社会で次世代を育てる

 政権交代後,様々なメディアが進み始めて新しい動きを報じたり論評している。総じて,期待を持つからこその称賛や論難であり,そこに私たち国民はどうあるべきかという視角も生まれつつあるのは,よい傾向だと思う。

 実のところ,「子ども手当」というキーワードが政治の表舞台で主役を張るようになっていることが,信じられないわけではないが,とても不思議な感覚を連れて来る。もちろん多くの国民にとっては「お金の給付」のこととして理解されているのだが,これは考え方や価値観の転換の話であり,これまでは票にならないと打ち捨てられていた部類のテーマだったのである。

 「社会福祉としての子育て・保育・教育」社会全体で子ども達を育て学習をささえていく形へ。

 そのためにダム工事を中断することを許容できるか,そのために配偶者控除を廃止することを許容できるか,そのために労働環境やスタイルを買えることを許容できるか,そのために増税する可能性に対して許容できるか…。

 これまでの優先順位を並べ替えてしまうのだから,前の方に並んでいた人々が後ろに回ることを承知しなければならない。「なんで俺が後ろに回らなきゃならないんだ!」と大声で叫ぶ人も出てくるだろう。その人を説き伏せる必要もあるだろうし,場合によっては,有無を言わせない必要もあるかも知れない。声の大きい人は,そのことを知っているから,さらに声を大きく張り上げる。「不当だ!」ってね。

 教員養成の現場は,新しい養成課程のビジョンづくりに着手し始めることになる。

 これまでも世界の動向を見て,大学院と合わせた6年制教員養成の可能性は論じられてきた。いよいよ日本でも教員免許制度全体の見直しが現実味を帯びてきたわけであるから,これまでの議論を踏まえて教職課程をもつ大学は構想を練り始める必要が出てきたわけである。

 高等教育と幼小中高校段階の教育研究は,対象が異なるため普段なかなか接合しないのだが,教員養成課程のデザインという論点であれば,高等教育としての幼小中高校向け教員養成を考えることで手を繋がざるを得ない。そういうことができる人材をいまのうち育てていくことも重要だろう。

 私個人は,年4分割する短期サイクルのセメスター制を部分導入することが良いのではないかと考えている。

 日本は前期後期の2学期制のセメスターを採用していることになっているが,ご存知のようにほとんどの授業が週1回である。たとえば月曜から金曜日に1限から5限目まである場合,学生は毎週最大25種類の授業を受講していることになる。

 毎週25種類という想定が大袈裟というなら,4限目までとして毎週20種類としてもいい。1,2年生ならば,これに近い授業を履修して単位を稼いでいるはずだ。

 さて,いくら若い人たちの脳みそが柔らかいといっても,20種類もの科目について意識を払い続けられるものだろうか。もっとおまけをして半分の10種類でもいい。単位の条件である予習復習をしてくれているものだろうか。誘惑の多い年頃である。バイトやサークルの人間付き合いに夢中になっていても不思議はない。

 逆に授業をさせてもらっている立場からすれば,週1回の授業で伝えられることには限りがある。そして相手は前回の授業内容を忘れかけながらやって来る。他の授業の方に意識があって,この授業のことは最初から捨てながら出席だけしているのかも知れない。以前説明したことなのに「聞いたことない」とフィードバックが返ってきたりする。

 習得型も怪しく,探究型も十分な時間が確保できない,活用型に至っては無縁であるとしたら…。もちろん最悪な状況を想像しているに過ぎないが,そうなる危険が無いとは言えないのが,現行の2学期制である。

 たとえば年4学期制のセメスターだとしたら,授業は基本的に2ヶ月単位で考えることになる。週2回とすれば,8週間くらいで15回を満たす。(2ヶ月単位間の)隙間の1ヶ月には,集中講義を入れて応用編となる授業を配置する。実習的な活動をする期間としてもよいだろう。


 4   
 5・6 春学期
 7
 8・9 夏学期
 10
 11・12 秋学期
 1
 2・3 冬学期      (※あくまでも月単位のイメージである)

 これらはもちろん,従来の2学期制をとる授業と平行してもよい。ただし,同時履修している授業の数が多くならないように制限を設ける必要があるだろう。そうしないと本末転倒になる。

 こうすることで,学生達は授業を多様な密度で受講することができる。長期的にゆっくり学べる科目もあれば,週2回の授業で深く学ぶ科目を選ぶこともできる。さらに短期に知識を吸収したい場合には集中講義を選択できる。それぞれの科目で学んだことを,さらに定着させたり応用するための期間も確保されている。あるいはその期間に,次の学期の科目のために必要な基礎知識を短期集中で学んでおくこともできる。

 教員も自分の担当科目に適したスタイルを選択して授業をつくっていくことができる。4学期のうち,1学期(あるいは2学期)は授業免除されるルールを導入すれば,次の学期のための授業準備や研究時間を確保することが可能だ。もちろん,その間も学生指導や校務は継続する。

 新しい教員養成課程がこのスタイルをとれば,大学教員が教育現場へと関わるチャンスが増えるように思われる。授業免除されている間に現場指導や観察など行くことができるし,これを次の授業に連動させることもできる。

 とにかく,教員養成カリキュラム改革とは,学期制のような構造部分に関しても議論しなければ本物とはならないことだけ指摘しておきたいと思う。

 (付け加えれば,この提案は教員免許更新制を発展的に吸収することも視野に入れている。年4回ある1ヶ月部分の短期集講義は現職教員の受講を受け入れていい。Intel Teachのような民間のカリキュラムを導入するのもいいだろう。)

 多様な学び方を経験した教員が,次世代の子ども達の学びを豊かにすると信じる。

 基礎的な力とは,多様な状況に対して柔軟に対応できるための核になる力と言い換えることができる。そのためには教師を含めた学校環境がもっとリッチ(豊か)にならなければならない。

 学会で発表されている諸外国の教員養成や教師教育の事例や研究成果を踏まえつつ,私たちの日本でどのような教員養成や教師教育が私たちの学びをリッチにするのか。もっと夢を語る必要があると思う。そこからビジョンを紡ぎ出すしかないのだから。