軽妙に書いた(つもりの)駄文はそうでもないが,四六時中,昼夜を問わず試行錯誤を重ねて書いたような文章は,再三見直して書き終わった時点から,もう見たくなくなる。どこまでも満足してないし,もう苦しみたくないし,できるだけ頭から追い出して冷却したいからだ。
ちょうど半年前,私は人生二度目の修士論文を書き上げようとしているところだった。寝ても覚めても論文執筆がつきまとい,残された時間の中で手持ちの材料を論文として成立させるにはどうすべきか大いに悩んでいた。しかも容赦の無く睡魔が襲う。そんなこんなで出来上がった論文を出し終えると,逃げるように論文を開かなかった。
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昨年度の学会でこういう研究をしますという予告発表をした手前,今年度の学会でこんな結果でしたというご報告をしなければならない。忘却の彼方に押しやった様々な思考を呼び戻すための助走が始まった。
関連文献を触ったり(まずは物理的接触が大事である),お世話になった先生たちのブログを読んでみたり(自らの不義理を自覚するのも大事である),そして関係する話題を駄文で取り上げて悪態をついてみたりする(自分を鼓舞するにはこの方法が手っ取り早い)。
そして,昨年の学会発表申し込み時に書いた要旨原稿あたりから,自分の書いたものを見返す。はっはっはっ,何書いてあるのか分からんな。熱に浮かされていると,こういう小難しいものを書いてしまうらしい。これじゃあ,誰も相手にしないかもね。
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七夕である。
あれから半年経って,私はようやく自分の修士論文の頁を開いた。
謝辞が長い。
大好きなものを最後に残したら,時間切れで食べられなかったみたいな出来である。
ただ,懐かしい友と再会したような気もする。よみがえる東京の日々…。
さて,頑張って原稿書きましょう。