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変わりゆく立場

 今年に入ってから続いていた出張の旅路もようやく終わりを迎えた。

 こういう慌ただしい日々をこなすのは生来得意ではないため、自宅が放ったらかしになるという犠牲が伴う。家事というのは独りでするもんじゃないとつくづく思う。

 いろんな人々に会うことができた。

 直接間接に様々なことを言われた。

 「教育らくがき」がストレートに物を書かなくなったことを指摘する人もいた。そろそろ公的に貢献しなければならない年齢だと知らせる言葉もあった。新しい世代の息吹を直接感じる場面にも遭遇した。

 私自身も,また様々な方々も、変わりゆく立場の中で試行錯誤していることを感じた。いつまでも続くと思っていた「浅はかなりし頃」は、こういう形で遠い日々に変わりゆくのかなとぼんやり考えたりもした。

 子ども達が未来を生きるために必要な支援をすることが学校教育の使命であることは、今も昔も変わっていない。しかし、昔に比べれば今ほどそれが難しい時代もない。

 支援しなければならないことが多岐にわたり、それはますます増えていると言われる。けれども、実際に私たちが用いる評価のまなざしは旧態然としていて、一向に変わる気配がないとさえ思われている。

 昭和の牧歌的な日本共同体の幻想を温存することで、一定程度この国のアイデンティティは保たれてはきた。けれども、そのコストが現実問題として維持できなくなってきている中で,決断が迫られている。確かに、いま痛みを伴って変化が起こっている。

 もっとも、すでに破綻はじわじわと教育現場を襲っている。

 初等教育段階はそれだもまだ手厚さが残っているかも知れないが,中等教育段階はどうなっているのだろう。ベネッセの「第5回学習指導基本調査」の分析によれば高校教育において基盤は喪失していることが指摘されたりしている。

 私たちが教育を論ずると義務教育を主要な関心対象にしがちで,そこから上位学校段階への接続の在り方などに関して十分な関心を向けられていたとはいえない。一般の人々の関心が受験をゴールとする教育それ以上の関心を中等教育に対して向けていたかどうかは怪しいだろう。そんな状態が基盤喪失を許してしまったのかも知れない。

 コストを度外視せずに、手厚い教育をすることは可能なのか。

 何をもって手厚いとするかにも拠るだろうけれども、私自身はいろんな意味での規制や呪縛を緩めることで可能になることも多いと思う。

 また、コストをかけるべき箇所を見直して変えることが大事だとも思う。優先順位が正しく精査されていないこともたくさんあるからだ。

 場合によっては他から教育へリソースを奪ってくる必要もあるだろう。それは逆にコストをかけろという話になるが,本来的にはそのような方向でコンセンサスを得る努力をするのが私たち関係者の仕事なのかも知れない。

 私が「敵の正体」を自分で確かめようと決意して上京したのが6年前。

 何かそこにやっつけるべき主体が存在していると、ナイーブに考えていたところがあったのかも知れない。

 けれども、実際に目の当たりにしたのは、生真面目な人々の集合で成り立つ空気だった。

 ミイラ取りはミイラになったのか?

 取るべきミイラがなかったときに、ミイラ取りには何が残るのか?

 空気に巻かれていた包帯だけを手にして、私は痕跡から輪郭を描くことから始めなければならないことに気がついた。

 私が過去を追いかける立場をとり始めた理由は、そんなところにある。
 

高速バスな旅

 自腹出張が続いているので、交通費は節約しなければならない。日程がかなり前からわかっていれば早割りで飛行機のチケットを購入したりもするが、だいたい近くになって予定が確定するので、そういう場合は高速バスを使うことになる。

 徳島−東京間は片道6,000円が最安。でも、4列シートのバスなので、これで隣りに人が座って一夜を過ごすのはきつかった。だから最近は、3列シートのバスに甘えている。これだと8,000円也。2,000円の差額は安くはないが、それくらい贅沢させていただくくらいは働いていると信じよう。

 0泊3日の出張にすれば、宿泊代が浮く。その分を次回の交通費に回せる。どうしても宿泊しなければならない場合は安宿を探すのだが、最近安宿よりもスーバーホテルにはまり、もっぱらスーパーホテルに宿泊している。ポイントカードが貯まるとキャッシュバックもあるし、値段の割りにとても快適に過ごせる部屋なので、これも贅沢承知で続けちゃっている。

