投稿者「rin」のアーカイブ

線の先の雲

 長らくブログを書かないと,実家が心配するので久しぶりに更新をしよう。

 この前の連休中,疲れがたまっていたせいだろうか,背中の筋肉痛がひどくなり長い頭痛が続いた。そんなこともあり,駄文やつぶやきの頻度を緩め,あらためて自分の周辺について考えていたのである。

 多くの研究者が「科研が書けん」と科研費申請書の作成で試行錯誤している最中,私は「果敢に書かん」と決めたかどうかは定かでないが,申請するための材料がない以上は書けないので,日々の授業と先のことを考えながら手近でやっている仕込み作業を黙々と続けていた。

 残りの時間をどこにフォーカスしていこうか。

 出発点はどこだったのかとたぐり寄せれば,子ども好きという自分に原点回帰する。

 次代を担う子ども達のために生きて死ぬこと。そこに帰着するのだろう。

 そのために学ぶべきことは多いと感じた。大学院へ進んだのは,そのためだった。

 それから小学校の教員になろうと,ずっとそう考えていた。
 
 
 残念ながら,そうはならなかった。

 このご時世,そうならなかった方が良かっただろうとあなたは言うかも知れない。

 そういう問題ではなく,私が何に思いを捧げてきたのかという点が大事なのである。

 救われてるのは,教員養成や教師教育の分野で同様な想いを持つ人々と関われること。

 唯一そのことだけが,私を大学につなぎ止めている。


 
 四国は徳島の地に引っ越しての生活が始まった。

 「地方」というものの善し悪しを少しずつ体感しながら,未来に思いをはせる。

 東京で暮らし始めてわかったことは,東京もローカルでしかないということだった。

 なのに,東京のローカルと四国のローカルに違いを感じる,それは一体何なのか。

 
 もちろんここには世界と通じる視点が欠けている。

 なぜ私たちは日本国内(あるいは日本語圏内)に閉じた思考に留まってしまうのか。

 あるいは,その閉じ方にローカルの差違が現れるということなのか。

 
 この場所にやってきたのも,ご縁があってのこと。

 喧騒を離れて,自分なりに考えを巡らしたい。
 

  
 先日は四国・愛媛に入試業務で出張。初めて松山に訪れた。

 確かY先生の故郷が愛媛だと聞いたことがあるが,それ以上根掘り菜掘り聞くこともしなかったので,ほとんど予備知識もない。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の舞台となった場所で,年末にはNHKのドラマが始まるとか,道後温泉という場所があるという程度の知識でバスに飛び乗った。

 徳島と比べて街が賑やかだった。商業施設や小売店舗が集まり賑やかなアーケードを中心とした街の配置が成り立っているおかげだろう。とはいえ,地元の人たちには都会だという意識はないようで,ここも次第に沈みゆく地方の一つでしかない雰囲気を醸し出す。

 旅先でひとりのんびり歩くといろいろなことを考える。泊まりの夜に真っ暗な東雲神社,帰り際に道後温泉や坂の上の雲ミュージアムを足早に訪れたりもした。かつての若者が立身出世のために上京し,国を動かしていく物語。それがいま,グローバルな時空を舞台に展開し,全世界を動かす物語として語られているのだろうか。しかし,それは単に情報ノードとして接続することを意味しているのだろうか。

 日本最古の温泉につかりながら,未来のことなど考える。贅沢だ。

Hello world!

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神無月八日

 強力な台風と前評判は威勢よかった台風も,私が住む場所では,夜の内に通り過ぎ,目覚めたときには「どうぞいつも通り出勤してください」状態となっていた。台風にも距離を置かれるとは,つくづく付き合い運の無い私である。

 幸い,多くの学生たちも観念して出席してくれたので,補講する面倒は避けられた。まあ,いつも通りに生活できるのが一番である。考えてみれば,働く場所があり,住む場所があり,食べていけるのだから何事にも文句は言えまい。

