいかないところがある。どちらかといえばコテコテの文系学会なのだが,そうした側面がカリキュラムに関する問題を外部を巻き込んで行なうことの壁にもなってしまっている。

 そして,今回久しぶりに参加して自分自身驚いたのは,確実にみんなが年をとっているということを感じたことだった。そんな身も蓋もない感想を言ったら「そりゃみんな3歳年取ったんだから」と笑われたけど,でも,なんとなく,これから学会はどうなるんだろうと思ったら,少し不安というか,寂しさを感じたのであった。

 長らくご連絡しなかった先生方にお詫びをかねて近況報告。徳島に飛んで働いていることをお知らせした。皆さん,一様に「よかった」と言ってくださった。学部の師匠と大学院の師匠にも久しぶりにお会いした。お二人とも,お仕事大変そうではあったけれども,それなりに元気でいらした。

 二日目は朝から自由研究発表。興味深い発表をあれこれ聞いて,カリキュラム学会の雰囲気をまた思い出す。また研究発表できるように,こちらの分野も思索を進めたいと思う。

 午後の総会や国際記念シンポジウムにも出席したかったが,徳島に帰る飛行機の時刻や,その他のやっておきたい事との時間配分を考えた末,残念ではあるが午前中でスパッと都心に戻ることにした。国際記念シンポジウムは是非ともじっくり聞きたい内容であったのだが,開始後しばらくして中座しなければならず,だったら最初から諦めることにした。

 その代わり,出かけたのはお台場。実物大のガンダムを一目見ようと思ったのであった。あれこれ勘案した結果,見逃して残念に思えるのは,期間限定の実物大ガンダムくらいという結論である。

 ただ,国際展示場を通るゆりかもめ線の中から「東京国際ブックフェア」が開催されていることが見えた。というわけで,ガンダムを見た後に,ブックフェアに向かうことになった。

 東京国際ブックフェアには,東京に暮らしていながら行ったことがなかったので,この偶然の巡り合わせの機会にぜひ見ておこうと思った。とはいえ,残された時間は一時間程度。駆け足でブースをめぐる。

 同時開催されていたのは「学習書・教育ITソリューションフェア」だった。書籍の見本市だとばかり思っていたが,実際には,ICT機器の展示や教育ソリューションが多数展示されていた。まるでNEW Education Expoみたいな感じだが,こちらは某社の色がないだけに,また違ったメーカーの展示があった。他分野で実績のあるシステムを教育分野に持ち込んだ会社や,小さな開発メーカーが販社と組んで展示しているものなど大変興味深かった(関連記事)。

 来場者に家族連れも多いらしく,幼児関連や教育関連の出版社展示ブースはにぎやかだった。そのことが衝撃的でもあった。ああ,ICT教育の世界って,こういうところに集まる人達にまるでアピールできていなかったんだなと思った。

 本当は,ブックフェアに来るような一般人や家族連れの層にこそICT教育の重要性や学校への機器導入の必要性をPRして,地方自治体を見守る住民の意識を高める必要があるにも関わらず,ずっと関係者の閉じた世界で回していたのかも知れない。今回初めてブックフェアに参加して,その光景を見てそう思ったら,ゾッとしたのである。

 教育関連のイベント・セミナーのリストを見ても,現在,情報教育分野で活躍している私たち馴染みの名前はほとんど出てこない。本当に,これではまずいと思えた。ショックである。

 たった一時間程度ですべては見られなかった。それでも興味深い展示をしているところには立ち止まって担当者の話をじっくり聞いた。どんな考え方やデザインの仕方で商品を提供しようとしているのか,なるべく瑣末な商品知識の説明は省略できるように,こちらも適度に高度な返答をして話をどんどん進めていく。とっても充実したやり取り。

 悔しいながら,人文専門書と洋書バーゲーンコーナーには行けなかった。悲しい!