 来月も毎週のごとく東京へ出かける。

 徳島に引っ込んで、のんびり地方暮らしをしてフェードアウトするのかなと思ったら、そうは問屋が卸さなかった。確かに税金で勉強させてもらった分だけ恩返ししないと…。

 給料日がきて、一服。自転車操業な日々がまだまだ続く。
 

この頃の書店巡り

 最近は出張が続いている。出かけるのは大好きだが,移動中や宿泊先で仕事をするという芸当はできないので,出張が続くと宿題がストップするのが悩みのタネである。

 それでも旅路でボーッと考え事するので,頭の中は動いているともいえる。

 出張先や帰り道で時間の余裕があれば,ご当地の書店による。いまどき日本全国,似たような本しか置いていないのだろうけど,それでも書店で時間を過ごせばいろんな情報に触れられる。

 最近は書店内でめぐる書棚の比重が変わってきている。教育やコンピュータ関係はもちろん見るが,地方自治や行財政に関する書棚を眺めることが多くなった。

 というのも,昨今の教育や教育情報化などに関する主張や言説は,どの論者も大した違いがなくなってきており,勉強不足の人々を除けば,だいぶコンセンサスは出来上がっているように思え,むしろ注目すべきは具体的なアクションへと繋がる回路の方ではないのかと考えるようになっているからだ。

 いったい誰が事態の鍵を握っているのか。

 何をどうすれば知見を政策に反映できるのか。

 そんな素朴な疑問を見極めたくて,行政や財政の文献資料を手に取るようになっている。

 教育の情報化の歴史をさかのぼっていると,予算の話や事業の記録を見ることになる。けれども,何年に何とかいう予算が幾ら付いたとかいう話は残りやすいのか目に付くが,その背景の成立過程を掘り起こすのは簡単ではない。

 いったい何がどうなって教育情報化政策が動いているのか,教育のICT活用を専門にしている関係者でさえ完全に理解しているとはいえない。理解していたとしても,政策の形成過程に適切に関われている人間は本当に少ない。

 私自身,勉強をしていく中でやっと輪郭が見えてきたところ。事が単純でないことを知れば知るほど,短絡的な批判の言葉を飲み込むようになってきている自分を物足りなくも思うが,もっと効果的な主張の出し方はないものか,いろいろ模索しているところである。

 いまのところ思うのは,関連学会による政策提言の影響力が弱いこと。

 あるいは政策提案するための団体や活動が少ないこと。

 だからメーカーや企業系の情報ばかりで物事が動きやすくなっていたのだと思う。

 歴史を振り返る作業は,まだまだ資料の掘り起こしに手間取っている。

出張月間

 今週後半から出張が続く。主にフューチャースクール関係の参観のためである。まずは長野県、それから佐賀県、続いて広島県。このあと場合によっては大阪府。そして来月は東京都。

 旅は好きだが過密な旅程を組み立てて乗り物や宿の手配をするのは得意ではないので、結構大変である。それでもネットを活用してあちらこちらに予約をする。

 徳島県から他県に出たり入ったりするのも大変で、長野や佐賀は一泊またぎながら移動する。授業もあるから帰ってきて授業してまた出かけるという慌ただしさ。頼まれもしてないのによくやるよと我ながら思う。

 学者が現場を知ってるとか知らないとかがテレビやネットで話題になったりしているが、物事を探究しようという姿勢は少なくとも持ち合わせているはずである。私の場合は、なるべく現場に近づいてこの目で確かめようとする形で表れる。

 私自身の無力もあって、近づける程度もしれているが、チャンスがあるなら現地へ出かけたり、一次資料を掘り起こしたり、原因にさかのぼったりする努力を惜しまないようにしたいと考えている。

 フューチャースクール推進事業もあと一年強。私のお役目もぼちぼち終わる。学びのイノベーション事業はさらに一年ずれて続くが、どんな風に関わるのかは見えていない。個人的には実証校のお手伝いを続けられればと思うけれど、それは事業とは関係ないところでという形になるだろう。