 気がつけば一週間という時間が過ぎる。やっていることといえば,授業の準備と仕込みの勉強。あれやこれや手付かずの宿題は山積しているが,調子を整え時間を確保して順に取り組むことにしよう。

 先日のNHKスペシャルでは,「セーフティーネット・クライシスvol.3 しのびよる貧困 子どもを救えるか」が放送されていた。私は再放送で見ることができたが,「しのびよる」というよりも「到来した」とでも表現してもよい貧困状態を描いていた。

 「財政的虐待」という言葉を取り上げたこともあったが,福祉あるいは教育に対する財政投入を限りなく低く押さえてきたやり方が,幾重ものセーフティネットを消失させるのに繋がってしまったことは,紛れもない事実である。

 私がネット上に駄文を書き始めた十数年前には,ここまで深刻な状況は社会的にも関知されていなかったし,それは一部の問題として存在するに過ぎなかったように思われる。

 だからこそ,「教育らくがき」のような教育に対する駄文・放談がまだ許されていたように思う。内容の善し悪しはともかくとして,教育について考えを巡らして,投げ掛けていくことの重要性を信じられるからこそ続けてきたようなものだった。

 しかし,いまは,何かを語れば「財源は?」的な反応一辺倒だ。

 番組で指摘があったように,教育への財源投入は,未来への投資だと考える必要がある。

 確かに私たち多くの世代が「投資をしてもらってこなかった」世代という認識があるだろうから,教育投資の意義を理解するのは難しいかも知れない。まして,学校教育に不幸にも悪印象を持っている人々は,あの場所に税金が投入されることに感情的な嫌悪感すら抱くのだろう。困ったことに,影響力を持っている人たちほど「学校」が嫌いだったりする。

 けれども,それは逆に「学校がロクな投資をされなかった」その結果として悪印象になったのだと発想の転換をしてもらう他ない。学校教育は,まだ様々な可能性を隠したまま閉じこめられているのである。

 もちろん,もはや問題は教育に留まらない,貧困という最低限の生活水準の維持さえ危ぶまれている事態である。だから,能天気に学校教育だけを語ることは難しくなっている。

 その問題の解決の糸口づくりは,現政権の手腕に期待して応援するしかない。

 今週末は旅に出ようかと思っていたが,財布が寒いことに気がついた。仕方ないので,自転車で遠出するか。

社会で次世代を育てる

 政権交代後,様々なメディアが進み始めて新しい動きを報じたり論評している。総じて,期待を持つからこその称賛や論難であり,そこに私たち国民はどうあるべきかという視角も生まれつつあるのは,よい傾向だと思う。

 実のところ,「子ども手当」というキーワードが政治の表舞台で主役を張るようになっていることが,信じられないわけではないが,とても不思議な感覚を連れて来る。もちろん多くの国民にとっては「お金の給付」のこととして理解されているのだが,これは考え方や価値観の転換の話であり,これまでは票にならないと打ち捨てられていた部類のテーマだったのである。

 「社会福祉としての子育て・保育・教育」社会全体で子ども達を育て学習をささえていく形へ。

 そのためにダム工事を中断することを許容できるか,そのために配偶者控除を廃止することを許容できるか,そのために労働環境やスタイルを買えることを許容できるか,そのために増税する可能性に対して許容できるか…。

 これまでの優先順位を並べ替えてしまうのだから,前の方に並んでいた人々が後ろに回ることを承知しなければならない。「なんで俺が後ろに回らなきゃならないんだ!」と大声で叫ぶ人も出てくるだろう。その人を説き伏せる必要もあるだろうし,場合によっては,有無を言わせない必要もあるかも知れない。声の大きい人は,そのことを知っているから,さらに声を大きく張り上げる。「不当だ!」ってね。

 教員養成の現場は,新しい養成課程のビジョンづくりに着手し始めることになる。

 これまでも世界の動向を見て,大学院と合わせた6年制教員養成の可能性は論じられてきた。いよいよ日本でも教員免許制度全体の見直しが現実味を帯びてきたわけであるから,これまでの議論を踏まえて教職課程をもつ大学は構想を練り始める必要が出てきたわけである。

