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平成二十四年長月六日

 こうやって灼熱の世界に移行しているのかと思うとゾッとするが、とにかく長月に入ったにも関わらず残暑を感じる日々である。

 夏の外回りが終わり、明日からやっと学会準備などに取り組めるかと思ったらそうは問屋が卸してくれなくて、職場や外部からの宿題が溜まってこなさなければならない。気分屋さんの私にとって,気持ちの切り替えをしなければならない頻度が多くなっている状態はろくなことがない。

20120903「言語活動を充実させる:「個別学習」で定着図り 「協働学習」で鍛え合う―教育ICT活用実践セミナー」(教育家庭新聞)

 協働学習について同志社女子大学の余田先生が「学習の深まりのレベル」というものを提示したという記事が掲載されている。

レベル1 見るだけ、見せるだけの学習
レベル2 コメントを書いてそれを見合うだけで終わる学習
レベル3 コメントの連鎖がある学習
レベル4 コメントをもとに再編集・再構成が行われる学習

 そして余田先生のコメントとして,「(前略)私見ではあるが、フューチャースクール推進事業で行われている協働学習はレベル1やレベル2に留まっている例が多い。3や4まで深めるには、話し合いや発表に加え、書く活動が必須。(後略)」とある。

 「学習の深まりのレベル」の4つは,行動として目に見える学習の姿をレベル分けしたものと考えることもできるので、思考の深度が正比例しているとは限らないし,それぞれのレベルが同時発生していることもあり得るわけで、説明としては簡潔で美しいのだけど,実態を記述するものとしては弱さも残る。

 だから,フューチャースクール推進事業の実証校でレベル1や2で留まっていると記述しているからといって,学習者の思考深度も浅く留まっているとは言えない。もちろんレベル3や4が思考深度の深さを伴いやすいとは言えるだろうけども,コメントと情報の編集操作が巧みでも思考は全然動いてないことだってあるから,結構難しいのである。

20120906「「OJT信仰・手放しのOJT礼賛」を超えて : OJTの脆弱性・成立条件を考える」(NAKAHARA-LAB)

 On the Job Training 実務を通しての訓練は,「実地経験を積むことで鍛えられる」という点において礼賛されているのだけれども,そのことの問題点を4つ挙げられていた。

 なんだか,悪い師に巡り合ったらご愁傷様という感じに読めなくもない。

 職人仕事などにおける徒弟制をベースにモデル化された「認知的徒弟制モデル」と,今回定義されているOJTとの違いなんかを比較した上で検討してもらえると面白いかなとも思ったりする。

 結局、師にあたる上司が「学習者」足り得なくなってしまった時に、OJTも機能不全に陥ってしまうのかなと。逆にいえば、徒弟制の描く師には,あらかじめ学習者としてのエンドレスな可能性が折り込まれていたという点において、師とは偉大なものだったのかも知れない。

 以前読んだ『ワーク・シフト』に「ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ」とあったことを考え合わせると、師は単一のスペシャリストに留まることだけでは足りず、多様なスペシャリストでなければならないということなのかも知れない。

 もっともそれが独りの師で賄うべきものなのか、もしかしたら師がネットワークを作ることを意味しているのかは,場合によるのかも知れない。以下のネットでつながる教員たちという記事なんかは,そのことを考える材料になるかも知れない。

20120829「ネットでつながる教員たち――「専門職学習ネットワーク」 授業案をベースに交流、ソーシャルメディアでの情報交換も」(PC Online)

20120906「デジタル教科書雑感(4) デジタル教科書のイメージを「教材」に広げよう」(グリーンゲイブルズ 芳賀研究室 デジタル読解力向上係)

 デジタル教科書,特に学習者用デジタル教科書に関する話題は注目を集めており、こちらのブログでも様々な考察が重ねられている。うちの研究室ブログも参照していただいていたりする。

 デジタル教科書のイメージを「教材」に広げるというのは,人にとっては多少奇異な主張のようにも読める。だって教科書って教材じゃないの,と。それに対して,なぜそういう主張になるのか言葉を尽くして書かれている。

 私なんかは「教科用図書」の範疇を拡張してデジタル教科書も含めてしまえばよいとかいう小手先解決を主張したりするので,「メジャー量産型モデルのオールドタイプとカスタマイズモデルのニュータイプ」に分けて考えることを提唱する潔さは気持ちがいいなと思う。

 人によって攻め方やその表現にバラつきはあれど、この国が「教科書」を中心として回してきた学校教育と授業というものに対する固定化した心性をどこかで突き崩さなきゃねという方向性は似たり寄ったりなのかも知れない。

 2020年頃の次期学習指導要領改訂を睨んで物事が動くとすれば,残り7年間ほどの猶予の中で諸々の取組みを進めていくことになるのだが、この7年間で凝り固まった心性を完全に解きほぐすことは土台無理なので、せめて押すべきツボを探し出すところまで行きたいというのが関係する人々の願いだと思う。

 7年間はあっという間で,もうフューチュースクールや学びのイノベーションのような大型打ち上げ花火を仕込んで打つことは難しい。だから,中玉か小玉を各地で仕込んで打ってもらいつつ,国レベルでは花火ガイドと鑑賞の仕方の紹介くらいを進めていくことが現実的。

