skm&hg_02

 非常勤講義の第2回。「視聴覚教育メディア論」(skm)では,本論に入るための予備知識やイメージを持ってもらうため,パソコンで出来ることをプレゼンテーションすることにした。要するに「デモ」である。パソコン販売員よろしく,パソコンがいかに多機能かを喧伝したわけだ。
 本音のところでは,こういう事を大学の講義でするのはいかがなものかと思う。視聴覚教育の歴史をたどり,メディアリテラシーのなんたるかを説き,情報モラルやセキュリティに意識的であれと啓蒙するような,そんな授業が粛々と展開する方が「大学の授業してるよなぁ,オレ」って気がしないでもない。まして,普段からマイクロソフトの手先と化して「マイクロソフト・オフィスのワークショップ」やっていると自嘲しているにもかかわらず,今日はマッキントッシュを使っての実演だったから,アップルの手先と化しただけの授業だったと言われても反論のしようがない。
 もちろん,その批判は甘んじて受けるにしても,私は授業を終えて再理解した。まだ今の大学生は,パソコン知らないのである。インターネットが日本で商業向けにデビューして10年である。今の学生達が小学3〜5年生の頃だ。Windows95旋風も同じ頃だから,まだまだパソコンが身近な世代ではない。むしろ携帯世代である。


 私は,ワープロから始まり,表計算,プレゼンテーションソフト,デジカメソフト,写真編集ソフト,音楽プレーヤーソフト,作曲ソフト,音楽可変プレーヤーソフト,ビデオ編集ソフト,ビデオ再生ソフト,IMソフト,オーディオ・ビデオチャットソフトまでを駆け足でデモンストレーション。情報を電子化して処理する範囲で出来ること,そしてそのユーモラスな活用方法などを説明していった。
 学生からのコメント。パソコンで出来ることの多さに素直に驚いたという感想多数。ソフトとスキルが必要とはいえ,特別なコンピュータでなく普通のパソコンで,高度な写真編集,ビデオクリップの作成ができる事実に新鮮さを感じたようだ。いまどきFOMAなんかでテレビ電話は珍しくなくなりつつあるが,インターネット経由で海外の人とも画面でやりとりできることに感嘆した学生もいた。東大のiii onlineの話をしたら(今回,電波の都合でインターネットに接続できなかった,残念),それについて関心を寄せてくれたコメントもあり,担当者としては嬉しい反応の一つである。
 というわけで,私はメディア論や情報化の流れの重要さと共に,それそのものの認知度や普及度を上げることに関して,もっと努力しなければならないなと再確認したのである。情報教育分野や教育工学分野は,はっきり言えば,宣伝下手である。乱立する細々としたプロジェクトは一つ一つで場を形成し,盛り上がったり盛り下がったり。手厳しいこと言えば,世間の誰もその実体やおぼろげな見取り図さえ描けないという状態なのである(私としては反論を期待したいところだけどね)。
 私たちは子どもたちの情報メディアリテラシーを云々するためにも,まずもって同世代や上の世代の人々における情報メディアリテラシーについて合意形成しなければならない。私がジジイになってもまだ華麗なるデモンストレーションを実演する体力や精神力が残っているとはいえない。古い時代を経験した私は,きっと懐古主義に陥るだろう。そのとき,若い世代は私の情報メディアリテラシーをおもんぱかって折り合いをつけてくれるだろうか。「わしはもうパソコンはいいんじゃ,のんびり田舎で過ごしたい。紙の新聞読んで,紙の雑誌や本を眺めて,畑でも耕すために農協で肥料でも買いたいんじゃが‥‥」と思ったときに,「ああ,ジイさんね,いまは新聞と雑誌の配達コストの関係で過疎地域へはインターネット配信しかないんだよね。肥料もインターネット農協でオンライン注文してください」ってな風にパソコンを強要されるのだろうか。何が言いたいかというと,世代間の情報メディアリテラシーに相互理解を形成しなければならないということだ。そういう観点からの研究は,まだそれほど多くない。だって,おもんぱかる余裕もないあくせくとした日々を送っているのだもの,当然といえば当然か。
 「教育の方法と技術」(hg)は,ミニ授業づくりのためにテーマ決め。それを同時にパワーポイントを使ってスライド化してみる実習を始めている。こちらは学生達のアイデアをいかに授業として成立させるのか,それを協同で作り上げることがメインなので,とにかく個別に声掛けしながら進めている。ちょっと立派そうに聞こえるでしょ?もちろん現場はもっとラフな感じで展開しているし,学生達も迷い迷いでやっているので,その度に成果が出るわけでもない。そうした進捗状況に対して,意識を持続させなければならないところは,教員の責務だと思っている。来週は一回お休み。あれこれ,また準備しよう。