 高等教育と幼小中高校段階の教育研究は,対象が異なるため普段なかなか接合しないのだが,教員養成課程のデザインという論点であれば,高等教育としての幼小中高校向け教員養成を考えることで手を繋がざるを得ない。そういうことができる人材をいまのうち育てていくことも重要だろう。

 私個人は,年4分割する短期サイクルのセメスター制を部分導入することが良いのではないかと考えている。

 日本は前期後期の2学期制のセメスターを採用していることになっているが,ご存知のようにほとんどの授業が週1回である。たとえば月曜から金曜日に1限から5限目まである場合,学生は毎週最大25種類の授業を受講していることになる。

 毎週25種類という想定が大袈裟というなら,4限目までとして毎週20種類としてもいい。1,2年生ならば,これに近い授業を履修して単位を稼いでいるはずだ。

 さて,いくら若い人たちの脳みそが柔らかいといっても,20種類もの科目について意識を払い続けられるものだろうか。もっとおまけをして半分の10種類でもいい。単位の条件である予習復習をしてくれているものだろうか。誘惑の多い年頃である。バイトやサークルの人間付き合いに夢中になっていても不思議はない。

 逆に授業をさせてもらっている立場からすれば,週1回の授業で伝えられることには限りがある。そして相手は前回の授業内容を忘れかけながらやって来る。他の授業の方に意識があって,この授業のことは最初から捨てながら出席だけしているのかも知れない。以前説明したことなのに「聞いたことない」とフィードバックが返ってきたりする。

 習得型も怪しく,探究型も十分な時間が確保できない,活用型に至っては無縁であるとしたら…。もちろん最悪な状況を想像しているに過ぎないが,そうなる危険が無いとは言えないのが,現行の2学期制である。

 たとえば年4学期制のセメスターだとしたら,授業は基本的に2ヶ月単位で考えることになる。週2回とすれば,8週間くらいで15回を満たす。(2ヶ月単位間の)隙間の1ヶ月には,集中講義を入れて応用編となる授業を配置する。実習的な活動をする期間としてもよいだろう。


 4   
 5・6 春学期
 7
 8・9 夏学期
 10
 11・12 秋学期
 1
 2・3 冬学期      (※あくまでも月単位のイメージである)

 これらはもちろん,従来の2学期制をとる授業と平行してもよい。ただし,同時履修している授業の数が多くならないように制限を設ける必要があるだろう。そうしないと本末転倒になる。

 こうすることで,学生達は授業を多様な密度で受講することができる。長期的にゆっくり学べる科目もあれば,週2回の授業で深く学ぶ科目を選ぶこともできる。さらに短期に知識を吸収したい場合には集中講義を選択できる。それぞれの科目で学んだことを,さらに定着させたり応用するための期間も確保されている。あるいはその期間に,次の学期の科目のために必要な基礎知識を短期集中で学んでおくこともできる。

 教員も自分の担当科目に適したスタイルを選択して授業をつくっていくことができる。4学期のうち,1学期(あるいは2学期)は授業免除されるルールを導入すれば,次の学期のための授業準備や研究時間を確保することが可能だ。もちろん,その間も学生指導や校務は継続する。

 新しい教員養成課程がこのスタイルをとれば,大学教員が教育現場へと関わるチャンスが増えるように思われる。授業免除されている間に現場指導や観察など行くことができるし,これを次の授業に連動させることもできる。

 とにかく,教員養成カリキュラム改革とは,学期制のような構造部分に関しても議論しなければ本物とはならないことだけ指摘しておきたいと思う。

 (付け加えれば,この提案は教員免許更新制を発展的に吸収することも視野に入れている。年4回ある1ヶ月部分の短期集講義は現職教員の受講を受け入れていい。Intel Teachのような民間のカリキュラムを導入するのもいいだろう。)

 多様な学び方を経験した教員が,次世代の子ども達の学びを豊かにすると信じる。

 基礎的な力とは,多様な状況に対して柔軟に対応できるための核になる力と言い換えることができる。そのためには教師を含めた学校環境がもっとリッチ(豊か)にならなければならない。