 最近は不景気ということもあって,協賛企業もめっきり減ったから、全国から見える大きなスターマイン花火は残念ながらあまり期待しない方がよさそうだ。

雑誌『WIRED』VOL.5 特集は『THE FUTURE OF LEARNING』と題し、「教わる」から「学ぶ」へと変わりゆく世界の教育の最前線をフィーチャー」(WIRED)

 とはいえ,教育はいつの時代も大きな関心事。

 学校教育と生涯教育は違うし,それぞれも学校種によって異なったり、社会と職場で展開しているものも違う。だから,もっと制約を付けて,丁寧に論じる必要もあると思うけれど、なかなか落ち着いてそれをすることができない。

 ソーシャルラーニングの界隈も賑やかで、そうした分野のエネルギーを学校教育の分野にも取り込みたいなと思う。とにかく,取り組まなければならないことは山のようにある。

 さて,秋のお仕事に移行するとしよう。
 

慌ただしい夏

 前期試験が終わった途端,出張に出かけた。

 基本的に私はインドア研究者で,図書館にこもって文献を漁るのを得意としている。あるいは,ひとところの場でじっくりと取り組むのが大事と教えられてきたタイプである。

 もっとも個人的にはアウトドアも嫌いじゃなくて,フィールドに出かけてあちこち彷徨うのも新しい発見のためには必要だと考えている。お出かけ好きはそういうところに依拠している。

 これまでの出張というと,ひとところに出かけて帰ってくるタイプがほとんどだった。今回は,連日違う場所に移動して依頼をこなすという経験をした。活躍している先生たちにとっては珍しくもないことかも知れないが,マイペースな私にとって3つも相手のある仕事を並べたのは難題だった。

 結局,一つ一つのために考える時間を確保できなかったので,ありモノか中途半端な状態で対応せざるを得なかった。京都大学で行なったシンポジウムの発表なんかはスライドが未完成で,しかもそれがニュース記事に掲載されちゃったりしてるから恥ずかしい。

 それに,隙間時間に仕事をするという器用なことができないので,出張中は他の仕事が一時停止。エリートサラリーマンのように出張中でも原稿書きする先生たちの優秀さをいつもうらやましく思う。

 ネット上でも時々紹介されている『ワーク・シフト』(プレジデント社)を手にしたのでぱらぱらと眺めてみた。

 2025年に私たちの労働や働き方がどうなるのか,変化の要因を整理し様々な現象をパッチワークして描くことを企図した内容は,斜め読みでもなかなか面白い。

 牧歌的な仕事の仕方をしている自分は「漫然と迎える未来」が待っているのかも知れないと思うと,ちょっと寒気もするし,願わくは「主体的に築く未来」選択したいとは思う。

 この本はそのために3つのシフトを提案する。

 1. ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ
 2. 孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ
 3. 大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ

 どれも負荷は高いのだが,なるほど様々に直面している出来事は,いずれかのシフトを私に迫っていることの表われかなと思える。

 たとえば,1は,研究者として「カリキュラム論に関する研究者」「教育情報化に関する研究者」のように専門分野を越境していくことも(派手さはないが)大事ということなのだろうし,「iOSアプリの開発者」といったまったく肩書きの異なる仕事をするは分かりやすいかも知れない。

 2は,他の研究者や関係者の皆さんが,私を誘って一緒に活動しようとしてくれていることなどが当たるかも知れない。孤独な競争世代の師匠たちを見て学んできた分,このシフトは一番厄介なのだけど…。

 3は,何かを生み出す情熱といったところに取り組めるかどうか。「わくわく」することができるかどうかといったところなのかも知れない。個人的にはアプリ開発とか,ブログやtwitter,USTREAMを使った情報発信,たまに催すイベントなどがそれに当たるかなと思うが,十分こなれているとはいえないかも知れない。

 いずれにしても2025年という,たぶん生きて迎えられるけれど何がどうなっているか分からない未来を考えることは,今の私たちにとってとても大事なのかも知れないなと思う。

 様々なシフトが大事と思う一方で,日本に根強く残る保守的な構造の転換はーの難しさに悩むこともある。それと分かちがたく結びついている学校教育についても。

 そして慌ただしい出張の日々に考えていたICTと教育のこと。

 私は正直なところ,このテーマに関して苛立っている。

 きっともっとシンプルにできるはずのことなのに,なぜにここまで複雑な事態になっているのか。あるいはそうさせた理由は何なのかを考えるほど,理不尽な思いに駆られる。

 もちろん,万能な解決策はない。けれど,諸外国や過去の事例を参考にして,打つべき手は少なからずあるはずなのである。

 けれども,そういうことにはなかなか動けない。もうすっかり業界の関係は固定化してしまっているから,新しいことを始めるにしても,いろいろシフトしない以上は「漫然と迎える未来」ばかりが共有されてしまう。

