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西オーストラリアの教育 ((豪州渡航記05))

 今回の視察はメディアスタディを中心にしたものである。今一度,西オーストラリア州における教育についておさらいしよう。
 なお,オーストラリアは連邦国なので,教育に関しては州単位で制度が異なっている。個別の独自性を重んじる文化であるため,州だけでなく,地域・地区,学校・教師毎に異なる教育実態が展開していると考えるのが自然である。その上で,ある程度共通な部分について見てみたい。

 まず西オーストラリア州の学校段階は次のようになっている。
・Kindergarten
・Primary School (Year 1-7)
・Junior Secondary School (Year 8-10)
・Senior Secondary School (Year 11,12)
 俗に言う「K-12」という形である。学年に「5」を足せば年齢になると覚えよう。西オーストラリア州はご覧のように7-3-2制の学校段階制度をとっているが,同じオーストラリアでも他の州は,6-4-2制になっているところもある。
 また,Secondary Schoolの呼び方は,学校によってHigh Schoolとするところもあれば,Collegeと呼んでいるところもある。
 義務教育はPrimary SchoolとJunior Secondary Schoolで,Year1から10までの10年間である。Year11と12は進学準備期間の段階となり,どんなコースを選択するかは進路次第である。

 K-12の教育内容の枠組みは各州毎に決められているが,オーストラリア全体の国力と国際競争力を上げるなどの議論もあり,Australian Education Councilによって8つの領域が示されている。
 8つの領域とは:
・The Arts
・English
・Health and Physical Education
・Languages Other Than English
・Mathematics
・Science
・Society and Environment
・Technology and Enterprise
 西オーストラリア州でもカリキュラム・カウンシルによって8領域のカリキュラムが示されている。それらはOutcomes and Standardsに基づくCurriculum Frameworkであり,Outcomes Based Educationという考え方を徹底しようとしている。 要するに評価規準を予め明確化する考え方である。
 Outcomes and StandardsCurriculum Framework(標準成果とカリキュラム枠組み)という考え方について議論を始めると長くなってしまうが,大雑把に日本との違いを指摘するなら,教科書に関する文化の違いが一つある。
 諸外国のカリキュラム研究ではCurriculum Implementationという領域が盛んに議論されるのであるが,日本の私たちにはいつもピンとこない。というのも日本には検定教科書があり,日本におけるCurriculum Implementationの大部分を教科書会社が担っているためである。これを根強い教科書信仰が支えているというわけである。
 西オーストラリア州の教育関係者曰く「私たちにはそういうテキストブック・カルチャー(教科書文化)はない。」授業でどんな教科書や教材を使うかは,専門家たる教師もしくは学校で決めることになる。
 目指すべき標準成果とカリキュラムの枠組みがきっちりつくられると同時に,それらを実際の学校実践に落とし込む(Implementation)部分に教師や学校の創意工夫が求められているわけである。

 Year11,12にも成果(標準目標)とカリキュラム枠組みが用意されているが,この学年の子ども達にはいくつかの選択が用意されている。なお,西オーストラリア州ではよりフレキシブルなYear11,12コースへと転換中である。
1)大学進学コース
 大学進学を考えている生徒にはTEE (Tertiary Entrance Examination)と呼ばれる大学入学試験に向けたコースが用意されている。ちなみにオーストラリアには大学が少なく,進学率もそれほど高くないらしい。
2)TAFEへ進学
 Year10修了とともにTAFE (Technical and Further Education)という専門学校へ進学することもできる。早くから自分の職業が明確になっている生徒は,専門学校へ進んで専門知識を積み上げた方がよいのだろう。
3)一般コース(そのまま進級)
 大学進学でもなく,すぐにTAFEという道も選ばない生徒は,ごく普通にYear11,12に進級する。ちなみに一般コースという名前があるわけではない。Year11,12で学ぶ内容は,必須のEnglishを除いて全て選択である。イメージは日本の総合高校だろうか。WACE (Westan Australian Certification of Education)という卒業認定を取得することが求められる。
4)就職
 もちろん働き出す生徒もいる。

 問題となるImplementationの部分は,学校と教師によって様々である。Curriculum Frameworkは明確であるが,それを満たす授業づくりは全くの白紙といってもいい(正確に記せば,白紙にもできる自由度があるということだ)。
 Primary Schoolの先生は,いくつかを除いて全ての教科を担当する。それゆえ,日常の時間割について柔軟に変更が可能である。また,教科の授業区切りも自由に設定できる。
 Secondary Schoolの先生は,教科の専門がある。メディア専門の先生は,8領域のうちのArts領域で授業を行なうことになる。またEnglish領域でもメディアを扱う部分があるが,こちらはEnglishの先生が担当することになると思われる。実態は学校毎に異なる可能性があるからだ。
 Year11,12において,約50種類あるWACE卒業認定の「Media Production and Analysis」を取りたい場合には,メディアコースを選択する。そうすると必須の英語以外はメディア関係の授業で時間割を埋めることができる。
 そうすると毎日の如く,メディア制作やら何やらに取り組むことができるわけだ。映画「カサブランカ」を見ながら学習していた学校の様子は,このメディアコースというわけである。
 というわけで,子ども達の学習を促進させるために教師のもてる能力を発揮しなさいという基本方針があり,それがどのようなものかをについては教師次第という点に,強さもあれば弱さもあるといった風なのである。

 西オーストラリア州は中国特需のおかげで鉱山系の業界で好景気が訪れているという。その業界での給料が軒並み高水準らしい。
 一方,教師業は低賃金の上に重労働。教師は専門性を要求されるから,それなりの知的水準の人物であることが求められるが,その人物に見合う給与を出せないでいるというのが現実だという。これはどこの国でも同じだが,トラック運転手の稼ぎの方が教師よりもよいという状況から,西オーストラリア州は深厚な教師不足が問題となっており,つい先日も教員の定年延長と海外からの教師のなり手を募集することがニュースとなっていた。
 というわけで,日本も団塊の世代の大量退職によって教員不足が叫ばれているが,日本の教員志望諸君,西オーストラリアで教員をするというのも人生経験としてよい選択しかも知れない。
 日本よりも教師としての自由度が高く,重労働とはいっても5時でスパッと終わるメリハリある労働環境。そのうえ,西オーストラリアの豊かな自然が間近にあふれる住環境。もしあなたが世界をフィールドとして教育に貢献したいというなら,私はむしろ世界に出ることを勧めるね。それから日本に戻ってきて,広い見識のもとで日本の教育現実を変えることで故郷に錦を飾って欲しい。しばらくの間は,我々が日本で格闘しておくから…。