 でも下手に散財せずに,むしろブックフェアの奥深さをグッと味わうことが出来て,密度の濃い一時間になった。実物大ガンダムありがとう。君が呼んでくれなきゃ,ブックフェアにも行けなかった。

 名残惜しいが,そろそろ東京を離れるために羽田へ。

 いつもなら建物から離れたところに飛行機が停まっていて,搭乗するにはバスで移動しなければならないのだが,この日は珍しく保安ゲート真ん前の搭乗口に飛行機が停まっていた。しかも座席数より多く予約を受け付けたらしく,席を譲ってくれる人募集していた。

 高松行きに変えるか,翌日の徳島行きに変えるか。どちらも協力金が出るし,ボーナスマイルもでる。翌日を選ぶなら宿泊ホテルも手配してくれる。個人的には,ぜひ協力する体験をしてみたかったのだが,さすがに翌日は朝から授業。ボーナスマイルに目がくらんだ理由で休講するわけにはいかないので,協力を諦めることにした。

 夕方の徳島へのフライトは,夕焼けと富士山の景色が素晴らしい。今回はちょっと雲が多かったのだが,それでも,やはり良い雰囲気のフライトだった。幾度か利用すると,見たことのあるキャビンアテンダントさんと乗り合わせることもある。今回は,わりと好きなタイプのアテンダントさんが乗務していたので嬉しかった。もっともこのフライトも一時間しないうちに終わり。飛行機が着陸すれば,日常の再開である。

 本当はもっと多くのことを考えたり,やったはずだが,短縮して書くと,こんな感じの出張である。さてと,あれこれの仕事を頑張って片づけますか。

新しい扉と繋がる相手

 お腹が空いたので近くのラーメン屋で夕食を食べながら,地元の新聞に目を通した。5月末に可決された緊急経済対策補正予算で地方に配分される地域活性化交付金について,6月中に予算化したのは徳島県の24ある市町村のうち2市とのこと。その他は9月までの議会で予算化される予定という。予算が本格的に使われるのは秋以降らしい。

 GoogleがウェブブラウザChromeを足がかりにパソコンのOS提供に乗り出すという情報が駆け抜けている。先日の駄文で,学校教育をプラットフォーム・メタファーで考えたばかりだったので,このニュースは背筋に寒気を走らせるものだ。

 アプリケーションが世界対応することにある程度成功したところで,プラットフォームをそれに合わせて置き換えてしまおうという転倒したように見える試みは,もしも学校教育に当てはめて考えるならば,優秀な人材を外部世界から取り込んでくることを意味している。

 つまり,日本の学校教育だから日本人の教師が支えるという当たり前に信じられてきた構成が,世界に対応する学校教育のために世界の優秀な人材を取り入れて支えていくという構成に変わっていくことである。

 すでに看護や介護の世界では,海外の人材を受け入れることが現実の問題として進行している。日本語や日本文化の壁は,以前問題として立ちはだかっているが,日本語が堪能な外国人はたくさんいるし,日本人よりも日本文化を愛している外国人もたくさんいる事実を踏まえると,壁の問題も乗り越えられない壁ではないことは自ずと了解される。つまり,学校教育の世界に,海外の人材が流入してくることも,非現実的な話ではないということだ。

 世界的な視野で今後の持続可能な学校教育プラットフォームの在り方を考えたとき,単純には2つの方向性があると思う。コストをかけて独自のプラットフォームを維持して世界と繋がっていくこと。あるいは,コストをかけないで世界のデファクト・プラットフォームに委ねてしまうこと。

 前者は,教育制度や学校現場を自国のリソース(資源)でしっかりと支えていく在り方で,世界の動向を踏まえて教育内容などを臨機応変に対応していく必要がある。すべてを自前で用意するだけコストもかかる。

 後者は,自国のリソース(資源)にこだわらず,世界に流通している教材や人材なども積極的に活用して,学校教育自体を世界市場に乗せてしまうことである。その度,かけるコストに見合ったリソースを世界から手に入れられる。

 ちなみに,日本の学校教育は,コストをかけずに独自プラットフォームを維持してきたのではないか。そのような手法が,従来までは通用していたかも知れないが,今後も通用するとは言えない時代に変わりつつあるということである。

 いま,小学校の「外国語活動」の取り組みが話題になっている。これが実質的には「英語活動」となっていることもご存知の通りである。しかし,BRICsというキーワードで知られる新興国の存在が日増しに強くなる中,本当に英語でよいのかという疑問もくすぶり続ける。

 たとえば,なぜお隣りの中国語や韓国語ではないのか。そのような疑問と議論は,継続的に取り出されなければならない事柄である。中国と台湾と日本の関係という三角関係の問題を考えたとき,あるいは韓国と北朝鮮と日本という三角関係の問題を考えたとき,さらには,お互いの国がますます人材を流動させるようになったときに,自国の学校教育の現場をどのラインにおいて開き,また閉じていくのか。そのことの想像力が問われているということである。