 今回の出張は,とある書籍の研究会からスタートしていた。

 そこでは「主体的に築く未来」への希求とともに,これからの教育とICTの関係を考えるざっくばらんな議論が展開して,とても前向きな気持ちをもって過ごすことができた。

 たぶん,そんな立ち位置から続くいろんな仕事の中のいろんな要素を眺めてしまったせいなのだろう。少しずつ自分の中の苛立ちが増幅していたのだと思う。

 そのことにびっくりした人もいれば,面白がってくれた人もいる。残念に思った人もいたのかも知れない。本当にいろいろな反応を巻き起こしてしまい,それはまたじっくり考える必要性を私に感じさせるものとなった。

 CIECが京都大学で主催した2012 PCカンファレンスでシンポジウムに登壇し,そんな苛立ちを抱えながら発表をしていた。

 そして「〈デジタル教科書〉狂騒曲」という言葉とともに,最近のデジタル教科書に関する様々な動きに関しても言及した。DiTTの動きもそうだし,日本デジタル教科書学会の設立についても触れた。

 シンポジウムが終わってから,懇意にしていただいている先生に「りんさん,日本デジタル教科書学会は,デジタル教科書に関していろいろ議論しようとするために場を作ったのだから,狂騒曲という表現はどうかと思う」といった趣旨のコメントをいただいた。

 私にしてみると,学会名に「デジタル教科書」という言葉を付けたことの理由が明確でない以上,その学会設立も一連の狂騒曲の中で起こっていることの一つだという見解で,そのことについてできれば相談する機会があったら良かったのに…とお返事した。

 たぶん,あまり納得していただけてなかったのかも知れない。じゃあ対案があるのかと問われれば「デジタル教材学会」くらいしか,私にも持ち合わせはない(「デジタル教科書」はダメで「デジタル教材」ならOK,それは何故なのかという問いもあるかも知れないが,単純に「教科書」という言葉に色が付き過ぎていることにほかならない。英語はともかく,日本語の場合は厄介である)。

 「デジタル教科書」という言葉は曖昧である。学術研究ということなら用語について慎重になるべきだと思うが,これからそれを議論するからという理由で後先を逆転させるのは,狂騒曲の中の出来事だからこそ許される。

 本来であれば,既存の学術研究の場で「デジタル教科書」を措定した上で,その言葉の定義に賛同するものによって学術団体が組織されることが学術手続というものである。もちろんその定義が幅をもっていることに何の問題もない。その幅のもとで議論することが示されるのだから。

 日本デジタル教科書学会のような現場の先生方が積極的に関わる学術団体ができることは,とても素晴らしいことだと思う。

 けれども,このような形で学会を形成すると,しがらみがないという以上に,既存の流れとの連結点がないことになり,双方向に連携する際の大きな障壁になりがちである。しかも「デジタル教科書」というバズワードを冠に付けるとなれば,いよいよハードルは厳しくなる。

 だから8月18日の設立大会は,この学会にとってとても重要な場であり,学会の存在意義を定義する機会になるだろうと思う。

 この学会のいうところの「デジタル教科書」とは何なのか。

 そしてこの「デジタル教科書」という言葉をめぐって動いている様々なものを,ひとまずどうマッピングしていくのか,そしてどのようにそれを更新していくのか。

 このような問いや疑問に対して何かしらの指針が浮かび上がれば,この学会が〈デジタル教科書〉狂騒曲の中を抜け出るための羅針盤を担う存在になりうるだろう。

 もし,そうでなければ,それもまた狂騒曲の中の出来事である。

 少し涼しくなった夜道を自転車で駆け抜けて,スターバックスに入り読書。

 慌ただし夏だけれど,久し振りにマイペースに時間を過ごしてみたりする。
 

きっと最後だというのに…

 この週末,特別に研究合宿に参加させていただいた。

 関連分野の人々と時間を過ごすのは久し振りだし,様々な話を聞いたりしたのも久し振りだった。一方で,自分のことはあまりよく伝えられなかった。伝えるものがあったのかもよくわからなかった。

 むしろ,自分がかなり無鉄砲にやっていることを確認した時間だった。

 いま,私自身は何をやっているのだろう。

 関心の赴くままに,あれこれを調べて眺めてつぶやいて。

 普通の人よりは何かを分かっているのだろうけれど,本当のところ何も分かっちゃいないから,どこかに焦点化することもしていない。

 そういう自分の状態のことはよく分かってはいるのに,どこかのピースとしてはまることよりも,こぼれ落ちる方を好むようにマインドが凝り固まってしまっていて,自分でもどうリセットすべきか悩み続けているというのが正直なところなのである。

 この界隈の寅さんを気取るのは,元気なうちや面白がられているうちはいい。けれども,それで残せるものは何もないのだということも痛いほど理解をしている。

 しかし,もう生き方がそうなのだろう…どちらかといえばコミュニティからはみ出てこぼれ落ちることがアイデンティティになってしまったところがあって,それ以外の立ち居振る舞いがうまくいかない。

 今回の研究合宿のお誘いは,そういう私を見かねての助け船なのだと思う。

 空回りしてこぼれ落ちていく知見の断片じゃ使いようもないのだから一緒にもっとうまく出してみないかと,呆れため息をつきながらも手招きをして声を掛けてくれている。

 一緒にやるのがいやとかそういうことではなくて,気がつくとはみ出てこぼれ落ちようとする自分を抑えることができるのか自分自身に不安が募る。すぐ幽体離脱して,物事をメタ的に眺めようとする悪い癖を我慢できるのか,それが本当に分からない。