  海外視察を英国,豪州と見てきたが,どんな選択をした国で生きているのか,あるいは自分たちがどんな生き方をしたいのか,改めて考えを深めなければならないと痛感する。
 そして教員としての生き方も問われなくてはならないのかも知れない。これについては帰国後に関係する研究会もあるので,もう一度そこで考えてみよう。

ポッドキャストとGoogle Video ((豪州渡航記04))

20070216_og01 視察3校目はOrange Grove Primary Schoolという公立小学校である。全校生徒が120名程度の小さな学校だ。

 この学校は西オーストラリアから少し離れた場所にあるが,住宅地というよりは,広大な土地にぱらぱらと家があるという感じなので,子どもの数もそれほど多くないというわけである。
 校舎もこぢんまりとしたものだが,土地はあるし環境が素晴らしい。この環境にKindergartenからYear7(幼稚園から小学生)までが学べるというのだから,必ずしも私立が全て良いとは限らないのだ。

 こんな都会の喧噪とは無縁の小さな学校が世界中で有名なのは,この学校で取り組んであるポッドキャスト制作の授業のためである。

 Year4と5のクラスでは,毎月一本を目指して子ども達自身がポッドキャストの番組を放送している。実際の制作は先生がバックアップしているわけだが,番組内容や語りは子ども達自身が担当し,その時々の学習内容に即したテーマについて各人がコーナー番組を用意,それらをつなげた上で公開している。

 ポッドキャスト制作には,アップルのマックというパソコンとそれに付属している音楽制作録音ソフト「ガレージバンド」を活用している。
 このソフトはマックを購入するともれなく付いているうえに,録音と編集が容易,BGMも予めあれこれ用意されているので,簡単にポッドキャスト番組が制作できるというわけだ。

 授業の流れとしては,次のような感じだと推察される。子ども達にテーマを与えて,まず内容を考えさせて原稿を作成させる。放送原稿は実際に自分が読むものになるので,どうやったら聴いてくれる人に自分の言いたいことを伝えられるか,いろいろ考えることになるだろう。

20070216_og02 原稿ができあがったら,全員が集まる。教室にはマック・パソコンと液晶プロジェクタ,インタラクティブ・ボード,そしてマイクとスピーカーが用意されている。そこでみんなに囲まれながらそれぞれの番組を吹き込んでいく。
 吹き込んでいる間は他の子達も静かにそれを見守っている。吹き込みは満足するまで何度でもやり直しができることを予め伝えてある。そして吹き込みが終われば,前後の余分な声があればカットし,好きなBGMを選んだら完了。

 インタビュー番組の場合は,iPodをICレコーダーにできる機械を取り付けて,それで子ども達とインビュー対象者を交互に録音したりする。
 今回,私たちの視察団も代表のN先生がゲスト出演。子ども達から予めインタビューの質問をもらってあるので,それをもとに対談形式で録音した。近く公開される番組で声を聴くことができるだろう。

 ポッドキャストを教育に取り入れること自体はあちこちで試みが見られるようになってきた。私自身,十分な成果とはならなかったとはいえ,ポッドキャスティングを教育現場で制作したし,このサイトでも(しばらく途絶えているが)ポッドキャスティングを展開中である。

 ただ,この学校の場合,小学校で学習に結びつけて継続的に展開している事例として貴重なのだろう。豪アップル社のサイトでも教育の事例として紹介されているほどである。世界中からファンレターも届いているそうだから,なかなかのものだ。

 ポッドキャストの制作と公開に関しても,保護者の同意の手続きを経ているという。子ども達の個人情報の扱いに関しては,西オーストラリアもかなり神経質になっているようだ。
 ただ,ポッドキャストの場合,顔が出るわけではなく声だけであり,また名前もファーストネーム(日本で言えば下の名前)だけが番組で出てくるだけなので,子どもの特定は写真や映像よりも難しい。その点,保護者の同意は得やすいようなニュアンスであった。

20070216_og03 ちなみに小学校の先生は日本と同じように全教科担当する感じの存在だ。しかし,日本と違うのは担当するクラスの科目や時間割を自在にコントロールすることができる点。教科の区分を明確にすることもできるが,一方で,教科といった切れ目を曖昧にして,統合的に授業を構成していくこともできる。ポッドキャスト制作もそういった環境の中だからこそし易いのだろう。

20070216_ml01 視察4校目はMt. Lawley Senior High Schoolという公立学校だ。1955年に開校した学校で,それなりの歴史を持つ学校である。

 Middle School(Year8,9)とSenior School(Year10,11,12)から成り立っており,校舎もそれぞれ分かれている。ちなみに校舎は最近建て直したらしく,新しさが残るキレイな環境である。

 ここでもYear11と12(つまり高校生)のメディアの授業を覗かせてもらった。インターネットなどを利用して「ポップカルチャー」もしくは「音楽分野」について調べ,自分なりのプレゼンテーションを制作するのが課題であった。

20070216_ml02 生徒達は思い思いのテーマでインターネットサーフィンをしたり,ワープロで発表内容をまとめているようだった。多くの生徒が音楽分野に関する調べとして,Google Videoを検索して音楽クリップを見ていた。男子生徒はそれ見てボーッとしている感じが無くはなかったが,まあ,何を調べてどんなことを学んだのかを記録して提出しなければならないので,それはそれで授業を楽しむという点でよいらしい。

 ちなみにGoogle VideoはいずれYouTubeに吸収されるという話もあるが,教室ではほとんどの生徒がGoogle Videoを使っていた。「なんでGoogle Videoを使っていて,YouTubeは使ってないの?何かルールでも設定しているの?」と先生に聞いたら,「僕には決める権限はないんだ。テクニカル・コーディネイターが決めることだからね」と言葉が返ってきた。
 最初,返答の意味がよく分からなかったが,ふと思いついて空いているパソコンでYouTubeにアクセスしてみたら「表示できません」と出てきた。つまりアクセス制限をしているということだ。なるほど。

20070216_ml03 教室環境は,iMacG5が12台。無線LANアクセスポイントも完備している。この新しい校舎は教室だけでなく,廊下の壁にも電気と情報のコンセントが用意されていて,いろんな形の活動に対応できるようになっている。どうやら同じ公立学校でもこういう贅沢な環境を持つところもあるらしい。