 形や立場にあまりこだわりはない。そのときできることをするだけなので、今は関わっている立場で飛び回り、あとは適当に動き回ろうと思っている。

資料漁りとセミナー

 前々から参加しようと申し込んでおいたセミナーが土曜日に開催されるので,再び状況することになった。今回は平日移動なので,東京大学の図書室に行って調べ物。到着したのが4時で閉館の5時まで1時間しかないが、あらかじめ狙いは定めて資料をコピーしていた。

 夜はホテルにチェックインしたあとで書店に出かけて目ぼしい文献があるかどうかを眺めて過ごした。それから新しいワイヤレスキーボードを購入した。iPadで文章を入力するときに使うためである。

 宿題がいろいろ溜まっているので頑張らないと…。

誰かいますか

教育情報化の歴史を整理し直す必要を改めて感じたのは、国の事業に関わり始めたから。物事は積み重ねで進むのだから、関わる以上、それまでの流れを理解しておくことが大事であろうと考えたからだった。

最近、朝日新聞が紙面上で教育情報化について大きく連載しているのが一部で話題になっているが、あの程度のことでも一人で調べようするとなかなか大変だったりする。まして、全体像を把握するのは難しい。

さらに、歴史過程の連続性や整合性を検討し始めると、その作業には悲哀のような感情がつきまとい始める。いくつものミッシングリンク。繰り返される挫折。見慣れたいつもの顔ぶれ。取り残された学校現場。いつまでも続く海外への羨望と視察。拡がっていく温度差と格差。

正直なところ、この歴史に対する反省なしには、ビジョンだとか何だとかも虚しく響くだけに思える。教育情報化においては20世紀の総括が終わってないし、だから21世紀の学びは来るはずはないし、多くの人々が19世紀の旧態に依存せざるを得ないことを許しているのだろうと思う。

非力だとは承知の上で、私自身はできる範囲で過去を整理する作業を眈々と進めたいと考えている。もちろん私が直接的に関わったものなど何もないのだから、本当なら私には資格はないが、この転倒具合こそがこの領域の不幸の一つなのだから仕方ない。

だから私は、次の時代を任せられる若い世代の人を見つけたい。誰か真正面から教育情報化に取り組みたい若い人はいますか。私たち上の世代を乗り越えていく人、誰かいますか。

いつまで生きるか

 2011年11月30日は作家マーク・トウェインの生誕176周年だそうで,Googleはいつものように偉大な故人にトップページのイラストを捧げている。

 Googleのイラストをニュースのネタにしているところは多いが、「ゆかしメディア」の記事は興味深い逸話を紹介していた。

 マーク・トウェインは1835年に生まれたそうだが、その年はハレー彗星が巡ってきて観測された年だったそうである。面白いことにトウェイン本人は「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、ハレー彗星と共に去っていくだろう」と言ったのだとか。