 会話の場面であれば,黙ることで抑制できる。最近,学会で質問しなくなったのも黙ることではみ出さずに済むからである。でも頭の中はそうはいかない。勝手に心離れてしまうことだってある。実際,それで迷惑をかけたことがなくはない。

 自分がうまくはまるのか。それが正直よく分からないのである。

 でも分からないというのは,研究者としてどうよとも思うのである。

 たぶん,最後の助け船だろうと思うだけに,そして自分の悪癖を分かっているのだからこそ,なんとか自分の問題関心を焦点化して何か寄与したい。

 そう焦るほどに,根源的な問いという悪い癖も顔を出しやすいのだけど…。

 原稿を書くにしても,何か授業内容を考え出すにしても,誰かの話を吟味するにしても,「そもそも論」がいつも私をどこかへ連れていってしまう。

 その題目に使われている言葉の定義は何なのか…という問いや,この事業が始まる以前にはどんな歴史があったのだろうと出来事を日付レベルで遡り始めたりとか,指導方法や教育内容をつくるといってもその場合の指導方法というのは手順の話なのか技法の話なのか,教育内容はスケジュールの話か,予想される活動
含んだ展開の記述か…,そもそもカリキュラムとは何ぞやとか。

 私がどこかのコミュニティの文脈に依存すれば,たぶんこうした問題はすぐさまクリアされて,先へ進めるのだろうし,皆さんはそうしているのだろう。でも,コミュニティからはみ出して,寅さん状態で放浪すると,脱文脈化されて断片が集積してもこぼれ落ちてしまうのだと思う。

 もちろん,文脈に依存するとなれば,どこのコミュニティやグループの文脈を採用するのかという選択問題はある。

 そして,たぶん私はそこを閑却した状態でこの世界を過ごしている。

 だから師匠たちへの恩返しもできなければ,同期との縁も薄れるという結果に陥るのだとは思うのだけど,それもこれもたぶん自分自身が招いている事態なのだから反省をするしかない。

 この助け船を無駄にしないよう,しばらく試行錯誤することになると思う。

 毎日の生活も仕事も,もう一度ちゃんと見直さないと。

 という自分の駄文自体が,どうにももうメタ的で相変わらずなのがいやになる。

 

デジタルデータ整理

 宿題が溜まっているというのに,歯医者に行って親知らずを抜くことになったり,受け損ねた健康診断を外部で受けなければならなくなったりと,慌ただしい。

 しかもこんなときに限って,掃除がしたくなるもので,今回はデジタルデータの渾沌が気になってしまい,バックアップ用のハードディスクをひも解いてみたら,調子が悪い。

 仕方ないので他のディスクの空き領域に分散して退避(これがまた渾沌を生むのだけれど…)して,ハードディスクを消去することにした。

 まぁ,これがギガ単位のデータだから,退避するだけでも時間がかかる。明らかに重複しているデータもあるが,いちいち検証する時間もないから,とにかく大事そうなものを優先的に丸ごとコピーするの繰り返し作業だ。

 そんなことをしていると改めて,これからの時代,自分のデジタルデータを管理・保存・消去する術を心得ておかないといけないなと思う。

 死後,自分のデータを消去することができるというサービスがあるとも聞いているが,それにしたって何を消すのか消さないのかを決めておかなくてはならないわけで,なかなか大変。

 デジタルデータなんかになっているものは所詮は虚像であると考えて,全部消えればいいという考え方もあると思うが,歴史的な記録というものは,そういう考え方では残ることができないわけで,なんとも厄介な時代になったと思う。

 ビッグデータがどうの,個人情報がどうのというレベルの問題も確かに大事だが,私たちが歴史から学ぶのと同じように,未来の人々が歴史から学べる条件を確保しないと,何でもかんでも二次的なまとめ情報で済ましたら,間違った記録を訂正する機会を永遠に失いかねない。

 ミスプリントした印刷用紙だけが残ってしまわないように,アーカイブの素養を一般人も身に付けておくことを考えなければならない。

平成二十四年文月三日

 今月は東京滞在から始まっている。

 そもそも週の後半にブックフェアや電子出版EXPOがあるので受け持ち科目の情報収集のために出張を予定していたが、前半にも会議の予定が入って,結局5日間の滞在の予定に切り替えた。

 2日は「ICTを活用した先導的な教育の実証研究に関する協議会」が開催されたので傍聴した。

 フューチャースクール推進事業における地域有識者として徳島県の東みよし町立足代小学校の担当になって3年目。この最終年度をもって私の任も解かれることになるのだけれども、関わった以上はそう簡単に終われるわけもなく、担い事も増えてきている。そんなこともあって,改めて親会の雰囲気を伺いに来たというわけである。

 今回の協議会では,総務省の事業レビューで出された廃止判定に対して副大臣や政務官からコメントがなされ、判定結果は真摯に受け止めながらも事業については継続する方向であることが確認された。(関連記事

