平成二十四年水無月十七日

 週末の東京出張が続いた。

 New Education EXPO in 東京のあった週は、いくつかのセミナーと企業展示ブースをめぐったり、古巣の大学図書館で資料漁りをしていた。

 翌週は学習ソフトウェアのコンクール審査会があった。毎年、審査会のお手伝いをしているので今年も参加した次第である。

 貧乏人なので夜行バスを使って徳島と東京を往復するのだが,さすがに帰宅するとぐったりしてしまう。

 この頃は、あれこれ仕事が立て込んだり、いろんな出来事もあって、自身のテンションが変な方向へと飛びまくり。ストレス解消とばかりに過激なトーンでネットの書き込みをしていた。

 特に総務省の事業レビューで、フューチャースクール推進事業が対象となって「廃止判定」を受けたニュースのネット上の反応にはデジャヴを通り越してウンザリ気分が高まった。

 その壊れたレコードみたいなルーチンを惜しげもなく繰り返していることにがっくりするのである。なんかもうちょっと気の利いた反応を返す人はいないかと検索などしてみるが,理不尽だ論調ばかりで面白くもない。

 仕方ないので,私は一人で「祝・廃止判定」を唱えて、ふざけ返すしかなかったが、こういう時に一緒に盛り上がってくれる人がいないのも、まじめな人が多すぎて面白くない(私に人望がないのは織り込み済みでの話である)。

 一般人ならいざ知らず,関係者や政治家やロビイストまでがニュース報道に対して型にハマった反応しかしておらず,「おいおい、そういうのを防ぐのおまえたちの仕事じゃなかったか?」という真っ当なはずの突っ込みをほとんど誰もしないこともゾッとする。

 総務省の事業レビューの対象事業に選ばれる時点で見えていた展開なのだから,レビュー対象に選ばれた時点で政治家もロビイストも動くべきだったのだ。

 事業レビューの有識者なる人々を実証校に授業参観させるのだって、確かに東京の本田小学校が近いのは分かるし,実践としては素晴らしい成果を挙げてらっしゃることは確かだけれど,有識者を丸め込みたいなら徳島の実証校に連れて来いっていうのだ。どれだけ教育情報化事業に総務省が必要なのかをノンストップで説き続けてさしあげたのに。

 公開プロセスの説明にしたって、せっかくの隠し球であったはずの現場の先生たちに語らせたのはレビューシートを書き終えるかどうかという最後のタイミングで、まったくもって配球が悪すぎた。廃止のホームランを打たれるに決まっている。

 そして、人々はニュースにひとしきり憤慨したら,あとはどうにかなるでしょう的に忘却の彼方にまた押しやるだけなのである。

 そういうのも丸ごと含めて「廃止判定」で結構。

 言葉遊びで物事が終了するなら、どうぞ好きなだけ廃止でも終了でもしていただきたい。

 そういう事態に対して、タイムリーともいうべき日本教育工学会のシンポジウムが16日あったそうである。

 私はお仕事中で参加は出来なかったけれど,大変気になるわけである。大変気になるから、このご時世だから動画配信や録画公開なんてのがあるといいなと思ったりするわけである。

 ところが、やってないわけだ。

 何でやってないのか、理由らしい理由はコストや人手がないから、というくらいしかないからまた怒れるのである。

 なんで「教育の情報化」をテーマにしておいて、しかもホームページで一般の方も「参加を大いに歓迎します」と誘っといて,動画配信しようという発想に着手しないのか、チンプンカンプンである。

 しかも、こういう提案を「ニコニコ生放送とかのノリを真似たいだけでしょ」みたいなレベルで受け取る人がいるのだが,まったくもって浅はかな理解である。情報へのアクセスを確保し、アーカイブしておくことの重要性がまったく分かっていないとしか言えない。

 公開すると登壇者の発言に制限がかかるとか、会費・交通費払って来場した人が損になるとか、心情ベースのアンポンタンな反応もあるが、これとてシンポジウムという場を内緒話をする場所と勘違いしているか,個人的利得と社会的影響を同じ土俵に乗せるトンチンカンをしているか、学会が仲良しサークルで終わればいいよねとでも思っているか、とにかく、とんでもない勘違いをしている可能性がある。(ちなみに、本来「ここだけの話」というのは流れの結果であって、目的の流れではないことを忘れてはならない。)

 なるほどもちろん、最初からこれは内輪受けの会ですと宣言しているならば、無制限に外部に公開する必要なんかない。少しでも見せたいなら「ちょっとだけよ」とチラ見せする限度を好きなように可変すればよいことである。大事なのはアーカイブして、後でアクセスできるようにすることなのだから、公開の程度をどのように制御するのかは目的に応じてすればよいだけの話である。

 しかし、広く問題を知って欲しいと考えているはずのテーマのシンポジウムについて、関心を持っているにも関わらず事情で参加できなかった人間にさえ情報を伝える努力が及んでいないのは、言っていることとやっていることが一致しない(言行不一致)を招いているとなんで自覚しないのだろう。

 動画配信や録画公開のコストが高額であるという時代なら、無理もないかと済まされたのかも知れないが,いまやスマートフォンひとつで録画も出来るし動画配信すら可能である。もちろんクオリティを云々すればいくらでもコストを引き上げることは可能だが,繰り返すように大事なのはアクセスできるようにすることであって、高画質の動画配信や記録ではない。そういう技術的問題はどんどん解消されるのだから問題にもならない。

 結局、人のズクが足りない(手間を惜しむ)ということが最大の問題だということで、まさしく敵は内部にいたのであった。

 今後,一般への発信を意図する学会催事は、最初の企画段階から動画配信や録画公開を織り込むべきだし,そうでなければ録画は行ないつつ、目的に応じた範囲で動画を公開していくようにすべきである。

 というような、虫の居所が悪かった人のように言葉で暴れて過ごしたここ数日なのだったが,次回は大阪のNew Education EXPOのセミナーでいよいよ登壇。これくらいの勢いで韓国からの登壇者とセッションしたほうが面白いかなということで、教育の情報化界隈で一番過激で面白いセミナーをお届けしたいなと思う。面白くなかったら容赦なく質問して焚きつけていただきたい。

 悔しいのは今回、他人の土俵だから動画配信とか出来ないのだけれど,録音記録はしっかり残しておきたいと思う。ReseMomさん頼りじゃ情けないでしょ?