 オーストラリアの高校生(Year11,12)は,英語のみが必須で,あとは選択科目である。そうやってその後進む道に合わせて基礎勉強を積み上げていくことになる。もっとも同じ年齢でもYear10を終えて職に就く人達もいる。

 さらに大学進学は日本ほどポピュラーではないので,多くは職業教育を受ける専門学校(教育コース)に進学することになる。その専門学校(教育コース)をTechnical and Further Education (TAFE)と呼んでいる。オーストラリア中あちこちに,この専門学校(教育コース)があるという感じである。

 というわけで,Year11とか12とかでメディアの授業を受けるということは,自ら選択科目として選んだ生徒が出席していることになっている。ゆえに,将来的にはメディアが絡む職業を目指すつもりがある生徒達という意味にもなる。最近ではメディア関係を選択する生徒が増えているという話らしい。

 ポッドキャストもGoogle Video(YouTube)も発信メディアとして登場し,脚光を浴びている。しかし,以前にも思ったことだが,個人情報の話もあるように,ますます子ども達が自分を発信することに関して神経質な時代にもなっている。個人情報やプライバシーの問題は神経質になりすぎても足りないほど注意を払わなければならないことは当然なのだが,それにしても気軽な発信メディアがようやく手に入ったのに,こんなに必要以上に気を遣う必要が出てきてしまった事態に,少し残念な気持ちも伴う。

シンガポールで乗継ぎ ((豪州渡航記02))

 豪州パースへは直行便ではなく,シンガポール乗り継ぎで向かっている。6時間弱のシンガポールへのフライトのあと,ほぼ6時間待ってから,さらに6時間のフライトでパースにたどり着く。いまはシンガポールの空港にて。
20070213_singapore ご一緒している皆さんとシンガポールの街へ出て,街歩きと屋台での夕食。空港に戻って軽くシャワーを浴びて,あとは時間まで待つのみ。シンガポールと日本には1時間の時差があるが,現地時間で夜中の1時発,日本時間でいえば夜中の2時に出発である。パースには翌早朝に到着するので,ホテルのチェックインには早いというのが難点か。
 ところで,シンガポール空港は乗り継ぎ旅行者のための施設が充実している。インターネット接続整備も無料で使用できるし,ノートパソコンのための電源もEthernetコネクタも自由に使用できる。ありがたや。
 海外ローミングサービスでお馴染みのiPassというものがあるが,こちらは世界中の電話アクセスポイントや無線/有線アクセスポイントに接続できるようにしている。専用の接続ソフトが必要で,ついこの間までインテル・マック対応版はリリースされていなかったが,気がついたら専用接続ソフトの新しいバージョンが登場していて,使えるようになった。これで俄然海外アクセスが便利になりそうだ。
 さて,今回の旅はどうなることやら。また追ってご報告したい。

とるものもとりあえず成田へ ((豪州渡航記01))

 有り難いことに豪州(オーストラリア)の学校視察に連れて行ってもらえることになったので,本日成田へ向かわなくてはならない。実は荷造りも部屋の片付けもまだ完了していないので,徹夜になりそうなのだ。

 オーストラリアの教育について手元にあるわずかな資料を紐解くと,地域や州が独自に教育行政や学校制度を営む仕組みであるようだ。それでいて,オーストラリア全体での国際競争力などを高めるため,連邦レベルでの審議会でナショナルカリキュラムを示したり,教育方針の足並みを揃えようともしている。実際には,本当に州毎の独自性を前面に押し出す傾向が強くて,訪れる場所によって同じオーストラリアでもかなり様子が異なるらしい。

 それでも,コンピュータ利用に積極的であることや,英語や英語以外の言語教育,そして広大な国土ゆえに遠隔教育などがオーストラリア全体の教育の特徴であるとされている。

 今回出かけるのはウエスタン・オーストラリア州にあるパースという都市である。で,パースという街がどういうところで,どんなことになるのか。学校視察がどんな風になっているのか,ほとんど飲み込めていない。いやはや,イギリスのことを消化するのに手間取ったままなので,オーストラリアまで手が回ってなかったんだよね,とほほ。

 というわけで,恒例の旅行記を綴りながら考えをめぐらせていくしかなさそうだ。ちなみに豪州は真夏。かなり暑いとの情報を得ている。半袖あんまり持っていないんだよなぁ。どうしよう…。

如月11日目

 教え子たちの様子を見るため古巣の職場に来ている。2年間受け持つ予定だったクラスを1年でほっぽり出して上京したことから,この子たちには大きな借りがある。卒業するまで,なるべく行事などに行こうと心に決めていた。
 卒業直前の大きな行事に立ち合って,学生たちの成長やクラス内の関係が様々に動いたことが分かった。もう少し時間があれば,よりクラスの団結も深まるだろうに…とも思った。最初この教え子たちは,それぞれ個性が強くて,またそれでいて遠慮がちなところもある分だけ,まとまることが難しそうだった。それゆえ物事がなかなか前進せず,お互いイライラしてしまいがちでもあった。そんなクラスが,最後の行事でひとつのものを作り上げる団結力を発揮してくれたのである。
 辞めておいて身勝手な話だが,クラスが一丸となっていたことを見て嬉しかった。他の先生たちの支えと学生たちの根性の成果であるが,その様子を見て,私はうるうると瞳を潤ませた。本当にもう少しの時間と何かを取り組む機会があれば,このクラスはもっと強くなる。それを確信すればするほど,悔しい気持ちも増す。いろんな意味で。
 間もなく学生たちは卒業の日を迎える。私にとっては永遠に教え子だし,彼女たちのためにできることがあるなら尽力する覚悟はあれど,今後は社会の中のそれぞれの場所に散って生きる日々が始まる。機会がない限り,お別れである。
 結果的には,私もまた次の場所で生きる日々を新たに始められることになった。そのことを応援してくれた教え子たちに感謝。だからこそ,これからも恥ずかしくないように頑張らないといけない。
 精神や倫理にだけ頼るつもりはない。けれども,誰かを想い,自分にとっても誰かにとっても恥ずかしくないように努力することは,どんな場面でも大切だと思う。うまくいかないときもある。迷って間違った方向に進むこともある。それでも常に意識していることで,進むべき道を見極めていくべきだと思う。それは個人レベルでも,地方自治とか国家政治のレベルでも同じことだと思うのだ。そのための手段は違うとしても。
 校舎に響く学生と子ども達の声に耳を傾けながら,相変わらず小難しいことを考えて時間をすごしていた。 

