平成二十四年長月六日

 こうやって灼熱の世界に移行しているのかと思うとゾッとするが、とにかく長月に入ったにも関わらず残暑を感じる日々である。

 夏の外回りが終わり、明日からやっと学会準備などに取り組めるかと思ったらそうは問屋が卸してくれなくて、職場や外部からの宿題が溜まってこなさなければならない。気分屋さんの私にとって,気持ちの切り替えをしなければならない頻度が多くなっている状態はろくなことがない。

20120903「言語活動を充実させる:「個別学習」で定着図り 「協働学習」で鍛え合う―教育ICT活用実践セミナー」(教育家庭新聞)

 協働学習について同志社女子大学の余田先生が「学習の深まりのレベル」というものを提示したという記事が掲載されている。

レベル1 見るだけ、見せるだけの学習
レベル2 コメントを書いてそれを見合うだけで終わる学習
レベル3 コメントの連鎖がある学習
レベル4 コメントをもとに再編集・再構成が行われる学習

 そして余田先生のコメントとして,「(前略)私見ではあるが、フューチャースクール推進事業で行われている協働学習はレベル1やレベル2に留まっている例が多い。3や4まで深めるには、話し合いや発表に加え、書く活動が必須。(後略)」とある。

 「学習の深まりのレベル」の4つは,行動として目に見える学習の姿をレベル分けしたものと考えることもできるので、思考の深度が正比例しているとは限らないし,それぞれのレベルが同時発生していることもあり得るわけで、説明としては簡潔で美しいのだけど,実態を記述するものとしては弱さも残る。

 だから,フューチャースクール推進事業の実証校でレベル1や2で留まっていると記述しているからといって,学習者の思考深度も浅く留まっているとは言えない。もちろんレベル3や4が思考深度の深さを伴いやすいとは言えるだろうけども,コメントと情報の編集操作が巧みでも思考は全然動いてないことだってあるから,結構難しいのである。

20120906「「OJT信仰・手放しのOJT礼賛」を超えて : OJTの脆弱性・成立条件を考える」(NAKAHARA-LAB)

 On the Job Training 実務を通しての訓練は,「実地経験を積むことで鍛えられる」という点において礼賛されているのだけれども,そのことの問題点を4つ挙げられていた。

 なんだか,悪い師に巡り合ったらご愁傷様という感じに読めなくもない。

 職人仕事などにおける徒弟制をベースにモデル化された「認知的徒弟制モデル」と,今回定義されているOJTとの違いなんかを比較した上で検討してもらえると面白いかなとも思ったりする。

 結局、師にあたる上司が「学習者」足り得なくなってしまった時に、OJTも機能不全に陥ってしまうのかなと。逆にいえば、徒弟制の描く師には,あらかじめ学習者としてのエンドレスな可能性が折り込まれていたという点において、師とは偉大なものだったのかも知れない。

 以前読んだ『ワーク・シフト』に「ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ」とあったことを考え合わせると、師は単一のスペシャリストに留まることだけでは足りず、多様なスペシャリストでなければならないということなのかも知れない。

 もっともそれが独りの師で賄うべきものなのか、もしかしたら師がネットワークを作ることを意味しているのかは,場合によるのかも知れない。以下のネットでつながる教員たちという記事なんかは,そのことを考える材料になるかも知れない。

20120829「ネットでつながる教員たち――「専門職学習ネットワーク」 授業案をベースに交流、ソーシャルメディアでの情報交換も」(PC Online)

20120906「デジタル教科書雑感(4) デジタル教科書のイメージを「教材」に広げよう」(グリーンゲイブルズ 芳賀研究室 デジタル読解力向上係)

 デジタル教科書,特に学習者用デジタル教科書に関する話題は注目を集めており、こちらのブログでも様々な考察が重ねられている。うちの研究室ブログも参照していただいていたりする。

 デジタル教科書のイメージを「教材」に広げるというのは,人にとっては多少奇異な主張のようにも読める。だって教科書って教材じゃないの,と。それに対して,なぜそういう主張になるのか言葉を尽くして書かれている。

 私なんかは「教科用図書」の範疇を拡張してデジタル教科書も含めてしまえばよいとかいう小手先解決を主張したりするので,「メジャー量産型モデルのオールドタイプとカスタマイズモデルのニュータイプ」に分けて考えることを提唱する潔さは気持ちがいいなと思う。

 人によって攻め方やその表現にバラつきはあれど、この国が「教科書」を中心として回してきた学校教育と授業というものに対する固定化した心性をどこかで突き崩さなきゃねという方向性は似たり寄ったりなのかも知れない。

 2020年頃の次期学習指導要領改訂を睨んで物事が動くとすれば,残り7年間ほどの猶予の中で諸々の取組みを進めていくことになるのだが、この7年間で凝り固まった心性を完全に解きほぐすことは土台無理なので、せめて押すべきツボを探し出すところまで行きたいというのが関係する人々の願いだと思う。

 7年間はあっという間で,もうフューチュースクールや学びのイノベーションのような大型打ち上げ花火を仕込んで打つことは難しい。だから,中玉か小玉を各地で仕込んで打ってもらいつつ,国レベルでは花火ガイドと鑑賞の仕方の紹介くらいを進めていくことが現実的。

 最近は不景気ということもあって,協賛企業もめっきり減ったから、全国から見える大きなスターマイン花火は残念ながらあまり期待しない方がよさそうだ。

雑誌『WIRED』VOL.5 特集は『THE FUTURE OF LEARNING』と題し、「教わる」から「学ぶ」へと変わりゆく世界の教育の最前線をフィーチャー」(WIRED)

 とはいえ,教育はいつの時代も大きな関心事。

 学校教育と生涯教育は違うし,それぞれも学校種によって異なったり、社会と職場で展開しているものも違う。だから,もっと制約を付けて,丁寧に論じる必要もあると思うけれど、なかなか落ち着いてそれをすることができない。

 ソーシャルラーニングの界隈も賑やかで、そうした分野のエネルギーを学校教育の分野にも取り込みたいなと思う。とにかく,取り組まなければならないことは山のようにある。

 さて,秋のお仕事に移行するとしよう。