1年単位のルーチンが出来上がると,人は時の流れを一層速く感じ始める。今年も私が顧問をする児童文化研究部が定期公演を催した。昨年は出張があったので当日欠席をしたが,今回は2年ぶりの参加。その2年という時間があまりにも短く感じられることに内心焦りを感じる。
参加といってもビデオ記録や来場者の入場整理などが私の出番だ。2年前の駄文にも記したが,家族連れやカップルといった来場者を相手に一人芝居を打つかのようにロビーでアナウンスをするのは今回も一緒。自分に関しては時が止まっているかのようで,移り変わる部員達のお顔ぶれと後輩の活躍を見にやって来た卒業生OGの顔ぶれが時間の経過を証明している。
新しい彼氏を連れてきたり,結婚報告を携えてやって来る卒業生達と言葉を交わしたり,簡単な会釈で互いの健在を確認する毎に,私の精神年齢はまたグッと老け込んだりする。娘たちの成長や人生の変節を傍観する立場にいるのは楽しくもあり,一方で時の流れに取り残された寂しさも味わう。自分は何か成長したり,変化しただろうか。人生の変節なんかあっただろうか。
「教育」カテゴリーアーカイブ
today1019
一発目の入試を無事済ませ,準備に手間取る回だった授業もなんとか終え,夜の会議をようやく抜けたと思ったら,明日から保育関係の研究大会の運営に駆り出される。そんなタイミングをねらってか,「超大型」の台風が来るとか来ないとか。いま予想進路図を見たら,キレイに日本を縦断するらしい。
案じることが多くて,心落ち着かない。その証拠に,台所の食器が洗わないまま置いてある。冷蔵庫の中身も怪しい状態だぞ。洗濯物もたまっているし‥‥。今夜,食器くらい洗おう。あと湯船にも入ろう。
●サントリーの烏龍茶でキャンペーンしていた「iPod 4000台!」は明日まで。集めていた応募用番号シールの数が満たないので,学生に譲ることにした。まあ,前バージョンのiPodは持っているしね。
●また改めて取り上げるが,FMトランスミッタを購入する。学生達とやっているインターネットラジオ企画はなかなか進まないが,イベントFM生放送をする計画は進行中。大学祭で挑戦だ。かつてのミニFMブームには,なんかロマンみたいなものがあったが,いまは法規制もすすんで,そういう「はみ出した面白いこと」をする余裕が社会になくなってきている。なんかつまんない。
巧みな技から力業
小さな職場に小さな「情報メディアセンター」という部署をつくり,その仕事について2年目。情報関係の対外的な窓口の役目も担うので,業者面会の機会も多い。今日は,学事システムのデモンストレーションを見せてもらった。この分野では有名なソフト。マイクロソフト社の.NET技術を活用したバージョンがこの秋に完成したというので,どれほどのものかを見極めようと思ったわけだ。
学事システムとは,学生の個人情報や授業履修,成績などの管理を担うもので,たとえば各種証明書類の発行の際にとても役立つものである。そしてこういう類のシステムに少しでも係わったことがある皆さんなら理解していただけると思うが,学事情報の管理や処理というのは,意外と複雑なのである。
学生に関する記録は,頻繁に変化する。しかもその変化の仕方は個別的で,例外のようなものも少なくない。さらに,授業履修の仕組みや履修科目の内容は,学部学科毎,取得資格毎,入学年度毎に微妙に変化する。あれは,通年で,これは半期。こちらは必修だが,あちらは選択科目,しかし旧課程の学年の場合は科目名を読み替えて処理するとか‥‥。休学退学はもちろんのこと,単位を落としたり,留年してみたり,個々の学生を管理するのは,並大抵のことではない。
skm&hg_02
非常勤講義の第2回。「視聴覚教育メディア論」(skm)では,本論に入るための予備知識やイメージを持ってもらうため,パソコンで出来ることをプレゼンテーションすることにした。要するに「デモ」である。パソコン販売員よろしく,パソコンがいかに多機能かを喧伝したわけだ。