統制と管理と自由と懐と

 ここしばらく,英国出張後の整理をかねて,イギリスの教育制度について復習していた。かなり昔に学んだ知識は,目まぐるしいイギリス教育改革のおかげで,すっかり役立たずになっていた。
 幸い,英国のオンラインリソースは充実しているので,最新情報はWebを通じてあれこれ入手できる。けれども,昔の知識からのすりあわせをしながら理解するとなると,英語だけでは少々辛い。日本語の文献をあれこれ漁って,付き合わせながら一個一個流れを押えていかないと…。日本語訳も人によってまちまちだし。
 イギリス教育に関する日本語文献としては,基本的に文部科学省の「諸外国の教育の動き」シリーズが頼りになる。それ以外だと,最近書店で見かけたのが,清田夏代『現代イギリスの教育行政改革』(勁草書房2005.10)とかあったが,これは教育行政バリバリの専門書で,教育制度を知るにはあまり手軽じゃない。読み物的なら,小林章夫『教育とは −イギリスの学校からまなぶ』(NTT出版2005.8)とか,佐貫浩『イギリスの教育改革と日本』(高文研2002.8)あたりが手頃だろう。あとは教育関係の大学テキストなどに世界の教育比較として一章割り当てられているものがある。
 ただ,今年に入っても教育改革の動きは慌ただしく,11歳と14歳で受けている各ステージ最終テストの受験時期をずらすことができる仕組みを試そうとしたり,義務教育の対象年齢を18歳に引き上げるため動き出したとか,ここ数日では新たな共通カリキュラムの試案が公開されたりしている。印刷文献だと,どうしてもこういう動きに追いつけきれない。私なんか,もう頭痛の連続である。
 こんなイギリスの教育を眺めていると変な既視感がつきまとう。ん?そうか,今の日本の教育改革はこの慌ただしさを真似ようとしているのか。ブレア政権が教育を政策の最優先事項にしたことも,地方教育当局(LEA)を縮小して国家介入を強めたことも,ナショナル・カリキュラムとナショナル・テストによる国家による目標管理体制なども,いまの安倍政権下で展開しているあれこれにリンクが張れそうである。もっともその下手な焼き直しが各方面から批判を浴びているけれども…。
 イギリスの教育を理解するには,イギリスの政治を大雑把でも把握しておく必要がある。1979〜1997年の保守党政権期を経て,1997年から今日に至る労働党ブレア政権の流れ。そしてイギリスの伝統などを考えると,単純に制度の仕組みだけを捉えて善し悪しを論じることができないことが分かる。そういう意味では,私自身もいくつかの駄文に反省を加えなくてはならない。
 梶間みどり氏が『教育の比較社会学』(学文社2004.1)に書いたイギリス教育改革に関する論考は,次のように3つの転換をイギリス国家に見ている。第1が,かつての「福祉国家」から「自立型国家」への転換。第2が,「官僚主導型の行政経営」から「受益者主導型の行政経営や政策の重点化」。そして第3が,「評価国家」への転換である。
 このことによって何がどうなっているのか。前出文献で佐貫氏が書いているのは,次のようなことである。教育価値を国家が評価主体としてコントロールすることによって目標管理システムが国家的な規模で展開しているが,一方で,個別学校や教師への統制的な命令が必要とはされていない,と(199頁要約)。
 つまり佐貫氏は,イギリスの国家介入は,評価管理であり,統制管理ではないということ。ゆえに,国家介入によって,学校現場の自由が制限されることは,日本と比較すれば少ないというのである。
 これは逆に言えば,評価をもとに自由を有効活用できなければ,仕組み自体が破綻することを意味している。そのための支援も合わせて措置されていることも重要なのだが,イギリスでこの仕組みが妥当なのは,もともと国民の意識が高いという文化的な背景が大きく貢献しているように思う。もし仕組みを日本に持ち込んだとしても,これだけの政治的問題や役所の不祥事を何もせずに忘却のもと放置できる国では,導入すら難しいのだろう。
 ブレア氏が英国首相就任の前年である1996年労働党大会の演説で,政策の優先課題3つを「エデュケーション,エデュケーション,エデュケーション」としたことは,あまりに有名。教育改革の荒っぽさはあるが,その効果は現れてきている。そして何よりも,教育予算を増加させ続けてきた。対GDP比においても就任当初から数年は減少していたが,2000年以降はこちらも増加の一途である。
 もちろん,最終的な問題は予算の「使い方」あるいは「使わせ方」である。日本の教育予算が少ないことは,どこかの失言政治家が存在すること以上に世界の恥である。百歩といわず千歩も万歩も譲ったとして,少ない教育予算をやりくりすることは仕方ないことだと信じ込んだとしても,それを効果的に使うことに関して,日本は下手くそである。
 教育委員会制度の抜本的見直しが,これに関する一つの適切な解法なのかどうかは,もう少し議論の行方を見なければならない。だけれども,そんな手にさえ可能性をみたいと思う心理を抱くのは,あまりに変わらなさすぎる日本の教育にうんざりしているせいなのかも知れない。願わくは,そんな感情ベースの判断はしたくはないけれども。

