平成二十三年文月十三日

 昼夜逆転の日々にも一区切りつけて、この数日から早寝をするようになった。必然的に早起きになるので、その時間に情報チェックや本などを読もうかと思う。

 手を付けていない課題が積み上がってしまい、その上、自身のモチベーションは減衰している中で、今後どのように自分自身を突き動かしていくべきか、悩む日々は続いている。

 私自身は、問題に捕らわれたいと思う性格ではない。

 無論、生に捕らわれている限り、この社会の問題の何かを背負い込んでいることは承知している。だとしても、それ以外の細かい解決可能なことにはケリをつけて、前進するのがよいと感じている。

 ただ、世の中には、その細かい事柄に留まることで生きている人達もいる。

 そのことに直面して初めて、世の中は政治で動くのだと理解した。私たちは大なり小なり、様々な形の政治力学に捕らわれている。その厄介さに気づくのはとても遅かったのだと思う。

 そういう意味では、2006年に東京に出ていくまで、私自身は牧歌的な社会で過ごしていたように思う。それは高望みしなければ、大変居心地の良い場所だった。

 そこから仕事を辞めて東京に出て、人・物・事がうごめく都市を少しばかり経験した。物事は、もう少しグローバルな哲学のもとに動いているかと思っていたが、そこで動いていたのは巨大なローカル意識だった。

 とはいえ、お世話になった場所で学んだことは多く、必然的に自分の至らなさを痛感することになった。ますます、自分の考えていた世界観が取り崩されていくようにも感じられた。時代の変化は想像以上に大きかったということかも知れない。

 世の中に対する認識が変わり、世の中自体も大きく変わり、その条件のもとで自分自身をどうドライブしていくべきか決めかねている。

 もっとも、迷った時には原点回帰せよ、は鉄則である。

 だから、正直なところ私が次に何やるべきなのかは、私の中では決まっている。ただ単に、その他の物事が片づかないことに対する苛立ちが積もっているのだろう。

 プログラミングとか、家の掃除とか、蔵書の整理とか、片づけたいと思っているものに少しずつ手を付けている。国の事業のお手伝いは、悩ましい現実に直面する少々厄介な仕事だが、悪態つきながらお役目終わるまで頑張ろうと思う。

 それらを片づけつつも、できるだけ文献に身を沈めて静かに文章を綴ろうと思う。それが本来私がやりたかったことだし、それ以外の派手なことを真似てみてもモチベーションは続きそうにない。