教え子たちの様子を見るため古巣の職場に来ている。2年間受け持つ予定だったクラスを1年でほっぽり出して上京したことから,この子たちには大きな借りがある。卒業するまで,なるべく行事などに行こうと心に決めていた。
卒業直前の大きな行事に立ち合って,学生たちの成長やクラス内の関係が様々に動いたことが分かった。もう少し時間があれば,よりクラスの団結も深まるだろうに…とも思った。最初この教え子たちは,それぞれ個性が強くて,またそれでいて遠慮がちなところもある分だけ,まとまることが難しそうだった。それゆえ物事がなかなか前進せず,お互いイライラしてしまいがちでもあった。そんなクラスが,最後の行事でひとつのものを作り上げる団結力を発揮してくれたのである。
辞めておいて身勝手な話だが,クラスが一丸となっていたことを見て嬉しかった。他の先生たちの支えと学生たちの根性の成果であるが,その様子を見て,私はうるうると瞳を潤ませた。本当にもう少しの時間と何かを取り組む機会があれば,このクラスはもっと強くなる。それを確信すればするほど,悔しい気持ちも増す。いろんな意味で。
間もなく学生たちは卒業の日を迎える。私にとっては永遠に教え子だし,彼女たちのためにできることがあるなら尽力する覚悟はあれど,今後は社会の中のそれぞれの場所に散って生きる日々が始まる。機会がない限り,お別れである。
結果的には,私もまた次の場所で生きる日々を新たに始められることになった。そのことを応援してくれた教え子たちに感謝。だからこそ,これからも恥ずかしくないように頑張らないといけない。
精神や倫理にだけ頼るつもりはない。けれども,誰かを想い,自分にとっても誰かにとっても恥ずかしくないように努力することは,どんな場面でも大切だと思う。うまくいかないときもある。迷って間違った方向に進むこともある。それでも常に意識していることで,進むべき道を見極めていくべきだと思う。それは個人レベルでも,地方自治とか国家政治のレベルでも同じことだと思うのだ。そのための手段は違うとしても。
校舎に響く学生と子ども達の声に耳を傾けながら,相変わらず小難しいことを考えて時間をすごしていた。