教員1人1台時代のICT活用フォーラム

 節分の日,JAPET主催の情報教育対応教員研修全国セミナーが東京で催されたので出席した。今回のセミナーテーマは「教員1人1台時代のICT活用」で,2010年までに教員用パソコンが整備されることを見据えたものだった。
 さて,関係者には馴染みのことかも知れないが,これからは馬鹿丁寧に説明することを心掛けようと思うので,あえてゼロからご紹介してみたい。
 日本の教育について大元締めは,ご存知「文部科学省」(前身は文部省)だ。しかし,文部科学省というお役所だけでは,実務的に動くには心許ないことも多いので,大概のお役所がそうであるように,特定分野に対して取り組んだり,実働するような取り巻き機関や団体,公益法人などがある。
 日本で情報教育を普及推進させることにも,関係組織が存在する。その代表とも言えるのが「日本教育工学振興会」(JAPET)と呼ばれる公益法人である。関係者は「ジャペット」と呼んでいる。英国で積極的に教育のICT活用を推進している「英国教育工学通信協会」(BECTA)呼称「ベクタ」という組織と同じ位置づけとも言えるだろう。
 こういう組織は,国から委託費や補助金をもらって目的に向けて実働するため存在する。このJAPETも「学校におけるIT活用等の推進に係る事業」という名目の委託費をもらい,さらに会員を募って資金を確保しながら運営されている公益法人の一つである。
 ちなみにJAPETには仲良し団体が2つある。「日本教育工学協会」(JAET)と「日本教育工学会」(JSET)で,3つ合わせて自分たちのことを「教育工学3団体」と称している。この「だんご3兄弟」みたいなグループは,研究活動を得意としているのが特徴だ。
 長いこと研究活動や研修活動を展開してきた教育工学3兄弟は,競争激しい世間で実務をするにはあまりにお上品すぎる性格であるということもあって,情報教育の普及推進をもっとバリバリに請け負ってくれる実働部隊が必要になってきたのが2004年頃。なにしろ2005年度末までに世界最先端のIT国家になるという計画を日本の政府がぶちあげたものだから,教育分野も情報環境の整備を約束してしまった手前,その目標を達成する必要があった。
 国はお金を用意したし,3兄弟もいろいろ働きかけた。それにもかかわらず,地方のお役所がちっとも動いてくれない。目標達成が危ぶまれた。そこで,研究熱心な3兄弟とは性格の異なる,売り込み熱心な子どもを儲けることにした。それが「教育情報化推進協議会」である。
 この他にも文部科学省の情報教育家族には,大学などの高等教育を主に担当する独立法人「メディア教育開発センター」というお兄さんがいて,たまに助けてくれたりする。
 家族はこれだけではない。国で情報分野を扱うのは文部科学省だけではなく,経済産業省も情報分野を扱っている(企業の情報化などでこっちの方が経験豊富だ)。そんなわけで,先ほど紹介した「教育情報化推進協議会」は文部科学省と経済産業省と総務省が共同で儲けた子どもだし,他にも文部科学省と経済産業省で儲けた財団法人「コンピュータ教育開発センター」(CEC)という兄弟がいる。
 親戚関係では,長い歴史を持つ視聴覚関係のおじさんや電子・情報処理関係のおばさん達がたくさんいるのだが,まあ,歳も歳だし,慌ただしく動き回るってことはない。

 というわけで,長い前振りであったが,そんな家系の中で,長男的な存在といってもいいJAPET(ジャペット)という組織が催したのが,今回の情報教育対応教員研修全国セミナーというわけである。だから,関係者にとっては,そこそこ重要な位置づけで捉えられている(はずの)セミナーなのだ。(ちなみに共催は売り込み熱心な教育情報化推進協議会。)
 その証拠に基調演説を行なったのは文部科学省初等中等教育局参事官付 情報教育係長。家長から直々に情報が伝えられる場面が用意されているという点でも,その重みみたいなものが確認できる。
 こういうセミナーにやってくるのは,教育委員会や学校現場などで情報教育に関わる関係者だ。だから,情報環境を整備するにあたって知りたい情報を得にやってくる。今回のテーマで言えば,今後国が2010年を目標として教員1人1台の校務用パソコンを配備するという施策が決定したことに伴って,それは具体的にどんな状況になるのか,どんな問題が待ち受けているのか,施策実現のために必要なアクションは何かを知ることが目的である。

 ここで日本の教育行政の姿をおさらいしておこう。古山明男『変えよう!日本の学校システム』(平凡社2006.6)などからも,この辺の話を得ることが出来るし,先日テレビでもやっていたので,そろそろ浸透しているとは思うが,ぜひ日本の教育を語る上で基礎知識として持っていただきたい。
 日本の教育行政における主要な登場人物は4者。「文部科学省」「都道府県教育委員会」「市町村教育委員会」そして「都道府県市町村の首長(知事とか市長とか)」である。そしてそれぞれのキャラが立つように,重要な権限が一個一個分け前の如く割り振られているのである。
・文部科学省には,政策や法令に基づいて「指導」する権限を…
・都道府県教育委員会には,人を雇うことが出来る「人事」権を…
・市町村教育委員会には,学校を設置して管理できる「実行管理」権を…
・都道府県市町村の首長には,教育に使うお金を決められる「予算」権を…
 そんなわけで,新しいことを始めたり,何かを変更しようとしたりするときには,それぞれの権限を持つ4者が力を合わせないと実現しないようになっているのである。ロケット発射の時に必要なロック解除キー(映画なんかで出てくる,数数えて一緒に回すアレ)が4つ必要みたいな感じである。
 ところが一人でも鍵回すタイミング間違えると,何も動きやしない。そして日本の教育を変えたいのに,なかなか変わらないのは,鍵回すタイミングがことごとくずれているせいだとも考えられている。
 それで,鍵の数が多すぎるのが問題だと考える人がいて,「じゃ教育委員会を無くして,鍵を減らしちゃえ」と論じているのが教育委員会廃止論である。でも,いざ鍵が減ったとき,容易にロック解除できるようになる怖さみたいなものもあって,必ずしも鍵を減らすことが最善の策ではないと考える人たちもいる。それに今でも,鍵回すタイミングさえ揃えれば,目的達成できるのだから…。
 問題は,コンセンサスを得て,力を合わせることが出来るかどうか。その手続きを丁寧に出来るかどうかということなのだ。そして,どうも昨今の社会では,このコンセンサスづくりが難しくなってきたということ。そして,目まぐるしく変化する時代について行くためには,手続きを簡略化することが求められているという現実があるということ。同じ丁寧にやるにしても,テキパキとしなければならない。
 残念ながら,今日の教育行政ではそれが出来ていない。考えてもみて欲しい。主要登場人物4者に関わる実際の人数に加えて,前振りでご紹介した情報教育に関わる関係団体や組織の広がり様。そのうえ,それぞれ自分たちの目的に照らして良かれと思って研究活動や啓蒙活動など,セミナーや研修会などを開いていくものだから,もはや何が何だか分からなくなってくる。
 シンプルじゃないのだ。こんな状況で物事を実現しようってんだから,日本人というのは本当に器用な民族である。

