いろんな意味でアツかった

 8月29日,30日,慶應義塾大学三田キャンパスにおいて,日本教育学会第66回大会が開催された。初日は用事があれこれ入ったいたため参加できなかったが,2日目には参加することが出来た。
 初日には公開シンポジウム「教育政策と教育学研究との対話—教育学は政策学たりうるのか—」が開催され,かなり盛況だったらしい。参加できなかったのが残念。
 参加した人の話を聴くと,昨今の教育再生騒ぎと完全に教育研究が排除された現状について,登壇者はもちろんのこと,聴衆もかなりの問題関心を持って参加しており,会場全体の雰囲気も,またシンポジウムの内容もアツいものになっていたという。
 私自身が出席していたら,その現場を臨場感込めてお伝えしていたところだけど…,う〜ん,残念。誰かレポートしてください。(といって,この分野で詳細にレポートしてくれる余裕のある人は少ない…とほほ。広報不足は問題だと思うんだけど。)
 2日目にそのテーマに関する企画があったわけではないが,あちこちの課題研究やラウンドテーブル企画で,初日の盛り上がりの余韻が感じられたのは確かである。

 会場を眺めると,いわゆる大御所の皆さんや多くを占める中堅の研究者・教育関係者の皆さん,そして活躍する大学院生の人々など,いつものように大会を構成する人たち以外にも,新参の若者や長い人生を歩まれたであろうご老人も出席されていた。開かれた学会だから,そうした人たちが参加されていることはとてもいいことだと思う。いつもの問題意識も生まれるが,その事はまた改めて書こう。
 遠方よりW先輩とKさんが出席された。久し振りに3人でお会いすることが出来たので,夕食などご一緒した。学会のこと,昨今の話題のこと,もちろん研究のことなどで話が盛り上がり,私自身についてもあれこれ話を聴いてくださった。

 もともと人生の星回りは最初からずれていた。この日本で骨を埋めるのかどうかは分からないけれど,こんな風に日本に住んで生きているなら,なぜ私は始めから純粋な日本人として生まれてこなかったのだろうと思う。
 だから,この人生で起こっている様々なボタンの掛け違えのような出来事は,生まれたときからそういうものだったんだと思えば,あんまり気にならない。
 周りには迷惑をかけっぱなしではあるけれど,少しずれたところで頑張ることにしよう。