 そしてその言葉通り、次にハレー彗星が観測された1910年に亡くなったという。実際は享年74歳ということになるが、ほぼハレー彗星の周期(76年)というわけだ。

 こんなエピソードを聞いて,あらためて自分の死にゆく時期がいつごろになるのか考えてみたりする。

 途中のアクシデントが無いとして,80歳まで生きるとすると残り40年間。つまり,2051年頃まではこの世に留まる可能性があるということだ。

 2050年前後は,もう気力も体力も失せていることだろうから、迷惑をかけない程度に生活できればと思う。

 2040年くらいは,人生の後片づけと引き継ぎをする覚悟をしないといけないだろうから、まあ,自分の人生と向き合って,ああだこうだ考えることにしよう。

 2030年くらいは,上の世代として下の世代を見守り育てていく必要があるのだろう。自分のことだけ考えてるわけにもいかない。

 2020年くらいは,自分の関心を中心に据えられる最後の時期だろうから,ここで踏ん張って燃焼しないといけないかも知れない。

 2010年は,ああ,闇雲に慌ただしいだけの日々だったな…。

 2050年代には,どんな世の中になっているのか。

 1970年代に生まれた人間にとって,2010年代でさえ摩訶不思議な時代だと思える。それほどではないとしても,2050年もいろいろ変わっているのだろう。

 私たちが目の前にしている小学生の中には,2100年に人生が届くかも知れない子もいるかも知れない。

 想像すら難しい時代を,子どもたちには生きてもらわなければならない。そう思うと,今の時代に生きることがなんとなく心苦しい。
 

ビジネスに青田刈られて

 TechCrunch Tokyo 2011というイベントをちょこちょこ眺めると、スタートアップのプレゼンなど目に入る。

 テクノロジーやソーシャルサービスなどを活用し問題を解決しようとする営為をビジネスとして具現化していく動きが賑やかだ。

 こうした動きがどの程度の持続性を持つのか分からないけれども,少なくともテクノロジーによる社会貢献を志す者にしてみれば魅力的なパスであることは確かである。

 ただ他にも,テクノロジーで社会貢献するという似たような営為を目標としてきた領域がある。アカデミックな世界だ。

 テクノロジーの基礎的な部分を研究の対象とすることで同じ方向を目指しているのがアカデミアの世界で,応用的な部分を商品としてリリースしていくのがビジネスの世界,という違いはあるだろう。

 けれども,アカデミックな世界にも応用的な部分を扱う領域はあるはずで,そこではビジネスの領域と衝突が起こっているのではないかと思われる。

 何かしらの工学的な営為をアカデミックに扱っているべきか,あるいはビジネスとして扱っていくべきか。

 これは別に新しい問題でも何でもない。昔から産官学の連携とか,研究成果をビジネスとしてどのように活かすかはいろいろ試みが展開してきた。

 けれども,それが上手にできるのはごく一部。基本縦割り社会の日本だと一度それぞれに別れてから連携するのは,いまだにコストがかかる。

 そうなると,テクノロジーを思考する人は端的にビジネスを指向した方が社会貢献への近道へと考えたりするんではないだろうか。

 シリコンバレーに打って出て起業するなんて夢物語と思った時代もあったが、それがもう珍しいものではなく,やる気のある者にとっては現実なのだという時代が訪れた。

 そういう時代に生きる子どもたちを育てているのだと考えれば、私たち自身がもっと考え方も実践も前進させなくてはならないと思わずにはいられない。
 

忙しさは名を変えて…

物事を動かしたり、変えたりすることに力を発揮してくれる人が居る。そういう種類の人は極少数で、しかも、極めて多忙であることが多い。

それだけの実力があるからこそ、様々な仕事が舞込み、連鎖的に忙しさが増すことも確かなのだが、一方で、全体の動きに滞りを来してしまっている現実もある。

日本の教育の情報化の変遷を辿ると、様々な動きを結び付ける役目を負うキーマンが居るには居るのだが、あまりにたくさんの仕事を(それだけ依頼が舞い込むからこそ)引き受けてしまって、現実問題として身動き取れなくなってしまっているケースが昔も今も繰り返されている。

サイバーテロの手段として、コンピューターシステムに負荷をかけてダウンさせるという手口がある。

過剰なデータを相手に送りつけることで、相手がデータを受け取り処理する作業をオバーフローさせると、正常な処理作業を行なえなくなるという寸法だ。

私には、才能のある優秀な研究者やリーダーが、そのような状態に置かれてしまっているように見える。

悩しいことはご本人達にもその状況を脱することが、容易なことではないという現実である。

現代は忙しくするための理由に事欠かない。むしろ、理性的、客観的に考えれば考えるほど、スケジューリングされた枠の中に自らを押し込むように仕事が組み上がるようになっている。そのことを拒否することは難しい。

しかも有能・優秀な人ほど、そう自らを仕向けていくのは、ほとんどの場合、良心から。自分が頑張ることで依頼に応えられたり、物事に貢献できるならと、考えた結果としてだ。その範中において褒められることはあっても責められるべき点は一つもない。

しかし、マクロな視点からすれば、システムは学習の結果(あるいは、安易で怠惰な性行の必然として)、依頼を分散させることなく忙しい人々(それだけ実績があり信頼ある人々)に集中させる癖をつけて、最終的にはシステム全体の効率を低下させる事態を招く。しかし、個々の仕事は処理されているので、その全体像には誰も気づかないで済んでいる。

社会学者ピエール・ブルデューが、場(界)という概念と再生産について論じたことは知られている。あるいは、社会文化資本という言葉の方が通りがよいだろうか。

私にしてみると、教育情報化の繰り返される歴史は、まるで受け継いだ資本をもとに場を再生産しているように見えるし、そのことを了解していても容易には脱せない様はハビトゥスを思わせる。

まさか全員が全員、私たちの分野のスティーブ・ジョブズ氏の登場を待っているとは思わないが、なんだかそういう態勢になっているような気がしてならない。