 斯様な教育行政の構図を念頭に,今回のセミナーの話に戻ってこよう。
 この手のセミナーでは,教育行政の構図における問題がくっきりと浮かび上がってくる。残念ながら日本の学校における情報機器整備は目標に対して遅れている。国が予算措置して,文部科学省が通達まで出しているにもかかわらず,予定までに目標達成できなかった。なぜなら,誰かが鍵を一緒に回さないからだ。
 でもどうして国や文部科学省が「鍵を回して!」と叫んでいるのに,同じタイミングで回そうとしないのか。それは,国が用意した予算や文部科学省の通達に強制力がないからだ。首長や教育委員会が言うことを聞かなくても済む事態が起こっているのである。鍵回さなくて済むなら,その方が面倒無くて楽なのである。
 そんなわけで,そもそも情報教育に関心がある地方自治体は積極的なところも出てくるが,そうでもない地方自治体は関心意欲が最初から無いので実現しないのである。
 関心意欲の無い地方自治体の中にある「やる気満々の学校」現場にとっては,困った事態である。情報教育を実践したいのに,教育委員会の無気力無関心で,自分の学校にパソコンが整備されないのだから。
 関心意欲の無い首長あるいは教育委員会を相手に,上からは国や文部科学省,下からは現場の学校の先生や教育センターの人々などが,情報教育の重要性と機器の整備の必要性を訴え,首長には予算を,教育委員会には実行を要請しなければならない。
−→ 国,文部科学省
|      ↓
|   関心意欲の無い首長,教育委員会
|      ↑
−→ 現場の学校,教育センター
 で,上と下の間をつないでいるのが今回のセミナーというわけである。ああ,もちろん関心意欲の有る教育委員会の人たちもセミナーには参加しているだろうし,あらゆるところでこんな滑稽な図式が展開しているわけじゃない。
 ちょっと今回の駄文は話がややこしくなってしまったか。
 こういう前提知識を踏まえて感想を書きたかったのだが,要するに今回のセミナーの難しいところは,現状の構図に対する不満が下敷きになっているため,「教員1人1台時代のICT活用」という部分の話が(有ったのに)ぼやけてしまっていたということだ。
 いろんな立場の人たちが,それぞれの立場に引き寄せて何か情報を得たのだとは思う。そして日本は地方分権が建前だから,具体的なアクションについても,それぞれが計画を作成して,実行することが共通認識になっている。だから,セミナーの場では,何かしら決定版のような見解や方策を示すことはせず,せいぜいセミナー開催を協力したSky株式会社の製品をデモすることで参考にしてもらうというスタンスであった。
 日本のJAPETが,英国のBECTAの様に出来ないのは,その構図のためだ。英国のBECTAが,条件整備に関わる業者を認定したり,チェックリストをつくって条件を満たす学校にICTマークを与えたり,Windows VistaやOffice2007の教育利用を評価したりと,ICTの普及促進に積極的に動けるのも,国がイニシアティブをとって推進しているためである。日本のJAPETが同じようなことをしようとすると,国が介入するのに等しくなって,地方自治体の権限領域対する越権行為になるおそれがあるからだ。
 だから,このようなセミナーの場で,一生懸命現場サイドから首長や教育委員会に働きかけ,情報機器整備の必要性に気づかせる努力が必要だと訴えるのである。
 もっとも,だとしたら,むしろワークショップ形式にして,もっとアクションを起こすのに必要なリソースと手順に関する情報を提供しながら,それぞれの立場でできることにフォーカスすべきだと思う。この調子では,参加者個人個人の温度差によって解釈にばらつきが起こっているにもかかわらず,そのばらついた解釈に基づいてアクションが起こることを期待していることになる。
 1人1台時代という言葉で指し示されているのは,公的なパソコンが配備され,支給されるという事態である。今回のセミナーでは,それに伴って発生する新たな業務,そのための工夫,そして問題点などが紹介された。
 仕様策定,導入,運用,保守,更新,廃棄という一連の流れを眺めた場合,それぞれのフェーズで考えておかなければならないことは多岐にわたる。しかし,一方で,こうした情報環境に対応するために発生する様々な労力を,全て教員が引き受けるべきかという疑問もある。それこそシステムに任せられるのであれば,教員に負担をかけないシステムを予め導入すべきだし,難しいとはいえ,ICTのための人員配置も検討すべきとの議論もあった。
 公的なパソコンが大量に導入されるということは,管理すべき物品や対象が増えるということである。管理するには普通人員が要る。だから企業や組織だと,そういう諸々の計画や要求書と見積もりが作成されて初めて,予算が認められて執行する。ところが,これから日本の学校に入ってくる公的パソコンは,そんな計画も準備もしていない場所に,まさに「降ってくる」形になってしまっている(もっとも降らせるかどうかは地方自治体次第だけど)。
 この見かけ本末転倒な状況もまた,日本の教育行政の滑稽な構図が生み出したものだ。だから,いっそのこと,教育委員会や首長は,各学校現場や教育センターに,計画や要求書を出させて,しかるべき体制を考えさせて準備させてからパソコン配備を承認するような形にすべきかも知れない。なんか,そういう「僕らも仕事したぁ」という役割を首長と教育委員会にさせることで,関心意欲が掻き立てられるかも知れない。それに現場にとっても,とりあえず導入して教員があたふたするより,ICT向けの人員配置も含めた計画書と要求書を作成することによって,まさに運用を見据えた準備ができるのではないだろうか。
 あと,問題は業者ね。良心的な業者も多いけれど,勉強不足な業者が多くて困る。自分たちが扱っている商品しか知らないという視野の狭さ。新しいソフトや機器が登場していても,何も情報を得られていないから,情報の提供すらできない。そういう業者が多い。
 だから,仕様策定する際には,かなり気をつけないといけない。業者との緊張関係を保たないと,お互いが損をしてしまうのである。もし,教育関係者が業者と緊張関係を保てるよう,距離感を調整できれば,彼らも勉強するだろうし,新しい情報を提供してくれるし,そしてサポートも迅速にしてくれるようになる。
 ただし,だからこそ,適正な報酬を支払うことも忘れずに。良いサービスをしてくれるようになると,今度はお客側がわがままになってしまう。業者はビジネスをしに来ているのであって,ボランティアをしに来ているわけではない。そりゃ,たまには無理をお願いしてしまうことも有るだろう。ちょっとパソコンを見てもらったことにわざわざお金を払うこともないかも知れない。
 けれども,図に乗って,時間外に来ることは当たり前,自己解決できることも頼りっぱなしという態度では,よい関係を保つことはできないし,サポートも雑になってくるかも知れない。
 そういう意味でも,本来はJAPETや情報教育推進協議会などが,学校現場に出入りする業者に対しても何かしらガイドラインや啓蒙活動を展開していくことも大事になってくる。なのに,そういう話は,こういうセミナーではすっぽり抜けてしまうのだ。