本音のところでは,こういう事を大学の講義でするのはいかがなものかと思う。視聴覚教育の歴史をたどり,メディアリテラシーのなんたるかを説き,情報モラルやセキュリティに意識的であれと啓蒙するような,そんな授業が粛々と展開する方が「大学の授業してるよなぁ,オレ」って気がしないでもない。まして,普段からマイクロソフトの手先と化して「マイクロソフト・オフィスのワークショップ」やっていると自嘲しているにもかかわらず,今日はマッキントッシュを使っての実演だったから,アップルの手先と化しただけの授業だったと言われても反論のしようがない。
もちろん,その批判は甘んじて受けるにしても,私は授業を終えて再理解した。まだ今の大学生は,パソコン知らないのである。インターネットが日本で商業向けにデビューして10年である。今の学生達が小学3〜5年生の頃だ。Windows95旋風も同じ頃だから,まだまだパソコンが身近な世代ではない。むしろ携帯世代である。
中山文部科学相誕生
9/27夜に第2次小泉改造内閣が発足したとのニュース。義務教育国庫負担金制度などの問題で注目される文部科学大臣のポストには,自民党森派の中山成彬氏が起用された。
今回の内閣人事は,改革路線を加速させるねらいが明確なものだという評がある。ほとんどの人々が財政関係の息がかかった経歴を持つ点,郵政民営化以外にはあまり方向性が見えない布陣など,確かにそういう印象があちこちから感じられる。
さて,中山文科相なのだが,記者インタビューの記事によると義務教育国庫負担金制度廃止には反対の姿勢を継承すると明言していた。これまでの路線を引き継ぐのは官僚出身者としては当然の態度なのだろう。文部省時代の政務次官の経歴がある人なので,文部行政と縁もゆかりもなかったわけではないが,もともとは大蔵官僚であり,最近までは経済産業大臣として活躍されたようなので,おそらく三位一体改革に対しては一定程度の理解を示し,土壇場で国庫負担金制度を切り崩しにかかる可能性も否定できない。あくまでも不安がないわけではないという意味でだけれど。
web記事を検索していると野党なんかの解説ページが出てきて,「改憲色くっきり」なんて指摘が書いてある。中山氏が改憲に対してどんな考えを持っているのか,まだはっきりわからない。中山成彬氏webサイトをじっくり見てみなければならないか。前出のインタビュー記事には「愛国心」という言葉に関する言及があったり,奥様の中山恭子内閣官房参与と共に北朝鮮拉致問題に積極的に取り組まれていた点など,あれこれ勘案したりすると,教育基本法改正に先鞭をつけて改憲につなげるという道筋に適した人物のようにも見えてくる。果たしてどうなるのか。
テレビで「個性化教育は必要か」なんてことを現場の先生を招いて討論ショーしていたが,そんな見せ物的なことをしているところで,見えにくい問題がじわじわ大変なことになっていることを取り上げて欲しいんだけどなぁ。
非常勤授業(skm&hg_01)
非常勤先の後期授業も始まった。第1回の授業だ。先日書いたように今期担当するには「視聴覚教育メディア論」と「教育の方法と技術」という,どちらも教職課程の科目。前者は今年からだから初挑戦だが,後者も毎回構成がくるくる変わるので初めてのようなものか。
とにかく,私は相手の顔や様子がわからないと異様に緊張するタイプなので,今回も何をどのくらい準備すべきか考えあぐねていた。最初は授業ガイダンス程度のことをすればいいのだから,もっと気楽に取り組めばいいのだが,それが出来ない性格らしい。相手からの要求水準を妙に高く見積もってしまうのだ。
それで,いよいよ第1回を迎えて,授業をやってみると,ああ,そんなに力むこともなかったかと思うのである。周りの教室は早々と第1回の授業を切り上げているのに,私の教室は第1回から盛りだくさんである。結局,学生達のコメントを見返すと,盛りだくさんの話が追い切れていないことがよくわかる。ただ,どうやら私が一生懸命であることは伝わるらしく(自分で書くのは恥ずかしいが‥‥),わりと最初のネゴシエーションは悪くないのである。このあと難解な授業が続くと,下降線をたどるけど。
受講生の雰囲気もわかると少し気楽なのだが,それでも授業準備は常に悶々とする。自分の勉強不足がわかっているから,いつも不安なのだな。こればっかりは永遠に絶えることのない感情なのかも知れない。
さて,苦しくも心地よいチャレンジを楽しもう。
どうしても‥‥
