教員は生涯役者か?

 1年単位のルーチンが出来上がると,人は時の流れを一層速く感じ始める。今年も私が顧問をする児童文化研究部が定期公演を催した。昨年は出張があったので当日欠席をしたが,今回は2年ぶりの参加。その2年という時間があまりにも短く感じられることに内心焦りを感じる。
 参加といってもビデオ記録や来場者の入場整理などが私の出番だ。2年前の駄文にも記したが,家族連れやカップルといった来場者を相手に一人芝居を打つかのようにロビーでアナウンスをするのは今回も一緒。自分に関しては時が止まっているかのようで,移り変わる部員達のお顔ぶれと後輩の活躍を見にやって来た卒業生OGの顔ぶれが時間の経過を証明している。
 新しい彼氏を連れてきたり,結婚報告を携えてやって来る卒業生達と言葉を交わしたり,簡単な会釈で互いの健在を確認する毎に,私の精神年齢はまたグッと老け込んだりする。娘たちの成長や人生の変節を傍観する立場にいるのは楽しくもあり,一方で時の流れに取り残された寂しさも味わう。自分は何か成長したり,変化しただろうか。人生の変節なんかあっただろうか。


 半田智久『パースナリティ』(新曜社1994)は,この辺の問題を考えるのによい手引きとなる。特に「ナルシズム」の項は,独り善がりな駄文を書く私に対して容赦なく問いかける。適度な他者愛が幸せをもたらすのと同様に,適度な自己愛は他者愛との相互関係において必要とされるし,それが意欲や積極性へと繋がっていく。しかし,満たされない自己愛が不幸なナルシズムへ転化することによって,場合によっては精神的自己と身体的自己へと引き裂く事態を招きかねない,と半田氏は紹介している。
 私が不幸なナルシズムのただ中にいて,世間にさらしている身体的自己を,精神的自己が眺めているとするなら,教育らくがき8年間の歴史を通して分裂していたといってもいいし,実生活ではもっと長いことそんな状態だったといえなくもない。それとも私は滑稽な身体的自己を演じているつもりになっている生涯役者なのか。さらに,教員という職種には,そんな側面があるのだろうか,ないのだろうか。
 教師のライフヒストリーについての問題は,教育問題におけるメジャーな項目として認識されるにはいたっていないが,燃え尽き症候群や教員評価と問題教員の研修,免許制度の更新制導入などの問題を通して関心が高まっている。まして義務教育費国庫負担金削減問題は,教員給与の問題そのものである。それら問題から透けて見える教育職に向けられたまなざしと,そこから引き出される教育職としてのペルソナに対して,私たちはこれまであまりにも無頓着ではなかっただろうか(と,教育職の私が言うのは変な気もするが‥‥)。
 要請されているペルソナに対して少しくたびれた時,どんな気晴らしをするべきなのか。単にそんな事柄が大事なのだろう。たぶん,私は四六時中,教員をしているのである。職場でタイムカードを通して離れたとしても,私はどこか教員モードなのだ。自宅に帰れば読みたい専門書が研究を想起させる。出先でも不用意な行動はできない。教育らくがきで駄文を書き,非常識きわまりない内容を書いているように見えて,その実,何か問題意識を盛り込もうと気取っていたりする。
 もちろん,それは私自身が選択した人生。気に入っているのも事実。いや,問題は簡単なことなのだ。自己満足できる時間を確保すること。日々,慌ただしく仕事をこなしていると,自分の仕事に対して満足感を得る余裕がなくなってしまうのだ。自己評価の余裕すらなく,他者評価も明確に返ってこない関係性や環境では,精神的摩耗も避けられない。
 卒業生達は,後輩の活動を見て「学校に戻りたいなぁ」と口にする。私は黙って微笑んでみた。その言葉すらデジャヴの如く聞こえる。この娘たちの人生に,私は少しでも何か貢献したのであろうか。いや,問いかけがおかしい。正しくはこうだ。この娘たちに貢献したいと私は思っていたのだろうか。
 私の拙い教育職としての仕事ぶりについて,何ら文句は聞かれない。何ら賞賛も聞かれない。その限りにおいて,私はおそらく教育職を全うしているのである。良くもなく悪くもない。教え子達にとって私はそういう存在。それは流れゆく景色の一部でしかないのだろう。しかし逆に言えば,私の立場からすると,私を景色としか見ない教え子が高速のベルトコンベヤーでたくさん通り過ぎるようにしか見えない。そんな希薄な関係性の中で私を活用しようとしない相手に,私自身が貢献しようと思えていないのではないか。
 こんな程度の仕事でよろしいのですか。それでお給料もらっていいのですか。それで私は教師面していていいのですか。費やした時間が忘却と共にどうせ雲散霧消するならば,希薄な関係性を保持した方が心安らかですか。
 香山リカ『生きづらい〈私〉たち』(講談社現代新書2004)でも読んで,頭を冷やすか‥‥。今日はとにかく疲れた。