 学会で発表されている諸外国の教員養成や教師教育の事例や研究成果を踏まえつつ,私たちの日本でどのような教員養成や教師教育が私たちの学びをリッチにするのか。もっと夢を語る必要があると思う。そこからビジョンを紡ぎ出すしかないのだから。

平成21年度 補正予算の見直しについて(指示書)

  平成21年度 補正予算の見直しについて(指示書)

                     平成21年9月29日
                     文部科学大臣 川端達夫

1.全体として、施設(ハード)整備に関する予算は極力見直すこととし、知的財産形成(ソフト)、人材育成・確保(ヒューマン)に関わる予算については、その必要性を十分確認した上で、事業を行う。

2.新たなハコモノ整備事業(メディア芸術総合センター整備事業、地域産学官共同研究拠点整備事業)は行わない。ただし、当該分野におけるソフト・ヒューマン支援事業については配慮する。

3.安全確保、耐震化、老朽化・狭隘化などの対策が必要な施設の修繕・増改築や設備の整備については原則として事業を行う。

4.エコ改修、電子黒板等の事業については、地方議会での予算議決の現状など地域主権、現場の状況を尊重しつつ、優先順位を十分に検証して、将来展望を見据えて事業を行う。

5.今後は、学校環境の整備、国立大学および独立行政法人等の施設整備について、これまでの整備の在り方を基本から見直し、それぞれの将来展望を明確にした整備計画を策定するとともに、それに沿って計画的・効果的な予算執行に努めることとする。

神無月二日

 10月に入り,後期の授業が始まったところも多いだろう。私の勤務先は先月中ごろからスタートしているし,以前お邪魔した非常勤先は今月後半まで休んでいるところもあるので,実際は様々である。

 後期も6種類7コマの授業を担当している。毎度,この手の話題になると,この担当数が「多い」のか「普通」なのか「少ない」のか,判断に困る。だから,会話の時には相手の基準に合わせるようにしている。

 前期に準備した科目もあるとはいえ見直しも必要だし,新規に準備すべき3種類と合わせて,授業は毎日気が気でない。そうやって準備しても,授業中にスヤスヤお休みになっている姿を見れば,自分の力量不足を責める他ない。研究室に戻って,ぐったりして,あとは淡々と仕込みしたり,次の授業の準備をしたり…。

—–

 「教育方法・技術論」は教職科目。2コマあるが,どちらも5人程度の少人数。

 この科目は経験も長いので,わりと話す事柄も用意があるが,当然,最新情報を踏まえてリフレッシュしていく必要がある。東京暮らしで学んだ「学習科学」も取り込んでいるが,最近ハンドブックが出版されたこともあるから,見直してさらに膨らませたい。それと,より現場の実態に合わせた指導案の捉え方や,デジタル教材の活用といったトピックスも盛り込む。

 少し欲張りだとは思うが,まじめにやったらこれくらい盛り込むだろうと思っていた。しかし,「再履修」となって私の授業を受けに来た学生によると「別の授業ではエクセルやパソコンばっかりだった」そうで,学校現場の話とか,教育の考え方の話は新鮮なのだという。ちょっとビックリしたし,ちょっと悩んだ。

 「教育学B」は薬学部向けの一般科目。水曜日の1時間目にあるが,受講生はひとり。

 しかも,300人くらい入る大講義室なので,だだっ広いところにポツンと二人きり。それでも,素直でまじめな男子学生が受講してくれるというので,彼と一緒に教育学の勉強を始めることになった。このシチュエーションは,別の非常勤講師先で一度経験したことがある。

 彼の興味関心に沿って進めることもできそうなので要望を聞いたが,特別強い関心を持っている話題はないとのこと。せっかくだから一冊,本を一緒に読むのはどうだろうと提案したりもしたが,普通の講義でお願いしたいということなので,前半は講義をして,後半は雑談っぽく教育の話をしようかと思っている。