 非正規教員(という用語は本来正式には存在しないが…)の割合が高まっているということは,日本の学校教育はコストをかけないことを意味している。この方向性を維持していくなら,やがて語学指導講師として関わっている外国人講師の存在を入り口として,外国人の非正規教員の採用の事例が増えていく可能性も否定できない。

 日本が経済的な優位を維持できなくなり教育職員の人件費の補助に更なるメスが入ったとき,さらに少子化による学校教育全体の存在縮小によって投入されるコストの削減を余儀なくされたとき,あるところで(校内研究のもとで教育を先鋭化していく努力に代表される)現場教師たちの熱意は破裂し,それによって支えられていた「日本の学校教育」は委ねられる者を失ってしまうかも知れない。

 その先に繋がっている相手とは誰なのか。あるいは,そうなる前に繋がれるべき相手とは誰なのか。

 世界と繋がって活躍している教育研究者はあちこちに居るはずなのだが,そこからの声をもっと日本の学校教育とその現場を考えるために活かしきれていないことが悔やまれる。

再会

 軽妙に書いた(つもりの)駄文はそうでもないが,四六時中,昼夜を問わず試行錯誤を重ねて書いたような文章は,再三見直して書き終わった時点から,もう見たくなくなる。どこまでも満足してないし,もう苦しみたくないし,できるだけ頭から追い出して冷却したいからだ。

 ちょうど半年前,私は人生二度目の修士論文を書き上げようとしているところだった。寝ても覚めても論文執筆がつきまとい,残された時間の中で手持ちの材料を論文として成立させるにはどうすべきか大いに悩んでいた。しかも容赦の無く睡魔が襲う。そんなこんなで出来上がった論文を出し終えると,逃げるように論文を開かなかった。

 昨年度の学会でこういう研究をしますという予告発表をした手前,今年度の学会でこんな結果でしたというご報告をしなければならない。忘却の彼方に押しやった様々な思考を呼び戻すための助走が始まった。

 関連文献を触ったり(まずは物理的接触が大事である),お世話になった先生たちのブログを読んでみたり(自らの不義理を自覚するのも大事である),そして関係する話題を駄文で取り上げて悪態をついてみたりする(自分を鼓舞するにはこの方法が手っ取り早い)。

 そして,昨年の学会発表申し込み時に書いた要旨原稿あたりから,自分の書いたものを見返す。はっはっはっ,何書いてあるのか分からんな。熱に浮かされていると,こういう小難しいものを書いてしまうらしい。これじゃあ,誰も相手にしないかもね。

 七夕である。

 あれから半年経って,私はようやく自分の修士論文の頁を開いた。

 謝辞が長い。

 大好きなものを最後に残したら,時間切れで食べられなかったみたいな出来である。

 ただ,懐かしい友と再会したような気もする。よみがえる東京の日々…。

 さて,頑張って原稿書きましょう。

小さな世界の中で

 人間の知的活動の構造をプラットフォーム・メタファで表現することがある。基礎基本能力によるプラットフォームが形成されており,その上で様々な知的活動(アプリケーション)が動かされているという構図である。

 こういう階層構造的捉え方は単純すぎるので,もう少し動的な部分も加味するためネットワーク・メタファを導入することもあるだろう。メタファの合わせ技を使って,複雑な状況を説明することがしやすくなるかも知れない。

 もし学校教育をプラットフォーム・メタファで考えたとしたら,僕には,アプリケーションにあたる教育内容やカリキュラムにはある程度注目も集まるし,10年毎にバージョンアップしてきた歴史もあるし,動きがあるように思えるのだけども,プラットフォームにあたる部分について,ほとんど代わり映えがしていないように思えてならない。

 さながらWindowsのバージョンアップのように意味もなく更新料を払っている感覚に近い。いつになったら64bit版を主流にするの?みたいな話である。アプリケーション側としては,肥大化するデータの処理のため64bit対応ソフトに変化を迫られているというのに,プラットフォームがいつまでたっても32bit版の遺産を捨てきれずに大胆に変われていないのである。それでいて動かそうとするアプリケーションもデータも,どんどん肥大化していく。

 Windows7になると喜ぶのは結構だが,じゃあ32bit版インストールする?64bit版インストールする?どっち?って選択する段になって,「やっぱり資産があるから32bit版かな」という選択が働いたら,64bit版は何なんだろう?
 