ZAKZAK社会欄(9/22)にて「“学習達成度”診断なのに事前練習させる」の記事。仙台の小学校で民間の標準学力検査(CRTテスト)実施にあたって,1)事前練習させたことや,2)テスト結果を保護者への報告無しにWebページに掲載したことが,取り上げられていた。
1)事前練習をさせた件は,現場に身を置く立場に訪れる脅迫にも似た心理状況がどうしてもそうさせてしまうのかも知れない。一斉学力テスト反対闘争の時代(S36〜頃)にも,そういう出し抜きが地方で多発したことを問題とした部分もあったわけだし,歴史の教訓をもっと周囲の人々が理解してあげないといつまで経っても現場はやりにくい。
2)情報公開が求められている昨今,とはいえ簡単お手軽というわけにはいかないようだ。個人情報保護法が来年から施行されるのもあって,この辺はさらにシビアになるのだが,しかし,そうなればなるほど情報公開を避けたい心性も生まれる。ケース・バイ・ケース,その度毎に情報の公開と保護とのバランスをどうするのか,という問題だが,現場はいちいち議論している余裕がない。その事情を察して,問題発見→即批判・処罰ではなく,問題発見→改善勧告や問題解決支援といった姿勢で関われないものだろうか。
記事の事例は,穏やかに進行したのか,総非難を浴びて学校関係者もぐったりなのか,記事からは読み取ることは出来ない。少なくとも私たちは学校が問題を多く抱えていることを承知しているのだから,うまくネゴシエーションして,共に問題解決に取り組む者になりたい。
天動説支持は理科嫌いのせい?
ニュースで「小学生の4割が天動説」などと取り上げられているのは,今日から岩手大学にて行なわれている日本天文学会の年会で,研究発表される内容がもとになっている。プログラムの中の「天文教育・その他」セクションの1番手がそのグループの発表である。次には「小学生の7割は月の満ち欠けの理由を知らない」という同じモチーフの発表もあり,なかなか興味深い。
細かい検討は出来ないが,この2つの発表要旨から見えるのは,学習指導要領を上方に据えた教育内容のヒエラルキーを前提にした問題意識と,発展学習プログラムによる現実的な教育実践の必要性を前提とした問題意識の違いだ。もちろんどちらもあり得べき態度である。どちらも国立天文台の縣氏がメンバーなので,あえて異なるアプローチで書いているのだと思われるから,詳細は発表を聞いてみないとわからない。
「理科嫌い」への懸念は,あちこちで聞こえるので,そろそろ言葉自体が腐らないように使う側も慎重でなければならないと思う。ただ,思うに天文知識を発揮する場面が,日常生活にほとんどないことの方が,この問題の核心にあるのではないか。あるいは,学校で学んだ知識を隅や忘却のかなたに追いやるような,めまぐるしい消費生活が原因かも知れない。
義務教育改革案
ネタ探しの一環として,久しぶりに文部科学省サイトを覗いたら,河村大臣の名前で出された「義務教育の改革案」が掲載されていた。意見を募集中だという。大臣名の案とはいえ,もちろんこれは省全体としての方向性を表している。
1. 義務教育制度の弾力化
2. 教員養成の大幅改革
3. 学校・教育委員会の改革
4. 国による義務教育保障機能の明確化
以上,大きく4つ,それぞれについて改革案項目を挙げている。説明によれば,先進各国において「国が教育の目標を設定してその水準の確保に責任を負い、その達成のため、国が必要な教育投資を惜しまず行う一方で、教育の実施はできる限り地方・学校の創意工夫を生かすようにしている」ことに倣い,その考え方のもとでこの改革案を提示するのだという。
当然,これらを逆から,もしくは裏側から読み取る必要もあるだろう。文科省としては,実質的なコントロール力を確保しておきたいのが基本であるから,地方や学校の裁量を認めつつも如何に手綱を握りしめておくかという点がポイントになる。教員養成の改革は,その一つと考えられるだろうし,ここに書かれていない事柄も大いに関係してくる。たとえば教科書検定については何も触れていないが,それが大きく影響することはご存知の通りである。学習指導要領が実際的に最低基準となるからには,教科書の在り方はますます問題になる。
また義務教育の国庫負担金問題や教職員定数問題は,言わずと知れた大問題だ,注視しなければならない。