 「PCデータ活用実習」は資格のための科目。エクセルの使い方を20数名と学ぶ。

 パソコン・インストラクターの仕事なので,エクセルの操作方法を伝授した後は,いろいろな課題の解き方をひたすら解説していく授業である。VBAとかまでは要求されていないので,日商PC検定に焦点を絞って,その範囲内で知識や技能を学んでいくわけである。

 この手の授業は,単純作業的な授業の割りには,授業準備が大変である。授業で扱う問題を探してきたり,アレンジして作問したりしなければならない。はっきり言って,手間がかかる。
 その上,受講生の習熟度は異なるから,初心者には迷わないように配慮する必要があるし,できる学生には次に取り組む予備の課題を用意しなければならず,多方に配慮が必要だ。そして,この授業にはアシスタントがつかないので,すべて独りで対応しなければならない。連続授業だから終わるとぐったりする。

 「情報リテラシー」は全学生が受講する共通科目である。40名弱の受講生。

 時間割りの事情があって後期に開設されているが,要するに入学者に向けて学内のコンピュータの使い方や情報の基礎を学ばせるという授業である。幸い,共通のカリキュラムが準備されているが,見直しは必要で,それなりに準備が必要になってくる。

 情報リテラシーや情報モラルといった知識的なところ,ワードとエクセルという技能的なところをちゃんと身に付けましょうという授業だが,週1回触れる程度では,なかなか上達しないところもあって,なかなか難しい。

 「情報ネットワーク論」は様々な資格に必要となる科目。25名程度の受講生。

 インターネットの技術的なしくみや応用範囲を学ぶことになる。とりあえずは,日常的なネット世界の広がりを体験してみるところからスタートしている。情報ネットワークを学ぶのだから,情報ネットワークを少しは好きにならないと。

 硬軟取り合わせて,ネット上のサービスやサイトを紹介した。「Yahoo!やGoogle以外に検索サイトがある」ということに驚いている学生もいたし,「プーペガール」に興味を持った女子学生もいた。「ユニクロ・カレンダー」の動く写真が面白くて見入った人もいたし,「ほめられサロン」で出てくる言葉に笑っていた学生もいた。

 「情報機器概論」は司書資格のための科目である。受講生は10名弱。

 1単位の短い講義。しかも,司書資格のカリキュラムは見直しが進んでおり,選択科目である「情報機器概論」は新しい必須科目の中に吸収されることになっている。

 もともと図書館司書が情報機器(図書館システムなど)を扱うことや,電子図書館というものへの理解を深めるために用意された授業のようなので,それを想定して授業を構成する。図書とは何か。情報とは何か。ライブラリーの親戚(?)になるアーカイブスのことも関わっているので,その知見を盛り込んでいこうと思っている。

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 という担当内容である。前期と比べると受講生の数はぐんと少なくなって寂しい限りだが,自分にできることを提供していこうと思う。まあ,死なない程度に頑張りましょう。

長月二九日

 あれこれ書かねばならぬ駄文もあるが,仕込みや仕事であっという間に日々が過ぎている。九月の東京出張が終わり,長きに渡る東京暮らしの残り火も消して,いま住む場所に腰を据える覚悟がようやく整った。あとは,ここで頑張って行なっている事柄をどう発信するのかということである。

 とはいえ,いまは仕込み中。

 開発物が普及しないとか持続性が有るとか無いとかいう議論は本当なのか。それなら実際に開発してみよう,そして試してみようという単純素朴な実験に向かって準備中だ。

 「ITばかりの話でICTがない」という質問の真意を読み取ることへの挑戦も組み込まれている。Communicationという言葉や頭文字の有る無しという理解や,単なるご乱心で片づけるのは,もったいない。

 それをやったら「研究者」じゃないという議論が待ち受ける。

 まさにそれが問題なんだ。「研究者」って何なのか。

 一握りの優秀な研究者はともかく,平凡な研究者も同じ議論ができるのか。

 
 とにかく,いまは仕込み中。

 堅いものも柔らかいものも取り合わせて奮闘中である。

長月二三日

 日本教育工学会の最終日を終えて,翌日徳島に戻った。シルバーウィークの東京滞在は,3年間の東京暮らしを少し冷ました後で,その距離感を味わってみるような時間だった。また,訪れたいと思えたのだから,よい距離感なのだと思う。

