強力な台風と前評判は威勢よかった台風も,私が住む場所では,夜の内に通り過ぎ,目覚めたときには「どうぞいつも通り出勤してください」状態となっていた。台風にも距離を置かれるとは,つくづく付き合い運の無い私である。
幸い,多くの学生たちも観念して出席してくれたので,補講する面倒は避けられた。まあ,いつも通りに生活できるのが一番である。考えてみれば,働く場所があり,住む場所があり,食べていけるのだから何事にも文句は言えまい。
気がつけば一週間という時間が過ぎる。やっていることといえば,授業の準備と仕込みの勉強。あれやこれや手付かずの宿題は山積しているが,調子を整え時間を確保して順に取り組むことにしよう。
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先日のNHKスペシャルでは,「セーフティーネット・クライシスvol.3 しのびよる貧困 子どもを救えるか」が放送されていた。私は再放送で見ることができたが,「しのびよる」というよりも「到来した」とでも表現してもよい貧困状態を描いていた。
「財政的虐待」という言葉を取り上げたこともあったが,福祉あるいは教育に対する財政投入を限りなく低く押さえてきたやり方が,幾重ものセーフティネットを消失させるのに繋がってしまったことは,紛れもない事実である。
私がネット上に駄文を書き始めた十数年前には,ここまで深刻な状況は社会的にも関知されていなかったし,それは一部の問題として存在するに過ぎなかったように思われる。
だからこそ,「教育らくがき」のような教育に対する駄文・放談がまだ許されていたように思う。内容の善し悪しはともかくとして,教育について考えを巡らして,投げ掛けていくことの重要性を信じられるからこそ続けてきたようなものだった。
しかし,いまは,何かを語れば「財源は?」的な反応一辺倒だ。
番組で指摘があったように,教育への財源投入は,未来への投資だと考える必要がある。
確かに私たち多くの世代が「投資をしてもらってこなかった」世代という認識があるだろうから,教育投資の意義を理解するのは難しいかも知れない。まして,学校教育に不幸にも悪印象を持っている人々は,あの場所に税金が投入されることに感情的な嫌悪感すら抱くのだろう。困ったことに,影響力を持っている人たちほど「学校」が嫌いだったりする。
けれども,それは逆に「学校がロクな投資をされなかった」その結果として悪印象になったのだと発想の転換をしてもらう他ない。学校教育は,まだ様々な可能性を隠したまま閉じこめられているのである。
もちろん,もはや問題は教育に留まらない,貧困という最低限の生活水準の維持さえ危ぶまれている事態である。だから,能天気に学校教育だけを語ることは難しくなっている。
その問題の解決の糸口づくりは,現政権の手腕に期待して応援するしかない。
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今週末は旅に出ようかと思っていたが,財布が寒いことに気がついた。仕方ないので,自転車で遠出するか。
今週末はこんなイベントもあるようですね
http://www.machiasobi.com/
Felicaケータイのイベントは
8月の阿波踊りでもありましたが
最近力を入れているようです
情報ありがとうございます。
ありゃ,引きこもりのせいなのか。
地元のイベントなのに全然気がつかなかった…。
それにしても声優ゲストが多いのは
いかにもイマドキという感じです。
Webラジオとかなら,すぐにも対抗
できそうだけど…ははは。