線の先の雲

 長らくブログを書かないと,実家が心配するので久しぶりに更新をしよう。

 この前の連休中,疲れがたまっていたせいだろうか,背中の筋肉痛がひどくなり長い頭痛が続いた。そんなこともあり,駄文やつぶやきの頻度を緩め,あらためて自分の周辺について考えていたのである。

 多くの研究者が「科研が書けん」と科研費申請書の作成で試行錯誤している最中,私は「果敢に書かん」と決めたかどうかは定かでないが,申請するための材料がない以上は書けないので,日々の授業と先のことを考えながら手近でやっている仕込み作業を黙々と続けていた。

 残りの時間をどこにフォーカスしていこうか。

 出発点はどこだったのかとたぐり寄せれば,子ども好きという自分に原点回帰する。

 次代を担う子ども達のために生きて死ぬこと。そこに帰着するのだろう。

 そのために学ぶべきことは多いと感じた。大学院へ進んだのは,そのためだった。

 それから小学校の教員になろうと,ずっとそう考えていた。
 
 
 残念ながら,そうはならなかった。

 このご時世,そうならなかった方が良かっただろうとあなたは言うかも知れない。

 そういう問題ではなく,私が何に思いを捧げてきたのかという点が大事なのである。

 救われてるのは,教員養成や教師教育の分野で同様な想いを持つ人々と関われること。

 唯一そのことだけが,私を大学につなぎ止めている。


 
 四国は徳島の地に引っ越しての生活が始まった。

 「地方」というものの善し悪しを少しずつ体感しながら,未来に思いをはせる。

 東京で暮らし始めてわかったことは,東京もローカルでしかないということだった。

 なのに,東京のローカルと四国のローカルに違いを感じる,それは一体何なのか。

 
 もちろんここには世界と通じる視点が欠けている。

 なぜ私たちは日本国内(あるいは日本語圏内)に閉じた思考に留まってしまうのか。

 あるいは,その閉じ方にローカルの差違が現れるということなのか。

 
 この場所にやってきたのも,ご縁があってのこと。

 喧騒を離れて,自分なりに考えを巡らしたい。
 

  
 先日は四国・愛媛に入試業務で出張。初めて松山に訪れた。

 確かY先生の故郷が愛媛だと聞いたことがあるが,それ以上根掘り菜掘り聞くこともしなかったので,ほとんど予備知識もない。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の舞台となった場所で,年末にはNHKのドラマが始まるとか,道後温泉という場所があるという程度の知識でバスに飛び乗った。

 徳島と比べて街が賑やかだった。商業施設や小売店舗が集まり賑やかなアーケードを中心とした街の配置が成り立っているおかげだろう。とはいえ,地元の人たちには都会だという意識はないようで,ここも次第に沈みゆく地方の一つでしかない雰囲気を醸し出す。

 旅先でひとりのんびり歩くといろいろなことを考える。泊まりの夜に真っ暗な東雲神社,帰り際に道後温泉や坂の上の雲ミュージアムを足早に訪れたりもした。かつての若者が立身出世のために上京し,国を動かしていく物語。それがいま,グローバルな時空を舞台に展開し,全世界を動かす物語として語られているのだろうか。しかし,それは単に情報ノードとして接続することを意味しているのだろうか。

 日本最古の温泉につかりながら,未来のことなど考える。贅沢だ。