 というわけで,だいぶ長編駄文となってしまったが,いろいろな状況を踏まえてみると,実はそう簡単に割り切れるセミナーでなかったことが分かってくる。
 私より下の世代は,過去を知らない分,こういう複雑怪奇な現状について,だいぶフラストレーションを感じているはずだ。なぜ物事がストレートに進行しないのか,疑問に感じているはずなのだ。一度「ぶっ壊す」方がすっきりするのではないかと考えるのも無理はない。でも,歴史を紐解くと,そう簡単な話でないことも分かってくるはずである。そして,下の世代はある意味優しいから,理解を示してくれたりする。
 だからいつも思うのは,何かが変わるために必要なきっかけは何か?という問い。世代交代を待って,若い人たちに変えてもらう?それとも,いま物事を変えるほどの地位や権限を持っている人々が意識を変えて取り組み始める?あるいは,自分たちで種まきをして,じわじわと変わっていくよう努力する?とにかく,いろいろ考えを巡らしたりする。
 冒頭から繰り返し書いてきたように,JAPETを始めとした教育工学や情報教育を推進する団体・組織は,研究活動を得意としてきた流れがあるので,今日のセミナーもまた研究的スタンスのもと,自制的な発表だったと思う,それはそれで評価すべきこと。最終的に何を読み取るか,読み取ったものを生かすも殺すも,聴衆個々人の立場にあった選択をすべきである。
 けれども,私はもっと積極的な主張を示すことも大事なのではないかとも思ったのだ。結局,人を動かすのは人の熱い志によることが多い。何かを変えたいのだとしたら,熱く語るべきだし,それをたたき台に議論を展開することが必要なのではないか。ときには反発を生むことさえ,戦略として取り入れることが,物事を大きく変えるためには必要なのだと思う。

紙の上でデバッグ

 今日,大学院のゼミがあり出席した。春からの新入生が全員集まって発表をした。まだまだ学ぶべきことは多い。
 終わって食事をしながら歓談。プログラミングの話題になって,どんな言語を使っているかなんて話になった。「いやぁ,最近はフレームワークを勉強しないといけないでしょ,そういうのに慣れなくて…」なんて話をしていたら,「りんさんの頃は,アセンブラでプログラミングだから。連続用紙に印刷してたんでしょ…」なんてツッコミが入った。
 ははは…。図星だよ,おい。
 紙に印刷してデバッグしてたもんな。論文の推敲と同じで赤ペン持って,極めて文系的プログラミングスタイルでした。懐かしいなぁ〜,ツッこまれるまで忘れてたよ。今年は頑張ってAjax使いになりたい。

Windows VistaとカラーiPod shuffle

 Windows Vistaの一般販売が始まった。真夜中0時発売というイベントが済んでみれば,売れ行きはスロースタートといった模様。あちこちの報道も「消費者は様子見」といった雰囲気を伝えるにとどまっている。
 なにしろVistaにしても,新しいOffice2007にしても,高い。
 そして,Vistaに限ればパッケージが4種類あり,それぞれ通常版とアップグレード版があるから,8種類もの価格が並んでいる(さらに世の中にはDSP版と呼ばれるものがあるので,実際には12種類だ)。教育現場に導入するとしたら,どれを選ぶべきか困ってしまうだろう。資金が許せば,全ての機能を含む「アルティメット(Ultimate)」タイプを選びたいところだが,5万円する。(ははは…)
 そうでなければ「ビジネス」タイプと「ホーム・プレミアム」タイプが考えられる(さらに下位のホーム・ベーシックというタイプもあるが,あえてそれを導入するのは疑問である)。教育現場の場合はどれを選べばいいだろうか。「教育とコンピュータ」誌1月号の岡崎俊彦氏の記事を引用してみよう。
 「家庭版はビジネス版に比べると安価ですが,ビジネス版相当のネットワーク機能やセキュリティ機能を追加することはできません。情報保護の信頼性を第一に考えれば,児童生徒の個人情報や成績処理のデータなどを扱うコンピュータで,Home Basic版やHome Premium版を導入するのは避けるべきでしょう。」
 って,アドバイスそれだけ?頼むよ,一冊1,300円する雑誌なんだから,もうちょっとなんとかならんかね。とりあえず,岡崎氏の言うように,家庭版(ホームタイプ)は選ばないとすれば,自ずと「ビジネス」タイプと「アルティメット」タイプのどちらかということになる。
 じゃあ,「ビジネス」と「アルティメット」のどちらのタイプを選ぶべきか。両者の違いは,次の通り。
[ビジネス×,アルティメット○の機能]
 ・保護者による制限
 ・メディアセンター機能
 ・ムービーメーカー
 ・DVDメーカー
 ・ドライブの暗号化
 (※実はさらにややこしいことに,組織団体購入向けのボリュームライセンスという契約形態があり,これ用の「エンタープライズ」タイプってのがあるのだ。このタイプは「ビジネス」タイプにドライブ暗号化機能がプラスされたものになっている。逆に言えば,「アルティメット」タイプから保護者による制限とメディア関係の機能が省かれた形だ。)
 メディアセンター機能,ムービーメーカーとかDVDメーカーは,教材再生や教材づくりに活躍する可能性もある。セキュリティを云々するなら保護者による制限もドライブ暗号化の機能もあってしかるべきだろう。
 そう考えると理想は「アルティメット」タイプでと言えそうだ。(教員配布用には「エンタープライズ」タイプという選択もあるが,メディアやビデオ関係がない点は「いざ」という時に使えない状況を覚悟しないといけない。)
 さらにドライブ暗号化機能は使わないという割り切りをするならば,校務に関して「ビジネス」タイプでも問題ないだろう。
 なんか無駄な議論にも思えてきたな。こんなシンプルさに欠けた製品構成をせずに,全部一本で通してコストを抑える分安くしてくれればいいのに…。基本OSでこんなのは異常である。
 さらにOffice2007にもソフトの構成によって似たようなタイプ分けがあって,最上位タイプは9万円という値段だ。インターフェイスが一新されたとはいえ,こちらもおいそれとは購入できない代物である。
 NHKのクローズアップ現代でも問題が指摘されていたように,仮にアップグレード版を購入しても,現在使っているパソコンではパワーが足りず導入できない場合がある。さらに,今日では,リナックス(Linux)という基本OSと,OpenOfficeというオフィスソフトが無償で提供されている時代である。さらに使いやすさや革新性で先んじているMacOS Xという基本OSも人気だ。
 Windows VistaやOffice2007は確かに最新ソフトだが,これだけの価格を支払うに値する新しさがあるとは言えないのである。
 それでも,市場はVista布陣である。パソコンを新たに購入するとなれば,VistaやOffice2007を使うことになるだろうし,教育現場にも徐々に入り込むことになるだろう。しばらくは,新しさゆえの問題にもたくさん遭遇することになる。それに振り回されないように自衛しながら,取り入れていくしかない。
 さて,そんなWindows Vistaの発売に合わせてか,アップル社から新しくカラーバリエーションを用意したiPod Shuffleが発売になった。新しい色は,赤,青,緑,そして流行色のオレンジだという。
 分かる人には分かるが,これはWindows Vistaのマークの色だ。つまりアップル社からのVista発売祝いというわけである。まあ,ライバル会社の肝いり新製品に対して,自社の低価格帯の製品であるiPod Shuffleのカラー化で迎えるあたり,アップル社が余裕をアピールしているとも想像できる。
 あなたはWindows Vista使ってみたいですか?