 自由討論では,デジタル教科書開発の技術的課題やユニバーサル・デザインへの配慮の必要性などが指摘されたり、BYOD(私物デバイスの持ち込み)といったあり方についても考えることが提案されたりした。

 また事業や成果についてもっと情報発信したり、分かりやすく紹介する必要性も言及されたし、一般財源として地方に配当されている情報化予算が完全に執行されていない問題についても徹底を求める発言もあった。

 また,この事業用に開発しているデジタル教科書を他の学校でも使用できるようにして欲しいという要望に対して,現在準備中であるとの情報も得られた。ライセンスは余分確保されているので,実証校と同様な環境を用意できる学校に対しては研究協力を条件に使用を認めることができるようにはなっている。

 そんなこんなで,協議会自体は和やかに進んだというか、両省合同会議として必要な情報交換は行なわれたのではないかと思う。

 私個人は,文部科学省の方で裏方仕事をお手伝いすることになったので,そのことに関して,担当者の方とご挨拶できたのと、WGリーダーの先生からアドバイスをいただいたりした。

 それに関する会議が4日にあるので,また文部科学省にお邪魔する。

 本日3日は,財団法人教科書研究センターに附属している教科書図書館に訪れた。この図書館には過去の検定教科書・指導書はもちろんのこと,主な国々の教科書・指導書や研究所が収集所蔵されている。現在は高校教科書の検定結果も公開されている。

 開館日が週の前半である月曜・火曜・水曜だけという特殊な条件なので、週末寄りが多い出張ではなかなか訪れられない場所であった。今回は絶好のチャンスだった。

 教育関係のあらゆる文献があるわけではない。しかし,教科書という軸で収集された文献類は,逆に教育の歴史を追う者にはすっきりとした使いやすさも感じられた。

 教科書研究センターが発刊した研究報告書があり,それらは見やすい場所に展示されて値段がつけられている。在庫があるものは上の階にある事務室で購入することもできる。私も目ぼしいものを選んで購入し,ついでにセンター通信もしばらく送っていただくことにした。

 というわけで,いつもの調子で閉館時間まで粘って,あれこれ文献を眺めたりコピーしていた。ちなみにコピーは1枚30円なので要注意。

 教科書研究センターは江東区にあって,私は東陽町駅からバスに乗って最寄りのバス停を利用したが、帰りはバスで錦糸町駅まで移動した。

 雨の日だったが,センター近くから東京スカイツリーが見えたので,この機会にスカイツリーの膝元にあるショッピングモールのソラマチでお茶でも飲もうかと思い行ってみることにした。

 錦糸町駅から押上駅は一駅。そこからそのままソラマチに接続しているのであっという間に新施設の中へ。

 何かコーヒーが飲める場所はないかとさまよっていると,休憩所のような雰囲気のスペースがあった。近づいてみるとフローズンヨーグルトとソフトクリームのスイーツが楽しめるお店。しかもセルフサービスだという。新しもの好きの血がうずいて,さっそく体験してみることにした。

 量り売りなので、カップに好きなだけフローズンヨーグルトやソフトクリームを流し込んだり,フルーツやトッピングを加えることができる。

 いろんなフレーバーがあるので迷ったが,テキトーにフルーツやソフトクリームを流し込んで出来上がり。ちょっと盛り過ぎたので価格に跳ね返り,1200円ほどのぜいたくスイーツとなった。

 ところが,食べてみると美味い!いやはや,初めてのソラマチ体験としては,なかなか良いものとなった。

 そんな風に遊んでいたら仕事メールが届いていることが判明。スイーツを食べながらノートパソコンを開いて出先で返信。落ち着かないから,ちゃんとした返事になっていないけど…。

 明日4日は夕方に会議。それまで,午前中はお台場行ったり,午後は渋谷の周辺に出没する予定。さて,頑張ろう。

平成二十四年水無月十七日

 週末の東京出張が続いた。

 New Education EXPO in 東京のあった週は、いくつかのセミナーと企業展示ブースをめぐったり、古巣の大学図書館で資料漁りをしていた。

 翌週は学習ソフトウェアのコンクール審査会があった。毎年、審査会のお手伝いをしているので今年も参加した次第である。

 貧乏人なので夜行バスを使って徳島と東京を往復するのだが,さすがに帰宅するとぐったりしてしまう。

 この頃は、あれこれ仕事が立て込んだり、いろんな出来事もあって、自身のテンションが変な方向へと飛びまくり。ストレス解消とばかりに過激なトーンでネットの書き込みをしていた。

 特に総務省の事業レビューで、フューチャースクール推進事業が対象となって「廃止判定」を受けたニュースのネット上の反応にはデジャヴを通り越してウンザリ気分が高まった。

 その壊れたレコードみたいなルーチンを惜しげもなく繰り返していることにがっくりするのである。なんかもうちょっと気の利いた反応を返す人はいないかと検索などしてみるが,理不尽だ論調ばかりで面白くもない。

 仕方ないので,私は一人で「祝・廃止判定」を唱えて、ふざけ返すしかなかったが、こういう時に一緒に盛り上がってくれる人がいないのも、まじめな人が多すぎて面白くない(私に人望がないのは織り込み済みでの話である)。