 連休の疲れ?を連休最終日に癒しつつ,すでに後期が始まっているから休み明けの授業の準備をするため職場に来る。録画してあったニュース番組をチェックしたり,学会で会うことの出来た人たちを中心にTwitterのフォロー返ししたり,買って持ち帰った本を眺めたり,いろいろしているうちに時間も経つ。

 『技術の哲学』という岩波テキストブックは,日本教育工学会のシンポジウムなどで語られた問題を考えるのに良い材料を提供してくれそうだったので思わず買って帰ってきた。プロメテウス神話にいろんなバージョンがあるということを説明してあって,なかなか面白い。またシンポジウムについての駄文を書くときに引用したい。

 研究に関しては,山のように宿題があるので,後手に回っているが論文執筆も含めて継続的に取り組んでいこう。新しいことの仕込みも進めていかないと…。

 要領が悪いのは相変わらずだけれども,とにかく頑張っていきましょ。

日本教育工学会二日目

 学会二日目。今朝は少し気持ちの余裕も生まれたものの,別の上着のポケットに名札を忘れてしまったところからスタート。受付で新しいものをお借りして,工学部へ。途中,山内研のMさんと会い,歩きながら久しぶりにおしゃべりをした。

 午前中は一般発表を聞いて回り,途中,福武ホールの地下で行なわれているポスターセッションにも足を運んだ。あまりたくさんの発表を追いかけすぎずに自分でペース調整すれば,大会参加もゆったりできるのかなと思えた。

 応募数の増加もあって一般発表の持ち時間が短くなり,いくらかネガティブな感想が聞こえる。来年はポスターセッションを申し込みたいという声が少なくない数あった。Mさんによれば,心理関係の学会などは査読つきの課題研究以外は全部ポスターセッションらしい。もしかしたら学会大会の形や雰囲気も変わっていくかも知れない。

 山内研で同期のSくんとも再会し,近況など。福武ホールに寄ったら,山内研・中原研のメンバーがいたので,学環コモンズに入れてもらい,昼食をそこで一緒に食べることにした。

 その後,Sくんとともに安田講堂に向かい,全体会とシンポジウムに出席する。何人かの先生にご挨拶したり,長らく渡しそびれていたものをお渡ししたり,シンポジウムの内容を確認したりする。

 新学会長・永野先生挨拶。日本教育工学会全国大会は第25回だけれども,11月に入らないと学会設立25周年の記念期間ではないらしい。晴れて25周年に入ったら,学会のシンボル(ロゴ)マークを公募するのだという。そういえば,日本教育工学会にはシンボルマークが無かった。なんかちょっと考えて応募してみようかな…。

 シンポジウムは「変革をささえる教育工学:サスティナビリティとスケーラビリティ」という題目で,中原先生をコーディネータに,強力な面々を登壇者として迎えたものである。中原先生の持ち玉としては,わりと鉄板なところで突いてきたという感じではあるけれど,それゆえ面白みのあるシンポジウムだったと思う。コメンテーターに,経営学畑のお二方を迎えて,進行しているシンポをパサァと斬って断面を見せてもらう趣向にしたことがうまく効いた。

 シンポジウムの議論自体は,昨日のサブ・シンポジウムで語られていたこととも通じていたと思う。永野先生によるとどうやらメイン・シンポジウムの方の議論とも通じていたらしいから,やはり「研究と実践」あるいは成果普及の問題は,教育工学という研究分野全体に共通する主題なのだろう。このシンポジウムについては,また別に詳しく書いてみたいと思う。

 安田講堂でのシンポジウムが終わったら,そのまま安田講堂地下に広がる中央食堂を会場に懇親会。

 学会の懇親会は,居場所や居心地の予想を付け辛く,参加する直前まで気持ちが躊躇してしまう。とはいえせっかく来たのだからと,人の流れに身を任せて,懇親会会場に紛れ込むことにした。

