世界の教育について大ざっぱに眺めていると,それはまるで椅子取りゲームか,ババ抜きでもしているように見えてくる。歴史は繰り返すというけれど,ここでは互いに他国のやり方なぞっているという風である。
特に日本は,世界の国々をキャッチアップするため,様々な形で海の向こうの先進事例を意欲的に吸収してきた歴史がある。それはある意味,見事だったし,おかげで経済大国の地位に至った。その後の迷走は悩ましいけれども。
東アジアの国々は,日本の成果を評価し,日本型教育モデルを取り込むところもあった。また,1980年代終わり頃のイギリスが行なった教育改革は,日本の教育システムを参考にしたようなものだった。自由がウリだったイギリスの教育が,ナショナルカリキュラムの導入によって画一化へと動き始めたときのことである。
一方の日本は,学習指導要領による画一的な教育内容から,より「選択」を取り入れた柔軟なものへと比重をシフトさせた。基準性を緩める動きや,受験科目選択の多様化なども起こり,自由化へと走り始める。
イギリスと日本で,隣りの芝生や花が蒼く見えたり赤く見えたりしたのか,それは互いの教育モデルを交換するような状況にも見えたものだった。
福田誠治『競争しても学力行き止まり』(朝日選書2007.10)は,今のところ最も新しいイギリス教育に関する著作であるが,福田氏が書くところによれば,かつてのイギリスの教育は今のフィンランドの教育とそっくりなのだという。(なお,福田氏は著書『競争やめたら学力世界一』でフィンランドの教育について詳しくまとめている。)
そして同書では,かつてのアメリカがモデルにしたのは日本の教育だったというような指摘をする箇所もあったりする。結局,そのような欧米諸国を,今度は社会が成熟してキャッチアップ型では立ち行かなくなってきた日本がマネ始めているという始末である。
だから,かつて日本が自分たちで実践した来た様々な教育ノウハウが,横文字の名前とともに帰ってきていることが多くなったのである。実に滑稽な状況だ。
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なぜ私たち(特に教育研究の世界の人間)は,自分たち日本こそが源流であるはずの様々な教育的取り組みや教育的思潮について,横文字を付され逆輸入された形で論じたりするのだろうか。
それは悲しいかな,学問的な蓄積の手順が日本国内で踏まれなかったせいである。つまり,私たちにとって,かつてのそれは当たり前すぎたため,学問的な研究対象として言語化されたり,蓄積されてこなかったのである。なるほど実践記録や事例紹介はたくさん残っている。けれども,共有され再利用できる形では言語化されなかったということである。
だから,それが完全な第三者たる諸外国の研究者達によってしがらみなく理解され,欧米語による明確な言語化を経ることは,ある意味必要な過程だったといえなくもない。
こうして,日本の私たちは,海外の研究者達の整理によって,自分たちの教育実践を理解する術を得たのである。けれども,年月の流れと世代の交代もあって,それは残念ながら「再会」というより「初対面」に近い状態で受容されているというわけである。
だから,研究者コミュニティの中にも,世代間の意識格差はかなり大きくあるといっていい。そこでは,日本に源流のある様々な物事が,なぜ「昔の名前」で出てこないのかについての理解も十分共有されているとは言い難い。
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教育や教育関連研究に対する理不尽な扱いは,そのコミュニティの一員として遺憾に思うし,憤慨もする。けれども,やはり私たちは研究世界における物事やその道理を十分伝えきれていないと思う。教育議論が生産的に展開しないのも,国のかたちとの関係で教育を考えられていないのも,その不十分さに問題の一端はある。
サイエンス・コミュニケーターといった役割の議論と同様に,学問一般についてしっかりと理解を促すコミュニケーターの役目を負う研究者人材が必要だ。
昔の名前と今の名前を結びつけて,その流れを踏まえることをしなければ,また誰かがババを引くことになり兼ねない。そういう過ちは繰り返すべきではない。