 一般人ならいざ知らず,関係者や政治家やロビイストまでがニュース報道に対して型にハマった反応しかしておらず,「おいおい、そういうのを防ぐのおまえたちの仕事じゃなかったか?」という真っ当なはずの突っ込みをほとんど誰もしないこともゾッとする。

 総務省の事業レビューの対象事業に選ばれる時点で見えていた展開なのだから,レビュー対象に選ばれた時点で政治家もロビイストも動くべきだったのだ。

 事業レビューの有識者なる人々を実証校に授業参観させるのだって、確かに東京の本田小学校が近いのは分かるし,実践としては素晴らしい成果を挙げてらっしゃることは確かだけれど,有識者を丸め込みたいなら徳島の実証校に連れて来いっていうのだ。どれだけ教育情報化事業に総務省が必要なのかをノンストップで説き続けてさしあげたのに。

 公開プロセスの説明にしたって、せっかくの隠し球であったはずの現場の先生たちに語らせたのはレビューシートを書き終えるかどうかという最後のタイミングで、まったくもって配球が悪すぎた。廃止のホームランを打たれるに決まっている。

 そして、人々はニュースにひとしきり憤慨したら,あとはどうにかなるでしょう的に忘却の彼方にまた押しやるだけなのである。

 そういうのも丸ごと含めて「廃止判定」で結構。

 言葉遊びで物事が終了するなら、どうぞ好きなだけ廃止でも終了でもしていただきたい。

 そういう事態に対して、タイムリーともいうべき日本教育工学会のシンポジウムが16日あったそうである。

 私はお仕事中で参加は出来なかったけれど,大変気になるわけである。大変気になるから、このご時世だから動画配信や録画公開なんてのがあるといいなと思ったりするわけである。

 ところが、やってないわけだ。

 何でやってないのか、理由らしい理由はコストや人手がないから、というくらいしかないからまた怒れるのである。

 なんで「教育の情報化」をテーマにしておいて、しかもホームページで一般の方も「参加を大いに歓迎します」と誘っといて,動画配信しようという発想に着手しないのか、チンプンカンプンである。

 しかも、こういう提案を「ニコニコ生放送とかのノリを真似たいだけでしょ」みたいなレベルで受け取る人がいるのだが,まったくもって浅はかな理解である。情報へのアクセスを確保し、アーカイブしておくことの重要性がまったく分かっていないとしか言えない。

 公開すると登壇者の発言に制限がかかるとか、会費・交通費払って来場した人が損になるとか、心情ベースのアンポンタンな反応もあるが、これとてシンポジウムという場を内緒話をする場所と勘違いしているか,個人的利得と社会的影響を同じ土俵に乗せるトンチンカンをしているか、学会が仲良しサークルで終わればいいよねとでも思っているか、とにかく、とんでもない勘違いをしている可能性がある。(ちなみに、本来「ここだけの話」というのは流れの結果であって、目的の流れではないことを忘れてはならない。)

 なるほどもちろん、最初からこれは内輪受けの会ですと宣言しているならば、無制限に外部に公開する必要なんかない。少しでも見せたいなら「ちょっとだけよ」とチラ見せする限度を好きなように可変すればよいことである。大事なのはアーカイブして、後でアクセスできるようにすることなのだから、公開の程度をどのように制御するのかは目的に応じてすればよいだけの話である。

 しかし、広く問題を知って欲しいと考えているはずのテーマのシンポジウムについて、関心を持っているにも関わらず事情で参加できなかった人間にさえ情報を伝える努力が及んでいないのは、言っていることとやっていることが一致しない(言行不一致)を招いているとなんで自覚しないのだろう。

 動画配信や録画公開のコストが高額であるという時代なら、無理もないかと済まされたのかも知れないが,いまやスマートフォンひとつで録画も出来るし動画配信すら可能である。もちろんクオリティを云々すればいくらでもコストを引き上げることは可能だが,繰り返すように大事なのはアクセスできるようにすることであって、高画質の動画配信や記録ではない。そういう技術的問題はどんどん解消されるのだから問題にもならない。

 結局、人のズクが足りない(手間を惜しむ)ということが最大の問題だということで、まさしく敵は内部にいたのであった。

 今後,一般への発信を意図する学会催事は、最初の企画段階から動画配信や録画公開を織り込むべきだし,そうでなければ録画は行ないつつ、目的に応じた範囲で動画を公開していくようにすべきである。

 というような、虫の居所が悪かった人のように言葉で暴れて過ごしたここ数日なのだったが,次回は大阪のNew Education EXPOのセミナーでいよいよ登壇。これくらいの勢いで韓国からの登壇者とセッションしたほうが面白いかなということで、教育の情報化界隈で一番過激で面白いセミナーをお届けしたいなと思う。面白くなかったら容赦なく質問して焚きつけていただきたい。

 悔しいのは今回、他人の土俵だから動画配信とか出来ないのだけれど,録音記録はしっかり残しておきたいと思う。ReseMomさん頼りじゃ情けないでしょ?