 考えてみれば,今年は在籍していたキャンパスでの開催なのだから,知った顔も少なくない。まずは山内研のメンバーあたりと集いながら,懇親会を始めることにした。

 M1(修士1年生)の後輩達とは,一緒に過ごす時間も少なかったものだから,特に先輩らしいことは何一つしてあげられていなかった。そこで,山内先生のお許しももらって,先輩としてM1をいろんな先生達に紹介することになった。

 研究室に縁の深そうな先生方から探し回って,気がつくと山内研と中原研のM1後輩たち4人を引き連れていた。懇親会会場は大盛況で,先生方を捕まえるのはなかなか難しかったけれど,世話焼きおばさんのつもりで幾人かの先生方にM1の後輩をご紹介することが出来た。ちょっとは先輩らしいことが出来てホッとする。

 私個人も幾人かの先生方とご挨拶。本当はもっとたくさんの先生方に徳島へ飛んだことを直接ご報告しなければならないとは思いつつ,タイミングが合ったり,お声掛がけいただいた先生から順に近況などご報告する。

 途中,影戸先生が「お〜,うわさのりんさんか」と声をかけてくださり,「???」で話を聞くと,「ちゃんと飯は食えているのか,みんな心配してた」とのこと。知らないところで,想像以上,多くの方にご心配をおかけしていたのだと,大きく反省。そうやって思っていただけていたことに対して,ご恩返しの仕事・研究など貢献をしなければならないなと感じた。

 そんなこんなで,あっという間に懇親会も終わり。会場の後片づけに男手が必要ということなので,喜んで手伝う。いつまでたっても実動部隊で動けるつもりの自分。後から筋肉痛や疲労が襲ってきて苦しむことを,いつも忘れる。

 片づけ終わって福武ホールへ。予定では,みんなに連れられて地下で行なわれているはずのワカモノ飲み会に合流するはずだったが,荷物をスタッフ室に運んだついでに,同じ研究室出身のSさんとの会話が始まって居座り開始。あれやこれやと話が続いて,スタッフの皆さんも会話に加わり,さらに話が盛り上がる。気がついたらワカモノ飲み会は終了していた,ははは…,予定は未定だから。仕方ないので池袋に帰った。

 明日は最終日。学会が終わった後,片づけの手伝いが必要なときに,声がかけられてもいいよう終日滞在できるようにしてある。その辺は様子を見ながら,ウロウロしていよう。

日本教育工学会初日

 東京大学で行なわれている日本教育工学会全国大会に出席。わりと早く着いたので,人がごった返す場面にあわず,受付を完了し,研究室にご挨拶。あとは発表やシンポジウムを聞き,自分の発表を済ませ,Yくんと再会を祝して夕食。

 シンポジウムは,メインの「学習指導要領のスタートに向けて「教育の情報化」のために教育工学は何をすべきか」とサブの「ICTを利用した教育・学習システムの目標設定と評価法」の2つ。

 教育の情報化ですべきことはもう分かり切っているので,サブのシンポジウムを聞きに行った。そう考える人は多いのか,かなり盛況だった。

 シンポジウムを始める前に,S先生から論文誌に新たなカテゴリーを新設するとの方針が披露された。「教育システム開発論文」と「教育実践論文」という枠は,従来の「論文」枠とともに併設され,投稿の際に予め選択することになる。

 従来,何かしらのシステム開発を企図した研究は,その開発に関する研究部分とシステム運用の実験部分という性格が異なるパートを論文に盛り込まざるを得ず,そのため不幸にも論文自体がリジェクト(返戻)されてしまうことが多い。