 僕はときどき,教育研究の様々な示唆が,現場の先生方の「本当のポテンシャル」を見失って引き出さず,結果として従来と同じところにエネルギーを注がせ続けて,可能性を摘んでいるんじゃないかと不安になることがある

 確かに日本の学校現場における授業研究を始めとする校内研究の伝統と蓄積は,今日にも引き継がれている部分は大きいし,そうした日本の教師の実直さのおかげで,困難な情勢の中でも日本の学校教育が維持されている。日本の先生方は優秀だと思う。

 一方,海外の教師には,恐ろしいほどムラがあるのかも知れない。国によって,地域によって,学校によって,そして個人個人によって,それぞれ違う考え方で動いている(ように私には見受けられる)。でもそのことを承知の上で,もう少し言及するなら,海外で教師になる人々の多くが大学院を修了するようになっている点は,日本と大きく違っている。(おかげで先生のなり手が見つからず授業が行えない事態が発生しているところもある。)

 日本は,世界でも先駆けて学士教員という水準を実現した国であった。そのことが日本の教育を支えてきたことには違いない。ところが,気がつけば世界はその日本を見習い追い越して,とっくの昔に修士教員の水準へと引き上げた。日本は,自らつくり出したプラットフォームが頑強すぎて?,いまだ変えられずにいる。

 もちろん大学院もつくらせたし,教職大学院も導入した,教員免許更新講習なんてサービスパックまでリリースしたが,どれもこれも根本を変えるものとはなっていない。
 当時の教員養成系関係者を震え上がらせた「在り方懇」は,あるいは変わる機会だったのかも知れないが,若い大学教員には「何ですかそれ?」の昔話になってしまった。あなた達がGPとか呼んでいるものの前段にそういうものがあったんですよ。まあ,使徒襲来みたいな話です。
 

 教師学という領域に関連する論文を編んだ『成長する教師』(1998)という本と,レッスンスタディという角度から教師の学習を扱った『授業の研究 教師の学習』(2008)という新旧2冊は,確かにどちらも学校教育のプラットフォームである教師の仕事について注目した専門書なのだが,世界に対する開かれ方にかなりの違いがあるとも言える。

 この2冊の間には,10年という年月の隔たりしかないように思えるが,インターネットやケータイの普及,世紀の越境と戦争,地球規模の環境問題の顕在化などを経ているとも言える。これらの変化をただの「流行」であると考えるのか「不易」を見直す深刻な課題であると考えるかで,2冊に対する評価はかなり変わってくることになる。

 前者の本が,わりと従来の伝統的な教師世界を対象としてぐりぐりとプラットフォームを論じたのだとすれば,後者の本は,海外で受容された日本の授業研究である「レッスンスタディ」を経由させてプラットフォームを論じたものといえる。もちろん二者択一の話ではない。日本の学校現場におけるプラットフォームの議論を,後者の議論空間にも対応できるように発展させることが重要ではないか?という問いかけである。
 

 大変貧弱な例え話で言うならば,新聞社のことを思い浮かべるとして,日本の五大新聞社(日経,毎日,朝日,読売,産経)やスポーツ紙,地方のローカル紙を思い浮かべるだけでなく,ニューヨーク・タイムズとか,ワシントン・ポストとか,ウォール・ストリート・ジャーナルとか,(倒産しちゃった)シカゴ・トリビューンとか,ピープルとか,ル・モンドとか,ガーディアンとか,インディペンデントとか,そういう世界の新聞のことも思い浮かぶくらいに世界に開かれているのかどうかということである(読めるとか読めないとか,そんなの関係ない)。

 それともこれは,ちょっと世の中の目立つところを見聞きして分かったことが嬉しくて,バカの一つ覚えみたいに「世界ってのは広いんだぜ,おまえも世界に出てみろよ」と自慢話をしている青二才の戯言レベルの問題意識なんだろうか。(例え話だとしても)世界の新聞紙の名前が言えたところで,何が変わるって言うんだ,バカ。

 もしも,私がバカなだけなら,心配することもないなら,それが一番いい。ただ,私には,そのことが「32bit版を使うのが現実的だから64bit版なんか使わない」という選択に似ているように思えるだけである。それでいいならそれでいい。

 フルタイムの大学教員に戻って数ヶ月。早くも半期を終えようとしている。このペースにもう一度慣れるのに,ずいぶん体力的なエネルギーを消費している。こりゃ困った。

 さて,私は受け持った学生たちのポテンシャルを引き出せたのだろうか。そのことが大いに問題だ。私自身が自転車操業だったから,もしかしたら,もっと深められたことも深めきれなかったのかも知れない。私のハイペースに慣れてくれたところで授業が終わってしまうという問題もあるかも知れない。