 

東京昼下がり

 今回の東京出張は、教育ITソリューションEXPO(EDIX)で情報収集することを主な目的にして、いくつか人に会う仕事を差し込んだ形の滞在となった。

 本当は秋田の研究会まで足を伸ばしたかったが,プラスされるコストが厳しかったので、東京の昼下がりをぶらぶら過ごすことにした。

 お台場の新しい商業施設「ダイバーシティ・トウキョウ」で用事を済ませ,高速バスの出発地である新宿に荷物を預け,散歩の開始。新宿御苑にでも向かおうかとトコトコ歩く途中でバスに遭遇したので行き先も見ずに飛び乗った。

 バスは早稲田方面へ。都電荒川線に乗り継ぐことにした。

 気持ちの良い天気だったので,混み合う車内でウトウト。

 それから途中下車して、荒川の河川敷を目指して歩き始めた。

 サッカー場や野球グラウンドでは、子どもたちの練習や草野球大会が繰り広げられていたり,河内音頭の練習会の様子も見れた。

 遠くに見える東京スカイツリーを眺めながら、土手の上の道を延々と歩く。

 東京にもこんな場所があったんだなと、あらためて思った。

 北千住駅近くまで来たので,電車に乗って秋葉原へ。

 今回は路地裏辺りも歩いてみた。怪しい掘り出し物なんかを眺める。

 ちょうど地デジでヤバいことが起こってるらしいことも知った。

 ヨドバシカメラにも寄ったけれど,特に目新しいものは無し。

 ぼちぼち新宿に戻って高速バスを待つためのんびり過ごした。

 高速バス乗車直前に日食グラスをひとつ手に入れた。

 天気はどうなるか分からないけれど,記念の意味も込めて。

 今回の高速バスは、新しく導入された3列シートバスで、とても快適だった。片道一万円するのは安くはないが,それでも身体に対する負担感がぜんぜん軽い。新東名高速の快適さも合わさって,東京への移動手段としてはますます有り難いものとなった。

 さて、明日からも慌ただしいので、しっかり休んでから頑張ろう。

気まぐれ風まかせ

 先日、とある役職仕事を引き受けるために返信を出した。躊躇いがなかったわけではないけれど、不思議な巡り合わせに身を任せることにした。

 もしごく普通に書面で依頼されていたら、おそらく辞退することを考えたと思う。

 この界隈随一の迷い子な私。たまにメインストリームと交差したかと思えば、ブワァ〜と横風に煽られてすぐさま道を外れる愚か者である。若いときに刷り込まれたのが孤独な研究者像なので、周りと距離を置くような立ち位置しか思いつかないのである。

 役職仕事が得意な性分とは言えない。正確に言えば、責任を持つ用意がないのだから、肩書きの持ちようがない、と自己認識している。

 その依頼は、相手と話していたときに切り出された。

 やはり直接に手伝って欲しいと言われると「手伝わない」とは言えないもので、自分がふさわしいかわからないけれども…と注釈は入れながらも、それでもよければ出来る範囲で手伝う旨をお返事する形になった。

 ダメなら誰かが指摘するに違いないのだから、その辺は流れに身を任せることにした。

 これも先日、同じ職場で隣りの研究室の先生が声をかけに来てくれた。

 徳島県庁の人が大学に来ていて、新しく始める取組みに私も関われるのではないかということで、ご挨拶をしたいとのことだった。

 直接お話を聞くと、とある学校でのICT活用について積極的に取り組んでいこうとされているのが伝わってきた。

 徳島県に引っ越して4年目を迎えるが、なかなか地域に貢献することが出来ないまま来ていたので、お声掛けはとても嬉しかった。

 地域の教育は地域で創造しなければならないということを強く感じていたから、こうしたお声掛けを大切にして、それをゆくゆくは全国発信できればいいなと思う。

 場合によってはフャーチャースクールの取組みとコラボレーションさせたり、フューチャースクール後の流れを徳島県に引き継いでもらえたら…とも妄想してしまう。

 たぶん、なんかもっと背負ったり、もっと人に会ってコミットしたりすることも出来るとは思う。網羅的にやろうとすればそうすべきこともある。

 でも、思うに私自身の場合、必要な事柄は自然と直接対峙する機会が訪れる。当たり前といえば当たり前だけど、逆を言えば、直接対峙するまでは慌てて会ったり関係をつくろうとするのは、あまり上手くいかないとうことでもある。

 しかるべき時にしかるべき人と会ってしかるべき仕事をする。

 その基準が気まぐれ風まかせだってことが私の特徴であり欠点でもある。
 

躊躇えばエンターテイメントにはならない

 新年度が始まり、NHKの教育番組にも新顔がお目見えした。その中に「歴史にドキリ」という番組があって、中村獅童氏が歴史上の人物に扮して歌って踊る歴史番組となっている。

 先日、第1回が放送され、番組Webサイトでも動画が見られる。しかし、どうもあまり評判が良くないらしい。

 実際、私も第1回分を見て、残念な気持ちになってしまった。毎回のテーマに誘う中村獅童氏の演技から番組は始まるのだが、歴史解説映像の間に挟まれている歌と踊り部分が浮いてしまって、存在意義が見いだせなかったからである。