Webから日本の教育に出会うとしたら

 日本の教育,これをゼロから知ろうと思った立ち位置で情報を眺めたらどうなるのか。このご時世,有り難いことに手っ取り早くインターネットで情報収集が出来るので,Webサイトを手がかりとして考えてみた。
 教育を管轄する政府機関があることは,だいたいの国で共通している。日本なら「文部科学省」がそれだ。米国にも,英国にも,仏国にも,中国にも,韓国にもそれに相当するものがあるだろう。
 というわけで,それが分かっているなら,いきなりその機関のWebサイトに飛んでみるのもいいが,ここではまず2つの道筋を確認しておこう。(1)検索サービスで「教育」とか「学校」を調べる,(2)その国の政府のポータルサイトから探す,である。

(1)「教育」「学校」をググってみる。2007.1現在
教育」→asahi.comの教育ニュースサイトがトップで,続いて読売新聞,そしてウィキペディアの教育の項目と続く。そうなるとウィキペディアへとジャンプするルートが有力か。そこを経由して文部科学省へのリンクも発見できる。
学校」→i-learn.jpというところと,JSという代理店の2つの学校検索サイトに続き,ウィキペディアへのリンクとなる。ウィキペディアの学校という項目には文部科学省へのリンクはない。
(2)電子政府の総合窓口を利用する
 文部科学省のWebサイトを探すよりも見つけるのが難しいかも知れないが,「e-Gov」という行政ポータルサイトが日本にもあるので,それを利用してみよう。実情がどうあれ,位置づけとしては日本の行政の玄関サイトのはずである。
 ところが,このサイトの使いにくさや内容の乏しさといったらない。特に「教育」や「学校」について知りたいと思ったとき,どこをたどればいいのか全く見当がつかない。試しに「全府省ホームページ検索」という検索欄を使って,2つのキーワードを検索してみる。するとどうなったか?
「教育」→最初にあげられたのは農林水産省へのリンク。文部科学省のリンクが現れるのは146番目である。
「学校」→最初にあげられたのは気象庁へのリンク。文部科学省のリンクが現れるのは105番目である。
 検索欄ではなく「サービスを利用する」欄から教育に関する情報を得ようとすると,まずリンクの選択に迷う。関係するのは「生まれる」か「住む」か「資格」か,「その他全て」であろうか。しかし,ここでは何も得られない。文部科学省にも連れて行ってくれない。
 というわけで,文部科学省へのリンクは「各府省・独立行政法人等」というリンク一覧ページにジャンプしてから,文部科学省の名前を探すほかない。電子政府が泣いている…。(もっとも,このポータルは何かしらの手続きを伴う事柄に関する情報を提供するという趣旨でつくられた経緯が強い,ということも使えない理由の一つである。)

 まあ,文部科学省でなくてもいいが,いまのところ日本の教育について調べるのに頼りになるのは「ウィキペディア」という,お寒い状況であるらしい。
 ちなみに(最近マイブームになっている感のある)英国の場合だと,「Directgov」という公共サービスのワンストップ・サイトがある。アクセスしていただければ一目瞭然だが,一番最初のページの始めの方に「Education and Learning」(教育と学習)の項目があることに注目していただきたい。学校というキーワードさえ見える。この姿勢の違い!
 そしてクリックしてみれば,さらにその語りかけるような情報提供の在り方に感心することだろう。日本と明らかに違うのである。
 じゃあ日本に目を戻して,「文部科学省」のサイトはどうだろう。餅は餅屋だ。きっと教育と学校について英国の行政ポータルが提供するくらいのことはしているだろう。
 と思ってアクセスすると,眼に飛び込んでくるのはたくさんのリンク。さて,どれをクリックすべきかじろじろ見ると「教育から調べる」というボタンが見つけられるのでクリックしてみよう。ちなみに右上に「教育」という文字のリンクもあるが,同じリンク先である。
「よりよい教育を目指して」
「幼児教育・家庭教育に関すること」
「小・中・高校教育に関すること」
「大学・短大・専門教育に関すること」
「青少年の健全育成」…と続く。
これなら知りたいことが分かるかも知れない。
 たとえば,私が子を持つ親で,自分の子どもが通う学校教育について知りたいと思う人間だったら…。いろいろページを見て回ってみたが,残念ながら,分かりやすい情報はどのリンクからも得られなかった。
よりよい教育を目指して」→教育基本法に関する項目が出て,続いて義務教育の構造改革である。これは保護者向けじゃない。
幼児教育・家庭教育に関すること」→幼保連携の認定子ども園について,知りたいときもあるだろうけど…。子育てを応援しますページもお役所文書の一覧表で,ちっともやさしくないし応援してもらっている気がしない。
小・中・高校教育に関すること」→学習指導要領,確かな学力,教科書,中高一貫教育…。時事問題を調べるなら有用な情報提供をしているのかも知れないけれど,やっぱり保護者にとってはお役所文書にしか見えず,読んでられない。
 以下略…。
 というわけで,国レベルの教育関連サイトの入り口がこの有様である。けれども,どうしてこんなに国がぶっきらぼうなのかというと,実は理由がある。実際の学校教育が地方自治体に任されているというのが日本の教育制度だからだ。
 もしも保護者が具体的な教育の情報を知りたいなら,国レベルではなく,自治体レベルで調べた方が現実的なのである。ただし,各自治体の体力によって,どれほど教育に関する情報を提供しているかは異なってくる。充実しているところもあれば,国より酷いところもあるだろう。これがこの国の教育情報の提供具合なのだ。
 たとえ地域の学校教育は地方自治体が責任を持っているとはいえ,それを大元で支えるのは国の仕事である。そして文部科学省は国民に教育情報を提供する義務がある。お役所文書を公開することからもっと踏み込んで先へ進まないと,国民の信頼を得ながら行政をすることはできない。特にいまの文部科学省は,もっと国民を味方に付けるべきじゃないかな。