 そのような不幸を減らすためにも,教育システムの開発部分とシステムの実践評価部分を分けて論文化しても適切な査読評価を得られるように,新設枠が提案されたのだという。

 それはそれ自体として歓迎すべき告知であったが,困ったことに,シンポジウムの理解に不要なバイアスをもたらし混乱が生じてしまったように思われる。

 正直なところ,不思議な議論展開をしたシンポジウムであった。

 開発物をめぐって研究者の思惑と学校現場などの協力を得ることの難しさを言及する発表。教育システムが学習パフォーマンスに与える因果連鎖において,システムそのものよりも依って立つモデルや技法が大きな影響を与えることを指摘するもの。ツールのみを評価するのではなく,活用する人間の活動と一体となった関係性を含めて捉えていく必要性を指摘する発表。教育工学が当然視(あるいは結果的に隠ぺい)している事柄を問い直し,量的・実証的アプローチが目指す脱文脈的な研究ではなく,質的アプローチによる文脈的な研究を重視していく重要性を指摘するもの。

 教育・学習システムに関するそれぞれの問題意識や指摘は,(文系教育研究畑からやってきた)私には目新しいものではなかったけれども,どうやら教育工学の世界ではようやく議論が始まったばかりだという。

 私が登壇者でもあるO先生の授業の席を立ち,教育工学と出会うことなく距離を広げたのは,まさにその問題をO先生が議論し始めた直前のことであった。もしあの時,その事情を知りえたなら,その頃からともに問題を考え,根っからの教育工学研究者になっていたかも知れない。そう思うと,運命のいたずらが少し悔やまれるが,いずれにしてもあれから14年が経過した今になって,ようやく問題が共有され,議論が始まったところだということに,やるせなさを感じる。

 いずれにしても,教育・学習システムの開発と評価を行なう研究について,これまで様々な苦悩があったとして,今後は,文脈や実際の利用者からの声を積極的に繰り込んでいくような質的アプローチによる研究を推進していくことで,少しでも研究的にも実践的にも有意味な研究と論文が生成されていくことを目指していく提案は,了解しえる。

 ところが,フロアの中には「発表はいずれも論文化ということを絶対視している。社会貢献することを目指す在り方もあるのではないか」といった理解を示す人もいたし,「研究者と教育現場の実践者とのコミュニケーション(意思疎通)の問題」として問題を考えているような質問・コメントも聞こえた。

 もしも論文化における採択の難しさが問題だという趣旨でシンポジウム発表が理解されていたとすれば,S先生が披露した新たな論文枠の設定は,問題の解決を図ったものなのかという混乱した理解も引き連れてきそうである。

 シンポジウムの議論は,様々なレベルや位相の各論の狭間に紛れ込んで,司会者もどこに焦点化すべきであるのか迷ってしまった。

 私にわからなかったのは,文脈に沿う質的アプローチを重視することによって教育・学習システム研究の活路を見いだそうとするとしても,「教育の情報化」の理不尽な停滞状況が解き放たれた場合にどうなってしまうか。その想像図が不明瞭であるということだ。

 このシンポジウムでは,もし「論文化」が「実験的評価の実証性」ばかりを問うてしまい「実効性あるシステム開発」に何がしかの障壁を生んでいるとすれば,むしろ「全体を捉え」「利用活動を一体と見なし」「目標にとらわれない経過に焦点化した」評価が重要だと論じたのであった。

 しかし,「本当に実効性のあるシステム開発がしたければGoogleにでも行って開発すれば?」という声に対して,シンポジウムの主張はどんな対抗する言葉を持ち得るのかよくわからない。

 圧倒的なブランディングとグローバル戦略でサービスを提供するGoogleが教育・学習システムをどんどん提供していくことを想像したとき,研究者が論文化の問題で質的アプローチによる険しい道のりを歩み始めている間に,教育の情報化を取り巻く状況はどんどん変わってしまい,「教育・学習システムの開発を研究すること」のメリットを見出し難くなってしまうのではなかろうか。

 社会的に貢献する教育・学習システム開発を優先し,その経過や成果を後付けで論文化するような方法論に対し,教育工学のような学術研究としての教育・学習システムの方法論が打ち勝つための最後の砦はどこにあるのか。

 シンポジウムの議論を聞きながら,内部での努力も必要だが,外部に対する備えも必要ではないかと思えた。