 すべてを一気にバージョンアップできるとは,もちろん思っていない。今まで高校で50分授業のペースに慣れた大学1年生たちには,90分ノンストップ授業はビックリだろう。専門用語で語られる講義の内容を,先生が理解しているように学生が理解できることもあり得ない。時間をかけてじっくりと付き合わなければならないのはどの学校段階でも同じ。プラットフォームが徐々にバージョンアップしていくのを見守らなければならない。

 これは先生という立場の人たちにとっても同じ。だからこそ,先生たちがどうしたらちゃんとバージョンアップできるのか,もっと真剣に考えなければならないのだけれども,みんながみんな忙しさに浮き足立っていて,結局は従来の範疇を繰り返し先鋭化しているだけに終わっているんじゃないか。そのことが心配なだけである。

七夕で星に願いを

 テキストマイニングのツールをあーでもないこーでもないとセッティングしつつ,これまた別件のデータを解析にかけては結果をコピペコピペ繰り返して集計してみる。名前の変わったどこぞのリッチな解析ツールを使えれば簡単なのかも知れないが,オープンソースのフリーソフトでやってみようと挑戦している。

 これ,辞書によっても結果が変わるんだろうか。MeCabという形態素解析ソフトにIPADICというIPA(情報処理推進機構)がかつてつくった解析用辞書の組み合わせで試していたが,どうやらUniDicという国立国語研究所などが共同研究としてつくっている解析辞書の方が,表記の揺れや語形の変異にかかわらず同一の見出し語を与えられるメリットがあるようだ。

 そんな入れ換え作業して,解析作業始めからやり直して,まあ,俺の休み返してくれぇと煮詰まって,近所の七夕祭りに出かけることにした。

 近くに徳島工芸村という施設がある。県立ホールなんかもある場所だ。灯台下暗しでまだ足を踏み入れたことが無かったので,これを機会に行ってみることにした。ちょうど同僚の先生から「土曜日に催し物がある」と聞いたばかりだったので,グッドタイミングである。

 七夕祭りの会場にはもともとコミュニティFMのスタジオがあったり,地元ケーブルテレビの人気番組?が収録に来ていたりとそれなりににぎやかだった。徳島に暮らし始めて3ヶ月。まだまだ地域のことはよく知らないので,地元テレビの人気タレントもラジオのパーソナリティもまだよく分からないが,ローカル空気に包まれて楽しく過ごした。焼きそば専門店の出張屋台があり,美味しい焼きそばとビールを楽しむこともできた。

 成り行きで,コミュニティFMを手伝っている学生さんたちがやっていた七夕短冊コーナーを一緒に手伝い,子どもたち相手に時間を過ごした。本当に久しぶりに子どもたちとやり取りをした。僕が本当に恋しているものがなんなのか,思い出したようにも思う。まだ頑張れると思いもした。

 イベントもそろそろ終わる頃,一段落したのを見計らって祭りを後にした。大学に戻り,もう一仕事。

 短冊に何を書いたのか? 「研究と教育活動がうまくいきますように」

 もう少し粋な願い事は書けなかったのかと我ながら呆れてしまうが,不出来な大学教員だから,それを願うのが妥当なのだと思う。叶うように努力するのは,他ならぬ自分だけれども…。

文月三日

 とうとう七月に入った。授業も大詰めで前期試験を出題する準備をしなければならない。学会発表の申し込み締め切りも近々やって来るが,まだ原稿は準備できていない。それから,あれやってこれやって…,う〜む。

 何年かぶりの賞与をいただく。まだ在籍数ヶ月ゆえ,大喜びできる額ではなかったものの,このご時世,いただけるだけでも感謝ものである。すべては必要経費として消えていくので,プライベート支出は来年度の賞与を待つしかない。一眼レフ・レンズ欲しかったなぁ…。

 来週末は久しぶりにカリキュラム学会に出席する。ずっとご無沙汰だったが,そろそろ最新動向を勉強し直さないといけないと思うので,出席を決めた。少し距離を置いてからもう一度眺め直すことになるので,また違った理解ができるかも知れず楽しみである。とはいえ,久しぶりだからこっそり参加しよう。あ,宿とってない…。

 来月は毎年恒例の集中講義「カリキュラム論」。この集中講義が来ると「夏が来た」という雰囲気になる。今年も四十数名の受講予定者がいるとのこと。頑張りたい。

 毎日,夜遅く帰宅する悪い癖がついたので,今日は明るいうちに帰ることにする。といっても雨雲の空だけど…。