 授業で見せることを目的とするならば、番外編にあるように歌と踊り部分は省いてもらって、もう少し落ち着いて解説して、中村獅童氏に語らせたほうがよっぽどマシだと思う。

 個人的にこの番組のスタートには期待していたし、応援していたのだが、この調子で続けて大丈夫なのか心配になってしまった。

 実は昨年度のうちに、この番組のパイロット版を見る機会を得ていた。

 それは徳川家康を扱った回として制作されたもので、現在放送開始されたものよりももっとポップな造りになっており、番組の構成は似ているが構造が全く違っていたのである。

 そして、私はそれが結構気に入っていた。

 正直なところ、そのパイロット版も授業で使えるという調子のものではなかった。むしろコンセプトからして、授業で使うということをあまり気にしてなかったといっていい。

 私は、パイロット版にそういう割り切りを感じて、そのチャレンジ精神を応援したかったし、放送版の最初に掲げられている「History is entertainment.」という言葉を徹底したほうが、むしろ印象深いものになるのではないかと思っていた。

 ところが、実際には製作者側も迷いを隠せなかったようだ。

 Webサイトに公開されている番外編は、先ほど指摘したように授業を意識して無難な造りへと変更してある。

 しかし、たぶん実際につくってみて、製作者としての面白みがなかったのだろう。申し訳程度に歌と踊りを復活させたのが第1回という感じなのかも知れない。だから中途半端さの残る番組となってしまった。

 歴史を題材にしたバラエティ番組は様々あれど、歌って踊るネタで最近人気を博しているのが「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」である。

 こちらはローカルテレビ局の番組ということもあって、番組作りも面白いコンセプトで攻めているのが興味深い。先に頑張っているだけに、いろんな試みをして人気を集めている。

 「歴史にドキリ」はこの種の番組の新しい仲間として、先輩の良い部分を吸収して、自分の味を徹底的に出していくべきなのだ。あちらはバラエティ番組、こちらは教育番組。おのずと独自色も出てくるはずなのだ。

 そのためには徹底したエンターテイメントを追求しなければならないと思う。楽曲はもっと時間をかけるべきだし、番組を映像クリップと歌と踊り部分をくっつけたような造りにするのではなく、一つの作品にしなければ意味がない。

 それは授業で使うとか使わないとかそういう話ではなくて、「History is entertainment.」というコンセプトに正直であるのかということである。そういう突き抜けをしない限り、授業どころか、極上のエンターテイメントを通して歴史を知り学ぶという活動にすら届かないものになってしまう。

 残念ながら、NHKの教育番組には法律的なルールがあり、学校教育に利活用される番組でなければならない。

 そのため「授業で使われることを気にするな」といった趣旨の上記のような応援は、ほとんど意味をなさないのが現実である。

 たとえば、かつて小林克也氏が進行役として登場した「おしゃべり人物伝」のようにNHK総合テレビの番組としてなら、そういったつくりもあって良いのだろうけれど、学校教育番組としてその路線を徹底することは難しいと思う。

 そんな制約の中にも関わらず、この番組を作ろうと考えた製作者の人たちの茶目っ気に私は好感を抱いたし、こういうコンセプトの番組が一つは(全部は困るけど)あっても良いのではないかと思ったのだった。

 まぁ、面白くなくなった現在のテレビ番組の中で、80年代の深夜実験番組的な匂いのする番組がたまに出てきたことに嬉しくなったというだけなのかも知れない。

 でも、製作者も楽しい、視聴者も楽しい、そんな番組こそ、長く私たちの記憶に留まるのではないだろうか。そう考えれば、パイロット版から見え隠れしていた「History is entertainment.」というコンセプトを徹底するところに、本当に私たちを教育してくれる番組が存在するように思う。
 

新年度もマイペースで

 平成24年度に入った。職場は早々に入学式が挙行され,新入生オリエンテーションが行われている。明日から在学生も含めて前期授業開始である。

 今年度も月曜日から木曜日までまんべんなく授業を割り振られたが、金曜日は授業割り振りがないので,補講や出張がやりやすい。再び自転車操業的な日々の始まりだが,外部のお仕事も継続しているので、どちらも頑張らないと。

 様々な人たちの変わりゆく立場を眺めながら,今回は特に大きな変化もない自分を振り返ったところで,もう少し原点回帰を肝に銘じようかと思っているところである。

 関心の赴くままに対象を追いかけて教育の情報化関連の世界にたどり着いているのだが,かつて学んだコテコテの文系知識をもう少し活かせる場所もあるはずなのだ。

 カリキュラムの世界を勉強していたとき、私の関心は履歴の「歴」をどう考えるか理屈をこねていて、そこから最近は教育やその情報化の「史」を掘り起こす過程に入っているのだけれども,ゆくゆくはそれらを「歴史」として合わせていくことが大事なのかなとぼんやり思ったりする。

 そのためにも歴史学についていくらか勉強しなければ。最近関わっている別の仕事でも歴史に関することが含まれていて,ますますその必要性を感じたりする。

 自由に好き勝手なことをするのが難しくなっている時代に,好きなことをやらせていただいていることに感謝しつつ,今年度も頑張りたい。